2011年5月9日月曜日

私感―中野剛志「TPP亡国論」

最近評判の中野剛志「TPP亡国論」を読み終わったのは1週間前だ。内容は世評程には過激でもラディカルでもなく、むしろ若い人はストレートな言い方をするのだなあというか、表現は悪いが文章全体からフルーティな香りが伝わるような本だった。著者は1971年生まれだから、40歳か。小生が教師生活に転じたのもその年齢だったなあ、といささか感慨も催しているのである。

さて今日は「TPP亡国論」三つのポイント、一つの疑問を呈しておくことにしよう。

まず主な主張は次の三点に尽きるような気がする。

【1】世界経済の問題の核心はグローバル・インバランスである

日本、中国などの貯蓄過剰、アメリカの投資過剰が世界経済の不安定化を招いた。グローバル・インバランスが前者の経常収支黒字、後者の経常収支赤字となって現れていたのだが、それが国際金融市場を通して、アメリカの住宅バブル、原油をはじめとした国際商品バブルを惹起した。そうした国際的な資金偏在が原因となって、ついに金融セクターが機能不全を起こし、モラル崩壊をも伴ってリーマン危機につながっていった。そういう認識だ。

小生もこの見方には基本的に同感です。

故に、今後望まれる変化は、オーバーローンになっていたアメリカの輸出増加、輸入抑制つまり内需抑制。と同時に、オーバーボロイングになっていた中国、日本などの内需拡大。理屈はこういう結論になる。

ということは、日本が輸出拡大を企ててTPPに参加したとしても、アメリカ(及び他の参加国)は販売先としての日本を見ているのであって、日本の輸入増加こそが望まれている。しかし日本は輸出をしたくてTPPに入ろうとしている。世界経済問題を解決するプロセスの中で進められようとしていることと、日本がやりたいことが、全く正反対の関係にある。これは素晴らしい論理構成だ。

著者のいうとおり、TPPは実質的にはアメリカとのFTAである。多数の参加国が協議をするとしても、方向としてはアメリカの視点で、アメリカによる世界経済戦略の一環として、TPPは協議されると予想され、参加したとしても日本のペースで合意が得られる理屈は最初からない。

確かに本筋をついていますねえ。「自由貿易は経済的な厚生を向上させるはずである」という理論的・原理的な思考を単純反復するだけではなく、いまの場合に当てはまる現実的な見通しをエコノミストは提供するべきである。それが専門家の役割だと言える。

【2】 日本経済の問題は何よりもデフレであって財政赤字ではない。内需拡大によってデフレを解決することが最重要な課題だ。

著者の「デフレ悪玉論」には、率直なところ、全面賛成ではない。半分だけ同意する。

まず、消費者物価を目安にした日銀のいまの金融政策にはデフレバイアスがあると思っている。消費者物価には原油などの一次産品など輸入品が含まれている。だから石油、農産物などが高くなれば、日本国内の製品は安くならないといけない。賃金も利益も下げないといけない。この論理は、日銀券の価値安定には寄与するが、小生は適切ではないと思う。目安としては消費者物価ではなく、名目賃金の安定を重要視するべきだと思う。国内の賃金安定に十分なマネーを供給することに日銀はコミットするべきだと思っている。

更に、いまは少子化、人口減少への時代だ。資産を増やす貯蓄が大事なのだろうか?むしろ<資産取り崩しを進めるマイナス貯蓄率>のマクロ経済が大事だと考えている。そのための政策運営を研究するべきだと思う。

貿易黒字どころか、経常黒字も今後維持できなくなるとどうなるか?その場合は、国内資産を取り崩すか、対外債務で調達するかである。しかし、日本の人口が減少するなら、合計指標であるGDPも低下するのが自然だろう。保有するべき生産設備ストックもスリム化してもよい。

高齢化したあと子供もいなくなった大きな邸宅は重荷だ。そもそも日本は明治維新時に3千万人だった。第2次大戦後に多数の日本人が外地から帰還したため超人口稠密国になった。そのため宅地開発と自然破壊が進んだことを思えば、生産合計の縮小を大問題だと考える必要はないだろう。

