2011年5月24日火曜日

部分評論:大前研一の「集団知」

大前研一の「知の衰退からいかに脱出するか?」(光文社知恵の森文庫)を読んでいるところだ。これは今年2月に出版されているので、ほとんど著者最新の提言と言ってもよい。

文庫本にしては結構分厚く本文が528ページもある。なので、本全体について感想を記述するのは別の機会にして、今日は第4章「政局と集団知」、第5章「ネット社会と脳」だけに関する一点評論とさせていただきます。これだけは自分なりのスタンスを早くまとめておきたいと思ったのだ。

そこで述べられている著者のポイントはいくつかある。

時は小泉内閣の郵政選挙。B層という言葉をきいたことがおありだろうか?有権者は、IQの高いA層、守旧派で抵抗勢力のC層、もう一つIQが低くて付和雷同するB層に分けられる。選挙で勝つためには、このB層をターゲットにして、徹底したラーニングプロモーションを行うのが効果的である。著者曰く「郵政選挙は、初めからこのB層という、いわば何も考えない、IQが低い、とされる層を狙って行われたというのである」。このように相当衝撃的な文章表現で始まっている。

とはいえ、これは悪いと(そりゃあ嘆いているのは事実だが)著者は云うつもりではなく、趣旨は「ものを考えなくなった日本人」という現実認識。その状態をどう変えられるのか?そんな考察が第4章、、第5章のメインテーマだ。(ちなみに著者自身は郵政民営化には反対だと記されているが、それにはそれで著者独自の合理的理由が示されている)。

郵政選挙の最もダメなところは、それがマルバツで行われた点にあると著者は指摘している。語るべき見通しと伝えるべき判断を経ずして、結論だけを示し、賛成か反対かだけを問う。こうしたシングルイシュー・ポリティシャンは、心の底では有権者をバカだと見なしている証拠だ。そう著者は厳しく批判している。もちろん当時の郵政反対派は、もっとひどい状態であって、単に票田を守りたかっただけであるとも指摘している。それはそのとおりだ。

その後の道路公団、年金不祥事。すべて賛成か、反対か。いいか、悪いか。正解か、不正解か。国民は脳を使わず、また使わさせず、アンケート調査のような政治が行われている。それに対して国民はそれが自然なことだと適応しきっている。この現状に著者は相当憤りを感じているようである。こう書く小生自身も、いまは著者と一体化している。

著者は、国民総背番号制を実施するべきだと言っている。もしアメリカのソーシャル・セキュリティ・ナンバーのように、全ての国民が一意的に識別できるIDがシステム化されていれば、そもそも年金保険料未納問題などは起こり得なかった。それはそうだろう。行政機関が国民を一人一人把握し、国民がどこに転居しようが、どこに転職しようが、姓が変わろうが、追跡できるのだから。そうなれば隠し預金も持つことは難しくなるし、脱税、節税もかなりやりにくくなるだろう。悪意にみれば鬱陶しいが、しかし情報化時代の現代、当然やっておくべきことを「国家による国民管理システムには反対」のただ一言でつぶしてしまえば、結局は、生じるべき障害が生じます。そういうことです、という著者の指摘には同意せざるをえない。

考えないといけない。いま何をするのが我々にとって本当に得になるかを。

これをいいたいようだ。そして

考えるのは一人じゃない。みんなで考えよう。議論しよう。そんな議論の場を作れるのだろうか?

これが第5章のビッグテーマだ。

著者は現在の日本は政治の対立軸を作るのにふさわしい時代だと言っている。消費税と年金制度。結局、日本人はどんな風に暮らしていこうと考えるか?税金はどの位支払う覚悟があるのか?そういうことだ。

社会の問題解決に最もロバストな(腐敗せず、壊れず、最も信頼性の高い)システムは、すべての人たちが議論に参加する民主主義社会だ。この点は専門家も合意している。ただそれには、議論の仕掛けを作らないといけない。それが<集団知>の形成につながる。

著者はインターネットにその場を求めている、というか希望を託している。著者が実際に運営している<アゴリア>は、古代ギリシャの広場(アゴラ)と地球(ガイア)から名付けたネット社会の広場である。

リアル社会では生身の人間が向き合う。年齢、男女、職歴、財産、着ている服までがタテの関係を押し付け、偏りのない議論を邪魔する。ネット社会では、そうしたファクターから解放され、ロジックと議論の中身だけが提示され、展開される。もちろんネット社会にも<悪意>は混じる。しかしサイバー・リーダーシップを発揮できる人は現実にいる。多数の<智恵>をまとめていける人は現実にいる。本当はそうした人が社会をリードするべきなのだ。リアル社会ではスムーズに形成できない<集団知>がネット社会で形成できるような気がする。しかし、(いまのところ)著者にも確信はないようだ。

政治は現実の権力闘争であり、必ずしも智恵に勝る人がパワーゲームに勝利するとは限らない。しかし、日本国は曲がりなりにも民主主義という装置を与えられている。先ずはネット社会から<集団知>を形成し、考える日本人集団を再構築すれば、結果として私たちが選ぶ政治家も高いレベルで行動せざるをえなくなるだろう。少なくとも賛成か、反対かだけのマルバツ政治を拒否できるだけの国民になれる。政治家に問いかける権利を権利として活用できる。

著者が言いたいのは、日本人の<集団知>の欠如がマルバツ政治を招いている。その状態から何とかして脱出しないと世の中、絶対、良くならない。これは本全体から発せられれ主たるメッセージの一つでもあると感じたので、早々にここでまとめたわけなのだ。




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