2012年2月11日土曜日

日本の優れた技術、というのは本当か?

少し古くなったが、浅羽茂氏が昨年9月28日に日経「経済教室」に寄稿した「閉塞打破ー企業経営の条件(下)」は、「日本の優れた技術」と「成長戦略」を論じた秀逸な記事になっている。

氏の意見は非常に的を射ており、たとえば「市場を創るということ」でも話題になっている。広く読まれた文章であったはずだ。

今晩は元ゼミ生の披露宴がある。その学生にも合理的行動では達成できないことが実は多いのだとよく話した。創業の理念が風化したとき、嵐に襲われる企業は<危機>を迎える、と。なぜ続けなければならないのか、それが分からなくなったとき、人はもろいし、企業はもっともろいのだ、と。夫婦だって、そうであります。家族もそうである。

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今後の日本の成長は、縮小する国内市場ではなく、海外市場に進出することが鍵となる。日本企業の技術水準はどこにも負けないので必ず海外に進出できる。ところが日本企業の生産技術は優れているので、海外市場では価格が高くなってしまう。だから売れない。これから低コスト・低品質の製品を拡大する必要がある。果たして、こんな風に考えて本当によいのか。これが浅羽氏の問題意識にある。

同氏は述べている。確かに客観的にみて、日本企業の技術は優れているかもしれないが、その技術は主に日本市場という狭い空間で競争することで磨かれたものだ。狭い空間で競争に没頭した結果、携帯電話では<ガラパゴス化>が進んでしまった。海外市場で成功するには、海外市場で求められている<顧客ニーズ>をつかまないといけない。顧客ニーズに合致した製品を作り出す上で、日本企業は必ずしも優れた技術を持っている訳ではない。むしろ技術が劣っている。そのように見る視線も必要ではないかと述べている。真の顧客ニーズをつかみ、顧客に満足を与えるためには、市場に入り込む必要がある。日本国内で製品開発陣が最先端の技術を駆使して作り上げたものであっても、それが海外市場の顧客が求めるものと合致するというロジックはない。海外の現場に入りこみ、市場を創る人材がいま必要である。それが氏の意見である。

<顧客満足>を与えるかどうか。この点に尽きる。文字通りの正論であります。

よく言われていることだが、Apple Computer Inc.という企業は、コンピューター技術のイノベーションに寄与する程の真のブレークスルーを生み出したことは意外なほどに少ない。しかし顧客が真に求めているものを作り出す技術には他の追随を許さないものがある。これもまたアップルという企業が保有している技術資源であり、それがアップルの競争優位を築いて来た。

グローバル経済においてもまた、<何が正しいのか>という問いかけは意味がなく、<勝ち残ったもの>が正しいのだ。何故なら創るべきものを創る企業が勝ち残るからだ。すなわち市場で求められていた企業だからだ。う〜ん、天才は為すべきことを為し、秀才は為し得ることを為す。この名言と重なりますなあ。企業を文明と置換してみよ、市場を世界と置換してみても、やはり意味が通る。

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ただし、浅羽氏はこんなことも言っている。日本は高齢化という道筋を辿っている面では世界で最先進国である。これまでは日本は遅れて来た者の利益を得る側であったが、いまでは世界が非日本化政策(De-Japanization Policy)を進めるのに懸命だ。であるから、次の20年間を日本が乗り越えたとき、その市場開発技術は海外の企業にとっても有用となる理屈になる。日本が大事にしてきた、また大事にするべき価値は、いずれ海外市場で価値となる時機が来るのは必然である。海外市場で成長しようとすれば海外市場に入り込むことが大事だが、それは日本市場で形成されて来た経営資源を捨て去ってよし。そうではないと浅羽氏は考えているようだ。やはり人が書いた文章から、その人の真の考えを残す所なく汲み取るのは、易しくはない。

大事なのは<バランス>である。そのバランスをとるうえで不可欠なもの。それは企業理念であり、志である。不動の一点がなければ、守るべき理念がなければ、あとは損得計算しか残らない理屈であり、企業などは一寸不振に陥れば、激動する波の中で、あっという間に消えていくだろう。

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