2012年4月30日月曜日

ついに『「超」入門 失敗の本質』が出版される

今日の新聞広告に『「超」入門 失敗の本質』の出版広告が掲載されていた。どうやら発売直後であるにも関わらず既に7万部を突破し、紀伊国屋、ジュンク堂、八重洲ブックセンターなど大手書店で軒並みビジネス書トップセラーとなっているよし。

キーフレーズは「なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すのか?」。具体的には、<情報の隠蔽>、<リスク管理の甘さ>、そして<ずさんな戦略>、<イノベーションの欠如>、更に<空気の支配>、<リーダーシップの欠如>が項目としては並んでいるから、大体、読む前からどんなことが書かれているかは察しがつく。

すぐに思うのです、ね。こういうことを書くのであれば、
組織は戦略に従う(チャンドラー)
これを連想しないといかんのではないか、と。というか、この点が分かっていれば、上の失敗の本質は言い尽くされてしまうのではないか。

余りにも有名な上の一句の前後を順に解釈すれば、基本戦略がなければ組織戦略もないということになる。組織戦略がなければ、組織能力は形成されず、従ってリーダーシップなどは最初からあるはずがない、という理屈になる。リーダーシップがないから烏合の衆となり、全員の何となくの気持ち、つまり「空気」が支配して、同じ方向に歩んでいくという因果関係になる。

上の一句の前後を逆に解釈すると、組織改革を拒否するが故に基本戦略そのものを議論しない、と。こういう逆の因果関係もある。つまり、一度、烏合の衆の「空気」が支配すると<和>を乱すリーダーはいないほうがいい。だから戦略は不必要になる。戦略はリーダーがリーダーであるためにこそ必要なものだからだ。それ故、基本戦略は構想しないということになる。もし基本戦略を議論すると、何を選択するにせよリスクを考えざるを得なくなり、組織は安泰でなくなる。情報が集まれば集まる程、戦略の中身が固まって来て、組織改革の方向が定まってくる。そうなると幸運組と不運組が明らかになる。それまで形成されていた<和>を維持することが難しくなる。それは空気を乱す行為になる。空気を乱すという行為に「多くのものの痛みが分からないのか?」という<大義名分論>がくっついてくると、「それは止めろ」という結論になる。こうなると日本国で議論に勝利するのは難しくなる。「日本国の役に立っているのか?」、この当たり前の議論が通らなくなる。

だから、小生は繰り返して書いている。大日本帝国憲法では天皇が神聖であり、日本国憲法では国民、人民が神聖であるのだ、と。上下は逆転しているが、なにか神聖なものを崇拝するという点では思考の回路は同じである。崇拝から出発しているが故に、何よりも<和>が大事になるのだ、と。生きている一人一人の<幸福>よりも、<和>がもっと大事であるのが日本という国家ではないか、と。

このように、上の一句を拳拳服膺するだけで、今回新刊された「失敗の本質」には超入門できるような気がして来た。まずは立ち読みしてから買うかどうかを決めても遅くはないような気がして来た。

2012年4月29日日曜日

日曜日の話し(4/29)

ヨーロッパの10世紀前後の話しを前の日曜日にやった。その頃の日本は藤原道長による摂関政治の最盛期だった。となれば、どうしても源氏物語を思い出さずにはいられない。

源氏物語の作者である紫式部は、西暦1000年前後・平安時代中期の作家である点、余りにも有名だ。彼女は、藤原道長が一条天皇の中宮として送り込んだ娘・彰子の女房として仕えた。いまでいえば女性キャリア官僚である。源氏物語の原文は、高校の古文でも登場するはずだ。それにもまして、谷崎潤一郎、与謝野晶子、瀬戸内寂聴らによる現代日本語訳の人気も高く、さらにコミック版「マンガ源氏物語」も売れに売れたよし。最近では映画「源氏物語 千年の謎」も公開されるなど、まさに英国人にとってシェークスピアが占める ― というよりそれ以上の ― 役割を果たしているとすら言える。紫の上が好きであったり、正室・葵の上が哀れであると評したり、亡き母の面影を恋人に求める光源氏の何たるマザコンぶりよ等々、ファンはさまざまに批評し合っている。これほどの時間、作品生命を失っていない点で、稀であるというか、珍妙であるというか、類似例は中国になく、ヨーロッパになく、極めて珍しい。唯一、心理劇として対抗できるのは紀元前5世紀のギリシア悲劇だけであろうが、それらは何分短い戯曲であり、ずいぶん趣が違う。ま、当然ながら、源氏はとっくに著作権も消えており、日本人の文化遺産として”One of the Greatests”であること、誰も否定できない。

その源氏物語から絵巻物が誕生し、美術作品としても存在感が際立つ。絵巻物とは、コミック・ジャパニーズ・トラッドとでもいえる存在だ。ただ台詞は書き込まれていない。その代り、詞書(=文章)が絵と交互に編まれている。詞があるとはいえ、おそらく、原作を読了していることが楽しむための前提であったのだろう。絵画作品をみて、詞を読み、原作の該当部分の前後を連想しながら、そこに登場している人物と会話を思い出し、そして和歌と言う詩的音響空間を、頭の中で再構成して総合的イメージ世界を再創造するわけだ。電燈もLED電球もない板敷の日本建築で、源氏物語絵巻を紐解くと、まばゆい色彩と詞が一体となり、過ぎ去りし美の時代をそこはかとなく再体験できたことであろう。小生も是非やってみたいと思うが、何しろ現存している源氏物語絵巻は写本でなくば国宝である。

調べてみると、現存するのは絵巻全体の一部分のみであって、今は尾張徳川美術館、東京の五島美術館、そして東京国立博物館にも一部段簡があるだけという。


橋姫
出所: 尾張徳川美術館より

『橋姫』の巻は、光源氏の愛息として成長した薫が中心となる終盤・宇治十帖の第一巻である。小生も源氏物語を全巻通して一気読みしたことは原文・現代訳を含めて一度もない。ないのだが、そこで展開されている愛憎とすれ違いの悲喜劇が、いま読んでも面白いというのは、人間の進歩のなさというか、人間の本質が文字通りの本質であることを示唆している。

