2011年12月11日日曜日

日曜日の話し(12/11)

退廃と不安といえば、文化史的には19世紀末ヨーロッパ社会の文化と風俗を思い起こすはずだ。

美術の世界で例をあげると「叫び」で有名なノルウェー人画家ムンクがいる。今でもオスロの町を歩くと、小路の奥のくずれたビルの裏壁にムンクの模写がペンキで描かれてあったりして、これは文字通りの国民的画家であるなあと感じるわけだ。

そのムンクは、ノルウェーから1885年にパリに出てきてゴッホ、ゴーギャンなど印象派の分析主義に反発を覚える後期印象派 - というより、フランス表現派と呼ぶべきだな - から大きな影響を受けたそうだ。であれば、ドイツ表現派もゴッホ、ゴーギャンの影響下にあったらしいから、元祖「退廃と不安」は、世紀末フランスにとどめを指すのかもしれない。

小生、ゴーギャンという画家はそれほど好きではなく、色彩の美しさを比べるとセザンヌとは比べものにならないと思っている。作品本体をみると、つくづくそう思う。しかし、先日、小林秀雄の「近代絵画」にあるゴーギャンの下りを目にすることがあった。
散り際の近づいた黄色い葉で、すっかり黄色くなった野の中に、秋の終りが、悲しく黄色に染めた丘の上に、空いっぱいに十字架が立っている。木の十字架は、不様な方形で、腐って、がたがたになって、歪んだ両手を空に延ばしている。パプア島の神の様に、田舎の芸術家の手によって、簡略に樹の幹に彫られたキリストだ。哀れっぽい、野蛮なキリストは、黄色く塗り立てられている。十字架の下には、百姓女たちが、うずくまっている。女達は、一向気のない様子で、だるそうに地面に、身をかがめている。巡礼の日には、此処に来るのが習慣になっているから、来たまでの事である。彼女達の眼にも唇にも、祈りの言葉はない。彼女達には、一かけらの思想もない。彼女達を愛して死んだ者の姿に眼もくれない。・・・この木に彫られたキリストの憂いは言い現し難い。その頭には、恐ろしい様な悲しみがある。痩せた身体は、昔受けた苦しみを悔やんでいる様だ。何もわからぬ惨めな人間どもを足下に眺めながら、彼は、こんな事を独語している様である。『だが、それにしても、私の殉教は無益だったのだろうか』(120ページより引用)
マラルメの言った様に「肉は悲しいのだ」、キリストの肉も百姓女の肉も。ゴーガン自身は、この絵について言う。「これは抽象化された悲しみの絵だ。そして悲しみとは私の絃(コルド)である」。(122ページより引用)
 ゴーギャン、黄色いキリスト、1889年(WEB Museumより)

生き方やモラルを支える価値規範が崩壊したと言われる19世紀末の欧州の社会において、何よりも徹底的に崩壊していたのは<市民社会>という幻影だったはずであり、<市民革命>という理想がエンプティであったという事実が露わになっていたことこそ、全ての出発点である。

価値の崩壊のあとには、領土と利権の損得勘定だけが残るのであり、その帝国主義の自壊現象が第一次世界大戦である。その意味では、社会主義という一つの理想が無に帰した後に一世を風靡した市場原理主義がリーマン・ショックによって自壊した2008年という年は、1929年の大恐慌に似ているというよりも、第一次世界大戦が始まった1914年と、より一層似通っている。小生はそう思うようになった。

第一次大戦後の崩壊した社会を再建した思想は<福祉社会>の理念である。それをマルクス・レーニンの社会主義で求めるか、ケインズの修正資本主義で求めるかの違いだけが残った。それは選択の違いでしかない。しかし、いま、福祉社会の理想そのものが手前勝手な先進国の夢になりかけている。これは先進国の国民はもう分かっているはずだ。日本の「一国福祉主義」は、世界においては、説得力を持たないだろう。それはヨーロッパ社会の福祉社会の理念も同じである。

私たちは、社会共同体といえば格好はいいが、つまりは<もたれあい>、自分の財布ではなく、他人の財布から先に負担するべき負担を払おうという弱い魂を自覚して、心理的自家中毒になりつつあるようだ。自由と責任に基づいて新しい規範を作るしかないだろうが、その過程であるべき税制が二転も三転もするに違いない。特に、日本という国には固有の国家哲学がないから、迷走を極めるに違いない。

ゴーギャンの絶筆は、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」である。

ゴーギャン、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、1897年

この作品の完成後、ゴーギャンは服毒自殺を企てている。その時は助かったが、ある日、訪れると既に命がなかったそうだ。心は既に死んでいたのだろう。

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