2011年10月31日月曜日

日本の核家族化の始まりは?

以前にエマニュエル・トッド「世界の多様性」に基づいて「経済発展と自殺率」を本ブログで議論したことがある。そこでの議論は、日本は自殺大国であり、その背景として日本の家族構造が「権威主義的」と呼ばれるカテゴリーに入る点をあげていた。家族構成が共同体型である国家、民族は共産主義革命を引き起こし、絶対核家族原理に立つアングロサクソン諸国は競争を旨とする資本主義経済への適応が速やかに進んだ。他方、権威主義的家族構成をとる国は、自殺率が高いだけではなく、類似性よりも差異の強調、平等よりは不平等、普遍的な帝国ではなく継承を重んじる小国家分立を選ぶ傾向にあることが指摘されていた。

なるほどねえ、と。多くの事実を説明しているではないかと感心したのだが、昨日、パラパラと書棚を整理していると中村隆英「日本経済 ― その成長と構造」のある下りが目を引いた。
江戸時代の総人口は初期が1800万人くらい、幕末で3200万人前後というのが従来の定説であった。(中略)それに対し速水は、一石が一人を養うというのは根拠がなく、残存する人別改帳のデータから求めた人口増加率を用いて逆算すると、江戸時代初期には1000万人程度とみるべきだと推算する。(57ページ)
これだけでも中々興味をひいたのだ。そうか徳川家康の頃にはせいぜい日本の総人口はせいぜい東京並みであったわけか、と。

しばらく読み進めていくと、
次に諏訪地方の農村の人口動態をみよう。まず第一に出生率・死亡率はロングランに低下の傾向がはっきりしている。世帯の平均規模も初期の7人から幕末の4人余まで急速に低下しているが、とくに低下がはっきり表れるのは18世紀においてである。それは中世から近世までに多かった多数の作男・作女のような下人を有する豪農がこの間に急速に減少したことを物語っている。これは二組以上の夫婦を有する複数世代家族の比率が下がっていくことにも対応している。18世紀には、大家族制度は解体して、一組の夫婦を単位とする近代的核家族に変貌していったことが読み取られるのである。・・・それはこの地方で、新田開発が進み、耕地面積が増加し、分家等の形で農家戸数が増加しえたことを物語っている。(58ページ)
下が参照されている表である。



このように諏訪地方というランダムにとられた一調査対象地区のデータではあるが、はっきりと江戸期半ばにおいて、日本の農村社会で核家族化現象が進んでいたことが指摘されている。領地と役職が固定された幕藩組織内部においては、惣領が相続し、均分相続はとられなかったが、農村では分家の独立と新田開発が進行していた。それを武士社会も黙認していたわけである。

江戸期に核家族化が進んだという事実はトッドが日本社会を議論する時の建前とは矛盾している。そもそも鎌倉時代には武家社会も長子相続ではなく均分相続であったと言われており、日本の家族構成原理が韓国と同様、本当に権威主義的カテゴリーに入るのかどうか定かではない。

むしろ江戸期に国民レベルで進行した核家族化現象が、明治以後の自由資本主義への適応を可能とする基礎になったとも考えられる。何しろ、明治初期には関税自主権も領事裁判権もなく、国内産業保護政策などできるはずもなかったのだ。

いずれにせよ、江戸期の核家族化現象も生産プロセスの中で進行している。トッドが言うように家族構成原理が、資本主義、共産主義という生産のあり方を決めるというより、やはり生産プロセスで行われる問題解決行動が、社会の家族構成を変え、ひいてはそれが政治や文化までを変える。そう考える方が現実的ではないかと思うがどうだろう?

2011年10月30日日曜日

日曜日の話し(10/30)

今朝は小生の家内が入院した兄を見舞うため実家のある松山に帰って行った。それでO駅まで車で送って行き、その帰途、大学に寄って只今校正中のゲラに書き足すところを執筆しているところだ。一応、産業連関分析に使う行列計算は補論として巻末に置いていたのだが、それより会話風・雑談風にして本の真ん中に置く方が面白いのではないかという編集側のアドバイスがあって、それはいいとなった次第。

その家内に付き合わされる形で韓流ドラマ「トンイ」を何日か前にDVDで見終わった。終盤は1日8話のペースだから仕事にも差し支えた。朝鮮王朝英祖王の生母である和敬淑嬪崔氏の生涯 ― というか、宿敵である張禧嬪が賜死されるまでの話 ― である。時代でいえば江戸期元禄から正徳、享保にかけての頃だ。トンイが主人公の名だが、最底辺の身分から最高位の王生母になったのだから、当時の人の目には奇跡そのものであったに違いない。ほとんど前半生は分かっていないようだから、ドラマは全てフィクションのはず。そもそも息子が王になり58年間在位しており、以後その系統が王位を継いでいるので、都合の悪い記録は抹消しているであろう。

視聴率も高かったようだから、見始めると満足度は高い。日本でもスリルあり、サスペンスありの大長編娯楽劇は作られていた。しかし、もうそれも難しくなったのかもしれない。長期間同じ作品に固定できる人材がそろわないということもあろうし、人材を固定するからにはヒットするかしないかというリスクを抱え込むから、それなりに高いギャラが必要だろう。つまりは人材難というよりコストだろうね。そう思う。それと関係者、出演者の志か・・・情けないようだが、背に腹は代えられぬ、だ。であれば、逆風をついて大河ドラマを毎年制作するNHKは本当に潤沢な資金を使えるのだろう。それとも独占的な交渉力があり比較的低いギャラで人材を活用できるのか。そう連想したりもするわけだ。

小生の感想は、ズバリ、一言。敵である張禧嬪が寵愛を失い、嫉妬に心を苛まれ、失ったものを回復しようと愚行を繰り返し、最後は死を与えられるのであるが、まあキザにいえば「愛の墓場に10年も放置すれば、どれほど可憐であった昔の恋人も鬼と化すだろう」。こりゃあ、男性の側の責任であるな。この時代を描いた作品では全て此方が主人公であったことは誠に頷ける次第だ。感想はこのように実に単純。

こんな話ならそれこそ無数にある。彫刻家ロダンと弟子カミーユ・クローデルとの不倫の恋はドラマよりも激しい。妻を捨てきれず、弟子との純愛を断念したロダンの煩悩を(小生ですらも)心に描くことができるのだが、クローデルのその後の人生は筆舌には尽くし難い哀れに満ちたものだ。トンイの張禧嬪は当の相手の男性から死を与えられたのだから、カミーユ・クローデルよりはいいか・・・。そんな風な感想も併せ持った次第だ。

こういう経験をすると、愛を捨てた方が逆に苦しい人生を歩むことになるかもしれない。ロダンといえば彫刻だが、彼の素描は中々味わい深いものである。ロダン美術館でもこう紹介している。
Although the works on paper can only be shown periodically, owing to their fragility, the role they played in Rodin’s art was by no means minor. As the sculptor himself said at the end of his life, “It’s very simple. My drawings are the key to my work,” (Benjamin, 1910).
ロダン、息子を抱く若い母、1900年以降


ロダンは1840年に生まれて1917年に死んでいるから、時代的には19世紀の人であり、モネ、ルノワールなどの印象派、セザンヌ、ゴッホなど後期印象派とも重なって活動した人だ。恋人であるカミーユ・クローデルの弟ポール・クローデルは外交官であり、1921年から27年まで駐日フランス大使として東京で暮らした。英米などアングロサクソン陣営のプレッシャの下、次第に外交的孤立を深める日本の立場には比較的同情的であったと伝えられており、「孤独な帝国日本の1920年代」は在職中の外交書簡である。クローデルは作家としても著名であり、 また時事評論にも卓越していた。ポール・クローデルの「大恐慌のアメリカ」は小生の読書予定リストに含まれている。

晩年、モントヴェルク精神病院に入院したカミーユ・クローデルを訪れる家族はポール・クローデルのみであったという。彼女が誰にもみとられることなく他界したのは1943年79歳である。彼女も「愛の墓場」を生きた人間の一人であったに違いない。

2011年10月27日木曜日

「上から目線」の政治とは?

いまビジネスエコノミックスの新しい教科書を作っている。小生は顧客・利益・戦略についての理論編を担当し、同僚は産業構造の深化とイノベーションについて書いている。色々な所で、企業の成長や経済の発展は、合理的な行動というより、むしろ野心、執着、恩義、愛憎など理性的ではないこだわりからもたらされる点を強調している。アントレプレナーシップやリーダーシップはマインドの議論であり、ロジックの議論ではない。ロジックではないが、その非論理的な行動自体が、一つの立派な戦略的行動になっている。そんな風に締めくくっているのは今度のテキストの特徴だ。いやいや、つい宣伝に走ってしまった・・・。

実はゲラの校正段階で編集担当者から貴重な助言を受けたのだ。「最近の本では上から目線で書かずに、読者と一緒に考えるというスタイルをとるのが増えているんです」、「断言調に説明されると、そこで反発を感じて、筆者が言いたいことが素直に伝わらないことがあるんですね」、「ですから編集サイドからコメントした箇所は、そういう風に読まれてしまうことがあるという意味で受け取ってほしいんです」。そういえば小生も同僚も、たとえば「次に議論するべきは当然・・・でなければならない」とか、「この事実は・・・であることだ」とか、教え諭すように書いている所がいっぱいある。なるほどねえ、そうであるか、小生は悟りを得たような心持を抱いたのだ。

× × ×

そういえば北京五輪で星野監督や田淵、山本浩二といった面々がチームを率いたが、実力を発揮する場面もなく敗退したことがあった。その時も世代間コミュニケーションがとれなかったと耳にしたことがある。長い時間をかけて意思疎通をするだけの余裕があれば、年齢差があっても、お互い共通の目標を求めるメンバーなのだから、理解し合えないはずがない。しかし短時間でチームを統率するためには共通の行動規範がなければならない。目上の世代は上意下達のタテの行動原理、目下の世代は水平型の仲間原理を善しとするのであれば、一方は他方に自分がタカだからお前はハトになれと言い、一方はハトにはならないといい、互いが互いを傷つけあい、拒絶の感情が高まるだけに違いない。人間は理性だけではなく感情に支配され、更に無意識の価値規範によって他者とのコミュニケーションを図り、人間関係を築くものだからだ。

小生は昭和20年代の生まれだから受けた教育は戦後民主主義教育だ。しかし、学校の教師、教授たちは戦前に育った人だった。大体、小生の親からが、軍国主義教育の下で授業をきき、亡くなった父は軍事教練を授業として受けた世代である。小生の世代が学んだ学校は、内容は民主的であったが、行動の規範、善悪の規範、求められているマナーは戦前日本を支えたタテ社会の道徳であったと感じている。

いまは教師生活という比較的タテの関係が希薄な組織の中で仕事をしているが、役所という世界で10年余仕事をしたことがある。役所では周囲の人間関係を上下関係という切り口から理解する。この習慣から脱するまでに、小生は10年以上の時間を要した。心の垢、無意識の歪みという奴でしょう。ことほどさように、無意識界に刷り込まれた価値規範 ―  これ即ちイデオロギーでしょう ― は心の中に頑固な根を張るものなのだ。

政治・行政を担当している世代も(想像するだけではあるが)まず確実にピラミッド構造をモデルに物事を考えているのではなかろうか?そもそも官庁の組織原理はタテの関係で設計されている。配置される人材集団は年功序列原理で管理されている。整然と管理されているといえば耳当たりは良いが、悪しざまにいえば国民がピラミッドの底辺を構成し、Ⅲ種、Ⅱ種、Ⅰ種と階層化され、さらには高い等級の職員は高い権限をもち、指定職に昇進すれば高度の業務を総括する。そんな意識は今なお刷り込まれていないだろうか?官僚組織というのは、いつでもどこでも階層化と職務権限を柱とするものなのである。そこで生きるためには、下から上をみるか、上から下をみるか、そうでなければ同じレベルで競争をしているか、そのいずれかである。

× × ×

軍隊を知っている世代がタテの意識で、一方が政治家と官僚になり、他方が国民を形成しても、全体を円滑に運ぶことは可能だったと思う。命令することに慣れており、命令されることにも慣れているから。しかし、上意下達の価値規範を全く持っていない、それが善いこととも全く考えない世代が日本には育ってきているし、実際に社会の現場の中心になりつつある。民間企業は会社の統合を確実にするため常に組織戦略を再検討している。政治や行政の分野で何かというと財政再建や成長戦略が口にされているが、「上から目線で」国民に提案をしても、やればやるだけ政府に対する信頼が毀損されるだけではあるまいか?

組織は戦略に従う

公務員改革などと重箱の隅をつつくようなレベルではなく、行政組織の設置、管理を今後どうしていくのか?やりたい事柄があって、実行する組織の形が決まるものだと思うのだがどうであろう?「上から目線」で給与を減額する、「上から目線」で増税する税目を決め、あとは国民に周知させる。これではまるで昭和20年代、30年代の行政スタイルのままではないか?

2011年10月26日水曜日

賃金を下げても製造業の流出スピードは変わらないだろう

日銀が追加的金融緩和を検討中とのこと。アメリカも第3次量的緩和政策(QE3)に動くかもしれない。「市場では債務問題の抜本解決は難しいという見方がでている」、日経ではそう報道しているが、これはずいぶん前から出ていた見方だ。世界はどうやら協調的金融緩和政策(Concerted Expansionary Monetary Policy)に向かっているようだ。

但し、政府・日銀の政策対応からは、協調的(Concerted)というより、寧ろ従属的(Dependent)という形容詞が当てはまる匂いがする。そう感じるのは小生だけか?日本の対応が先読み可能なら、アメリカ、ヨーロッパは日本の行動を自らの利益拡大に利用するだろう。従属的な政策選択をするよりは、迷走状態にあって日本の判断がアメリカやヨーロッパからは明確に読めない。まだそんな状態にとどまるほうが、結果として日本のためにはなるだろう。状況に対応ばかりしていると、その行動パターンを利用されてしまうということだ。とはいえ、今の政府が戦略的目的をもって先手をとっていくはずがない。情けなくもあるが、現在の民主党政権にできることは、せいぜい現在のように百家争鳴のままでいることだ。そんな風にも思われるのですな。TPP論議もその例だ。

しかしながら、金融政策とは詰まるところマネーをどのように供給するかに過ぎない。そのマネーも決済のためのペーパーマネーである。ペーパーマネーを増やせば、真の意味で総需要が増え、企業の利益が上がり、技術進歩が促進され、投資が増え成長が加速し、失業率が下がる。そう考える人と、絶対にそうはならないと考える人がいる。考えない人は、ペーパーマネー拡大に伴う副作用を最も警戒するだろう。効き目がない薬だと思っていれば、その薬の副作用を真っさきに心配するものだから。しかし、ペーパーマネー拡大が、真の意味で経済成長をもたらすこともありうる。それも10年から20年単位で。小生はその可能性を否定しない。但し、インフレにコミットしなければならない。金は、中央銀行・政府の思惑とは別に、金鉱山が発見されれば必ず増えた。しかし管理通貨は中央銀行の裁量で増えるしかない。インフレは物価安定ではなく、物価不安定だから、中央銀行がインフレにコミットすることはできないだろう。政府にだけ可能だ。しかし、政府に金融政策の基本的方針を決定する権限はない。

日本のデフレは構造に組み込まれている現象だ。デフレが進む時、円高になっていなければ、それは名目国民所得の低下でしかない。しかし、日本のデフレは円高を誘発している。国際通貨で測った名目所得は低下してはいない。この時、日本のヒトと資本が割高に、海外のヒトと資本が割安になる。だから生産活動はより安い生産要素がある海外に移動する。だから海外の生産は上がり、海外の所得が増える。しかし同時に、国際通貨で測った日本の所得も増えている。増えた海外の生産活動は、海外市場だけではなく、実質所得が増大した日本で買い支えられる結果となる。何を、どこで、誰のために、どのように製造して販売するかは、企業の経営現場で選択するのが最適である。日本には管理・中枢部門が残り、それに必要な高度の対企業サービス商品が登場するのは、時代の流れである。

円高が進む製造業において競争力確保のためだけに賃金を引き下げる。それに並行して公務員の給与も下げる。それをやっても、物価が更に下がり、円高を誘発するだけである。実質金利が低下せず事業投資も増えないだろう。利益の発生は、投入価格と産出価格の間の交易条件こそ決定要因だ。ミクロの経営現場が顧客評価の高いものを提供することでしか利益は得られない。全般に、モノの顧客評価が割安になっているなら、モノ以外の顧客評価は割高になっているというロジックだ。いま日本のするべきことは、賃金を下げて安いモノを販売することではない。高くても売れるモノ、高くても必要とされるサービスを提供することだ。たとえ、それが格差拡大を是認するような富裕層向けのビジネスであっても、その事業が拡大し、そこで若年層の就業機会が拡大していくようなら、それでいいではないか。そうすれば、高齢者が子弟の将来のために保有しているマネーが購買力として日本国内に顕在化するだろう。これがひいては格差拡大を解消すると考えられないのだろうか?

2011年10月25日火曜日

欧州の瘦せ我慢が大事か、日本の官僚の瘦せ我慢が大事か?

世界の株価売買が急減していることが報道されている。たとえば本日の日経朝刊にも以下のグラフが掲載されていた。


9月の世界の株式売買代金は前月より28%の減少になった。その傾向は10月にも続いている。その背景は7月末から8月にかけてのギリシア危機と米国債。つまりは、ズバリ、金融市場の混乱である。一口に言えば「欧州債務危機に対して強力な対応策を決められるか」、ここが分からないので「世界景気の先も読みづらい」、したがって将来不安が高まり、リスクプレミアムが上昇し、末端金利が上昇している。そのために株価が低下している。金価格はピークから急低落したが、このところ国内市場ではグラム4300円前後で底打ちしている

資産を決済通貨でもつか、金・銀などハードカレンシーで持つか、債券で持つか、株式などリスク資産で持つか、でなければ事業投資するかを私たちは常に考えている。毎日の支払いにも事欠くような流動性危機に陥れば、資産保全をさしおいても決済通貨の確保が最優先になる。

現在進行中の事態は、明らかにマネー需要関数が上方へシフトして、そのために末端金利をおしあげている状況だ。金、株価ともに通貨ベースで下落したのはそのためだ。流動性不安からマネー需要関数が上方へシフトした時に、市場全体の流動性危機を鎮めるにはベースマネーの供給が特効薬である。一口に言えば強心剤だ。そのベースマネーはどこが供給してもよい。アメリカでもよいが、いま円・ドルレートが75円まで上がるドル安である。市場は円に逃避している。ならば、日銀が円のベースマネーを市場に放出することが最も有効であるはずだ。大規模な円高防止介入をすればよい。

これは特効薬だが、背景には欧州ソブリン危機による金融機関の経営不安がより基本的である。これを解決するには、厳格な資産再査定と公的資金投入が本筋だ。しかし独仏の駆け引きでらちが明かない。駆け引きがなくとも、拡大後の玉石混交集団であるEUの経済的実力を考えてみれば、近い将来にテキパキと適切な政策が実行され、金融市場の不安が払しょくできるとは思われない。ECBというより、IMFが欧州金融機関に対する最後の砦になることが最も有効だ。つまりはアジア→IMF→EUという経路で公的資金を投入するのが、世界市場にとってベストの解決法だと思われる。しかし、IMFの意思決定には欧州の利害損得が反映されている。

いま欧州が<瘦せ我慢>をして頑張ってみても、それは世界市場にとってマイナスである。IMFの機能強化と意思決定システムの見直しが課題だろう。マネーのある所へ経済ヘゲモニーも移り変わっていくのが歴史の法則である。

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こんなところかなと思っていると、政府は人事院勧告によらずに公務員給与を7.8%引き下げることを給与関係閣僚会議で決定したとの報が入った。28日にも閣議決定するよし。さては団体交渉権を付与して公務員制度が改革されるのかと思って詳細を読むと、そうではなく連合と同意した団体交渉権付与は後回しにして給与引き下げのみを先行実施したいということだった。

う~~ん、これは流石に無理筋になるのではないか・・・?

おそらく連合は引き下げのみを先にやるというのでは「約束が違う」というのではないか?いずれ団体交渉権(=協約締結権)を付与する法案は通すからと民主党が言っても、野党が過半を占める参議院では審議にすら入れないだろう。労組が行政訴訟に打って出れば、裁判所はさすがにこの措置を合憲とは判決できないのではないだろうか?川端総務相は「地方は地方で考えてほしい」と言ったそうだが、前原政調会長は地方も国家公務員に準拠してほしいと話している。実に無責任であり、民主党内で慎重に議論したとはとても思われない。

復興増税は官民が等しく費用を出し合うということだ。なぜなら税率は官民で差別されているわけではないからだ。所得税率は収入ごとに差別化されているが、職業で税率が差別化されてはいない。とはいえ、公務員が国の復興のために更に多くの貢献をするべく、それを決めておくのは、決して下らないことではなく、倫理的にも支持できると言うべきだろう。そうであるなら、そういう措置であると総理なり、民主党の責任者なりが、最初からそう言えばよいのではないか?つまりは、官僚に<瘦せ我慢>を要請すればすむことである。

公務員に高い倫理を求め、職業倫理からより高い資金的貢献を求めるのではなく、給与調整の問題としている所が極めて稚拙である。給与調整は団体交渉によるのが憲法上の原則であり、団体交渉を認めないのであれば、あらかじめ制度化された方式によるべきだ。その制度を使わないというのであれば、公務員と早く交渉するべきである。その交渉自体、既に団体交渉になっているのだから、公務員の団体交渉権に関しても法案を審議するべきである。

公務員の給料自体は、誠に瑣末な問題なのだが、その進め方が非常に危うく、「ほんと、大丈夫なのか?戦後日本の統治システムを壊すようなことはするなよ」と言いたくなる様子でもあるので、覚書きとして記しておこうと思った。

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官僚の瘦せ我慢はプラスの寄与をするに違いないが、欧州の瘦せ我慢は世界市場をむしろ揺るがしている。

2011年10月23日日曜日

日曜日の話し(10/23)

前週の日曜日は岸田劉生だった。そこでみた作品よりも10年前にフランスの画家達はどんな美を表現していたのか。名前だけのことなら、キュービズム、フォービズム、抽象派などなど、色々な名称を挙げられる。いかにも分裂してきているようだが、全体としてみると、フランス人の芸術からはフランスを感じる。これは明確な事実だ。同じように、日本人の芸術からは日本を感じてほしいし、小生の専門分野である統計学であっても、日本人の書いた研究論文からは、いかにも日本人的な感性を感じるようであってほしい。ロシア人スミルノフの書いた数学教科書「高等数学教程」からは、ロシア的感性とはこういうものかがわかるし、ケインズの「一般理論」はイギリスの香りがつけられている。ケインズはマルクスのようなドイツ人ではないし、フリードマンのようなアメリカ人ではないようだ。

しかし、今日は住職が宅に来て毎月の読経をして帰る日であったせいなのかもしれないが、前にもとりあげたルドンの別の絵をみたい。なんだかルドンなのだよね、そんな心持ちなのである。

Redon、The Seashell、1912

実はこの絵に描かれた貝殻と瓜二つの形をしたのをもっている。27か28歳の時、休みをとって真夏の小笠原・父島を訪れた時に、手に入れたものだ。もう30年以上が経ったのか。そう思うと、よくもまあ、まだ手元に残っているものだ。耳に当てると、夢の様な遠い世界から聞こえてくる海鳴りのような音がする。そういえば、今日は北海道地方は風が強くて、宅から出て海を眺めると、白波が目立ち、ドオンドオンという波の音が聞こえてきた。家がたっている高台から磯辺まで何百メートルの距離があるのか、海の音はずいぶん遠くまで響くものである。

2011年10月22日土曜日

ビジネスモデルの前にヒューマンモデルが必要ではないか?