夕霧
出所:五島美術館

夕霧は正室・葵の上を母とする光源氏の長男である。この巻では、光源氏は既に50の齢を重ねている。ある年の秋から冬にかけて、子息・夕霧が思いを寄せる人と交わした末の思いが主題となっている。

小生の旧友が、大阪・藤田美術館で開催中の春季展「生誕170年、没後100年・藤田傳三郎の軌跡」は絶対に見逃せないと教えてくれた。同館には、(今回展覧会には出展されないようだが)紙本著色紫式部日記絵詞が所蔵されている。いずれ将来、必見の作である。日本で<モノもち>がよいのは、前代を根こそぎ否定するような革命が遂に起こらず、焚書坑儒といった文化破壊活動に見舞われることがなかったためである。太平洋戦争ですら、日本の遺産を破壊し尽くすことはできなかった。奈良、京都だけではなく、鎌倉、金沢、松江などなど、そして全国津々浦々の芸術作品、古文書はそっくり保存された — 芝増上寺と上野寛永寺にあった徳川将軍家霊廟が焼亡したのは誠に残念だが。8世紀「暗黒時代」のビザンティン帝国で進行した偶像破壊運動(イコノクラスム)、近くは中国文化大革命と明治初期の廃仏毀釈を比べると、全く徹底性が違う。だとすれば、全歴史を通じて、日本人にはどこか危機意識が薄く、いわば<平和ボケ>している所があるのは、まあ、自然な結果であるのかもしれない。国民集団的機敏性を欠いているのは、ラッキーな歴史を辿ってこれたことの代償であるのかもしれない。

2012年4月26日木曜日

裁判で無罪判決、それでも道義にもとると言うなら、どうすればいい?

今日もまた一本投稿せざるを得ない報道をみた。小沢裁判である。小生は小沢一郎という議員を評価していない。確かにセンセーショナルな一過性の物事に関係してきたことは当然知っているが、しかし評価するベき結果を残して来たと耳にすることはほとんどない。だから無関心である。それでもなお、小沢裁判の判決に対する意見には、あまりに理屈がとおらないものがある。

今夕の読売新聞によれば、本日の判決によらず、小沢一郎議員の責任はなお残るという。
民主党の小沢一郎元代表は26日、陸山会事件の判決で無罪を言い渡されたが、野党は「元代表には政治的・道義的責任がなお残る」(山口公明党代表)などとして国会で説明責任を果たすよう厳しく求める構えだ。(出所:読売新聞2012年4月26日21時56分配信)
政治資金の取り扱いに関して不正な共謀の容疑がかかったが、検察庁は起訴をしなかった。それでも求めに応じて強制起訴となり、裁判を行い、そこで無罪の判決となった。司法府の判決で無罪となった後、それでも残る<責任>とはどのように定義される責任だろう?何に対する責任を指しているのか、小生はその論理と思考回路が再現できない。

国会議員としての<道義的責任>を指して言っているのであれば、そう言って攻撃している与野党の他の国会議員は自分の立場に応じた<道義的責任>を現に果たしているのだろうか?<審議拒否>は、国会対策上の戦術として許されるかもしれないが、有権者に対する道義的責任を果たしていないのではないか?たとえ、世論の風当たりの厳しさに戦術を変更したとしても、一度は審議を拒否しようと決断したこと自体、道義的責任にもとるのではないか?なぜ審議拒否を一度は決意したか、国民に対して<説明責任>があるのではないか?

国会議員は法律(=国会法)によって、「議員は一般職の国家公務員の最高の給与額(地域手当等の手当を除く)より少なくない歳費を受ける」と規定されている。毎月の給与は200万円程度に達し、年間収入は各省庁の事務次官より高額のはずである。道義的責任もまた、給与に比例して、非常に重いはずである。

確かに小沢議員は一連の騒動に対して、不徳のいたす所というか、一連の結果に対して道義的責任はあるのだと思う。「恥とは考えないのか」と、そういうことだよね。それは分かる。しかし、公訴もできず、有罪にもならなかった国会議員になお道義的責任があると指弾して、真っ当な議員活動を許さないのだとすれば、許さない側にこそ、その理由を分かりやすく説明する<道義的責任>があると、小生は思うのだが、どうなのだろう?たとえは悪いが、一度、試験で不正行為の疑いをかけられたら、学生委員会の調べでシロと結論されても、その学生は疑われたという事実に対して<道義的責任>をとり、その授業の履修を辞退するか、その大学を退学して<学生の本分>を全うする、ということになるのだろうか?一体、<△△の本分>とは、日本国の役に立っているのか?こちらが大事だと思うのです、な。極論すれば、国会議員とは日本国の役に立っているのか?いかなる役に立っているのか?いま取り組んでいる事は、もっと低給与で余人をもってかえ難い高度の仕事なのか?そう言いたいところなのであります。

それ故、説明責任は道義的責任ありと主張する側にあると思われるのだ。

2012年4月25日水曜日

危機に立つヨーロッパ<メルコジ>体制をどうみる

フランス大統領選で現職サルコジ(Nicolas Sarkozy )大統領が危機に瀕している。おそらく次はオランド候補(François Hollande)が主導する社会党政権になる公算が高まっている。

昨日の産経新聞には次の報道がある。
ユーロ圏では昨年以降、債務危機のあおりで、欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)の支援を受けたアイルランドなど8カ国の政権が交代した。
ギリシャやイタリアでは選挙で選ばれた政治家ではなく、欧州中央銀行(ECB)やEUの執行機関、欧州委員会で実務経験を積んだ学者官僚が首相に就任する事態となった。
経済・財政健全国のオランダでも、閣外協力する極右・自由党が政府の財政赤字削減策に反対し、21日に同党と連立与党の協議が決裂。ルッテ内閣は23日、総辞職した。9月にも総選挙が実施される見通しだ。(出所:産経新聞、4月24日(火)7時55分配信)
混迷を深めるギリシアは5月6日に国政選挙が予定されている。ここで野党が勝って、EUと約束した財政緊縮断行を覆すと、欧州の経済情勢は振り出しに戻る。というか、そもそもオランド候補は先に合意されたはずの健全財政を担保するための新EU財政協定には反対している。ギリシア問題を処理する政策理念に戻って、もう一度議論、ということになるかもしれない。

