2011年5月11日水曜日

大相撲の八百長防止システムはあるのか?

日本の国技である大相撲は本来は夏場所であるところだが、「技量審査場所」なるいかにも役所の好みそうな名前をつけて何とかやっているところである。この場所が終わって、まさか出てくるとは思わぬが、万が一八百長の噂が再び流れたらどうするのであろうか?大震災復興に向けて国民が助け合っている中で又もや八百長で揺れれば、その時こそ、伝統の国技は終焉を迎えること間違いない。仮にそうなれば、極めて残念だと多くの人は感じるのではないだろうか?

その相撲が八百長であるのかないのか、どう定義されるのかという議論はさておき、一場所15日が勝ち越しであるか、負け越しであるかで、収入ががらりとかわってくる切所に立てば、誰しも談合によって自己救済を図る誘因を持つのは自然なことである。動機があるのであれば動機を持たないようにするのが先決で、携帯をとりあげようが、他部屋の力士との接触を禁止しようが、しょせんは無駄である。

大体、掛け値なし本気のガチンコ勝負を15日連続でやれば、怪我をする確率が高い。特に技量が向上途中にある若手の普通クラスの力士はそうだろう。そして若手の向上途中にある力士ほど怪我をおそれるはずだ。怪我をしても次の本場所は年6場所制では2ヶ月先にやってくる。骨折でもすれば1ヶ月は稽古が出来ない。そろそろと再始動しているうちにもう本場所だ。その間に巡業などをやって勝負勘を取り戻しておけばいいが、それは無理だろう。そこでまた無理をして怪我をするかもしれない。そんな状態で15日またやる。プロ野球で走塁中に靭帯を切ったとする。それが4月ならオールスター前に復帰というのが相場ではなかろうか。相撲は落ち方一つで不運な怪我をする。一度怪我をしたらそのまま番付を落ちていって角界を諦める可能性も頭をよぎるだろう。

怪我をおそれずシナリオなしのガチンコ勝負を毎日ずっとやれというからには一定の条件が必要だ。

ということは、現実に八百長が横行しているのは、その必要条件が満たされていないからだと見るべきだ。

では八百長をせず、全ての力士が闘志そのままのガチンコ勝負を見せるためには、どんな条件があるのだろうか?思いつくままに列挙してみよう。

第一は、いうまでもなく<保障体制>だ。自衛官、警察官が危険な任務に就く時と状況は同じである。そもそも力士は格闘が好きで力士という人生を選んだのである。談合などで勝負を決めず力で相手をねじ伏せたい本能を本来は持っているはずだ。しかし、格闘という危険のある興行を行うからには、万が一、身体を壊した場合にはそれまで期待されていた人生と遜色がないほどの資産と生活を約束しておかなければならない。危険に見合った保障をしなければ力士は自分たちで危険を除去する誘因を持つ。

勤労者であれば医療保険、年金保険、雇用保険に原則加入する訳である。怪我をするリスク、所得低下のリスクをカバーする保険を充実させることによって、力士が本来持っているはずの闘争本能を引き出すことはできるはずである。常識的に考えて保険は既に設けられているとは思うが、それでは不十分なのだろう。保険料は力士本人と部屋の折半で負担しているのだと思うが、入場料にも含めて観客にも一定額を負担してもらうのが適切だ(もうやってるかな・・・)。リスクをカバーする保険料はコストである。本来は質の高い相撲を見るための価格はそう安くはないのだ。

第二は、<過重労働を避ける>という観点が必要だ。小生は相撲には人並みの関心しか持っていない。それでも隔月で本割り15日という今の興行体制は勝負を客に見せる側から言えばギリギリで何とかやっているのが現実ではないか、と思う。小生も傍目には呑気な仕事をやっていると家内などには言われている始末だが、それでも世知辛い世の中、アウトプットを出せとしょっちゅう遠回しにプレッシャをかけられる。それは例えば自己評価シートであったり、部内研修会であったり、業績リストの提出であったりする。アウトプットを世に問うまでの準備の時間が長いのに、組織の上層部はこれまた世間からのプレッシャを受けているので、とにかく成果を出してくれの一点張りになる。現役力士は体作りに時間を十分とれないバタバタ状態でノルマだけをこなしている可能性が高い。

第三は、第二の関連だが<年四場所13日制>にする提案だ。2ヶ月に一回ではなく、3ヶ月に一回にして日数も短縮する。その四場所は4月と10月を国技館、1月、7月は福岡、大阪、名古屋、仙台、札幌の巡回制にする。あるいは特定の一場所は市町村を対象にしたオークションにしてもよい。興行頻度を抑える一方で、チケット価格を引き上げる。勝負内容の質を上げて、顧客の満足度を高め、利幅をとる値上げ戦略を採るのだ。こうすれば毎場所全力士が本場所に出るのではなく、オフになる力士をローテーションで回すことが出来る。その休暇を利用して社会参加活動や相撲啓発活動などを担当させれば社会感覚も身に付くであろう。

第四は、本割りの勝ち越し、負け越しという二分法で次場所の昇格、降格を決めるのではなく、<評価システム>をきめ細かくする。たとえば、勝ち星マイナス負け星の数字に応じて、所定のプラスポイント、マイナスポイントを加算する。そのポイント残高を昇進、降格の主たる材料にする。ポイント残高が一定数値を超えれば昇格させるか、ボーナスを支給する。負けが増えてポイント残高が特定数値を下回ればその位には留まれない。上位力士に勝った場合は銀星で追加ポイント20%、金星で50%増しなどとしてもよい。そのポイントは野球の打率、防御率と同じようにファンに公開する。こうすれば7勝を8勝にするためだけの談合は必要性が薄まる、というより、なくなると思われる。

最後に、相撲部屋、それから日本相撲協会だ。その収入源多様化、つまり事業多様化である。小生も含めて多くの人は、場所がない期間、日本相撲協会、個別の相撲部屋がどんなことをやっているのか余り知らない。そこは野球などと同じで多分練習をしていると思われるが、相撲に縁のあるOB、関係者は全国に厚い層となって分布しているはずだ。協会は都道府県、市町村単位で支部活動を行っているのだろうか。学校の体育会、クラブ活動、町内会、商工会議所、観光協会等々と連携して、地域振興のために寄与できるかどうかを考えたことがおありだろうか?こうしたフィールドワークに強い元力士は結構いるのではないか。力士はただ格闘するためだけの人材ではない。角界と社会の架け橋となって活動することの方が得意な人もいるのではないか?そうした人が、本来は協会運営の要となるべきであるし、部屋の親方は昔の名力士であっても、社会感覚のある人が経営アドバイザーになることは大いに有益であるはずだ。

もっと案はあるかもしれない。いずれにしても不祥事が反復されるのはシステムに欠陥があるのであり、だとすれば当事者のモラルや人間性を責めるだけでは問題は解決されないのである。よく言われるのは「客の入らないレストランの責任は、シェフとホールではなく、トップのオーナーにある」。経営マインドのケの字もない文科省官僚と中期経営計画を相談しても有害無益だ。マスメディア、広告、出版、その他文化人12名程度から構成されるアドバイザー会議を設け、年4回程度、開催する方が余程有益だろう。もちろん会議の議事録は公開し、その実現について監督官庁である文科省がフォローするべきことは言うまでもない。

問題解決のためにできることはある。
大相撲の八百長は力士のモラルが問題なのではなく経営問題である。

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