月一のペースで卒業演習を担当している。月一とは言っても、90分1限の授業を4コマ続きでやるから、朝10時30分から夕方5時40分まで、一日かかってしまう。グループ討論をこれだけの時間続けると、頭脳はオーバーヒートして、麻痺状態になる。肉体的にも疲労困憊する。しかし、この「とことんやる」という授業がビジネススクールでは不可欠だとされており、そこがまた外国直輸入の教育方式だと言われている所以だ。

一昨日、石狩湾の海ごしに暑寒別の山々が眺められる小さなレストランで同僚と食事をした。雑談の中で、リーダーシップという言葉が何度も登場した。小生は、ビジネスモデルより以前に、どのようなリーダーシップを想定するのか、むしろヒューマンモデルを議論することが大事ではないか。そんな話をした。

たとえば、アメリカのオバマ大統領については、「政治経験が不十分である」とか、「大きな政府を志向しているのは誤りである」とか、「指導力が十分でない」という批判を時に目にする。しかし、リンカーンを理想として努力する現大統領について、「大統領としての資質にそもそも問題がある」という批判が加えられるのを読んだことはない。理想的指導者という国民共有の規範があるのであれば、あとは現在のリーダーの力量は規範に対して十分なのか、不十分なのかを論じればよい。ところが、日本においては、行政の最高責任者である総理大臣についてすら、いかなる規範のもとに見られているのだろうか?あるべき総理大臣として日本人全体で共有されている理想像が存在しているのだろうか?そんな疑問を感じないではおられない。民主党には民主党の、自民党には自民党の、いや小沢一郎議員には彼なりの、菅前首相には彼なりの、鳩山由紀夫前々首相には彼なりの、まさに政治家の数だけ、異なったヒューマンモデルがあり、名々が自由勝手に「自分にとって善し」とする理想を追求しているだけではないのだろうか?

日本でトップといえば<調整型>とか、<独裁型>とか、<変人型>とか、ありとあらゆる形容詞が使われているが、この状態は指導者が指導者になった時に果たすべき役割がよく定まっていない。指導者像が、日本という国においては、脆弱である。そういうことではあるまいか?今日は、その原因を考えることまでするつもりはない。以下は、忘れないように心覚えに書いたことだ。

× × ×

明治の戦争を統率した将帥は、自分自身が専門的知識をもっていたわけではなく、近代的作戦能力を持っているわけではなかった。最高の総司令官と評価された大山巌や東郷平八郎も、最高の師団長とされた立見尚文も、戊辰戦争の生き残りであって、その個人的経験にはカビがはえていた。将帥クラスの専門的教育水準は、陸軍大学・海軍大学教育の効果が浸透した大正、昭和に時代が下るにつれて、飛躍的に向上したはずである。しかし、戦前期日本の崩壊の過程で明らかになったことは、教育によって指導者層を育成できなかったという事実である。むしろ江戸期の武士道教育の方がまだましであったと言われても仕方がない。それは戦後日本についても、全く同じではなかろうか。

集団あるところ戦略がある。戦略があるところ組織がある。共通の目標を与え、組織を活性化させることは指導者の仕事だ。そのヒューマンモデルを日本人は今もっているのだろうか?仕事は現場がしっかりしていれば、できるものではない。理想のトップのイメージを失ったのが、敗戦という近い過去ではなく、遠く明治維新にまで遡っているのなら、これは難しい。大震災以後の混迷を解決できる人物は、いま必ずしも日本にはいないかもしれない。あるいはいたとして、そんな人物が選挙で当選していて、永田町で今後評価され、衆議院で首班指名されるなど、それは日本にとっては文字通りの<グッドラック>だろう。

今週はバタバタして、今週はこんな雑想を書くことでお茶をにごした。リンク集は先延ばしだ。

2011年10月21日金曜日

カダフィーの死 ― 独裁者の退場行動モデル

本日はリビアの最高指導者カダフィー死亡の報で持ちきりである。

リビアの最高指導者だったカダフィ大佐は20日、反カダフィ派部隊が大佐の最後の拠点、シルトを制圧した際に負傷し、その後死亡した。反カダフィ派の軍事委員会および政治指導者が明らかにした。 
カダフィ氏の死亡は、米国の外交政策をめぐる論争の一つに終止符を打つものでもある。オバマ大統領は、北大西洋条約機構(NATO)軍主導のカダフィ政権打倒のための軍事作戦を支援し、国内で批判を浴びていた。大統領は、米軍をリビアに派遣することなく、リビアの革命が達成されることを米国は支持してきたと指摘した。
リビアの反カダフィ勢力は、過去数カ月間カダフィ氏を捕まえようと追跡してきた。カダフィ氏は最後まで徹底抗戦すると言明していた。米国は9月にトリポリに大使館を再開し、同国の暫定政権である国民評議会を承認した。 
トリポリでは、国民評議会によるカダフィ氏死亡の正式発表前に、街に人々が繰り出し喜びを表し、イスラム寺院で祝賀の祈りが始まった。
 (出所:ウォール・ストリート・ジャーナル10月21日)
前独裁者の退場が大国の軍事介入によって実現されたことと、当のリビア国民が独裁者の死を歓迎しているという二つの事実が明確に伝わってくる。但し、リビア国民が大国の軍事介入のありかたまでを含めて、全面的に感謝しているのかどうか、分からないこともある。リビア国民が国家として、どのようにして自らを統治し、どのような外交戦略をとろうとしているのか、当人たちに聞いても、まだ分からないことは多いだろう。とにかく、集団的なプロテストに行動を起こした以上、あとは一直線。敵を殺すか、自分が殺されるかしかなかった。カダフィー側も反カダフィー側も同じ状況だったのだから。

結果としてカダフィーは死んだ。しかし、たとえば中国の王朝交代劇において前王朝の皇帝が殺害されるという例は実は頻繁には起こっていない。直近で言えば、清王朝の最後の宣統帝は子供でもあり、宮廷外に去ることで決着している。一つ前の明王朝最後の崇禎帝は、反乱軍李自成に攻撃されて城中で自害するという最期を迎えたが、更に一つ前の元王朝は最期は北方に逃走して北元を建国している。全体を眺めても、前王朝の皇帝は助命されている例が多く、しかも貴族として優遇されてもいる。最も悲惨な例は、モンゴルに攻撃された金王朝、南宋王朝あたりではなかろうか。これは、異民族による侵略に該当する点で他と違っている。皇室の家族を殺害するに至るロシアのボルシェビキ革命も、異なる思想を標榜する二つの集団の間で起こった悲惨な例に挙げられよう。

このように見てくると、武力抗争している集団がたどってきた思想、宗教、歴史的関係によって、ギリギリの段階において、殺されるまで抵抗するか、殺すまで攻撃するか。この判断が別れてくると思われる。

ゲーム論として考えると、これは<囚人のジレンマ>ではなく、典型的な<タカ‐ハトゲーム>である。囚人のジレンマは、わかってはいても相手が信じられないために、結果として当事者にとって最悪の事態に必ず陥るというものだった。タカ‐ハトゲームは、以下のような利得表の場合である。



タカ ハト
タカ (-1, -1) (2, 1)
ハト (1, 2) (0, 0)

相手に攻撃的に出るタカ派がぶつかり合えば、互いに傷つく。相手に対して受容的に対応するハト派どうしなら傷つけ合うことはないが、利得は得られない。相手がハトなら、自分は攻撃的に出るほうがよい。プラスの利得が得られるのは、ハトとタカ、タカとハト。一方が相手に従属的になるケースのみである。したがって、ナッシュ均衡は二つ存在する。自分が従うか、相手が従うか、だ。もちろん相手が自分に従うほうが利得は大きい。どちらの均衡を選ぶかという<均衡選択>は、ナッシュ均衡の概念だけからは決まらない。それには<フォーカル・ポイント>や<相関均衡>の考え方が必要だ。コインでどちらがリーダーになるかを決めてもよいし、第3者の調停をまってもよい。いずれにせよ双方がタカになるのは最悪。その最悪のケースを避ける誘因は、個別合理性の観点から、双方にあるので、普通は最悪の事態にはならないものである。自分から先にハトになってもよいのである。相手は「悪いようにはしない」 ― それが歴史的に定着している慣行なのであれば。

統治能力の喪失を自覚した前独裁者が自ら退場する(ハト宣言を行う)時に、少なくともプラスの利得を得るという確信は、その国の歴史を通して定着してきた共通の合意による。その合意が有効に働けば、流血の革命劇を避けることができ、多数の犠牲者の発生を防止でき、つまりは国民全体の集団合理性にかなう。

ところが第3者がオブザーバーにせよ、部外協力者にせよ、介入をすると過渡にタカ的な行動を取ることが合理的になる。それは相手を威嚇して、相手に譲歩を迫るほうが、自分の利得を最大にするという利己的動機にかなうからだ。無論、第3者の存在を無視して、自らが譲歩をしても、相手はモンゴルと金王朝、南宋王朝のように、決して自分を容赦しない。そのように状況を見る場合、やはり血の政権交代劇となる。

同じリビア国民でありながら、なぜ異民族間のようなタカ対タカの戦闘ゲームが繰り広げられたのか、小生もリビア社会の専門家ではないから、詳しくは分からない。ただリビア内部が独立したバラバラの部族から構成された国家であり、相手に譲歩することによって自分も助かり、結果的に社会全体の合理性が守られる。そんな歴史的基盤が形成されていなかったためではないか。そんな気はする。おそらくリビア特有の事情があるのだろう。専門家はリビアをケースとして行動分析をしておく責務があると思う。

どちらにせよカダフィーのケースは、独裁者の退場劇の一つのモデルであり、当然、予測しておくべきであったことは確かだ ― というか、介入した大国はそれが本来の目的であったのかもしれないが。

2011年10月20日木曜日

個人芸とイノベーションとの違いはどこにあるか?