来年はドイツも総選挙の年である。ドイツは経済が好調だから、現政権が危機に瀕しているわけではない。しかし、地元の経済紙Handelsblatt紙には次のような報道もある。
Ist diese Beziehung nun in Gefahr? Klar ist jedenfalls: Dem künftigen Präsidenten werden die Finanzmärkte keine Zeit für Experimente lassen. Im Jahr 2012 gab bisher der Tango von Frankreichs Präsident Nicolas Sarkozy und Bundeskanzlerin Merkel den Takt vor - das Paar wurde ja auch „Merkozy“ genannt. Sie trafen wichtige Entscheidungen und beharrten auf haushaltspolitischer Stabilität.
・・・
Der Wahlkampf in Frankreich hat so ein altes Thema wieder auf die Tagesordnung gebracht: Linke französische Politiker sehen sich schnell als Opfer finanzieller Machenschaften. Schon im Jahr 1924 traf eine Flucht aus dem Franc das „Cartel des Gauches“, eine Koalition sozialistischer und bürgerlicher Kräfte.(Handelsblatt, 24.04.2012, 20:10 Uhr)
 Merkozyと称されるこの二人の独仏首脳は、数々の重要な決定を共同して行い、政治経済的安定を<断固>維持してきた。その強固な関係は危機に瀕しているのか?こう言う位だから、Handelsblattは明らかに与党寄りであるなと感じられる。金融市場が、フランス次期大統領に<何かを試す>余地を与えることは、決してないと書いている。牽制球だな、これは。英国は、財政緊縮断行ではドイツと方向が合致し、財政主権ではドイツを含めた大陸欧州と対立している。これから欧州の政界がどう転んでいくか、さっぱり分からない。

ただ本日、上に引用した最後の部分がよく分からなかった。「左派からフランス大統領がでると、じきに経済的陰謀の犠牲者を気取ることになる」、「実際、1924年にもやったじゃないか」と。そう書いてある。この1924年にフランス政府は何か不義理なことをやったのだろうか?小生、そんな疑問を感じたのだ。

キンドルバーガーの『大不況下の世界 ― 1929 ‐ 1939』の第2章「第1次世界大戦からの回復」に目を通したのだが、第1次大戦後、フランス人が政府に寄せる信頼は低く、1924年9月から26年7月までの間に、10人もの異なる人物がほぼ同数の政府において大蔵大臣に就任したとある。フランは、1925年を通して下落し、26年春まで低落し続けたという。それゆえ、当時の欧州通貨事情は、金本位制復帰にこだわる英国ポンドが過大評価、大戦での被災地再建を強引に進めたフランス・フランが暴落ということになった。フランスの被災地再建事業の経費は、ドイツによる賠償金払い込みを充てにして、短期債務で調達したとのことだが、知ってのとおりドイツは天文学的賠償金の支払いには徹底的に抵抗し、欧州全体がアメリカに対してもつ債務問題とも絡みあいながら、最後には踏み倒し同然の賠償債務調整をした。また英国もドイツ側に対して心理的同情をもち、それが対独宥和策につながった。ドイツは1923年のハイパー・インフレーションをようやく解決して、24年は新マルクの下でデフレが進行していた時期である。その時期に、フランの暴落が進行したという、この頃の歴史的記憶を再び記事にしたのだろうか、と推察される。

左翼政権が<国民の痛み>を唱え始めると、ロクなことはないとドイツは警戒しているようなのです、な。文中、”Cartel des Gauches”は「詐欺師の協定」といった意味合いだから、かなり汚い表現だ。

2012年4月23日月曜日

最大の大津波を予想しても仕方のないことである

想定される津波の高さを上方修正する発表が相次いでいる。ここ北海道でも、これまでは1メートル程度の津波を想定していた場所で、今後は10メートルに迫る津波をも想定しておくべきである、と。そんな報道を先日みたところだ。

確かに東日本大震災では30メートルを超える津波が現実に発生した。北海道でも同程度の津波が「襲来する」地域 ― いつか将来、襲来するかもしれない、という意味だ ― が新たに設けられた。

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このような安全管理の基礎になるのは確率分析の中の極値分布についての知見である。読んで字の如し「Extreme Value」をどこまで予測するかがテーマになる。しかし、たとえば20メートルを超える津波がやってくるとして、その場合の津波の高さの条件付き確率分布はどうなっているであろうかと問いかけるとして、その条件付き期待値を計算しても、それほど意味のない回答であろう。その時の目安は、35メートル程度でありますと言ったところで、その35メートルは期待値であり、それを上回る40メートルの津波が発生する確率もゼロではないことを暗に織り込んでいるからだ。世間が知りたいのは、端的にいえば

最も高い津波は何メートルに達しうるのか?

この質問であろう。この問に対する解答も単純にして明快である。<可能性>という側面だけを言えば、ズバリ、無限大。これが正解である。それ故、想定する最大津波をたとえ100メートルに設定しても、完全に安全ではない。

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そもそも巨大津波が発生する原因として、何ゆえに地震のみを話しているのか?小生、さっぱり分からない。巨大津波を語るのであれば、巨大隕石の衝突の可能性も語るべきであろう。たとえば20世紀初めのツングース巨大隕石、中生代にユカタン半島に落下した巨大隕石は有名である。旧約聖書に登場する「ノアの大洪水」も歴史的事実であり、隕石が地中海に落下したのが原因ではないかと憶測されているときく。内容の正確性を本ブログの著者自身が確認したわけではないが、隕石衝突のショックについてこういう紹介もある。この時、メキシコ沿岸を襲った津波の高さは、数千メートル(!)に達したと推量されるという。

