2011年6月16日木曜日

外貨準備取り崩し論に対する官僚の反対について

大震災からの復興財源として増税か、国債増発かの議論が堂々めぐりしている。最近は、政府が保有している外貨準備を取り崩して「財源」に充てるべしとの議論も盛んになってきた。具体的には外貨の相当部分が米国債に運用されているので「米国債を売れ!」という主張にもなるわけであり、「これは気持ちがいいよねえ、日本人としては」・・・ま、しようもない単なる感情論ですな。しかし、外貨準備売却論はよい筋をついていると、小生には思われるのだ。

それに対する反論は色々ある。まずは円高を招くという指摘。ドルを売って、円に戻す以上、円の対ドルレートを上げる副作用があるのは事実だ。次に、政府が保有している外貨準備は、元々、政府が外為市場に介入する資金を調達するため政府短期証券を発行し、その見合いで得た円資金でドルを買ったものだ。だから政府が米国債を売ったとしても、それはそのまま短期証券返済に充てられるだけであり、故に復興事業の財源とはなりえないのである。こういう論理もよく耳にする。

確かに22度末現在の日本の対外資産と負債を整理すると、以下のような数字になる。



資産側(単位:10億円)
直接投資
証券投資
金融派生商品
その他投資
外貨準備
資産合計
67,691
272,518
4,287
129,700
89,330
536,526



負債側(単位:10億円)
直接投資
証券投資
金融派生商品
その他投資
負債合計
17,502
152,451
5,267
136,810
312,031


資産負債を差し引きすると、対外純資産は何と251兆円の巨額に上る。その内訳は民間分門が205兆円、公的部門が46兆円だ。

外貨準備を売ればよいという提案は、上の表の資産側に立っている外貨準備89兆円に着目したものだ。反対論の「外貨は政府短期証券との見合いで保有しているにすぎない」という指摘は、日本と外国の債権債務関係を示した上の表には出てこず、日本内部の貸し借りの話しになる。確かに、日本全体が外国に持っている資産ではありますが、それは政府が民間から借りた金でドルを買ったまでであり、そのドルは政府のお金ではないのですよ。持ち主が別にいるのです。そう言う意味である。

財務省の公表結果を見ると、公的部門が対外純資産46兆円をもっていることも分かる。これを売却したらどうかと提案すれば、今度は「この項目はお金としてすぐに使えるわけではなく、色々なものに投資されている。それをお金に戻すには時間がかかる。売れるかどうかの確証もない」そんな反論が返ってくるであろう。

こうして議論は、果てしもなく細かい話となり、必要となる知識・情報はますます狭い領域に限定されたものになり、最後には細かいことをよく知っている人たちが「私たち専門家に任せておいてください」という結論になる。これこそ官僚政治のエッセンスなのである。

経済学は細かい点には執着しない。基本的な関係だけをとりあげる。個々の行政技術とは別の見方をする。だから官僚国家は有能な経済学者を育成することを本音では嫌う。

そもそも政府だろうが、家計だろうが、企業だろうが、資産を売却するのは、借金を重ねるのと同じである。どちらにしても純資産が減るのだから。借金をしようにも、これ以上貸してくれる銀行がなくなるから、その金額分、資産を売らざるを得ないのだ。国債をこれ以上新たに増発するわけにはいかないので、売却が容易な外貨準備の存在を指摘しているのである。

ところが、日本政府が言っていることは、「玄関を修理しないといけないのだが、家の財産を売るわけにはいかない。預金も伯父さんから借りたものだから取り崩せない。銀行からも借金を増やせない。だから、みんなの小遣いや家計費を削るしかない。こらえてくれ。」家族にそう頼み込む一家の世帯主と同じである。

やり方を工夫すれば、家族の生活水準を低下させることなく、災害で損壊した玄関を修繕することができるにもかかわらず、「貯金を取り崩すことはできない」と執着するが故に、多数の人に忍耐をしいて、設備を修繕する。こうした政策理念そのものが、日本人全体を追い込み、心を貧しくし、日本人の幸福度指標を低いものにしていることが分からないのだろうか。まるで1930年代に社会主義国家建設に邁進していたスターリン時代のソビエトと同じ理念ではないか。

共産党が支配する中国は、人民元のレート上昇に介入するために既に3兆ドルを超す外貨準備を保有している。日本は1兆ドル強で世界第2位。あとはロシアの5千億ドル、サウジアラビアも大体同じ、以下多数の国が続いている(週刊エコノミスト、6月14日号、22ページから引用。日本は2011年4月末、中国は2011年3月末、他は2009年データ。元データはIMF)。誠に、外貨準備に関しては、日中が断トツ、堂々の2強である。

こんなに巨額の外貨準備を政府が手元に持つ必要があるのだろうか?その外貨は元々民間のものなのですと言うのであれば、資金が必要な現在、民間に戻せばよいではないか?意味があるかどうかも定かでない市場介入のために持っておくなど、それこそ死に金ではないか。

明暦の大火で焼亡した江戸城天守閣を再建するための資金調達を議論したとき、保科正之が必要もない天守閣再建にカネを使うより、江戸市民の生活再建に活用しようではないかと提案した故事を忘れたのだろうか?

政府の外貨準備を売却しても、それは確かに「財源」ではない。しかし、ドルを売却すれば円資金ができる。日本政策投資銀行に使わせればよいではないか?被災地融資枠を20兆円位簡単に増額できるではないか?復興事業に参加する経営者、企業に低利長期融資するだけで、相当の恩恵が及ぶではないか?地方債を買えるではないか?被災した土地を国あるいは自治体が買い上げる資金にもなるはずではないか?

短期証券は財投債にそのまま振り返ればよい。

こうしたことの検討をすべて閑却し、ただただ「皆さんの収入から頂く租税を増やすしか方法はございません」。こうオウムのように政府に言い続けさせようとする官僚がいるとすれば、智恵がなく、誠がなく、愛がなく、ないない尽くしで、頭の悪い人たちであると思われるのだが、いかがであろう?

0 件のコメント: