2011年8月23日火曜日

働かないことの社会的意義とは?

本日付けの北海道新聞朝刊15面に大変面白い解説記事がある。原題は「働かないアリに意義がある」というもので、筆者は北海道大学の長谷川英祐氏である。氏の専門は進化生物学であり、原題と同じ著書は既に16万部を超えるベストセラーになっているのでご存じの方も多いだろう。

本文をまるごと引用しても良いのだが、ここでは要点をかいつまんで記しておきたい。

働きアリは、毎日、総動員でそれぞれの仕事に没頭しているように見えるが、実はアリの巣で暮らしている働きアリの7割は、仕事をしないで休んでいる。
巣の中を見ると、ある瞬間では働きアリの7割ぐらいはボーッと何もしていません。餌を集めたり、卵を育てるなど、コロニー(集団)のためになる労働はせず、じっとしていたり、自分の体をなめている。さらに観察すると、ずっと働かない個体も2割ぐらいいることが分かりました。
説明の仕方が非常に興味をそそられるのだな。

なぜこんなことが集団内部で許されているのか?何もしない彼らのために餌を集めるなどバカバカしいではないかとも思われる。
よく働く個体が働けなくなったり、みんなで働かなければならない非常事態に備え、常に余剰労働力を確保しておくシステムを採用しているのです。・・・(投稿者補足:想定外の事態では)誰かが助けに入らなければコロニー全体が滅んでしまう。コロニーを長期的に存続させるために必要なのです。
余剰生産能力を保有しておくことの意義は、ビジネススクールでも徹底的に教えられるテーマである。需要が100しかない時に、なぜ150もの生産能力をもっているのか?プラス50の設備に投入したカネは何も収益を生んでいないではないか?これは無駄ではないのか?そんなことはないのであって、この余剰生産能力は<戦略的余剰能力>である。潜在的ライバルが、自社のテリトリーに参入してきて、攻撃的な顧客奪取を仕掛けてくる時に、いつでも対抗して増産競争、安値競争を展開できるような能力を持っておく、これがひいてはライバルの攻撃を抑止する有効な戦略となる。このロジックは、使いもしない強力な軍隊を整備しておくのと、全く同じである。そういう理屈なのですね。

― 働かないアリだけの集団をつくると働くものが現れ、逆によく働くアリばかりを集めても働かないものが現れると書いていますね? 
働くものだけを取り出してつくっても個性のばらつきは存在します。きれい好きな人を集めても、結局、その中で最もきれい好きな人が掃除をしてしまう。人間の組織も同じで優秀な人だけを集めても、必ず落ちこぼれは出るのです。 
― 餌のルートを間違えるようなオッチョコチョイのアリが集団に交ざると、時には作業効率が上がることも例示していますね。 
生き物の世界では、環境はいつも一定ではないのです。ルーティンワーク(=日常の決まった仕事)のような一定の目的に特化した個体だけではうまくいきません。余力や多様性を確保していなければ、いろいろと変化する状況には対応できない。普段は働かないアリのように、組織も癖はあるけど新しいアイデアを出せるような人材をおくことが必要です。
イノベーションの理論と関係することは言うまでもない。組織の正統派、つまり<オーソドックス>と呼ばれているサブ集団(=党派)からは、予想できないやり方やニュービジネスはまず絶対に出てこない。<カイゼン>はできても<創造的破壊>はできない。これが正統派の限界である。

真のイノベーションは、常に組織の中の異端派から提案される。これが組織の勢力交代を促し、新たな環境の下での組織の存続を可能にしていく。ほぼ同意されているはずのこの認識が、社会という次元でもスムーズに進展する国民国家もあれば、非常に不得意な国もある。そういうことではないか。

<官僚組織>というのは、稀にしか登場しない少数の天才に国家の運営を任せるより、才能は普通だが勤勉で誠実な普通の人を多数投入し、あらかじめ設計した業務分担システムに沿って仕事をさせれば、低コストかつ効率的に必要な行政運営ができるはずである。このような考え方が土台にある。普通の人は容易に得られるので、組織の新陳代謝を行いやすい、これもまた行政の安定性に寄与する一因となる。

ただ、官僚組織は決められた行政を行うために徹底した合理化をどうしても行ってしまうのだな。(普通レベルの中でも)優秀なはずの人材を集めても、結局は怠ける人間が出てくるのは避けようがないわけだ。これらのことから、官僚組織は想定外の大問題を解決するにはそもそも不適切となる。官僚組織の更に上に位置する真の統括者が社会には必要で、官僚がしっかりしているからどんな国難にも対応してくれるはずだ、というのは土台無理なのである。

アリは労働量の不公平が生じても、コロニー全体で遺伝子を次の世代に残せれば、他の個体をうらやましがったり嫉妬したりすることはありません。しかし、人間は感情の生き物です。
アリの社会はどうやら<共産主義>である。それもエリートが管理支配する共産主義ではなく、行動原理がDNAに埋め込まれている先天的共産主義であるから、嫉妬や羨望という社会的害悪は生じないのであろう。

福沢諭吉が「学問のすすめ(13編)」で力説しているように「不善の不善なるは怨望(=嫉妬)の一箇条なり」。人間のあらゆる感情は、良い一面もあれば悪い一面もある、しかし嫉妬がプラスの結果をもたらすことは全く一つもない。すべてマイナスに働く。こう言っている。だとすれば、共産主義ではなく、民主主義を構築して、理性も感情もある人間が集団を円滑に運営していくのは、そもそも困難を極める課題なのかもしれない。

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