直近の週刊エコノミスト(10月18日号)がメールボックスにあったので部屋に戻ってパラパラめくってみた。すると、News of The Week "Flash!"でスティーブ・ジョブズの死を論じていた。
1976年にアップルコンピューターを設立して以来、パソコン「マッキントッシュ」や多機能携帯電話(iPhone)、多機能携帯端末(iPad)など、IT業界に革命を引き起こす商品を次々と世に送り出してきたカリスマの伝説は幕を閉じた。
ソフトバンクの孫社長が言うようにレオナルド・ダ・ビンチ級の多角的天才として歴史を刻んだのかどうか、そこまで同感するには躊躇を覚えるのだが、エジソンに匹敵する感性の持ち主であり、同時に起業家であったというのは、多分、そんなポジションを占めるのじゃないかなあという気はする。
単一商品大量生産でクォリティの高い製品を世に送り出すことに注力した・・・。デザインの良さを製品に反映するためにはコストがかかるが、数千万台を作るという判断を下せば、1台当たりのコストは小さくなる。そして、それだけの台数を売るために、商品を徹底して魅力的なものに仕上げるだけでなく、魅力的な「売り方」までシステム化する。直営店「アップルストア」を運営し、買い物体験の高度化にこだわるのもそのためだ。 
この面だけをみると 、単品大量生産の王者である初代ヘンリー・フォードを連想する。自動車という金持ちが使う乗り物を安価で便利な大衆の足として普及させたフォードと、コンピューターとネットワークというエリートが使う道具を普通の人が手にする文房具にしたジョブズと、二人がビジネス史において活躍したフェーズは奇妙に似通っているとも見られるだろう。ジョブズにはフォードに加えて、ある種のSense of Wonderを世の中に提供してきた。この点で、小生は同氏がエジソンにも匹敵するのじゃないかと思うわけだ。ビジネススクール流の製品多様化による利益拡大、多角化の利益。ブランドの傘の構築など、そんな理屈はクソ喰らえなのだろう。

何か新しいものが始まると感覚させる能力。これに対して、凡庸な経営者は、間違いなく運営されていると感覚させる能力の持ち主でしかない。
そのやり方はある意味独善的であり、他者との軋轢の原因にもなってきた。
ジョブズ後のアップル社に懸念が抱かれている。しかし、ジョブズが独善的に進めてきたことが、真に独善的なものであったなら、その理念やアイデアが世の中に受けいられることはなく、それより以前に「あれほど付き合いにくい」創業者と協力し、道を開くために人生をかける同僚があれほど多く現れることもなかっただろう。独善性と独自性は本質的に違う。理解された独善は、もはや独善とは言わない。世に受け入れられた独善は、もはやイノベーションであって、成功した革命になる。
このようなことは、ジョブズ氏の発想で生まれたものではあるが、彼一人の力で実現できるものではない。近年、アップルは、徹底した「チーム」での作業にこだわり、ビジネスを進めてきた。・・・単純にジョブズ氏がいなくなったから力は失われると決めつけるのは早計だ。
古くは原始キリスト教団、イスラム教団を思い起こしてもよいし、日本の織豊政権・徳川政権への交代期、中国の清朝入関の故事を考えてもいい。上に引用した文章のジョブズを、たとえばキリストとかマホメットに置き換えても文章の意味はそのまま通じる。織田信長は暗殺されたが、後継者の秀吉はそれまでの織田政権の路線を変えることはできなかった。その豊臣政権を倒した徳川政権も、前の政権は否定したが前の政権が進めてきた政策は概ね受け入れるしかなかった。清朝は中国では異民族であったが、漢人李自成が作ろうとした王朝は受け入れられず、清が中国を治めた。リーダーは、特定の個人だが個人芸で始めた仕事はその個人とともに消える。しかし、社会が認め、継続を望まれる進行方向は、そのリーダーがいなくなっても人物が集まり、その組織を支え、ずっと継続し、結果として発展していくものである。

ジョブズが成功した裏側には、同氏の理念を理解した組織と、その理念に高い価値を与えた社会があった。ジョブズは社会にもともとあった欲求を現実のものにしただけだ。それは今もある。アップル社は、<ジョブズ自身がいなくとも>、生命を失うことはないと思われる。しかし、社会経済の変化の中で、これまで通りのビジネスではダメだ、そんな状況がやがてやってくるだろう。その時に、アップル社はどう行動するのか?どこにアップルのアイデンティティを置こうとするのか?創業者の理念を否定して、破壊と再建を進めるのか?それに成功するのか?それは誰にも分からない。

創業の理念は、しばしばコーポレート・アイデンティティと一体のものである。社の理念を捨て去るよりも死守するべきだ。社のアイデンティティを否定するのではなく守るべきだ。何もかも捨て去ろうとする企業は、そもそも存在する必要のない組織であり、市場から退出するべきである。よくそんな風に言われる。組織はただ存続のみを目指しても、それだけで生き残ることは難しい。それは確かにその通りだ。いま多くの日本企業が、守るべきものと捨てるべきものを、見極められずにいる。とはいえ、アップルという会社が、現在の日本メーカーと同じ苦境に立つことは、まだまだ先のことであると見ている。

2011年10月18日火曜日

iPhone販売戦争の行方は?

昨日辺りの日経では、ソフトバンクとKDDI(AU)との間で現在進行中のiPhone販売戦争が報道されている。

KDDIは、通信料をソフトバンクと横並びにすると予想する向きもあったが、実際はKDDIの毎月通信料が4980円とソフトバンクより570円高くなった。これに関しては「当社は山の上にも基地局がある」というKDDI社長の言が紹介されている。つまり、より良質の通信品質を提供できる以上、KDDIはより高い通信料金を課しても顧客は納得できるはずだ。そういう議論に見受けられる。

しかし、それほど回線品質に自信があるのであれば、料金を横並びにすれば全面的に顧客を奪うことが可能なはずだ。それを敢えてせず、相対的に高い料金を設定したのは契約数量を抑えて、利幅重視の販売方針を選んだものと見える。契約数量を抑えるのは、利用者急増による回線劣化を避け、既存ユーザーをつなぎとめるためだろう。

しかし、この料金設定によってAUのiPhoneを選ぶインセンティブは弱まる。端的にいえば、経済的には両者イーブンと言えるかもしれない。品質が良ければ価格は高い。品質が劣れば価格は安い。ここ10年の間、日本のマーケットでヒットしてきたのは、品質はまあまあだが、価格が安い商品である。元々、ソフトバンクはユーザー急増で3Gから無線LANへ流し込み、回線の混雑緩和を迫られていた。条件がイーブンとすれば新規顧客獲得で両者は50%ずつシェアを分けるかもしれない。確かに新規契約者の増加率は鈍化するだろうが、回線への負担はソフトバンクで軽くなり、KDDIで重くなる。KDDIが評価されるポイントである回線品質は、契約数増加で相対的に魅力を落とすだろう。そうなれば通信料金を維持することも難しいかもしれない。

KDDIは、回線品質で勝負するようだが、どうもこの勝負、激しい価格競争を経て通信回線自体のコモディティ化が進み、結局、KDDIは自社回線の差異を守れないのではないかと予想する。ソフトバンク側に立って見ると、iPhoneは金のなる木ではなくなるかもしれない。Appleの政策変更によって迫られた事態であるにせよ、アンドロイド機種を導入することは、iPhoneに偏った製品構成をリバランスする「縮小戦略」になる。日本市場においてドコモが優位なポジションを作りつつあるアンドロイド市場に参入し、正面から競争を挑む模倣戦術をとる一方で、iPhone市場の過当競争を回避する。ビジネススクールであれば、このような戦略案は聴衆の関心をひきつけるだろう。

このように戦略的意図が分かりやすいのはソフトバンクの方である。KDDIはレイトカマーとしてiPhone を選んだ。なぜアンドロイドではなくiPhoneを採ったのか。KDDIはマイクロソフトのウィンドウズフォン販売開始したはずだ。こちらは、あまり周知されていない。小生はWindows Mobileは侮れないと思っている。KDDIの真の目的はどこを向いているのだろうか?同社は、アンドロイド機種のホームページを閉鎖した。

2011年10月16日日曜日

日曜日の話し(10/16)

摘録 劉生日記」(岩波文庫)を購入する。画家岸田劉生が記した大正9年から大正14年までの日記である。日記は大正12年9月に起こった関東大震災を間に挟んで、同氏が藤沢市鵠沼に住んだ時分から、震災の後、京都市南禅寺艸川町に転居しそこで暮らした頃にまたがる。その後、劉生は京都から鎌倉に居を移すのであるが、京都在住時代の画家岸田劉生の評判はあまり良くはない。その辺をめぐる人間的内面のひだが当人の日記の文章からもそこはかとなく匂ってくる。魅力はここにある。

というより本書の魅力は酒井忠康氏の手になる巻末の解説にもある。大変些事にわたるが、同氏は小生がいま住んでいる所の隣町の出身であり、また小生と大学が同じなのだ。そんな人物が尊敬する画家の評論を書いていることもあって、ま、店頭で手にとってみて、何がなし親近感を覚えたのが購入したきっかけである。
この年月のうちから父が得た物は、父の仕事をより幅広いものにし、この年月のうちから失ったもののために、父は命を縮めたといってもさしつかえはないと思う。父が心の淋しさにもう少し堪え得る強さを持っていたら、またもう少し早く酒と遊びの生活の誘惑から抜け出すことができていたら、もう四、五年、いやあと十年は生きられたかもしれない。では、父の失ったものは何か。失ったものは一つではない。日向と影とがあるように、得たものの後ろには失わなければならないものがある。父の失ったものの一つは友情であった。(470頁、麗子の回想)
小生も「内地」の大都市圏から二十年ほど前に北海道に移住した者であるから、たとえ交通事情が劉生存命の当時と比較にならないとしても、気持ちとして上の文章は非常によく分かったりするのである。

岸田劉生、寺子屋舞台図、1922年

上の作品を制作して一年後、劉生は震災で鵠沼の宅も被災し、名古屋を経て、京都に引き移った。彼は春陽会を脱退し、画壇から孤立し、京都で金の工面をしながら古美術収集と遊興に毎日を過ごすようになった。彼は昭和4年に38歳で病気により急逝するのだが、震災後の作品をみることは少ない。しかし、劉生が「避難先」の京都でどんな風に暮らしていたか、日記に記されている。

岸田劉生は1891年の生まれである。昭和時代になるが早いか亡くなっているので、随分昔の、歴史上の人物であるように思える。ところが、たとえば藤田嗣治は1886年生まれで劉生よりも年長である。藤田は長命で、東京オリンピックが開催された後、1968年に82歳を迎えるまで長生きした。藤田嗣治の名を聞くとき、藤田に関心を持っている人は<現代>の香りを感じるはずだ。少なくとも<過去>を感じない。しかし、藤田より岸田劉生のほうが年下である。

長生きをすると、仕事を続けない限り、子供でもいない限り生活資金に困るわけであるが ― そこを解決するのが公的年金という社会共同体理念に基づく制度なのだが ― 多くの時間を持つことができて、多くの後世代の人々と交際することができて、色々な仕事をし、色々な成果を残すことができる。早く死んだ者には与えられないものが、長生きをしたものには与えられるのが浮世の現実だ。

長生きをするものが、早く死ぬものから金まで頂戴する。年金保険の原理は実に残酷なものだ。早く死んだものが残した保険料は遺された家族に与えたい、それが生命保険だ。こんな風に考えると、年金保険や生命保険や火災保険や盗難保険など、万が一の備えは家族とも相談しながら、本来は個人個人が名々で決めるべきものだろう。

人生をどう送るかに国家が介入する必要はない。介入をさせないためには甘えないことが大事であると思う。

2011年10月15日土曜日

リンク集 ― 興味を感じた記事色々(未読)

学期初めの雑務に紛れている間、色々なサイトを閲覧する時間が持てなかった。特に最近は、パワーポイントで授業を進める方式が定着しつつあり、以前のように特定の教科書を何年か使って、固まった授業を提供すればよいという様子でなくなった。パワーポイントは、その年ごとに毎回の授業進度が違うので、結局、1年前のファイルを使いながらその年のパワーポイントを再編集することになる。便利な道具ではあるが、結局、かかる手間は書籍媒体のテキストよりも明らかに大きい。小生はそう感じている。これで学生の理解度が上がれば、教育の生産性は上がっているのか下がっているのか、微妙なところだが、もし理解の浸透が以前のとおりだとすれば、最新兵器のITツールを使うことで、生産性はむしろ落ちている。多分、袴をはいて野球をやっている、そんなところなのだろうが。

牛刀を鶏に使う例えもある。「それはそう使うんじゃないよ」と言われれば、それまでだ。

以下、ざっとみて面白そうだと感じた記事である。まだ丁寧に目を通してはいない - 後で丁寧に読んでおこうと思うが、残ってないかも。

ダイヤモンド・オンラインから

鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!(上杉隆)To Cure the Economy(Joseph E. Stiglitz)

Econbrowserから

The Wrong Track, in Figures
Pragmatic Capitalismから


内閣府ホームページから

今週の指標 No.1008 株価による景気予測

2011年10月14日金曜日

公的年金を<最大のアンフェア>にしてはならない

公的年金の支給開始年齢引き上げが、唐突に(というわけではなく、やっと出て来た話題ではあるが)関心を集めている。提案通りに改正 — 改正と称していいのであれば — されれば、68歳支給開始になりそうである。今朝の - 今となっては昨日だが - 「とくダネ!」に呼ばれていた専門家は、68歳は無理だろう、67歳に落ち着きそうだ、そんなことを言っている。いずれにしてもデフレ下の年金減額とともに、新規受給者の支給開始年齢引き上げは、出るべき課題が出て来た。そんなところだ。

しかし — 今更、ソモソモ論をやったって仕方がないが — 老齢年金というのは何のために、これほどまで喧々諤々と議論をする、それも中央政府が詰めなければならない問題なのだろうか?

