2011年5月29日日曜日

日曜日の話し(5/29)

JRの特急がトンネルの中で緊急停止し、乗客には社内で待つように放送で指示をした。ところが火災となり、白煙がたちこめる中、一人の客がドアを開けて避難すると、他の客も続々と脱出した。そのおかげでほとんどが軽傷ですんだ。

<責任者>の指示誘導が間違っていると、時に大惨事を招くことがある。

人間のやることは、どんなに努力しても、その人がどんなに有能であっても(というか、有能なら寧ろそれだけ)、時々大変な失敗をするし、信じられない勘違いをする。だから、多くの人の意見が反映される仕組みを作っておき、何が正しいかは、自然の経過にまかせる。そうして全員が同じ落とし穴に落ちるリスクをさける。

確かに一理ありますよね。無為自然の理だ。一理はあるが、決め方としては美しくない。美的センスの発達した人は「もっと賢いやり方があるだろう」と唱えるだろう。

デカルトは、一人の人間が最初から最後まで設計した庭園が最も美しいと言っている。多くの人が、手を分担し、足を分担し、胴体を分担し、顔を分担して作る彫刻作品など、ダメに決まっている。そういう美学です。

しかし、学問の発達は昔とは変わった。専門学術誌に細切れで発表される無数の小論文が、いまは即ち、勉強を進めるテキストだ。それもネット社会で公開するペーパーが取って代わりつつある。アダム・スミス、カール・マルクス級の巨人が「何とか原理」を世に問う時代ではなくなった。

数学の難問の証明だって、得意分野で分担する時代だ。

美しくはない。何とか原理もない。しかし、これは大前研一流<集団知>そのものだ。集団知は現実のものになりつつあるのじゃないか?だとすると、現実からずれているのは、政治家が社会を指導して、物事を決めようとする政治家集団なのではないだろうか?彼らは単なる時代錯誤、30年前から蘇ったアナクロニストではないのか?そんな古臭い人間集団であっても、「とにかくもオカミだから」と奉る私たち日本人集団の国民性が、世界の現実と食い違ってきているのじゃないか?

ビストロブランシュ アクリル F4

やれやれ、日曜日の話しと言うのに、これでは気分転換にならないね。

ライラックがもうすぐ咲くというのに肌寒い。昨晩はストーブをつけたりした(さすがに暑くなったが)。



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