<杞憂>という言葉がある。空が落ちてきはしないかと心配する「杞の国」の人たちをみて古代中国人が作った言葉である。その意味であるが、起こりもしないことを心配するのは馬鹿げていますよ、と。国語の授業ではそんな風に習ったはずだ。しかし、この解釈は本筋ではない。空が落ちてくるような事態になれば、それこそ仕方がないし、それを防ぐ手段もないのだから、心配するのは合理的ではない。そう解釈するべきだろう。

実際、1906年にハレー彗星が地球に大接近した時、軌道を計算した天文学者達は地球との衝突を心配したようである。世界各国の大都市では、地球最後の日がやってきたというので、毎晩、どんちゃん騒ぎが繰り広げられたという。このどんちゃん騒ぎこそ、可能な選択肢の中から、最も満足の行く行動を選んでいる点で極めて合理的である。出来もしないことをしようと周章狼狽する方が非合理的である。自分の信仰する神に天国への扉を開かれんことを願うのが人間として出来るギリギリの行動であろうと、小生も同感する。

もちろん20世紀初頭と比べれば人間が手にしている技術ははるかに進歩しているのだが、それでも惑星レベル・宇宙空間レベルの災厄は人智を超えている。さる韓流ドラマでもそんなセリフがあったかと記憶しているが、生きていること自体が危険なのである。どこかで割り切るのも<科学>の内である。

防災対策は、所詮、気休めであるというと言い過ぎになる。しかし、どんな防災対策でも、その何パーセントかは気休めである側面が混じっている。この命題を否定できる人は一人もいないはずである。

2012年4月22日日曜日

日曜日の話し(4/22)

ヨーロッパの絵画史を過去に向かって遡っていくと、15世紀から14世紀、更に13世紀へと、その頃までは何とかデータを集めることも容易だが、更にそれより以前に欧州世界で創造されていた芸術作品について調べようと思うと、どんどん難しくなる。

それで先ずはトルコからバルカン半島にかけての大国であったビザンティン帝国に着目した。大体、西ヨーロッパは、大雑把にみて、西暦500年から1000年にかけては「暗黒時代」であると言われる。その間の人口移動状態、社会経済状況については、中々、データがとれない模様である。それでも6世紀には、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が旧ローマ帝国全域をほぼ再建した。しかし、その黄金時代も同帝の死後は財政が破たんして暗転し、イスラム教の誕生、サラセンの発展、それに北欧のノルマン人による侵略活動も増える中、7世紀から8世紀半ばくらいまで150年程度の長きにわたって、東ローマ帝国も「暗黒時代」に沈むことになる。

ヨーロッパ、アメリカと、広く「西洋世界」という言葉を使っているが、その西洋世界は概ね西暦1000年前後から、それまでに崩壊した古代社会の廃墟の上に再建築された世界である。

キリスト教が、西洋の精神的な側面をバックアップし、共通の神と理念を提供したことは確かだ。その共通の信仰が、ヨーロッパという世界の構築や市場の形成、交易の発展に寄与したことも確かだ。そして、キリスト教自体が古代ローマという旧世界から継続して伝えられてきた点も事実だ。しかし ― というか、それと同時に ― 「西洋」と呼ばれている現代の社会なり、文化、文明は、一度描きあげた油彩作品の上に、別の新しい絵を重ね塗りして描き直された作品に大変似ているのだ、な。その描き直すプロセスが文芸復興、つまり<ルネサンス>であった。であれば、光が再び射しはじめた1000年以降のイタリア、フランス、ドイツなど西欧、中欧において、ルネサンスが進んだと同じく、混乱が終わった東ローマ帝国にもまた<ルネサンス>はあった。後世、ビザンティン帝国とよばれるのは、その世界である。無論、国家としては古代から継承されているので当時の人は自分たちのことを「ローマ人」であると称えていた。

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ルネサンスと言っても、それは固有名詞ではなく、現に、このように<二つのルネサンス>があるのだが、ビザンティン帝国のほうが時代的には早い。早くも800年代、西暦9世紀には文芸の再興が始まっている。王朝の名前をとって<マケドニア・ルネサンス>という。「芸術の復活は絵画の分野で明らかとなる」(ベルナール・フリューザン「ビザンツ文明」、クセジュ文庫、104頁)。具体的には、聖堂装飾(壁画など)、イコン(=板絵)、それに写本挿絵である。ビザンティン帝国の隆盛期である9世紀から12世紀までの約400年で、数百点の写本挿絵が今日まで伝わっているという。下の容器に保存されていた聖遺物は、キリストが架けられた十字架であり、それは4世紀に発見されたものだという。


十字架聖遺物容器、西暦800年前後


イタリア・ルネサンスで顕著となる空間的把握と写実主義への展開は、14世紀まで時代が進んでからビザンティン美術にも現れている。というより、この頃のコンスタンティノープルにはベネチア人、ジェノア人が居住区を作り、商社を経営しながら常住していたというから、イタリア・ルネサンスとビザンティン・ルネサンスを区別するのは意味がなく、むしろ地中海世界が国家とは別の<共通の家>として、再び機能し始めたということだろう。代表例は、コーラ修道院(現・カーリエ博物館)のモザイクとフレスコ画である。モザイク画は、媒体としてガラスを埋め込むので、色褪せがない。ほぼ創作当時のままである。


アナスタシス、1320年前後
出所:Wikipediaから

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ヨーロッパは西欧、中欧、東欧すべてをひっくるめて、概ね、1000年±200年の時期から、古代社会の廃墟という跡地に再建築されて出来た社会である。現時点から遡ると、千年くらいの歴史を持っている。紀元前5世紀の古代ギリシアあるいは古代ローマ帝国から継承されてきた社会であるというと、やはり間違いであると言わなければなるまい。そこには一つの断絶と復原がある。東欧・スラブ社会は、これに加えて13世紀にモンゴルの支配下に属したという複雑化要因がある。

日本では、700年代中に編まれた『万葉集』という歌集を文庫本で読むことができる。また、712年に編集された『古事記』も簡単に読める。ヨーロッパが暗黒時代から蘇ったことをはっきりと確認できる西暦1000年という時期は、日本史に対応付ければ、藤原道長の時代である。日本という国家が機能していることを確認できる600年代初め、つまり用明・推古天皇と聖徳太子が活動した時代から既に400年が経過している。その400年の間、すべてが失われた動乱は起きていない。

