2011年11月21日月曜日

中流社会のリスク回避症

昨日は5時起きをして深夜に帰宅した。東京は25度の高温で、北海道に帰ると零度で雪が降っていた。疲れた。急逝したM叔父に別れの挨拶をすることが目的であったのだが、一週間も経っているのに、昨晩が通夜であるときいた。それに通夜は都心の会館で行うという。自宅に伺った小生、線香をあげることすらできない。通夜に出席する時間もなく、また春の彼岸に焼香にうかがいますと言い置き、叔父宅をあとにした。昨晩が初七日だと思い込み、それにいずれにせよ日曜日しか往復できないので、電話で確かめもせずに、東京まで赴いた小生も愚かであった。それはそうだが、地方で暮らしていると葬式の順番待ちなど、想像すらできないものだ。いや全く、世の中移り変わっている。小生が知っている首都圏はもはや20余年も昔のことになってしまった。

そうしたら今朝の日経朝刊の経済指標欄では日本のエンゲル係数をとりあげていた。エンゲル係数は周知のように消費合計に占める食費の割合のことである。このエンゲル係数だが日本は他の先進国に比べて高いことが知られている。これは日本人が外国人より食に贅沢であるからではない。日本国内の食材が割高であるためだ。日本の一人当たりGDPの高さから類推すれば、国際価格で食材を調達できれば、日本のエンゲル係数は概ね半分の高さに低下するだろう。それで浮いたお金で日本の消費者はいろいろなものを買えるはずである。その方が豊かであるに違いないじゃないか?日経の言いたいことはこういうことである。TPPには恩恵と損失が同時に発生するが、日本で暮らしていると食費がバカにできない事実は、日常慣れっこになっているので、案外気が付きにくいのではないだろうか?

いずれにせよ世の中というのは移り変わるものである。帰宅して書棚を整理していると付箋を貼っている本を見つけた。ホワイトヘッド著作集第6巻「科学と近代世界」だ。付箋のあるページを開けると、傍線が引かれている。
<画一の福音>(gospel of uniformity)もほとんどこれに劣らず危険なものである。高度の発達を遂げうる条件を保持するためには、国家や民族の相違が必要である。(中略)人類は樹上から平原へ、平原から海岸へ、風土から風土へ、大陸から大陸へ、生活習慣から生活習慣へ、と移動を続けてきた。人間が移動を止めたとき、もはや生の向上を中止するであろう。身体の移動も重要ではあるが、人間の魂の冒険 ― 思想の冒険、熱烈な感情の冒険、美的経験の冒険 ― の力は、なおもっと偉大なものである。人間の魂というオデュッセウスに刺激と材料を与えるために、人間社会間の相違が絶対に必要である。異なる習慣をもつ他国民は敵ではなく、ありがたいものである。(286頁)
異なる商品を異なる方式で生産していると、商品の価格体系が違ってくる。そんな二つの国では、必ず交易によってプラスの恩恵が生じる。そのためには、得意な分野に<特化>することが必要だ。あれもこれもと百貨店のように国民経済を運営するのではなく、各国が一番得意な分野に特化する。その時に、世界全体としては、最も多くの商品を作り出す。これは簡単な理屈だ。これを貿易によって世界に流通させればよい。米をどこでも作っていた江戸時代と殖産興業を進めた明治日本の違いがここにある。

いま日本人は、国際経済に組み込まれる利益・不利益のどちらが大きいかを、再び考えあぐねている。いつか来た道だ。これだけは言えること、それは同じ社会の成り立ちを守ったままでは、TPPのメリットは引き出せない、ということだ。得意分野にヒトとカネを集中しないといけない。これは一見すると<ハイリスク>だ。

こんなことをホワイトヘッドは言っている。本が出た1925年は、第一次大戦に勝利したものの英国の没落が明瞭になっていた時代である。
19世紀を支配した富裕な中流階級は、<生活の平穏>を過度に重んじた。彼らは新しい産業組織の課した社会改革の必要を正視することを拒み、また今日は新知識の課する知性改革の必要を正視することを拒んでいる。世界の未来について中産階級の抱く悲観論は、<文明>と<安全>とを混同するところから来ている。手近な未来には手近な過去におけるよりもなお安定が乏しく、安定が欠けているであろう。もちろん、不安定も度を越せば文明と両立しなくなることは認めなければならない。しかし、一般的にいって、偉大な時代はいつも不安定な時代であったのである。(277頁、但し括弧はブログ投稿者による)
経済的に成功した国家では必ず層の厚い中流階級が形成され、その中流階級が非常に長期にわたるその国の安定成長を約束するものである。しかし、中流階級の拡大は、副産物として安定を志向する社会、リスクを回避する社会を作り出すものだ。中流階級という社会のマスが、自己資産の喪失を怖れるようになるとき、それでもなお自己資産を増やしたいと願望し、海外投資に明け暮れるようになるとき、その国は没落への道をたどり始める。このくらいに考えておいたほうがいいだろう。

少なくとも、世の中が進歩すれば<安全>になるとか、<リスク>を考えなくともよくなるとか、そんな風なメンタリティが広がるとすれば、これくらい間違った認識はないと言えそうだ。

とはいえ、ホワイトヘッドが上のように記しているにも関わらず、英国が再び活性化への道を歩み始めるのは1980年代を待たねばならなかった。眠りから覚めて、再びチャレンジ精神に満ちた社会を取り戻すまで、半世紀以上の時間を必要としたわけだ。

日本にとってTPP参加が活性化への特効薬になるのだろうか?そんな風には、小生、どうしても思えないのだな。経済的ロジックに沿っている以上、TPP参加と自由貿易拡大が日本全体としてメリットをもたらすとは思う。TPP参加で豊かになったと感じる日本人の方が、損失を被る日本人よりも多いだろうとは思う。しかし、当面のメリットが出尽くした後、さらなる成長への道を日本は歩めるだろうか?そうは思わない。それを可能にするには、当の日本人が過剰に安定を志向しているように感じる。失うことを恐れるようになった社会は、そこで進歩を諦めなければならない。この見方だけは、ホワイトヘッドの目線に100%同感なのだ。

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