2011年9月11日日曜日

日曜日の話し(9/11)

「便利さは美の一番の敵だと思います」。遅い朝食をとりながらサンデー・モーニングを観ていると今日は11日。東日本大震災から丁度半年。アメリカ同時多発テロから丁度10年という節目になるのか、災害特集「二つの出来事を考える」の第3回目であったようだ。

日本国籍を取得したドナルド・キーン氏が被災地を訪れ「便利さのために金銭だけではなく他の多くのものを犠牲にして来た」、一番最初の言葉が出て来たのは、このすぐ後である。

機能美という言葉もあるのだが・・・と思いをめぐらせたが、いや機能美と言っても、美という以上は定まった様式になっていなければならんな、と。

便利さは美と相容れない。それはつまり、便利さの追求は世のあらゆる様式を追放し、価値として認められた有り様もまた、次の瞬間にはこれも存在意義を否定される。そんな風に根こそぎな変化を世に強いて行く。そういうことなのか?確かに「このままではいけないと思うんですよね」、「変わらないといけないと思うんですよね」、「変わったようでも、世の中は先を行っているんですよね」等々、ビジネス・コンサルタントの方達は口にするのだが、これって文字通りの<諸行無常>。私たち日本人が<もののあはれ>とよんできた生き方そのものだよね。そう口にするなら、これは最早ブラックユーモアである。それはむしろ<火宅>であり、生きる人間を<餓鬼>に変えようという哲学と言うべきでしょうね。

ま、テレビを見ながら、こんなことを考えた。

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14世紀から16世紀まで古典的なルネサンスがイタリアで花開いたが、17世紀になると激しく、バランスを意図的に崩して、激情的というか、大仰というか、そんなバロック美術が台頭した。たとえばカラバッジオは代表的な画家である。

Caravaggio、聖マタイの召命、1600年

バロック流の表現は当時のヨーロッパ(=西洋世界)全体を風靡したが、フランス人をみると、ニコラ・プーサンやクロード・ロランがローマで活動し、イタリア芸術を学びながらも、フランス人独自の感性を捨てることなく、抑制と落ち着きを主調とする独自の画風を確立した。
Poussin、サビニの女達の略奪、1634年

Lorrain、海港、1637年

グローバルにみると、たとえば日本での知名度はそれほどでもないが、フランスではプーサンがフランス美術の父、ロランは元祖風景画家と言うべき影響力をもった。

この時期に確立された表現様式が、ルイ14世時代の豪華絢爛な文化、その後のロココ趣味を通して、外観は変化しながらも、基軸はぶれずにフランス的表現をしっかりと守り、19世紀の印象主義、象徴主義、20世紀の現代美術にまでつながっていった。

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美術学校の教授方法もほとんど変更はないそうですね。そういえば、小生が担当しているのは「統計学」なのだが、つい先日、亡父が業務で品質管理を勉強しなければならんというので、仲間と一緒に統計学を勉強したときに使っていた教科書が見つかった。森口繁一「初等數理統計學」(昭和27年、廣文館)である。50年ほども前の教科書なので「どんな事を教えていたんだ?」と頁をめくると、データの特性値、確率分布、統計量の変動(→標本分布と今では呼んでいる)、抜取検査、管理図、仮説検定、推定、分散分析、回帰分析、という具合で、字体は旧字体であるが、教える内容も順番も現在販売されている教科書と同一である。

というか、中学校で出てくるピタゴラスの定理は2500年前に亡くなったピタゴラスが発見した結果である。高等数学と言われる微積分は、高校で学ぶが、その程度の微積分は17世紀のバロック時代、ニュートンやライプニッツが見つけた方法と同じである(記号はライプニッツが創案した)。

小生も、ついうっかり、イノベーションを言ったり、変われないものは生き残れない、などと日頃書いているのだが、先祖の知的活動と創造の成果の上に、私たちは<現代>という世を生きていることは、当たり前の事実である。当たり前すぎて説明の必要もない。私たちの感性や価値まで捨ててしまっては、いつか人間であることすら捨ててしまわなければならないかもしれない。そんなことまでして、小生は生き残ろうとは思わないし、霊魂として存在し続けられるのであれば、全てを捨ててしまおうとする末裔たちに「幕は降りたのだよ」と伝えたくなるだろう。。しょっちゅう書いていることと真逆のことではあるが、それは当たり前だから書かないということであって、それでも念のため一応書き留めておく次第だ。

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