日本国もよく観察すると、何度も体制が崩壊し、その跡地に次の社会が再建築されたとは言えるだろう。しかし、何も分からなくなり、後世の学者が古代の文献を頼りに懸命に文芸を復原したという状況はついに今日まで ― 幸いにしてというべきだ ― 一度も経験しなかった。いわば祖先の残した文化・文明の遺産が、直接に ― 他民族を含めた別の中間世代が取捨選択したり、フィルターにかけるということなく ― ありのままの形で現世代まで伝えられてきた。もちろんこの背景として、一貫した王朝、つまり日本の皇室が続いたという事実が寄与していることは確かである。

このことは、小生、世界でも ― 中国をも含めて ― 稀有と言うか、珍妙というか、奇跡であると思い始めている。まあ、<ものもち>がいいということだが、それを可能にした私たち日本人の強みと弱みは何か?ビジネスでもSWOT分析から議論を始める。<閉塞状況>というなら、まずは自分たちの<強みと弱み>を見なおすことから始めるべきだろう。自分を知るということは、予想以上に難しいものである。





2012年4月21日土曜日

規律ある行動の明と暗

このブログを再開して1年経ったので、今月から月、水、金、あるいは火、木、土にして、プラス日曜日。このくらいのペースでいいよなあ、と思っていた。で、そんなペースで5年続ければ、投稿千本になるだろう。自分が生きて来た道の文字通りのWebLog、航海日誌になる、と。そう思っている。

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それでも、「これはちょっと書いておくか」、と。今日はそんな報道がある。朝日新聞デジタルの一般公開部分だ。
食品の放射性物質検査をめぐって、農林水産省は20日、スーパーや食品メーカー、外食産業などの業界団体(270団体)に対し、国が設けた放射性物質の基準を守るよう求める通知を出した。国よりも厳しい独自基準を設けて自主検査を実施し、「『放射性物質不検出』の食品しか売りません」などとする動きに歯止めをかけるのが狙いという。 
国は4月から、それまでの暫定基準を改め、新基準(一般食品の放射性セシウムは1キロあたり100ベクレル、牛乳と乳児用食品は50ベクレル、飲料水10ベクレル)を施行した。 
通知は同省食料産業局長名で出され、民間に広がる自主検査に対する注意喚起の形をとっている。通知は、この新基準が国際的な指標と比べても、さらに厳しい設定であることを強調。「過剰な規制と消費段階での混乱を避けるため、自主検査においても食品衛生法の基準値に基づいて判断するよう周知をお願いします」と記している。(出所:朝日新聞デジタル、2012年4月21日8時53分)
過剰な規制が民間で蔓延するのは、過剰な意識のなせることだ。過剰な安全意識という点に着目すると、たとえば関東大震災後、朝鮮出身の居住者に対して自警団が暴力をはたらいた事実とも共通する。安全を過剰に意識すると、<少し違うもの>、<異分子>と感じられるものは<排除>する行動につながる。ヨーロッパやアメリカ社会は、こうした兆候が社会を壊してしまうことを、経験上、熟知しているのであろう。過剰な自主規制を厳しく<規制>するようだ。しかし、日本の政府がそれをやろうとすると、「なんでそんなことをいう!命がかかっているんだ!」と逆に火に油を注ぐ結果になることもある。

ただ、小生、思うのです。 これもまた、規律ある行動を善しとする日本人の長所が欠点として現れる瞬間であろう、と。規律を守るためには、集団志向でなければならない。そのために統一行動に美を感じる感性がなければならない。自然状態なら、放射能数値に鈍感な人もいるし、過敏な人もいる — 実際、小生は年齢も年齢だし、現在の放射能数値など全くNo Problemである。鳥取・三朝のラジウム温泉にいったと思ったらよい。放射線治療をしていると思ったらいいですよ、くらいの気持ちで開き直っている。しかし、人はまた小生とは違う。気になる人もいるはずだ。若い人は特にそうだろう。色々な人が混ざっている。社会が一方的にならないのは、色々な人がいるからだ。<違い>が<安定性>をもたらしている。しかし規律を善しとする日本的感性は、違いを長所とは見ずに、勝手気ままと見てしまう傾向があるのではないかな。で、結果として社会は激しく極端に振れることになり不安定になる。

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民間の過剰な自主規制は、<学習指導要領>を廃止して、個性を重んじる自由な教育を始めれば再発の危険性はなくなっていくだろう。塾の教師が自分でカリキュラムを作り、生徒は先生を選んで、学びたいときに学ぶ。そうすれば、日本人の一人一人の個性はつぶされることなく、育つだろう。<軍隊>を編制するには困るだろうが、平和な時代には多様な人材がそろうだろう。幕末の時期、日本人の教育水準は非常に高かったことが確認されている。国が統一的に教育を行わなければ、日本人はバカになるというのは、ウソである、というより有害な思想である。吉田松陰の松下村塾も福沢諭吉の慶応義塾も、全国津々浦々の寺子屋も、藩校ではなく、単なる私塾であって、自発的なものである。

みんなを揃えようとする国の教育は、それでなくとも規律を重んじる日本人を、一斉に同じ方向に走らせるように機能しているのではないかと感じる。これは問題だという印象を持っている。

まあ、会社に入ったら、三日、三週間、三ヶ月を乗り越えろと言われる。何か大事件があったら、三ヶ月、三年、三十年が三つの区切りだと言われる。3ヶ月つまり75日前後だから、人の噂は75日という言い方にも通じるものがある。この伝でいえば、3年くらいは現在の過剰な安全意識はおさまらないのだろう。しかし、一番大事なことは、30年という期間で我々の安全を考えていく姿勢である。そうではないだろうか?

2012年4月20日金曜日

日本人は<データ爆発>の波をつかめるか?

