2012年3月2日金曜日

日曜日の話し(3/4)

前の日曜日は、16世紀のベルギー ― というか、オランダ ― の画家ブリューゲルの雪の絵の話になった。まるで尻取りのようだが、その頃、日本人による美術創作はどうなっていたか?

時代は戦国時代であるが、織田信長による統一戦争が始まるのは1560年の桶狭間の戦いだとみてよいだろう。とすると、ハプスブルグ家による「欧州制覇の戦い」が繰り広げられたブリューゲルの時代よりは少し後である。信長に見出された天才、狩野永徳は1543年に生まれ、秀吉が日本統一を成し遂げた90年に世を去っている。ブリューゲルと少し重なっている。永徳というと中学校の美術教科書にも載っているはずの唐獅子を思い出すが、晩年の作品「檜図屏風」も渋い。夕暮れ時に燭台の灯の中でほのかに浮かび上がる金屏風はカトリック教会のステンドグラスにも勝るとも劣らぬ荘厳な美的世界を作り出すだろう。

もう一人、水墨画家の雪村周継(1504年~1589年)を挙げるべきだろう。雪村の生きた時代は、そのままブリューゲルが生きた時代と丁度重なり合っている。先日、NHKの「日曜美術館」でやっていた。一枚『列子御風図』を拝借させて頂こう。


画聖・雪舟に対して、画仙・雪村との異称がある。雪村が、晩年、独り退隠の日々を過ごした三春(現・福島県郡山市)には弟の義父母が暮らしている。

下は京都・野村美術館に所蔵されている風濤図だ。これも日曜美術館で紹介されていた。


風濤図
(出所: 野村美術館より)

異なった文化圏に属する異なった人が異なった対象を異なった技法で表現しているが、確かに<美の本質>は人間の生得の観念として存在するのかもしれない。そう思わせる何かがある。

美ではなくて、善についても全ての人間は<善>という観念を生まれた時から持っている。そう考えるなら<直観主義>というか、根は<理性主義>にあると見るが、アングロサクソン流の功利主義とは異なった哲学に立つことになる。

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