ここにAさんがいる。彼は高齢になった時に、いくらの資産を保有しているか分からない。何歳まで生きるか分からない。どんな暮らしをするか分からない。金持ちになるかもしれない。貧困になるかもしれない。何歳まで仕事をするか分からない。自営業なら定年はない。サラリーマンなら退職金を支給されるかもしれない・・・と、まあ、人生色々だ。にも関わらず、彼が日本人であるという理由で、彼が65歳になってから以降は、一定額のお金を支給してもらう権利がある、日本人全体はその責務を共同して負っている。そう考えるロジカルな根拠は何か?ロジカルな根拠があるからこそ、どうしたらお金を支給できるのだろうか。できなければAさんに対して申し訳なし。そう思って、頭を捻っているのである。しかし、Aさんの顔を知っている人はほとんどいないのだ。

もちろん昔は年金などというものはなかった、と言えば嘘になる。長生きをすれば生活資金も必要になるから<年金保険>というものはあった。なかったというのは、一人残らず年金保険契約を結ばせる。だから政府が国家直営で保険業務を運営するという発想である。

一体なぜ政府が業務展開しなければならないのか?高齢になり生活に窮した方は、生活保護をするのが最も単純明快な、誰でも共感できる行政ではあるまいか?それには税を財源とするのが筋であるし、税しかないであろう。なぜ生活に窮しているか、その理由や経緯を精査することもなく、現実に困っている日本人を助けてあげたいという気持ちは実に自然である。生活保護は憲法25条で規定されている、いわば政府と国民の<社会契約>の一環である。

しかし年金は生活保護政策とは違う。だから年金の財源として保険料を徴収している。年金保険というからには、契約者が払った保険料総額と、保険金を受領する状態に陥った人が得る保険金総額は - 長期的には - バランスしないといけない。でなければ経営不可能である。いま年金保険金を受領する条件は<65歳まで長生きしてしまう!?>というものだ。言うまでもなく、こんなリスクはリスクとは言えない。平均寿命が80歳前後にまで延びている現在、65歳まで自分が生きるという事態は当然予測しておくべきである。第一、ほぼ大半が65歳プラス何年かまで生きるのであれば、保険料はほぼ全員が費消する。払った保険料を使い果たした時点でアウトになる。年金保険は短命で死ぬ人が払った保険料を長寿の人が受け取る仕組みに他ならない。だから収支がバランスするのだ。この位は生きるはずだと予想できるなら、その時の自分の生活資金は自分が作っておく。それが日本国憲法が規定している<勤労の義務>の趣旨であろう。

長生きリスクへの対応が年金保険である以上、まあ大雑把に言って、「ここまで長生きする人は10%くらいだよね」。そのくらいの、「長生きリスク」と言うに十分であるほど高い年齢に支給要件を決めておかないと、年金保険は運営できないだろう。運営できるかのように錯覚するのは、保険料ではなく、税金まで使うからである。消費税を年金の財源にするため消費税率を引き上げようと議論をしているではないか。

ここがわからないのだ。税金を使ってまで年金を支給する以上、もらう人は困っている人であるべきでなかろうか?生活に困ってもいないのに、自らが支払った保険料を超えて年金を受領している社会集団がいるとすれば、それは別の集団から行政を利用して所得を奪取していることになるわけであり、これこそ<最大のアンフェア>ではないか?生活資金に困っている高齢者には生活保護政策を充実するということを越えて、困ってもいない日本人にまで定額の年金を支給する、支払った保険料に加算して税金を充当してでも支給する。それが正しいと考えるロジックは何か?政治家の選挙対策なのか?中央政府が税以外の金を徴収する便法ではないのか?なぜ普通の年金保険を契約するやり方でいけないのか?そんな保険商品を契約できず、現実に困っている人は保護するべきだが、なぜ全ての日本人を対象に政府直営の公的年金保険制度を日本国は必要としているのだろうか?ま、そういう疑問ですね。

官僚は細かな計算で忙しい。根本的な疑問に正面から立ち向かい、日本人なら誰でも納得できる理念を伝える責務は、日本の政治家が負っている。これだけは確かなことだろう。

2011年10月12日水曜日

TPP参加の是非は数で決まるのだろう

今日あたりの日経には、民主党内で進んでいるTPP参加論議が紹介されている。

先ずは農業問題。(高率関税が許される)例外品目は一つしか認められない可能性が大きい。そんな読みがあるようだ。とすれば、米だけ守っても、酪農・畜産が打撃を受けるだろう。こんな心配をしているグループがいる。

そもそも政権交代ができた要因の一つに農家戸別所得補償がある。農林票が若手民主党議員の支持基盤になっているケースが多いということだ。となれば、農業関係者の意見がそこに反映されるのは仕方がない。

更には、医療や金融を心配する人がいる。農業だけではなく、医療や金融なども完全自由化されると、水準が大幅に低下する。そんな主張もあるようだ。反対派が開く集会には日本医師会なども招かれるそうである。

これらの反対論を要約すると、一口で言えば、<変えるな>。つまりは、現在の収入基盤を失いたくない。ここに動機があるのは、(改めていう必要もないだろうが)明白である。当然だ。損する(と思う)から、反対するのである。

農産品に高い関税をかけると輸入品価格が上がる。だから、国内農産物も売れる。売れる以上は生産を続けるから、農地も手離さない。経営統合にも消極的だ。TPP賛成派は、ここに問題があると言っている。自由化をすれば競争が働くので、同じ人数、同じ土地を使って、多くの農産物を作らないとコストが下がらない。価格競争力を失う。日本の農家の生産現場を能率的にするためには、国際競争の場に入るのが一番だというわけだ。また、競争力は十分持てると言っているのが、賛成派だ。

確かに高齢者が片手間に農業をやりながら - いや、増えているケースは、休耕田にしたり耕作放棄地として何もせず放置してしまう - 農業を経営するよりは、農地、もっと根源的には<土づくり>にまで遡って、メンテナンスをしていかないと、農業自体が継続不能になる。そうすると、歴史を通して日本に伝えられてきた技術資産、人的資産のつながりが、根こそぎ失われてしまう。何度も耳にするのは、こちらの問題のほうだ。

保護を続けるか、弱肉強食を押し付けるか、では最早ないのだろうなあ。色々な意見を聞いているとそう思う。そうではなく、日本の農業の半分を自然死させるか、不効率な部分を退出させて、農地をまとめて有能なマネジャーに経営させるか?問いかけはこちらの方だ。国際競争は後者の路線を進めるための、行政ツール。まあ、日本お得意の<外圧>であります。農林水産省が何を言ってもダメだから、国際競争のプレッシャの中で、やって行くしかないという判断でありますな。

それ故、農業については、これはもう仕方がないのだろうなあ。そう思っている。農地は日本の資源であり、いかに個人財産とはいえ、ただ寝かせておくだけの遊休地として持ち続ける権利まで農家が持っているとは思えないからだ。

では医療はどうか?金融はどうか?「完全に自由化されれば、水準が大幅に低下する」。これは間違いである。水準は大幅に向上するはずである。現に高額の医療費を支払っても、日本でハイレベルの治療を受けたい人は多数いるのだから。自由化されれば医療の水準は必ず上がる。ハイレベルの治療技術をもつ医師は、日本にいながら収入が倍増、三倍増になるであろう。容易に予想がつくように、規制社会から自由社会に変わって、最も変わることは「みんながホドホドのものを平等に消費する社会」から「ハイエンドからローエンドまで自分の予算に応じて自らの意志で選ぶ社会」になるという点に尽きる。高額サービスからエコノミークラスまで選択範囲が広がるのは、まさに市場メカニズムが働いている家庭電気製品、テーマパークなどレジャー施設と同じである。医療も金融も、自由化されれば、必ずそうなる。だから「質が低下する」という予想は嘘である。

最も先鋭的な論点になるのは、これが良いかどうかである。どちらが正解かなど、エコノミストも法律専門家も判断はできない。結論は数で決まる。そもそもこの問題は全員一致というのはあり得ない - 経済学では補償によって全員が一致して賛成する余地があるならゴー。保障の落とし所がないならストップ。そんな純粋理論もあるが、ま、理論である。

ただ貧乏人は高額治療を受けられないのか?こんな問いかけがある。これは間違っている。自動車には自賠責のほかに任意保険のコースを自分の裁量で選ぶことができる。対人保障を無制限にしてもよいし、上限3億円まで保険会社が保障することにしてもよい。このように医療ビジネスが自由化されれば、民間の医療保険商品が多く開発されるだろう。また金融庁は、保険企業のこうした取り組みを抑えるべきではない。こういう風にことが進展すれば、政府直営の健康保険制度はその効率性が批判され、民間保険に押されるようにしてスリム化され、自動車保険の自賠責のようになってしまうだろう。というより、政府直営の基礎的医療保険は国から自治体に移管され、保険料ではなく、住民税があてられると思う。

新聞にも「国民皆保険制度の崩壊につながる」といういずれかの関係者による刺激的な科白が報道されているが、一面は真であり、一面は嘘である。政府直営の保険制度は崩壊するが、民間の保険ビジネスは必ず拡大する。まさに宅配業界がたどった道と同じである。日本郵政が直面している問題と同じだ。自由化をするとは、そういうことだ。

マスメディアは、マッチポンプのように、こんなことを言って反対している人がいる、あんなことを言って賛成している人がいると言うが、そればかりではなく、TPPに参加して自由化を徹底すれば、どんな社会がやってくると予想されるのか?逆に、TPPに参加せずに現状を維持するとすれば、どんな社会になっていくと予想されるのか?まずは、この疑問に答えてあげるような啓発を、記事にして書き込んでいくべきではあるまいか。新聞というメディアに期待されているのは、そういう貢献だと思う。

2011年10月10日月曜日

日銀は王より飛車をかわいがっているのか?