本日の日経に以下の特集記事が載っている。


(上)「データ爆発」の波つかむ
分析力磨き顧客層拡大 


対象となっているのは米国IBM社の快進撃である。引用しておこう。
米IBMが快進撃を続けている。ハードからソフト・サービスに軸足を大胆に移す改革が実を結び、2012年1~3月期は10四半期連続の増収増益となった。株価は3月、上場以来初めて200ドルを突破。時価総額は2310億ドル(約19兆円)と、この10年で5割増加した。1月にバージニア・ロメッティ氏が最高経営責任者(CEO)に就任し、新体制に移行したIBMはどこに向かうのか。(出所:日本経済新聞4月20日付け朝刊)
 この10年で時価総額が5割増加した・・・日本企業に投資している我が身としては、誠に羨ましくもあり、いったい日本の会社は何をしておるのか、と。


(CEOの)ロメッティ氏はIT(情報技術)を巡って起きている「2つの大きな変化」への対応を強化する方針を示した。 
1つは「ビッグデータ」と呼ばれる、企業などが扱うデータ量の爆発的な増加。もう1つは企業のマーケティング責任者や財務責任者、市長、警察署長、病院長など、これまでITとは縁遠かった「新しい顧客」の広がりだ。 
トップ就任から最初の60日間で、ロメッティ氏が会った顧客企業のCEOは世界で100人。共通していたのは、「あらゆる産業で、データをどれだけ使いこなせるかが勝者と敗者を分ける」という認識だったという。(出所:上と同じ)
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それ故に、今は「統計ブーム」であるのだ、な。そう納得する次第である。確かに経営現場で利用できるデータ量は、量的変量、質的変量双方で爆発的に増加している。かつての統計分析は、データ収集には時間とコストがかかるものという前提で、あらゆる分析技術を開発していた。今は違う。データは安価に手に入る。大量のデータから企業の成長につながる、利益の拡大につながる、重要なメッセージをどのようにして効率的に引き出すのか?その技術開発が最重点分野になった。これはIT革命の余波であり、19世紀の化学工業が、その後何十年もの間、分野を変え、形を変えて応用され続け、経済を発展させたように、また電気というエネルギーが社会や暮らしを変えてしまったように、IT技術はなおも世界を変えつつある。その一断面であることは容易に了解される。
IBM研究所の特命チームが4年の歳月をかけて開発したワトソンは、定型文やキーワードではなく、自然な文章で与えられる質問を理解し、書籍に換算して100万冊分の膨大なデータを3秒以内に分析して答えを導き出す能力を持つ。11年2月、米人気クイズ番組で人間の歴代チャンピオン2人に快勝し、その実力の一端を見せた。 
米国ではすでに医療保険大手ウェルポイントや金融大手シティグループがワトソンの導入を決定。医療や金融に関する知識を学習させ、医師や銀行の営業担当者といった最前線で活躍する人々の「知恵袋」として、最適な治療法の選択や顧客サービスの向上などに役立てるという。
「集計するのが仕事だった1900年代初頭のコンピューターが第1世代とすれば、プログラムできるようになった60年代のコンピューターが第2世代。そして第3世代は自ら学習し、提案する。ワトソンはそのはしりであり、ビジネスを大きく変えることになる」(ロメッティ氏) 
パソコン時代の終焉(しゅうえん)を予見したIBMは、新たなコンピューティングの波を見据えて動き出している。(出所:上と同じ)
統計学発展の時代背景からすれば、遅すぎるビジネス化でもあるのだが、日本企業はこんな時代の潮流をどう見ているのだろう?


それにしても<暗記型>秀才は、完全に時代遅れとなった。不確実な状況で本筋をつく質問をする能力。助言や示唆を組み立て全体を再構成する能力。要するに<思考力>に秀でた人物のみが、この世で高く評価されるだろう。


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小生が担当するビジネス統計学でも履修者はそれなりに多い。しかし、率直なところ、我が国のビジネスマン、特に中堅から上層部に昇進しようかという年齢層の人たちは、まだなお<ITスキル>を皮膚感覚のように 身に付けていないと感じることが多い。ましてや、数理的訓練、確率的な考え方、リスクとは何か、データの裏を読み、データの先を読むなどと話をすすめると、コミュニケーションが甚だ困難になる。というより、日本の大学全体が昔のままである。経営責任者は、<確実な数字>の積み上げである財務や会計、決算に基づいて問題点を確かめ、その解決策を思考する、それが伝統的方法である。リスクや不確実性、確かでない状況を扱うための確率というツールは、よく言えば<洋もの>、悪く言えば<正道に対する奇道>、もっと悪く言うと<邪道>と心の底では感じているのではないか?日本において<リスク評価>という目線は、日本人の心の琴線に触れないというか、どうも相性がよくない。そう感じることが多い。時に、小生は絶望の思いにとらわれることも増えてきたのだ、な。


かつて金融工学が華やかに脚光を浴びていた時、欧米ではボックス・ジェンキンズ流のARIMA分析くらいは常用ツールとして浸透し ― 当たり前だ、登場してもう半世紀もたつ枯れた技術なのだから ―  ちょうど台風の予測進路をテレビで確かめるのにも似た感覚で、自分で株価の予測進路を出して視覚化していたと耳にしている。それがウォール街やシティの普通の感覚だ、と。ARIMA分析は、ズバリ、洗練されたケイ線分析である。正しいのかどうかという話ではなく、担当レベルの人たちの<数的処理能力>の話しなのである。日本の金融機関の状況はどうだったのだろう?少なくとも送られてくる投資家向けの資料は、どれも感覚的と言うか、個別的と言うか、足でかせいだ感触のようなことを書いていた。


知人の数学科出身の若者が、今春、国内の某メガバンクに就職した。おそらくディーラーの基本ツール開発か、ディーラーの知的基盤向上に寄与するような役割を与えられるのかもしれない。もしそうなら日本の高度金融サービスの発展に期待が持てる。しかし、文系出身の若年層世代は数理的訓練に耐えて、必要な知識を蓄積し、生産性を高めていけるのだろうか?今は破たんしているかに見える金融工学が、もう一段階レベルアップして、高度の水準で浸透し始めた時に日本は追走していけるのだろうか?韓国はおろか、中国やタイ、ベトナムの人からも「日本の人は、しきりに文系とか理系とか、おっしゃるのですね」、と。もしそんな風になれば、国家的なデジタル・デバイドならぬ<ニューメリカル・デバイド>の敗者、少数の天才はともかく国民の大勢としては<数学音痴>と認められるわけである。「データ爆発」という今回の大波もまた、海外企業の経営イノベーションにつながるだけであって、日本企業にはその恩恵が到達せずじまいで過ぎ去るかもしれない。伝わってきても活用の仕方を思いつかず、お蔵入りになるかもしれない。であれば、誠に日本は、文字通り、Far East(極東)であります。


2.11の巨大津波は文字通りの大災害であったが、データ爆発時代は巨大津波であっても、現行経営システムを破壊する一方ではなく、発展する未来への手がかりになる津波である。黒船と同じだ。波をつかまえる体制をとることが何より大事だと思われる。

2012年4月18日水曜日

ホームメイド・デフレーション政策をとっていないか?

