2011年10月22日土曜日

ビジネスモデルの前にヒューマンモデルが必要ではないか?

月一のペースで卒業演習を担当している。月一とは言っても、90分1限の授業を4コマ続きでやるから、朝10時30分から夕方5時40分まで、一日かかってしまう。グループ討論をこれだけの時間続けると、頭脳はオーバーヒートして、麻痺状態になる。肉体的にも疲労困憊する。しかし、この「とことんやる」という授業がビジネススクールでは不可欠だとされており、そこがまた外国直輸入の教育方式だと言われている所以だ。

一昨日、石狩湾の海ごしに暑寒別の山々が眺められる小さなレストランで同僚と食事をした。雑談の中で、リーダーシップという言葉が何度も登場した。小生は、ビジネスモデルより以前に、どのようなリーダーシップを想定するのか、むしろヒューマンモデルを議論することが大事ではないか。そんな話をした。

たとえば、アメリカのオバマ大統領については、「政治経験が不十分である」とか、「大きな政府を志向しているのは誤りである」とか、「指導力が十分でない」という批判を時に目にする。しかし、リンカーンを理想として努力する現大統領について、「大統領としての資質にそもそも問題がある」という批判が加えられるのを読んだことはない。理想的指導者という国民共有の規範があるのであれば、あとは現在のリーダーの力量は規範に対して十分なのか、不十分なのかを論じればよい。ところが、日本においては、行政の最高責任者である総理大臣についてすら、いかなる規範のもとに見られているのだろうか?あるべき総理大臣として日本人全体で共有されている理想像が存在しているのだろうか?そんな疑問を感じないではおられない。民主党には民主党の、自民党には自民党の、いや小沢一郎議員には彼なりの、菅前首相には彼なりの、鳩山由紀夫前々首相には彼なりの、まさに政治家の数だけ、異なったヒューマンモデルがあり、名々が自由勝手に「自分にとって善し」とする理想を追求しているだけではないのだろうか?

日本でトップといえば<調整型>とか、<独裁型>とか、<変人型>とか、ありとあらゆる形容詞が使われているが、この状態は指導者が指導者になった時に果たすべき役割がよく定まっていない。指導者像が、日本という国においては、脆弱である。そういうことではあるまいか?今日は、その原因を考えることまでするつもりはない。以下は、忘れないように心覚えに書いたことだ。

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明治の戦争を統率した将帥は、自分自身が専門的知識をもっていたわけではなく、近代的作戦能力を持っているわけではなかった。最高の総司令官と評価された大山巌や東郷平八郎も、最高の師団長とされた立見尚文も、戊辰戦争の生き残りであって、その個人的経験にはカビがはえていた。将帥クラスの専門的教育水準は、陸軍大学・海軍大学教育の効果が浸透した大正、昭和に時代が下るにつれて、飛躍的に向上したはずである。しかし、戦前期日本の崩壊の過程で明らかになったことは、教育によって指導者層を育成できなかったという事実である。むしろ江戸期の武士道教育の方がまだましであったと言われても仕方がない。それは戦後日本についても、全く同じではなかろうか。

集団あるところ戦略がある。戦略があるところ組織がある。共通の目標を与え、組織を活性化させることは指導者の仕事だ。そのヒューマンモデルを日本人は今もっているのだろうか?仕事は現場がしっかりしていれば、できるものではない。理想のトップのイメージを失ったのが、敗戦という近い過去ではなく、遠く明治維新にまで遡っているのなら、これは難しい。大震災以後の混迷を解決できる人物は、いま必ずしも日本にはいないかもしれない。あるいはいたとして、そんな人物が選挙で当選していて、永田町で今後評価され、衆議院で首班指名されるなど、それは日本にとっては文字通りの<グッドラック>だろう。

今週はバタバタして、今週はこんな雑想を書くことでお茶をにごした。リンク集は先延ばしだ。

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