デフレは円ベースで表した商品や資産の価格が継続的に下落する現象をいう。技術進歩や嗜好の変化による相対価格の変動ではなく、全ての商品全般にわたる価格低下であり、その原因は国内外のマネー要因にあると考えるのが常識だった。この点では、ミルトン・フリードマンが、デフレとは真逆のマクロ経済的病理であるインフレーションについて
Inflation is always and everywhere a monetary phenomenon.
(インフレーションは何時でも何処でも貨幣的現象である)
このように言ったとおり、日本のデフレーションの根本的原因も円やドル、ユーロ、元、ウォン・・・など各国のマネーサプライにある、つまりは各国中央銀行が採っている金融政策と市場との関連で理解するべき問題だ。

この点は当然すぎるほど当然の理解だと思うのだが、最近は日銀がどれほど頑張ってもデフレが解消しない。そんな状況からか、日銀が国債買取を増やしてベースマネーを供給すればデフレが解消するなどと考えるのは一知半解の虚妄であるとか、金融政策で現在のデフレが解決すると考えるほど、いまのデフレは単純なものではない、などなど。デフレの原因はマネーサプライ以外の実体経済に求めるべきであるという指摘が浸透してきているようだ。

本日の日本経済新聞には、邦銀で増加しつつある「不良債権予備軍」について報道されていた。
銀行融資のうち「不良債権予備軍」といえる貸し出しが全体の1割、44兆円規模に上ることが日銀の調査でわかった。2008年秋のリーマン・ショック後の中小企業金融円滑化法(返済猶予法)の導入などで不良債権化はしていないが、経営改善が遅れている企業が多いことを裏付けた。欧米銀に比べ、邦銀の財務は比較的健全とされるが、こうした企業の再生が課題となる。(玉木淳)(出所:日本経済新聞WEB版2011/10/10 2:34配信)
アメリカで懸念されているのは下げ止まらない住宅市場で返済能力が毀損されつつある家計部門である。日本のデフレが止まらなければ、返済能力が懸念される企業債務(=金融債権)が増加するのは当たり前である。デフレによって実質金利が高止まるとか、債権を保有しようとする経済主体より債務を負担しようとする経済主体の方が、事業を創造し、需要創出に貢献し、社会を進歩させていく確率が高いのだが - もちろん愚かな事業に着手する経営者もいる、確率でみないといけない - デフレはそうした前向きの動きを抑えてしまう、などデフレの害悪についての説明は様々にされているので、ここでは繰り返さない。

奇妙なのは円高によるデフレの説明を行なっておきながら、デフレの原因をマネーに求めない議論がすんなりと受け入れられることだ。為替レートは、各国の通貨の交換比率である。通貨の交換比率は、マネーサプライに対する通貨発行当局(=中央銀行)の姿勢によって決まってくるのは、単純な理屈である。日銀が現在とっている<超物価安定政策>が円の価値を保証していると海外から認められ、円の実質価値が低下する可能性が低いと思われているからこそ、ドルやユーロの信認性に疑念が高まった時に、円を保有しようとするのである。だから円は高くなるのである。

円の通貨価値を守る。

日本のデフレーションの真因の一つに日銀の超真面目な政策スタンスがあるのは否定できないと見ている。円の通貨価値がドルやユーロと同じ速度で毀損されても、その時はその時で、金というハードカレンシーを保有すれば財産保全としては十分安全である。

不換紙幣(=ペーパーマネー)は、それ自体に価値があるのではなく、マクロ経済をうまく運営するための単なるツールである。もしもハイパー・インフレーションを誘発しても - 貯蓄超過の低圧経済で純債権国でもある日本でハイパーインフレーションが近々起こるとは全く考えられないが - それを解決するための特効薬はわかっている(日銀は不手際の責任を追求されようが)。それより、円の通貨価値を守ろうとして、そのことにより海外の中央銀行の政策スタンスとの違いが目立ち、そのことで意味のない為替増価を招き、それが過渡的であるにもせよ企業全体の経営基盤をボラタイルにさせ、ひいては日本のマクロ経済を混乱させるのであれば、文字通りの本末転倒である。これこそ<王(=国民と企業)より飛車(=円)をかわいがり>と後の世に批評されても、金融当局は文句を言えまい。

デフレは決して逃げることのできない蟻地獄ではない。

2011年10月9日日曜日

日曜日の話し(10/9)

部屋を整理していると本年6月20日付の日経朝刊19面を抜き取ったのが出てきた。「美の美」を特集している。セザンヌの名画「カルタをする二人の男」が大きく印刷されている。オリジナル作品は47.5センチ×58センチの小品である。その絵の上にあるタイトルは「生きることの孤独、悲しみ ― カンバスの底 深く流れる」。小林秀雄「近代絵画」を引用しつつ、最後は
小林はセザンヌの「革新的技法」にはこころを動かされない。独創的な芸術家の「静かな悲しみ」に感動しているのである。
そう締めくくっている。ふ~~む、静かな悲しみ、ですか・・・同じ紙面には、「セザンヌ夫人の肖像」も印刷されている。静かな悲しみは、夫人の肖像の方なのか・・・それも違うようだ。


セザンヌ、カルタをする二人の男、1895年前後

確かにセザンヌは、印象派展に出展はしたことがあるものの、生涯の大半を田舎エクス・アン・プロバンスで過ごし、印象派で一緒に活動した旧友たちとも疎遠になり、「隠者」と呼ばれるようになったのは事実だ。しかし、例えば印象派の画家オーギュスト・ルノワールの息子ジャン・ルノワールが著した「わが父 ルノワール」を読んでみると、セザンヌの名はこの本の中で圧倒的に多く登場している。それは巻末の索引を見るだけで直ちに分かるほどだ。その中で108ページに記されている何行かを引用すると
とうとう(父オーギュストが)セザンヌと会う日がやってきた。「ひと眼で、彼の絵も見ないうちから、私には彼が天才だとわかったね。」この二人の友情は一生のあいだ続くこととなる。そればかりか二人の子孫にまで続いている。息子のポール・セザンヌは、私にとって友人以上の存在だった。兄弟以外のものと考えようなどとは思いもしなかっただろう。彼はナチによる占領を経験したのち死んだ。われわれ両家は、今も一体だ。(PP.108) 
セザンヌはルノワールより二つしか年上ではなかったが、ずっと年長に見えた。「針ねずみみたいな気むずかし屋でね!」彼の動作はなにか眼に見えぬ枠で外から締めつけられているようだった。声もそうだった。(pp.108)
こんな風にセザンヌを記憶している友人の息子、そして友人その人がいた。そんな人は決して孤独であったはずがない。実際、小生がセザンヌの真物を観た時に感じるのは、ひたすら絵として限りなく美しい、ただそれだけだ。

そう言えば、孤独とか不安を表現したと言われる画家ムンク。彼の有名な作品「叫び」も、余計な哲学を抜きにして、「とにかく美しい絵だ」、それが私にとってのムンクの発見だった。そんな文章を今日書店で立ち読みした何かの雑誌に見つけたのだが・・・何だったかな、その雑誌の名前は?ともかくもムンクの「叫び」の色彩をある程度正しく伝えている画像ファイルは中々見つからない。

Munch、Scream、1893年

セザンヌとムンク。上の二つの作品はほぼ同じ年に描かれている。ムンクはドイツ表現主義 ― 北ドイツの分離派でカンディンスキー達のミュンヘンとは少し方向が違う ― には欠かせない人物である。パリを訪れたときにはゴーギャンやゴッホにも影響を与えたとWikipediaなどには記されているが、この辺詳細を知らない。

2011年10月8日土曜日

正論も愚論も、雨雪の如し

先週末から今週にかけて、レギュラーな仕事に加え、会議や新学期特有の面談が入り、週末の今日は疲労困憊してしまった。それで、昼食をとってから近場の温泉に行き、サウナ、掛け湯、寝湯に順番に入り、のぼせては露天風呂脇にある椅子に腰をおろして、山を眺めながらボオッとしていた。かつて大都市圏に住んでいた頃には、中々こんな時間を持つことが出来ず、いざ余暇を楽しもうと出かければ、多数の同客が雑踏をつくっていて、何も出来ず、ただ金を費消して、帰宅したものだった。田舎に居住し始めてから失ったものはうんと多かったが、確かに得たものもある。何が得か、何が損か、過ぎてからでも分からないものだなあ・・・・そんなことを思いめぐらしていると、気分が欝になるようでもあり、躁になるようでもあり、実は単にここで生きているというだけのことなのだろう。そんな所に落ちつくのであります。

休憩室に入り新聞を開く。パラパラとめくる。米雇用9月は10万人増。失業率は9.1%で高止まり。これはプラス評価だな。米、両極の先鋭化鮮明、来年の大統領選挙にらみ対決。リベラル派の陰も。ふ~む。観衆がいると、プレーヤーはハトではなく、タカになりたがるものである、それは力を誇示することによって相手がハト戦術を選ぶことを強いるコミットメントでもあるし、更にはブレない候補者、信念のある政治家という評価をかちとる戦略でもある。これがゲーム論からも確認されることで、まあ、定石って奴である。・・・(ゴロンと寝転がる)しかし、日本では違うんだよなあ。相手と対決する論陣を張るのではなく、むしろなるべく違いをなくそうとする。細かい所に論争の場を限定し、そこで政治家にしては細かすぎる議論をしようとする。これは何故だろうねえ?ま、見当はついているが・・・

温泉に入りに来ても、こんな風に新聞を読むようじゃ、気が晴れねえなあ、そうも思うわけだ。

するとコラム記事「エネルギー版TPPを提言」という文字が目に入った。何々?日本生産性本部の日本創成会議(座長:増田寛也元岩手県知事、元総務相)はエネルギー政策に関する提言を発表した。日本を含むアジア・オセアニア地域に送電網を敷設し、電力を融通しあう「エネルギー版TPP」構想を提示とのこと。国際送電網への接続に備え、国内では発電、送電部門を分離し、送電体制を全国で一本化すべきだとした。なるほど、なるほど、これはいいねえ。同じページには、八田達夫氏が「料金変動で需要抑制」、高橋洋氏が「発送電分離、競争促す」、河野龍太郎氏が「原発や送電、免許別に」、各氏がそれぞれのタイトルで意見を寄せている。どれも正論である。こんな正論があるなら、全く心配することはないわな。まずは一安心して湯屋を出た。

帰宅して手にとったのは昨日購入した「日本人はなぜ戦争へ向かったのか(上)」(NHK出版)だ。

なぜ日本は孤立化の道を歩んだのか。それは時代の選択の一つひとつが、確とした長期計画の下に行われなかったという点があげられる。(pp.46)
これは陳腐な指摘であるなあ。
いったい誰が情報をとりまとめ、誰が方針を決めるのか。そしていったん決まったことがなぜ覆るのか。(pp.46)
日本の中枢部の組織原理は何にも変わってはいないってことだ。何度こんな指摘を読ませられればいいのかなあ。とはいえ、当然過ぎて読みやすいのでグングンと読む。そうすると、内容のレベルもグッと上がってきた。
- ある意味で、関東軍の行動は関東軍にとってみれば合理的なことだったということですか? 
- 非常に合理的だったと思います。現地は軍中央と必ずしも同じ目的ではなかったかもしれませんし、情報は全く非対称的でしたので、モラルハザードが合理的に起こった可能性があります。そういうかたちの不正で訴えられた人は「私のような状況に置かれた人はみんな同じことをやるんじゃないですか」と言うでしょうね。 
- ましてや石原莞爾が起こした満州事変は強烈な事例です。「不正に行動しても、結果が良ければOK」という事例になりましたから、モラルハザードは起こります。 
- その後、実際に暴走の連鎖が起こります。 
- これが数年前に話題になった成果主義なのです。成果主義の怖いところは、モラルハザードをひき起こすことです。本当は「やってはならない」と言われているのに、結果が良ければ許されるということがわかっていますから、隠れてこっそりやってしまう。ですから、成果主義のもとではモラルハザードが起こりやすいのです。(同書pp.166、菊澤研宗「日本が陥った負の組織論」より、一部編集のうえ引用させていただいた)
関東軍の暴走的南下を止めようと軍中央は天津軍を増強した。そうしたら急な増強に対する中国側の反日感情が高まった。そんな中、天津軍が廬溝橋事件を起こしてしまった。これについて、時の陸軍省軍務局長であった武藤章はこんな手紙を出しているとのことだ。
軍務局長着任以来、支那事変を急速に解決することを主眼として、他列国とは絶対に事を構えてはならぬと考えて、一切のことをやってきた。(pp.129)
国家の意思が末端を制御できない状態が続く。人間の身体で言えば、アルコール中毒、パーキンソン氏病、筋無力症などに相当しよう。 日本人の性癖というより、組織設計に問題があったというべきだ。ここを考えなければ、同じ誤りを何度も繰り返す。
 近衛文麿文書中には・・「政府側としては軍部が斯くの如く講話を急がるゝには何等かそこに深き事情が存するに非ずやと推測せざるを得ず」とある。(中略)木戸も1937年12月21日の時点で原田に「どうも参謀本部があれほどまでに熱心になっていることはすこぶるおかしい」と述べ、閣議の場などでも、「連戦連勝」の国である日本が蒋介石との和平交渉を急ぐのは筋違いであるとする近衛首相と共に、対中交渉の早期打ち切りを強く主張していた。家近亮子氏が論ずるように、蒋介石は1938年1月12日の時点までは対日和平を真剣に考えており、同16日、日本政府の「爾後国民政府を対手とせず」声明によって初めて「降伏せず」との決意を固めたことがわかっている。(pp.242)
本書を大括りにまとめれば、戦前の日本を誰も望まない太平洋戦争に導いていったのは、肥大化した帝国陸軍だった。しかし陸軍組織が意図的、計画的に対米戦争に邁進したという事実はなく、むしろ対英米との開戦は絶対に避けるべき事態であった。それでも開戦をしてしまった。

う~む、文字通り、時に正論、時に愚論。それらは百家争鳴の中で雨や雪の一粒のようでしかなく、全く是非の区別は付けられなかった。こんなことって近代国家にあるのでしょうか?唸ります。そして国家は誰もが予想すらしていなかった方向へと歩んでいった。

正に文字通り、人間万事漠として窮まり無し(福翁)。まして国家、社会においてをや。アメリカ社会、ヨーロッパ社会の未来を誰が予想できようか?