本日の日経WEBに日銀の政策方針が報道されている。
日銀は2012~13年度の消費者物価見通しを小幅に上方修正する検討に入った。12年度は1月時点の見通しプラス0.1%からゼロ%台前半、13年度はプラス0.5%からゼロ%台後半にそれぞれ引き上げる方向だ。日銀は2月に当面1%の物価上昇率を目指す方針を決めた。物価改善の動きを後押しするため、27日開く金融政策決定会合で追加的な金融緩和策を検討する。(出所:2012/4/18 7:06日本経済新聞 電子版)
消費者物価の安定を目標にするのは、説明がしやすい。

しかし、輸入品の価格が上昇すれば、国内価格を引き下げるように誘導しないと、消費者物価を目標範囲に収めることができない。原油価格、天然ガス価格が急騰すれば、国内品の価格を下落させなければならない。国内価格を引き下げれば、名目賃金も低下するだろう。事実、低下してきた。これはホームメイド・デフレーションである。本当にこのような政策を国民は願っているのだろうか?

ただでさえ輸入品価格が割高になれば、国内品が割安になるということであり、日本人全体の生活水準は実質的に低下するのである。それに加えて、ホームメイド・デフレーションまで発生させなければならないのか?それが最終的に国民の経済安定に寄与するという論拠はなんだろうか?

もし原油価格が急騰のあと急落したら、今度は国内価格を上げなければならない。こんな理屈を納得できる人がいるのか?消費者物価は安定するかもしれないが、こういうマクロ経済運営は、経済安定化政策ではなく、<経済不安定化政策>ではないのか?

現在の消費者物価上昇率目標は、再度、検討した方がよいと思う。物価安定は消費者物価指数ではなく、GDPデフレーターを目安にするべきである。

2012年4月16日月曜日

民主主義とは政治の理想なのか、単なるツールなのか?

戦前期日本で<天皇>といえば、窮極的な国家価値であり批判を許されぬものであった。そもそも憲法の中で、天皇がこの国を統治すると規定していたし、その存在は神聖であると規定していたからだ。戦後日本においては、<民主主義>という言葉と概念が、戦前期の天皇に入れ替わったように小生には感じられる。文字通り、180度、君民逆転となったわけだ。しかし、上から下を見ていたのが、下から上を見るように倒立をしただけであり、思考回路は昔のままではないのだろうか。

民主主義の意義と価値に正面から疑問を呈する文化人は、それほどいるわけではない。わずかに保守的知識人が、民主主義の堕落の可能性を指摘することがあるが、それはかなりピカレスク的な役割をマスメディアから与えられた人たちに限定されており、いわば論壇が展開する一つのビジネスモデルの一要素であると言えなくもない。かつての三島由紀夫や今の石原慎太郎などはそのサンプルであろう。最近の橋下徹もそれに通じるところがある。

しかし、民主主義であるかどうかをつきつめて考えると、それは誠に虚無にして、エンプティな問いかけになるように思うのだ、な。たとえば1900年時点のドイツ帝国は民主主義であったのか?1810年第一帝政下のフランスは民主主義であったのか?革命政府下にあった1792年のフランスは民主主義であったのか?1800年時点のイギリスは?清朝崩壊後の1914年時点の中国は?もっと遡って、紀元前5世紀の古代ギリシャのアテネは民主主義であったのか?帝政ローマは民主主義であったのか?いや全くきりがない・・・・その時代のその国が民主主義をとっているのか、民主的であるのかどうか、小生、そもそもこれは実に空虚な、考える意義のない問いかけであると感じられるのだ。たとえは悪いが、青い空が一番きれいですね、今日の空は青いですか、昨日の空は青かったですか、その前は?空が青かったのはいつでしたか?空虚という点では、こんな問いかけに似てなくもないのだな。

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何が価値であるのか?何が理想とされるのか?何をもって最も大切であると考えているのか?この問いかけがはるかに重要ではないのか。現に生きている人間の幸福が最も大事な目的である、と。そう考えるなら18世紀イギリスの功利主義哲学に行きつく。いやいや、18世紀に限ったことではない。古代ギリシアのソクラテスは人間の<幸福>とは何かを本質的に議論することで倫理学を創始した。ギリシア人は<幸福>という窮極的価値を定めることによって、世の様々な物事の正邪善悪を学問的テーマとした。ギリシアだけではない。たとえば紀元前4世紀の儒学者である孟子はこんな風に述べている。
孟子が梁の恵王に拝謁した。恵王が言われた。『老先生、あなたは千里の道を遠いとも思わずに私のもとへやってきてくださった。きっと今にも私の国に利益をもたらしてくれるのでしょうな。』孟子はそれに答えて言われた。『王よ、どうして利益のことなどお話になるのですか?王はただ仁義の実践のみに努めるべきです。もし、王がどうすれば我が国の利益になるかと言われ、大夫(家老=上級貴族)がどうすれば我が家の利益になるかといい、士(官吏=下級貴族)や庶民がどうすれば我が身の利益になるかといったとします。すると、上も下も入り乱れて利益を争い合うことになり、国家が危うくなってしまいます。 
(中略) 
豊作の年には、犬や豚が人間の食糧を食い漁っているのを防止することができず、凶作の年には、路上に餓死した死体が転がっていますが、国家の食糧庫を開いて人民を救済することを怠っています。更には、人民が死んでも自分のせいではない、その年の気候の責任だと開き直っています。これは他人を刺し殺したのに、自分の責任ではない、刃物のせいだというのと全く同じです。王が餓死者の多さを気候のせいにしないで、人民を救済する政治に責任を持たれたならば、天下の人民はこぞってあなたの国にやってくるでしょう。
(出所:http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/moushi001.html 