資産をもっと増やすことよりも、資産を有効に使うことを考えるべき時代だ、という著者の指摘は正しい。

但し、日本の最重要問題はデフレであるという著者の認識は、たとえば野口悠紀雄氏の「日本を破滅から救うための経済学」の見方とは全く違う。野口は、日本で生じているのはデフレではなく、グローバル市場の中で進んでいる製品安・サービス高という相対価格革命であると見る。

たとえて言えば、1960年代の日本の高度成長時代、都市で働く製造業サラリーマンは農村に留まる人たちより高給をとっていた。だから大都市に人が集中したのである。いま世界の製造業は新興国という新規参入が相次いで果てしのない価格競争をしている。だから先進国は高度の知識を必要とするサービスに人が移動している。日本はその移動のスピードが遅いと野口は指摘しているのだ。

もし新興国ラッシュによる相対価格革命が日本の地盤沈下の主な原因だと見るなら、それは日銀のお金があるか、ないか、では解決できない。日本の物価だけを全体に上げていっても、かえって安い輸入品に食われるだけではないですか?この質問にどう答える。

デフレも確かに<物価不安定>の現象であり問題なのだが、じゃあデフレを解決すればMade in Japanが売れるようになるのだね、という具合に簡単にはいかないと見る。

【3】国際競争力は、関税の話ではなく、通貨の問題である。

韓国とアメリカ、EUで合意しているFTAに対する対抗戦略としてTPPが議論されている点を著者は批判している。経済界ではこの側面が非常に強調されている。

しかし、国際競争力は関税の高さで決まるというより、為替レートがより決定的要因である。既に十分引き下げている関税をこれ以上下げる余地はそれほどなく、TPPに参加すれば、結局は農産物市場開放と非関税障壁解消(つまり日本特有の規制や商慣習などの変革)の両方を約束する状況に追い込まれる。著者の見通しは、成程、その通りだ。

だとすれば、TPPよりは例えば為替安定のための環太平洋通貨安定基金(Trans-Pacific Monetary Fund)なるもののほうが日本にとっては余程メリットになる、ということにもなり、アメリカは嫌がるかもしれないが、日本は日本で「国益」を追求するべきだ、という議論にもなってくる。

但し、著者の議論に疑問もあるのである。それは次のように経済学に関してだ。

【4】 輸出もデフレの原因である!!?

これには小生はたまげた。たまげたのは小生は経済学を学び、今は統計専門家をやっているためである。

一般に経済学で考えられているのは、需要は客の数を意味し、<需要が増えれば価格は上げられる>し、需要が減れば価格は下がる。小生もそう世の中を見ているのですね。

国内の買い手に売れば、それは<消費>であったり<投資>になる。海外の顧客に売れば<輸出>になる。輸出は日本の製品への注文なのだ。外国からの注文が増えて、なんで国内の価格を下げるのか?安く買い叩こうという外国の客には売らなければよい。それに輸出に回す分、国内の出荷も減りますからね。減った分、価格は上げやすくなる。どう考えても、輸出が原因で国内の販売価格が下がる理屈にはならない。

逆に、輸入が増えれば日本のデフレ要因になる。それは供給が増えて、商品が国内にあふれるからだ。
(本当は、安い価格で売るよりも、なぜ日本の業者並みの価格で売ろうとしないのか、という企業行動の問題も別にある)

まとめると、輸出も輸入もデフレの原因になると中野氏は考えている。だとすれば、日本よりも輸出や輸入を数多く行っている開放的な国、たとえば欧州諸国やシンガポールなどのアジアの小国は、日本よりもずっとデフレ体質になっていないといけない。しかし、全然そんなことはない。

このように小姑のように重箱の隅をつつけば綻びはある。しかし、綻びは全ての本にある。全体としては著者のTPP批判は舌鋒鋭く、一部で批判されているように論旨が混乱していることはない、と小生は思った。冒頭述べたように、若さ、勢いを感じた。

となると、昨年唐突にTPP参加論が出てきたのは、横浜であったAPEC首脳会議で菅首相に持たせる引き出物だったのかなあ、とも思われるわけである。

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