気になる指摘もしてあった。大正期を通して進んできた戦前期日本の民主化の完成は1925年の普通選挙実施である。身分や納税額などに関係なく、広く国民が投票権を持ち、政治に参加すれば、その中で大新聞が世論を形成するようになる。日本が急速に軍国主義化し、天皇側近の重臣、学界の有識者の影響力、指導層へのリスペクトが失われたのはそれからのことである。このシンクロナイゼーションに何か真剣に考察するべき意味があるのか。読み終えてから、残ったのはこの疑問である。

今日は湯屋談義から読書感想文となり、いつものリンク集はまた先延ばしとなった。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブズの死を悼んで記す

アップル・コンピューターの前CEO、というより創業者の一人であるジョブズが死去した。

小生のコンピューター経験は富士通の大型汎用機FACOMからである。当時は、80カラム様式のパンチカード1枚に1行のステートメントを穴を開けて入力し、さらにIBM準拠のMVS言語で書き下したジョブ制御文(JCL)を加えてから、カード一式をカードリーダー上に据え置き、それを光学式に読むとることでコンパイル、リンク、実行までを指示していた。一回に読み取るカードは、千枚にもなったが(とにかく重いのだ)、考えてみれば誠にささやかなものだった。その頃、小生が担当していたプログラムのうち最大のサイズはFORTRANで1万5千行程度だったが、最近のソフトは多くなるとソースプログラムで100万行にもなり、その他に数十個のライブラリが加わって、一つの製品になる。

コンピューター、というより<電算機>は、縦横30メートル程度の電算機室に配置され、内部は15度位であったろうか、適温に維持されていた。電算機といっても、1個の本体が置かれているわけではなく、演算装置、磁気ディスク装置、磁気テープ装置、ラインプリンター、制御装置等々の各種機器が整然と配置されていたわけだ。

「電算機ではなくて、電算機システムなんだよね。操作はシステム・オペレーターの資格がないとできませんから。」
「このレコードサイズとか、ブロックサイズとか、何の意味ですか?」
「それはね・・・テープを読む時に1行ずつ読んでいると時間がかかるから、他のユーザーに迷惑でしょ。だから10行とか100行ずつとか、まとめて読んでバッファーに置いておくんですよ。」

いやあ、最初は全然分からなかったなあ、電算機って奴は。それを制御装置のキーボードを叩いて運用するオペレーターの人たちは白衣などを着て(単に寒かっただけでしょうが)、神々しいオーラを見るようであった。

計算はカードで指示をしたジョブ1単位ごとに優先クラスが設けられ、緊急性に応じて、順番に処理されるというバッチ処理が原則だった。オペレーターの資格を持っていない一般のユーザー達は、室外のディスプレイの前に群がり、空港で離発着状況を確かめようとしている乗客よろしく、自分が依頼した計算業務がどの段階にあるのかを知ろうと、画面に見入っていたものだ。

「あれ、まだやってないの!?遅いねえ。ああ、こんなに混んでいるのか、仕方ねえなあ」
「これじゃあ結果が出るまで、まだ1時間はかかるだろうよ」

電算機と飛行機は、正に同じ感覚のエリート御用達のツールであったのだ。パンチ室は生暖かったが、扉向こうの電算機室内は真夏でもカーディガンをして入った。中央の制御盤では無数のランプが点滅していた。磁気テープ装置ではフルサイズ(何インチだったかなあ?)のオープンリール・テープが順方向に半回転しては、逆方向にリワインドされている。アメリカのNASAがアポロ計画を推進している時と全く同じ風景であり、その中で仕事をすることに興奮したものだったなあ、と。実際の演算能力は今のPCの何十分の1位のものだったのだが、それでもなお小生が知る電算機の原風景であったことに変わりはない。

パソコンは、NECのPC98が最初だ。最初は9801-UVだったかと記憶している。ワープロはどこかのメーカーが作った「EW」(イー・ダブリューとそのまま読んでいたと記憶している)。そのうちラップトップ型のLTを購入し、これはオフィスに持って行っては、自宅に持ち帰っては、という具合に大いに活躍した ― 小生の青春時代そのものだったのかも。

DOSユーザーが登場間もないMacintoshを見ると文字通りの別世界でありました。とはいえ、PC98のRA2辺りまではマック文化を横に見る傍観者であり続けた。そんな小生が、最初に買ったマックはSE/30。これは素晴らしい名機であり、動かなくなった今も部屋の本箱の上に鎮座している。まるで横浜港に係留されている氷川丸である。当時愛用していた日本語FEPのスウィート・ジャムとインクジェット・プリンターDesk Writerの印字品質には目を見張ったものだった。何しろ大型汎用機のラインプリンターとドットインパクト式プリンターしか知らなかった私である。その後マックはカラーになった。形も普通のパソコンのような筐体になった。1990年代の終りに衝動買いしたQuadra。これもいい機械だった。小生が最初に専門学術誌に掲載することができた論文、そこで報告したデータ解析はQuadraのお陰である。計量経済分析ソフトウェアTSPで何から何までやっていたものだ。

ジョブズ氏が、一時期、アップル社を去っていたのはその頃ではなかったか。まさかまた復帰して、iMacをヒットさせるとは思わなかった。更にiPod、iPhone、iPadと想像を絶する様な製品を切れ目なく出し続け、パソコンというよりデジタル世界のあり方を一変させてしまったのは、文字通り、夢のようであった。本日の投稿はパナソニックのLet's Noteで書いており、OSはWindows7である。とはいえAppleは小生の仕事道具から家族の愛用品として宅の中に浸透した。カミさんは隣室でAir Macを使っている。いつの間にか家族全員がiPhoneを持つにいたり、愚息一人はiPadを買うに至った。iPodも何個か転がっている。思えば拙宅におけるアップル製品の数量とソニー製品の数量は、マイナスの相関関係にあると感じる。2000年代における我が宅内のアップルの増加はソニーの退潮とシンクロしている。野口悠紀雄氏が東洋経済オンライン上でアップルとソニーの10年間を語っていたが、この2社が目指すべきであった事業は、かなり重なっていたのに違いない。そしてアップルはやるべきことをやった。・・・コンピューター屋が電話を作って売るなんてねえ、ATTとも相談しないでねえ、つぶされるぞ、えっ、何?音楽をネットで売るって、あの電算機メーカーが、iTunesって、ハッ・・・、謙譲の美徳ってやつを知らんのかねえ。日本の経営者はビジネスマナーが良いので、こんな風に批評していたのではないかと思う。

書けばそれだけ、いくらでも細かなことを書きたくなる。今日はプライベートな思いをつづってしまったようだ。これも素晴らしきアントレプレナーMr. Jobsに敬意と哀悼をこの場に書き留めておきたかった。それだけである。

A lot of thanks, Steve,  for your great fun, creative things and beautiful destruction !

2011年10月4日火曜日

自己破壊行動とその動機は今や研究テーマである

日本統計学会のメーリングリストで以下のような研究会の案内が回ってきた:

この度10月14日に「自殺リスクに関する研究会」を開催させていただく事になりましたので,ご連絡申し上げます.

日本における自殺の統計について,また自殺の対策についてなど様々な視点からの現在行われている研究について報告があります.また,研究報告ののちに「意見交換会」も設けておりますので,
是非ご参加いただければ幸いでございます.

どうぞよろしくお願いします.

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「自殺リスクに関する研究会」

日時:2011年10月14日(金),10:30~15:30
場所:統計数理研究所(東京都立川市)
3階 セミナー室5(3階 D313,D314)
(14:30~の意見交換会は,5階 A512)
参加費:無料
参加登録:不要

プログラム:
10:30~10:35 開会挨拶・趣旨説明 椿 広計(統計数理研究所)
<10:35~11:45 座長:久保田 貴文(統計数理研究所)>
10:35~10:45
「空間自己相関および集積性の指標を用いた自殺死亡データの地域特性」
久保田 貴文(統計数理研究所)
10:45~11:05
「自殺死亡データの時空間集積性について」
石岡 文生(岡山大学)
11:05~11:25
「日本人自殺者データの時間およびその期間差に注目した時空間集積性」
冨田 誠(東京医科歯科大学)
11:25~11:45
「日本の自殺希少地域に共通する地理的特性の分析―1973年~2002年の
全国市区町村自殺統計より標準化死亡比を用いて―」
岡 檀(慶応大学大学院)
<11:45~13:00 昼 休憩>
<13:00~14:10 座長:椿 広計(統計数理研究所)>
13:00~13:20
「自殺死亡データの地理空間相関分析-死別・失業と自殺の関係について-」
久保田 貴文(統計数理研究所)
13:20~13:50
「自殺対策の現状と自殺予防総合対策センターの研究紹介」
*竹島 正(国立精神・神経医療研究センター),
立森 久照(国立精神・神経医療研究センター)・*山内 貴史(国立精神・
神経医療研究センター)
13:50~14:10
「社会人口統計指標による地域分類と自殺死亡に関する分析」
須賀 万智 (東京慈恵会医科大学)
<14:30~15:30 意見交換会 場所を5階A512に移動して行います>

× × ×

ずいぶん以前より、日本の自殺率の高さは国際比較をしても歴然としていた。ようやく真剣な研究テーマとして注目されてきたようだ。毎年、交通事故で落命するよりも多くの人が自ら命を絶っている現状は大変悲しいことではないか ― 反面、南北アメリカ大陸では他殺率が高い。これまた悲惨なことである。

人間が生きていく上で直面するリスクは数多くある。たとえば失業リスク、転勤リスク、降格リスク、収入変動リスク(≒景気変動リスク)、更には人間関係悪化リスク、離婚リスク、冤罪リスクなども挙げられるだろう。

リスクというのは、うれしい誤算と裏腹の関係にある。うれしい誤算でダメになる人もいるが、想定外のネガティブ・リスクを乗り越えることができずに、そのままドロップアウトしてしまう人が本当に多いのが現代の日本である。中国、ロシアなどと並んで日本人の幸福度指標が低いのは、リスク対応が下手で、現実世界の不安定性がそのまま生きる個人の不安、暮らしの不安に直結しているためだと考えられる。

リスク対応力。即ち、資本主義であれば保険サービス分野の商品開発力でもあり、その開発を柔軟に認める行政当局の態度でもある。社会民主主義であれば、政府や議会の制度設計力でもある。この両方において、日本は実質、精神ともに中途半端であり、徹底していない。そのため、個人でも核家族でも抱えきれない、対応しきれないほどの大きなリスクに日本人は翻弄されている。これが現状なのではあるまいか。日本の自殺率が高止まりしている根因はこんな風に言えるのではないだろうか?

