2011年7月4日月曜日

戦後三回目のエネルギー革命は起こるのか?

今日の日経に「新エネ”日陰者”を脱するか」という記事があった。副題は「経産省主導に消えぬ不安」。中々適切な打ち出しだ。広く共有されている期待、共有されている不安をよく表現するタイトルではないか!

こんな図を載せている。


グラフによれば、自然エネルギー発電設備容量では、日本はアメリカ、ドイツのほぼ10分の1ないし8分の1程度。インドと比べても、半分未満である。これと裏腹のことだが、自然エネルギーへの毎年の投資額も極めて低水準である。上の右図のとおり、日本の自然エネルギー投資額は桁違いに少ない。

記事本文には「再生可能エネルギーや電力自由化に関する後ろ向きの政策が、ベンチャー企業の多くを苦しめてきた」という日総研の創発戦略センター所長による発言が紹介されており、三菱重工が生産する世界最大サイズの風力発電機は、ほぼ全てがアメリカに納入され、生産量の95%は外国に輸出されているとも書かれている。

エネルギー計画の見直しは、日陰にいた企業に陽が射す。日向にいた企業に影がさす。まさに栄枯盛衰。国策の転換の中で企業も交代するのである。だからこそ、再エネ法案をめぐる政争はそのまま経済的利害をめぐる代理戦争ともなるわけだ。


さらに記事を読んでいく。家庭での太陽光発電コストは、10年以内に電気料金を下回る。環境エネルギー政策研究所長はそう予測している。新しい生産技術がどんなスピードで成熟していくか?学習曲線をどう見るか?そう言えば、天然ガス事業で起こっている革命に、日本企業が乗り遅れた原因は、予測の甘さ、情報分析力の弱さ、それ故のリスク回避にあったと分析されていた。


先日投稿した「リスク度外視は、それ自体、リスクです」でも述べたことだが、すべて技術情報が詳細に明らかとなるまでは、事業の経済性評価に自ら疑いをもち、リスクの存在に非常に敏感となる。それが過剰になると、結果として企業を苦境に陥れる。確実な世界で事業戦略を考えたいという、文字通り矛盾しているというか、それでも気持ちはよく理解できるような、そんな殿様商売マインドが実は最も危険な賭けなのである。ライバルが自分の思惑通りに行動してくれる。自分が立つまで待ってくれる。そういう<甘い>期待。これこそ、勝利の方程式とは真逆の、敗北への道ではないか?このことは、急速に進んだシェールガス革命へ臨機応変な対処ができたかどうかにとどまらず、(最大とは言わないが)最大級の原発事故を経験したいま、原子力と自然エネルギーをどう順序付けるか?この問題を考える際にも、やはり大事なポイントになってくると思うのだ。

リスクを負担するためにはリスク・プレミアムをコストとして認め、大きな創業者利得を約束しなければならない。夢を追う創業者がいたからこそホンダもSONYも成長したのである。技術革新は、確率的にランダムに進むのではなくて、集中的に進むものだ。電気然り。内燃機関然り。抗生物質然り。化学繊維然り・・・

戦後日本は、石炭から石油へと転換した高度成長時代、二度のオイルショックを契機に石油依存度を低めるため原子力利用へと舵をきった1980年代、二度のエネルギー革命を成功させた。いま菅首相が力こぶを入れる「再エネ法案(=電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案)」が可決されれば、三度目のエネルギー革命が今後日本で進むことになるのだろうか?

それは一つの経済革命である。それには革命を担う人が出てこないといけない。エネルギー事業のために人生をかけようという天才、奇人、変人が続々と困難に挑戦するような社会的雰囲気がいま作られつつあるのだろうか?今日の日経が懸念を表明しているとすれば、ズバリ、この点につきるのではあるまいか?

記事によれば、国会で検討される再エネ法案には、ドイツなどと比べると、いくつか不徹底な点がある。たとえば、ドイツでは風力、バイオマスなど一次エネルギーによって異なる買取価格を設定している。日本では一律だ。これではバイオマス事業者は参入が難しいという。ドイツでは、事業規模が大きくなるに伴って買取価格を差別化しているなど、自然エネルギー拡大という政策目的が明確に追求されている。日本はこの辺が不徹底だ。

特に大きな問題になりそうなのは第5条。そこでは、電力会社の円滑な供給に支障が生じる恐れがある場合には、電気を買い取る義務を免ぜられる規則になっている。更に、法案の付則には、施行後10年以内に法律廃止を含む見直しをするとある。これでは、自然エネルギー分野に参入する事業者の事業リスクが相当高くなってしまう。

参入事業者が細々とした状況が何年も続くと、可能なはずの低コスト化が現実には実現せず、電力価格上昇という負の側面だけを耐え忍ぶことになる。自然エネルギーによる余剰電力を固定価格で買い取らせるための財政支援が限界に達する確率が高まる。そもそも着手したくもないエネルギー革命を中途半端にはじめ、予想通りに中途半端な結果だけを得てから、そのまま諦めるのであれば、最初からやらないほうが経済的である。何十兆円もの財政資金をドブに捨てる余裕はない。

経済産業省は既存の電力企業と余りにも長い間、甘えと義理の関係をとり結んで来てしまった。今日紹介した記事を執筆したコラムニスト氏が、自然エネルギー利用を主導するのは寧ろ環境省(そうでなければ文部科学省)が適任であると述べているのは、小生も同感できるのだ。

石炭から石油への転換は、通産省が炎となってやり遂げた。それは高度成長時代だから乗り切れたのだと思う。これから再び、集中立地から分散立地、原子力から自然エネルギーへの置き換えが、否が応でも進むだろう。経済産業省という同一組織が両方を抱え込むのは無理ではないのか?原発推進と原発規制を共存させて失敗したかと思うと、今度は原発推進と脱原発を同じ組織に共存させて失敗する。仮にもそうなったら、今度はSamurai Japanとは誰も言ってはくれない。ただ一言”Silly”とのみ言うだろう。

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