2011年11月8日火曜日

経済格差拡大をどう見ればいいのか?

アメリカで格差拡大が進行している。所得分配の不平等化のことだ。そのために街頭デモンストレーションも起こっている。もちろんこれは極端な市場原理主義である「茶会」に対抗した政治行動でもあって、民主党(特に左派)支持層が駆動力になっているのは間違いない。この動きは日本にとって他人事ではない。日本でも1990年代以降、格差拡大、一億総中流意識の崩壊が指摘されているからだ。欧州では社会民主主義が浸透している国が多いのだが、それでも世界経済から隔離されているわけではない。中国など新興国の所得分配の実情が社会不安を引き起こしているのは周知のことだ。

日本については本年10月31日に公表された総務省統計局「平成21年全国消費実態調査」から所得・資産分配のジニ係数が求められる。所得分配(等価可処分所得)について「ジニ係数を国際比較すると,日本(0.283)はドイツ及びフランスとほぼ同等」という結果であり、資産分配については「家計資産の分布をジニ係数でみると,平成16年と比べ,住宅・宅地資産では0.579とほぼ横ばいとなっている一方,貯蓄現在高などではやや上昇」となっている。貯蓄とは金融資産である。資産分配は、概ね土地住宅価格が上がれば平等化が進み、株価が上がれば、より不平等になる傾向がある。いずれにしても、0.283という所得分配のジニ係数はそれほど高いわけではなく、この数字を見て「日本の所得分配も不平等になった」と即断することはできない。但し、数年前に評判になった橘木俊詔「日本の経済格差」(岩波新書)では、厚生労働省の「所得再分配調査」のデータを利用している。上の「全国消費実態調査」では格差を過小に評価する傾向があると以前から指摘されているためだ。逆に、「所得再分配調査」は不平等度を過大に示す傾向があるとも言われている。こうした留保するべき点もあるが、日本の所得分配は、アメリカ並み ― いくらなんでも新興国並みに不平等度になっているという感覚はない ― より少しは低く、欧州より少し高くなりつつある。そう見ておくのが妥当ではないか。

これだけは言える点。それは、どんな指標をみても<経済格差>は拡大しているのであり、それは日本、アメリカ、欧州だけではなく、新興国でもそうである。世界全体で所得分配は不平等化している。いまの世界は格差拡大の時代である。これだけは事実として認めなければならないだろう。

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世界には非常に多くの国がある。市場経済が浸透しているとはいえ、経済制度は様々だ。そんな多様性を包括しつつ、グローバル規模で経済格差が拡大しているならば、必ず原因がなければならない。それは<市場原理主義>であると以前からよく指摘されている。しかし、市場原理主義は技術革新、生産システムの変容に迫られる形で、結果として登場した政策理念に過ぎないと、小生は見ている。大体、考えてもご覧あれ。政治家や経済学者が口にする舌先三寸の一言半句が実際に主因となり、世界規模の所得分配が現実に変わっていくなど、考えられるだろうか?もしそんなことが可能なら、あらゆる悲惨な戦争を政治家の言葉の力で避けることができるはずである。しかし、現実はそうではなかった。現実を動かすのは現実の力でなければならない。

実は19世紀(特に後半)にも所得分配は不平等化した。第一次世界大戦後の1920年代から第2次世界大戦をはさんで1970年代までは逆に平等化の流れが定着したかに見えた。不平等化が再び上昇するようになったのは1980年代以降である。時あたかも、サッチャー革命、レーガン革命と重なっていた。自由資本主義であった19世紀にも格差が拡大したから、市場経済こそ不平等度を上げるのだと批判されるのは仕方がないとも考えられる。確かに、物事の表面だけを見ればその指摘はある程度当たっているだろう。

しかし、経済学の基本定理は「市場競争の行きつく果ては自由な参入による価格競争と利潤喪失である」。高利益は決して永続はしない。低収益に陥ったエクセレントカンパニーも結局は市場から排除されてしまう。資産さえも永続はしないのだ。奢れるものは久しからず。これが理論的命題だ。自由資本主義だから不平等化するという因果関係は出ては来ない。

ここでは一つのポイントだけを指摘しておきたい。イノベーションは創造的破壊であり、既存の事業者の顧客を根こそぎ奪う。そのような新規事業に挑戦する人材は実は多数いる。が、その中で成功するに至る企業は実に少ない。成功企業は巨額の<創業者利益>を獲得する。その企業が成長して市場を半ば独占すれば、長期間、独占利潤を獲得し続ける。フォードがそうであったし、GMもそうだった。IBMもマイクロソフトもそうだった。Googleもアップルもそうだ。今はフェースブックがそうなっている。現在はネットワーク基盤の上のICT技術革新が伝播している真っ最中である。まだなお終わらないだろう。

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格差が拡大しながらも、経済成長率がそれほど高くないのは、大成功と同頻度で大失敗が生じているからだ。大失敗が多いのは先進国であるが故だ。キャッチアップ過程にあるなら大失敗は少ないが、トップランナーになれば進歩のためのリスクを負担しなければならない。先進国はそうして生きていくしかない。リスクを負担するからリスクプレミアムを上乗せした高収益を獲得できると考えないといけない。こう考えるしかないではないか。

困難な課題に一生を捧げ、ブレイクスルーを果たす人間が出てくるためには、所得分配は不平等になっていなければならない。夢を求めるには夢のエグザンプルがいる。だから巨万の富をある特定の人物が築くのを許容しないといけない。格差が拡大する現象をも許容しなければならない。

行政が、真に防止しなければならないのは、格差拡大ではなく、<独占の害悪>の方である。不当な市場支配、参入障壁は当然だが、更に圧倒的な交渉力を使って地方の優良企業を囲い込んだり、ベンチャー企業を押さえ込んだり、自由な経営を抑圧したりする行動をも含め、全ての種類の独占的行動をモニターし、違反を摘発し、処罰し、フェアなルールで市場を運営すれば、そもそも<市場経済>という言葉に日本人がアレルギーを起こすことは絶対にないと小生は見ている。

この最も大事な<成長のための行政戦略>において、日本政府はしっかりした理念を有してはいないのではないか?一番心配しているのはここだ。

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