2011年10月3日月曜日

世論調査 ― サンプリング誤差を報道しているなら、即ち誤報である

今朝の北海道新聞のトップニュースは、何と共同通信社実施の世論調査である。まさか、世論調査が地方とはいえ有数の大新聞のトップを飾るとはねえ・・・報道するに値する事実は何だと、デスクは認識しているのであろうか?



世論調査については、小生の仕事柄、本ブログで何度もとりあげてきた。で、全くの出鱈目と考える根拠はなく、ランダム標本の回答が示す傾向は、一部の有識者の意見などにある意図的なバイアスから免れている、ある意味で社会全体の認識を知る目安として、十分有用な情報になる。こんな趣旨のことを書いてきた。

しかし、世論調査は通常は電話調査である。質問の仕方が回答者に影響を与える余地がある。ランダム標本とは言っても、電話が通じなかった場合の取り扱い、回答を保留した被回答者の取り扱い等々、実はデータ収集過程でいろいろと詰めなければならない問題箇所は多い。集めたデータから直ちに統計分析に進むのは、意図的なら<統計のウソ>、故意でないなら<データの罠>に陥る危ないルートであることは、この分野で仕事をしているなら周知のことだ。

世論調査は、通常は1000強のサンプルをとっていると思うのだが、データの品質について十分自信があるのだろうか?ほとんど同じ時点に異なったマスメディアが実施した世論調査で同じ質問に対して相当異なる結果が示されたこともあった。本ブログでも、そのことは記したが、「まあ、その程度と思って結果を参考にしていけばよい」というには、今日の道新は余りにもバランスを失った報道ぶりであるなあ、と。

ランダム標本の結果には誤差が含まれている。大体、支持率が社会全体で50%で拮抗している場合、1000世帯のサンプルの結果なら、1.6%位の標準誤差がある。故に、確率95%まで誤差の発生を考慮して、3%ちょっとまでは誤差の範囲と考えるのが常識だ。ということは、53%から47%まで数字が低下したからと言って、この結果は丸ごとサンプリング・エラーのなせる結果とも解釈されるため、ニュースにしてはいけない。誤差など、何の説明もつかず、中身はエンプティであるからだ。一口に言って、統計的誤差を中身のあるニュースであるかのように報道するマスメディア企業があるとすれば、それはズバリ<誤報>であると小生は断定したい。社会にはマイナスの価値しか提供していない。

× × ×

ただ、復興増税に反対する人が社会で増えているという変化は、小生には何となく分かるような気もする。これまでは被災地復興のためなら日本人として負担を増やすのは致し方あるまいと考えていたが、いざ実行しようという段階で、いややっぱり嫌だよ。そんな敵前逃亡的な卑怯な心情を普通の国民がもっているというのは、ちょっと理解しがたいのだな。そうではなく、この反応はこれまた<官僚政治>への反発なのではないかと思うのだ。半分以上の国民が支持をし、まだなお過半の回答者が支持すると回答している野田首相の理念が伝わってこないままで増税をする。実は、首相ではなく、顔も知らぬ、声も聞かぬ高級官僚の筋書きなのではないか?だとすると、官僚集団の意のままに、都合の良いように費消されてしまうのではないか?

こんな方向から、こんな視線でもって世論調査の数字の変化をみると、何となく分かるような気はするのだ ― それならそうと、もっと丁寧に解説するのが新聞社ってものでしょう、とは言いたいが。

本ブログで戦後日本を支えた官僚組織は、権力を執行する統治機構としては、国民の信を失っているのが実態ではないかと記したことがある。実際、大蔵省の流れを汲む財務省、通産省の流れを汲む経産省、いずれの大官庁も政治家のツールとしては有用なのだろうが、その官庁の暖簾を使って政治を進めるのは、もはや無理だ。官僚排除ではなく、政官対立でもなく、政治家が官僚を使う政治でなければ国民は拒否する。それが時代の流れだろうと思うのだ。とすれば、官僚の側にもとるべき姿勢がある。いわゆる<優秀な官僚>のモデルが激しく変容しつつある。そう思うのだ。官僚が政治家を使うシステムではなく、真の意味で政治家に仕える優秀な官僚が組織化されるまでは、<日本の夜明け>は来ないような気がする。

それまで優秀な人材と企業が海外に移転し、ジリジリと国力を失い、本能的に行政介入を強めるであろう日本が、どのくらいの時間持ちこたえられるか、分からないが。今週の週刊ダイヤモンドの特集テーマは「日本を見捨てる富裕層」。それから「富裕層に学べ、資産と家族の日本脱出法」、「あなたもできる海外移住」。いやはや、脱出と見るか、進出と見るかは後世の歴史家が判断すればいいことだが、大変な時代の変わり目であることに間違いはない。

2011年10月2日日曜日

日曜日の話し(10/2)

前週はクリムトの話題になったが、クリムトを始めとするウィーン分離派、というよりヨーロッパの世紀末芸術全般にジャポニスムの色彩を濃厚に見てとれることは、以前から言われていることだ。

分離派のメンバーであったオルリクは、チェコに生まれ、音楽家マーラーの友人でもあったが、1900年には念願の日本を訪れている。その時、日本に滞在していた米人フェノロサや作家ラフカディオ・ハーンと交流があり、ハーンの怪談の挿絵はオルリクが描いている。

Orlic、日本の画家、1902年

歴史になると、形式的な枠組みとロジックの議論に堕してしまうところを、人と人とのつながりに目を向けると、にわかに過去という時間が本来持っていたリアリティが蘇るから不思議だ。

1873年のウィーン万博には日本館が展示されたが、1901年にはプラーター公園で桜祭りが開催されているとのことだ(参考:千足伸行「世紀末ウィーンの美術」東京美術)。幕末、長崎近郊で医療に従事したフィリップ・フォン・シーボルトの息子ハインリッヒ・シーボルトは、駐日オーストリア大使館に勤務し、日本の女性と結婚している。彼が持ち帰った日本の文物がウィーン分離派を刺激したことは大変面白いではないか。

開国の後、日本が海外から豊かな文化を受容したのは事実だが、それと同時に海外もまた日本から色々な文物を受容して一層豊かになったことも事実である。これもまた19世紀世界のグローバル化がもたらした進歩の一つであったろう。幕末から明治にかけて日本は大変な社会的激動を経験したのだったが、その時の衝撃と混乱は長い歴史の中で十分<モトをとった>のではあるまいか?

2011年10月1日土曜日

採算性よりも志が経営には重要なのかもしれない

今日は土曜であるにもかかわらず、ビジネススクールの卒業演習が朝から夕刻まであり、小生もグループ討論のオブザーバーをつとめた。この演習は今日が第一回目で、途中に中間発表会をはさんで、来年2月上旬の最終発表会まで続く、長丁場のコースである。

昼休み時間中に、一度部屋まで戻り、車に忘れてきた小銭入れをとりに行こうと構内駐車場に出てみると、満車近くになった中で、なおも来訪者を誘導している担当者が目に入った。一体これは何事ぞと思うに、今日の午後、学部の保護者会が開催されるのを思い出した。

「そうか、保護者会に来ているのか」、「しかし、学生本人は同席しないわけだしなあ」、「一体親だけが大学に来て話しをきいて、教員と面談したからといって、何がどうなるのかなあ・・・今さら学生が親の言うことを聞くわけじゃないし」、「意味ないのじゃないかねえ・・・」。こんなことを口に出していうと人に嫌われるだろうが、正直、そう思ったわけだ。

が、待てよ。ビジネスに不可欠な非協調型ゲーム理論には<チェーンストアの逆説>というのがある。例えば100地点に店舗を出店しようと計画している小売企業があるとする。地元には既存スーパーがあるだろう。同じ地点に出店を考えている潜在的企業もあるかもしれない。そういったライバルは、自社が進出を考えていると予測すると、まずは店内を改装し、安値には安値で対抗するべく万全の態勢を整えるだろう。こんな時、準備万端のライバル企業としのぎを削るよりは、協調的な高値を維持して利益を確保するほうが、よほど合理的な行動である。互いに傷つき合うよりは共存共栄を目指すほうが賢明である。

もしも計画している店舗が1店舗であるなら、必ず上のような賢明な選択をするに違いない。では100店舗を計画しているならどうか?最後の100番目は、これで最後なのだから、最も賢明な選択をする。つまり自爆的な安値競争などはしない。では99番目はどうか?100番目の店舗進出ではどうするか決まっているのだから、99番目が実質最後である。だから99番目も賢明に行動するはずだ。同じ理屈で98番目もそうだ。という風に考えると、そもそも最初から100番目まで、このチェーンストア企業は常にライバル企業と協調的かつ融和的な行動を取るに違いない。これが合理的な考察である。

しかし、現実はこうでないことは多くの人が知っている。もしも1番目から30番目までの進出に際して、徹底的にアグレッシブな安値戦術をとって地元企業をたたきつぶし、潜在的なライバル企業までを辟易とさせれば、以後の進出において地元企業は自社に対して戦う意志を放棄して提携を申しでるだろう。参入を考えていた企業も自社が進出しようとしていることを知ると、その町に立地することは諦めるだろう。かくして、このチェーンストア企業は31番目から100番目までは、ほぼ独占的な状況を得て、巨額の独占利潤を享受するだろう。ここの鍵になるのは、決して敵を容赦しない、その時の採算性を度外視しても、タフな相手であるという市場からの評価を大事にする、この行動方針を貫くという点にある。

チェーンストアの逆説で伝えようとしているのは<限定合理性>である。人間のとる行動は、その時点、その時点で最も合理的な行動ではない。その時の利益をもっと増やすことが可能なことが多い。長期的な利益を目指していると言えば耳あたりは良いが、単に虚栄を張っている、メンツを気にしている。それだけのことは、案外、多いものだ。そんな時、「もっと賢くなれよ」。クールな理論家はそう教え諭す。

しかし、知性や計算に従ってばかりいると、大きな利益を得るチャンスを自ら放棄する。そんなことは現実の世界で意外に多いのだ、というのが上の話のミソである。創業の理念と志を倒れるまで守りぬくという経営者の魂が、社員一同を団結させ、奮い立たせ、困難とされていた事業をテイクオフさせ、当初は赤字続きだった事業が稼ぎ頭になるというケースは実は多いことを忘れてはいけない。

そういえば、上のようなことを話してから1年もまだ経っていない。今年もビジネス経済学の授業でまた話すのだったなあ、と。とすれば、保護者会もいまは全く意味のない、下らない行事に思われるが、学生の両親を大事にする態度を守り続けることが地域からの信頼を高めることになるのかもしれない。そして、それが最も大事な戦略的目標そのものだったりする。

そうなのかなあ?そんな高邁な志の話なのかなあ?などと思いつつ、自動販売機で珈琲を買って、また部屋に戻っていった。

小生の田舎には<キョロマ>という蔑視的呼称がある。いわゆる<利口バカ>というキャラクターを指しているのだが、その時、その時の損得の見込みによって、行動を変えることの愚かさを、ま一口に言って、笑っているのですね。案外、ずっと昔から日本人は頑固さの戦略的価値を熟知しているのかもしれない。