2011年5月31日火曜日

ドイツの「脱原発」決定に思う

今日の日経のトップ記事は、「レアメタル開発拡大 価格急騰、中国依存下げ」。同程度の扱いで「消費増税段階的に―社会保障会議提言へ、15年に税率10%念頭」、その下側に小さく「内閣不信任案―小沢元代表が同調示唆」という政局報道。

新聞と言うのは、デスクが各種雑多の情報を仕分けて、紙面に割り付ける。割り付け自体が、その社の判断、立場を表現している。どんな記事がどう扱われているかも、また新聞が伝える情報だ。(ただしこれは最近読んだ大前研一氏の受け売りです)

実は3面に「独、脱原発 見切り発車―22年までに全面停止」とある。小生の目を引いたのはこの記事だ。小生ならこれをトップに持ってきた。実際、独紙"Frankfurter Allgemeine"のWEB版をみても、エネルギー政策転換、原発撤退に対する財界の懸念を伝える記事が相次いでトップを占めている。

確かに「脱原発」を決めたのはドイツであり、日本にとってはヨソ様のことなのだが、その日本にとっても今回のドイツの決定は、決して小さな出来事とは言えないのではなかろうか?

どうやら日本経済新聞は、早急な原発撤退には反対の立場であると見える。ということは、基本的には脱原発による電力コスト上昇を心配する立場であり、それはつまり輸出産業の国際競争力を重要視する立場でもあることを示唆する。社としては、そんな判断を持っている。そういうことが紙面からも明瞭に窺われるわけです。

それならそうで堂々と社説を通じて、フランスやアメリカのように原子力発電重視路線の堅持をしっかりと主張するべきではあるまいか?今のままでは、例えは悪いが「忍ぶれど 色に出にけり わが想い・・・」という奴であり、「ホントはそう思っているんじゃないんですか?どうなんですか?」、「あっ分かっちゃった?いやあ、そうなんだよネ」、「なんだ、やっぱりそうなんですか。言ってくれたらいいのに」という感じであり、誠にしまらないこと夥しいのである。出ちゃった ・・・という編集スタイルですな。

さて、大事なのは記事の中身である。

昨日のブログでも記したように、オーストリアは既に脱原発を国民投票で決めている。新聞には、脱原発グループとして、ドイツ(原発17基保有)、スイス(5基)、オーストリア(0基)、イタリア(0基)を並べており、それに対して原発依存を変えないグループとしてはイギリス(原発19基)、ポーランド(0基)、フィンランド(4基)、フランス(58基)をあげている。ポーランドやフィンランドは保有プラントは少ないものの原発派に区分けされている。

ドイツの脱原発は、政府内に設けられた有識者による委員会が結論付けたものであり、まだ最終決定ではない。しかし独政府は6月6日の閣議で関係法案を決めたいとの報道である。独紙によると、ドイツ財界、特に製造業ではコスト負担上昇を懸念する声が強く、日経でもこのあたり<見切り発車>と指摘している。とはいえ、まずドイツの脱原発は確定と言ってもいいのではないか。

脱原発の切り札は、当然、自然エネルギーであるわけだが、ドイツではエネルギー効率を潜在的には60%向上させられる、と見ているようだ。現実には、ドイツはフランスから安い電気を輸入しており、その点、原発派フランスをフロントエンド・エネルギー源として確保しながら、自国は脱原発を進めるわけで、それをフランスから見ると、どうしても好意的には見れない。そんな報道もされているようだ。 いずれにしても、フランスは原発重視路線をいま転換できる客観的状況ではなく、故にフランスの路線をGivenとして、その他欧州諸国はエネルギー政策を自国にとって最適となるように決めるはずである。それこそエネルギー戦略だ。

折から、ロシアが電力輸出に力を入れ始めている。核燃料再処理ステップまでを含めた一貫サービス込みで原子力発電プラントを戦略輸出商品として売り込もうと企てている。日本も米仏のアレバ、GE、ウェスチングハウスとタッグを組みながら、世界市場に原発プラントを輸出しようと考えていたわけだが、日本は顧客の信頼も落ち、既に手負いの獅子である。とは言うものの、これはあくまでも日本のエネルギー関連企業の経営戦略である。大事な点は、まだ日本国の国家戦略、エネルギー戦略がないことだ。電力市場自由化ですら、電事連という民間企業団体に押しまくられてきた惨状である。政策推進力がないわけですから、当然、戦略などもありえないわけですね。

日本では新規原発はほぼ不可能だ。その中で、日立や東芝、三菱が高性能の原発プラントを海外に輸出しまくれば、原子力産業は潤うが、ますます内外のエネルギーコストの格差が拡大して、その他製造業には不利になると思うのだが、やはり日本としてはエネルギー産業をコアコンピタンスとして守っていきたいのか?あるいはこうも考えられる。フランスはイギリスにも電気を売っている。中国は日本に電気を輸出することに関心をもっている。安い電気を中国から輸入すると、日本の一部産業にとっては利益にかなう話しであろう。だとすれば、そういう路線を主張する政治勢力も出てくるべきだろう。これは日本のエネルギー産業の利益にもかなうだろう。中国にプラント輸出すればいいのだから。

これから新たなエネルギー基本計画が議論されると思うが、それは国家経済戦略の中の一つの分野であって、エネルギー計画自体が局地的なものであることを忘れないでほしいものだ。エネルギー計画の次には、産業構造の展望、そうして被災地東北を含めた国土利用計画の再検討も待っているのだから。

電力市場では自由化を進め、必要な分野では計画と展望を政府が示す。市場と計画。難しいのはそのミクスチャなのだが、戦後復興、高度経済成長を演出した日本は、その混合レシピを知っていたはずだ。そのレシピは、当然、21世紀に合わせてアップデートすることが必要だが、今はまず、政府主導やら、官僚主導やら、民間主導やら、<主導権争い>ばかりをしないで、本来の政策レシピ、政治のモノ作りという原点に戻ることが最優先。それができなきゃ、日本の政治家は政局のプロであり、政治のプロではないと言い切られても仕方なし。

政治の原点に戻れるか、戻れないか?これこそ今の日本が直面する<政治リスク>の本質だ。 政治が日本社会で価値を生み出しているのか?そう考えると、本日の日経がドイツの脱原発を3面に、小沢一郎を1面に持ってきた割り付けも、分からないでもない。

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