2011年12月20日火曜日

関東大震災時の海外からの援助と日本の胸中

関東大震災時に駐日フランス大使であったポール・クローデルによる外交書簡集「孤独な帝国日本の1920年代」の中に『海外から届いた援助、フランスへの感謝』という章がある。1923年(大正12年)11月7日付けの書簡にあたる。そこでク氏は、当時、海外から寄せられた支援について先ずこんな風に紹介している。
指導層の心中の思惑がいかなるものであれ、日本の国民は、東京と横浜を襲った災害に対して全世界で起こった崇高な慈善活動に、感動しないではいられませんでした。このうえない華々しさをもって、美徳を誇示しつつ慈善活動を行ったのは、なんといってもアメリカです。新聞が伝えたことですが、アメリカで集められた義援金はすでに四千万ドルを超えています。さらにアメリカの軍艦は、真っ先に現地にやってきて救助隊を上陸させました。日本政府の活動より早かった事例もあります。(出所:194頁)
今回の東日本大震災に際しアメリカが展開した「トモダチ作戦」を思い起こさずにはいられない。更にク氏は書いている。
国家としての謝意は、アメリカだけでなく、すべての国に対して表明されるのでなければ、不公平というものでしょう。街の角ごとに小さな机がおかれ、通行人が感謝状に添えて名前を記していました。二十万人近くの署名が集まりました。(出所:同上)
こうした感謝の気持ちも今回の東日本大震災とオーバーラップしている気がする。

しかしながら、ク氏は書簡の最後に自らの考察をこう述べている。
このたびの大惨事、そして世界じゅうの人たちが同情を示してくれたことが、この警戒心の強い国民を近寄りがたいものとしている心の壁を、とり除くのに役立つであろうことは確かです。しかしながら、『国民新聞』の編集者でこの国の最良の文士の一人である徳富蘇峰氏の書いたつぎの記事が、国の指導者たちの胸中を最もよく説明しているのではないかと思います。
「神の意志は推しはかることができない。日本の不幸はかならずしも他の国々の幸福とはならない。にわかに日本を襲った深甚なる災害は、日本に対する世界の同情を引き起こす結果となった。日本の不幸を知って、世界の人々は心を傷めた。アメリカがその友情の証を真っ先に示した。イギリスでは、新聞記者のなかに、苦境に立つ日本への同情からシンガポール軍港化計画の放棄を主張する者まで出ている。中国では、このたびの災害後に反日の動きが徐々に減少している。これらは顕著な事例にすぎない。しかし、これだけで充分日本に対する世界各国の人々がどんな態度を示したかがわかる。とにかく、日本の不幸は全世界からの同情を得るのに役立つのである。 
にもかかわらず、私たちは不安と残念さの入り交じった気持ちでこの事実を認めるのである。世界が日本を哀れんだということは、日本の名誉になることなのか。今や世界は日本が不能になったと考えているためではないのか。将来日本が旧に復したとき、今日の現在の同情は維持されるのか。現在示されている同情の念は、世界が日本の不幸な状況を慮った結果生じたものなのである。この状態が改善された暁には、今と同様の同情は期待できないだろう。私たちは、わが国が世界の共感を得られないほど傲慢になるのを見たいとは思わない。しかし同時に私たちは、日本国民が、みずからの力よりも各国の同情を信頼するという態度をとることを、警戒しなければならない。それ以上に危険なものはないであろう。 
友情は友情、そして国益は国益である。私たちは日本国民が世界情勢について広い視野をもち、この二つを混同しないよう望んでいる。友情は時にはライバルのあいだにも存在しうる。そして利益の問題は、友情とは次元の異なることなのである。」(出所:196 ~197頁)
戦前の大正期に生きていた日本人と現在生きている日本人との間には<世代間ギャップ>という言葉を遥かに超えた心理的・精神的違いがあるに違いない。インターネットとツイッター、フェースブックが普及し、一日もかからず互いに行ったり来たりできる現在と、海を船で往来するしかなかった当時とでは、同じグローバル化といっても、その度合いは天地の開きがある。それでもなお、関東大震災のわずか18年後には、アメリカ、イギリスを含めた連合軍と戦争をする決断を日本がしたという事実には、改めて絶句を迫られるのだな。

当時も第一次世界大戦後の戦間期であり、国際経済は実体的にも制度的にも脆弱性が目立っていた。現在もリーマン危機と欧州危機の中で、先進国と新興国が互いの出方を見ながら、自らは損をしたくないと考えている時代である。個々の国家が自国の利益を優先していては、世界全体の利益が毀損されることを、誰もが認めていたという点では似通っている時代である。「認めている」というだけでは不十分だったのだ。

「歴史に学ぶ」ことが本当に可能なのかどうか、小生にはいま一つ明らかではないが、いま私たちが置かれている歴史の位相は、初めて直面する時代であるとは言えない、決して「海図なき航海」をしているわけではない、そんな気はするのだ。経済的には関東大震災時の日本より、現在の日本ははるかに豊かな地位にあり、国内の資金は潤沢にある。国内の資金偏在を解決すればよいというのは、文字通り恵まれている。

恵まれた状況にあるという、他ならぬこの事実こそが、日本人から問題解決能力を奪っているのだとすれば、それこそいまの現役は文字通り「唐様で書く三代目」であって、キム・ジョンイルを継いだキム・ジョンウンを「お坊ちゃん」と呼ぶ資格はない。

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