2011年12月15日木曜日

65歳までは再雇用を義務付けるとは・・・

65歳まで再雇用を義務付ける方針を厚生労働省が打ち出した。昨日はこのニュースがかけめぐったかと思うと、今朝はテレビのワイドショーでも同じ話題で盛り上がっていた。全体としての雰囲気は「仕方ねえなあ・・・年金もない、収入もないじゃ困るもんなあ」、まあこんな受け止め方のようである。

とはいえ、経営者側は<義務付け>には反発しているという。それはそうだろう。企業と社員との雇用契約は私的契約である。嘱託でもいいし、請負でもいい。同じ会社でなく関連会社でもよいとはいえ、社員たる地位を継続して与えなさいとお上が言うのは、民業圧迫などというレベルを超えており、まさに統制である。反発はするだろうなあと小生も、この点だけは同感である。

もともと65歳までは雇用を継続するように行政側は要請してきたというし、今回はそれを厳格化するというので、極端に強権的な措置だとは思わない。それでも、小生、個人的に陰々滅々とした印象を受けるのは、<年金システム絶対死守>とさえ言えば、半ば経済統制的なお上の指示にも、国民一同、「仕方ねえよなあ・・・」とばかりに付き従うという世の雰囲気である。年金システムを<国体>と言い換えれば、<国体絶対死守>になるわけで、戦前期の日本人を支配した精神構造と何も変わっちゃいないじゃないか、と。死守する対象が天皇陛下の玉体であったのが、いまは老後の年金に変わっただけじゃないか、と。小生、たいへん天邪鬼なもので、そう思ったりするのでありますな。

年金って、すべてに優先して守らなければならないものでありますか?そんなに大事で、これなくしては日本人は生きていけず、幸せにもなれないなら、「坂の上の雲」に登場している日本人は不幸でしたか?関東大震災で被災した人たちは、年金に救われましたか?1945年に何もかもなくした日本人は、不幸のどん底に陥って、生きていく気力をなくしましたか?そんな風に反問したくなるし、小生は世の中とは真逆に、年金絶対の行政システムこそ日本人を不幸にしている根本原因と思っている。

ひらたい話し、おかみ直営の公的年金なんぞ、ないほうがいい。そう思っている。年金はいらない。保険料も払わない。大体、自分の人生くらい、自分で決める。どこの何様でもあるまいに、お上があれこれと指図して、老後の面倒をみてもらうからには、<社会共同体>への恩返しを忘れるなよとばかりに、何かというと<制度設計>といい、その度に<専門家>がしゃしゃり出てきて、自分が働いて得た金をむしりとられるなど、そんな世の中は一番嫌いな世の中である。

それ故、今回の65歳まで再雇用義務付けという政府方針に対する小生の窮極的意見は、そんな風に統制的な政策を展開しなくてはならないなら、年金制度大幅縮小もしくは廃止。これが個人的には理想社会になるのだな。

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ただまあ、それを言っちゃあ、おしめえよ。そんな感懐もある。しかし、セオリーに沿って考えても、今回の義務付け路線は大いに問題がある。


そもそも労働需要と労働供給は、マクロ的な経済変動、各地域の産業構造の違いに応じて、地域ごとにばらつきがあるのが普通だ。労働が過剰な地域から不足する地域に速やかに人的資源が流れていかないといけない。日本の企業は、正規社員の解雇には容易に踏み切らず、その代りに定年退職者の欠員を補充しないという形で雇用調整を図ることが多い。いわゆる<窓際族>。これもまた日本的雇用慣行の有り難い一面である。そんな慣行がある中で、これまで勤務していた企業に同一人物の再雇用を義務付けると、それでなくとも日本経済に乏しいとされる柔軟性が更になくなり、ただでさえ変化に即応できていないとされる企業組織をより一層硬直的にするだけのことではないのか?

政府は、年金支給開始年齢を今後引き上げる際に、無収入世帯が発生しないための措置であると説明しているよし。年金政策で対応できないのなら、雇用政策で対応するべき問題だ。その対応が今回の再雇用義務付けになるのか?であれば、いま失業率が高い若年層についても、就業を希望する若年層失業者を地域ごとに配分して、各企業に若年者の採用を義務付ければよいではないか?それもせずに既就業者の雇用を継続させれば、損失を被るのは若年層である。若年層が被る損失は直接的な損失ばかりではない。就業経験を蓄積できないことによって日本の要素生産性が長期的に低下し、潜在成長率が低下することをも予想しなければならないのだ。

これほどの大きな損失を甘受するよりは、高齢無収入者の発生を容認する一方で、若年層無収入者の減少を可及的速やかに図るべきである。無収入高齢者の生計維持は、若年層の収入増加を財源的基礎とするのが本筋だ。そのための制度設計なら理にかなう。これから日本を背負っていくべき若年層の就業機会を圧迫して、既に扶養者も独立しているはずの高齢離職者を再雇用する方に力点を置くなど、全くこれほど典型的な<既得権益保護政策>はないと、小生は断言したい。

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というより、<定年制>という雇用慣行自体を止める方向で行政方針を転換してはどうだろうか?

何歳まで雇用されて働くかという意思決定は、そもそも人によって、健康状態によって、労働強度、資産状況等々によって、違う。企業と個人が直接に交渉をすれば、交渉力の違いから個人が不利な立場に立たされる。であれば、個人の勤労意思を厚生労働省(=ハローワーク)がデータベースとして管理しながら、求人情報に基づいて、いつでも速やかに別の雇用機会を利用できる雇用インフラ作りをする方が、働く人たちにはメリットがあるはずだ。

雇用機会の流動性を高めることは、企業にとって利益があるばかりではなく、なにより離職・転職のコストを低下させることを通じて、正当な報酬を支払わない企業は人材流出のリスクに直面する。それ故に、被用者に正当な報酬を支給する誘因が企業の側において高まるのである。これを<効率性賃金>という。

日本国憲法27条では、全ての日本人の勤労の権利ならびに義務をうたっている。その実現のために政府が民間経済に介入したってよいという考え方もあるかもしれない。しかし、介入するのであれば、国民経済における資源配分を混乱させ、国に損失を与えるべきではない。民間経済に介入する覚悟があるなら、介入の仕方を工夫するべきである。


ただ、どうなのだろう。今回の措置については、マスコミもあまり正面から批判していないようだ。役所が「ことは年金のことですから!」と念押しをすれば、マスコミは<見ザル、聞カザル、言ワザル>でいこうと決めているのかもしれない。

とすれば、

むかし陸軍、いま大蔵

と言われた時期があったが、

むかし天皇、いま年金

これまた現代日本の一面の真実をついていると思うのだな。

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