 民主主義が大事であるとは述べていない。しかし、素直に読んでみれば、何が最も大事であるか、その論点は現代に生きる我々も同意するはずである。ここに語られているのは、最大多数の人民の幸福が最も大事であるという当たり前のことだ。この基本は、少なくとも建前としては封建的王朝政治でも教育の柱をなしていた。物価の安定もわかるし、経済成長もわかるが、それよりはよほど本質的な事だと小生は思うのだな。実に単純にして明快ではないか。

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民主主義は、多数の人間を幸福にするための道筋、そのためのツールであると考えるべきだ。ツール、即ち技術の裏付けが必要だ。技術であるから水準があるし、技術進歩があろう。エネルギー革命があるように、社会をどう運営するのが最適であるか、それはその時点に生きる人たちが主体的に選び取って行けばよいことである。社会の運営技術は、価値を生み出す際のコスト・ベネフィットに基づいて考えるべきだ。それゆえ、民主主義の選択が理にかなったものであるかどうかは、経験から立証される実証的な論点であるはずだ。データが変われば結論も変わる性質のものであるはずだ。

このような民主主義の定量的業績評価を<自称専門家>たちがやっている例を小生は寡聞にして耳にすることはほとんどない。ということは、民主主義そのものが窮極的価値になっており、それが何のための選択であるのかを考えない。民主主義批判がしばしば想定外とされる所以であろう。もしそうだとすれば、生きている人間の幸福よりも、政治の在り方、社会の在り方、集団的システムの在り方が最も大事であるという哲学に他ならず、それよりはまだ古代中国の孟子、アングロサクソン流の功利主義哲学の方が小生にとってはずっと自然であって、ピンとくる。これが小生が社会を眺めている基本的立場である。

2012年4月15日日曜日

日曜日の話し(4/15)

昨日近くの書店でミシェル・カプラン「黄金のビザンティン帝国」を買って早速読んだのだが、確かに失われた帝国の興亡と運命に思いを馳せるきっかけにはなるが、気持ちは沈んでしまう。かつてはシリア、小アジア、ブルガリア、バルカン半島からベネチアにかけて領土が広がる大国であったかもしれないが、今はもうない国であり、その文化と伝統を継承した国も — ロシアが継承していると自ら言ってはいるが余りにも遠く離れている — ないに等しいからだ。使われていたギリシア語は、ソクラテスやプラトンがしゃべっていた古代アッティカ方言より、今のギリシア語に余程近いそうだが、当のギリシアは独仏に押さえこまれて財政緊縮中である。

そういう詳細な歴史はともかくとして、ビザンティンの歴史の中でイタリア人が登場する場面は実に多いのである。まずベネチアが出てくる。ベネチアという都市国家が、元はビザンティンの領土であったから当然でもあるし、ビザンティン即ち(東)ローマ帝国でもあったから、イタリアとは一衣帯水と言っても、当たり前である。イタリア・ルネサンスを遡っていくと、まずはビザンティンにたどり着くが、そこにも多くのイタリア人がいる。国が破れても人はいる。

ベネチアがビザンティンから独立したのは11世紀である。その都市国家の海軍が地中海に覇を唱えたのは13世紀から14世紀にかけてである。興隆のきっかけは<帝国政府>からベネチアに<金印勅書>が下されてベネチア商人に関税免除の特権が与えられたことである。そのため貿易取引においてベネチア商人は競争優位を獲得し、地元ビザンティン国内の貿易業者は市場を奪われることになった。イタリア商人が継承したのはビザンティン商人の顧客である。ベネチアが衰退するのは、国民が保守化し、主力の造船業が標準規格に安住し、技術革新という創造と破壊への動機を喪失したことによる。17世紀にはいるとオランダ、イギリスが新興のライバルとなり、競争に敗れ去っていったのである。現在のベネチアは経済覇権とは縁のない、枯れ果てた観光都市となって残っている。であれば、千年も続いたビザンティンという国には、持続への意志と理念があったはずであり、国家として侮れないわけでもある。

それはさておき、国家はゆっくりと成長し、ゆっくりと衰退することが分かる。成功したことによって形成された習慣や制度が安定し定着し伝統となり、正にそのことによって、衰退が始まるということを教えられる。その中で、文化や芸術はむしろ経済が衰退するまさにそのピークの時代において、成熟するのかもしれない。16世紀に盛期イタリア・ルネサンスを支えたのはベネチアである。


Tiziano, Venus of Urbino, 1538

上の「ウルビノのビーナス」は美術の教科書にも出てくる名作だが、ヌード(Nude)と裸(Naked)とはどう違うのか?上の歴史的名作と称される絵を観ていると、その問いを思い出すのだな。

「ヌード」とは、古代ギリシア人が創始した美の哲学であると言われている。それは人間の裸を表現したのではなく、人間のありのままの姿に宿る神性を表現しているそうだ。作品は写実であると同時に、人間を超えた理想、つまり神でもあったのだな。はるか後の19世紀、上の作品へのオマージュとしてマネがオランピアを発表した時、これは単なる裸ではないかと酷評され、大騒ぎになったことがある。その時、マネは裸を描いたわけではなく、美の表現をした点において、マネは確かにルネサンス以来の古典主義を破壊して見せたわけだ。マネは印象派の一人には数えられていないが、強烈な破壊者であった点は専門家の間で意見がまとまっているようだ。


Manet、Olympia、1863年
Source: WebMuseum

ベネチアは経済大国として200年の間、ビザンティン帝国衰退後の欧州において、覇を唱えたが、今でも残っているのはその当時にため込んだ金ではなく、金を使って作った建築物と芸術作品である。貯めた金をどう使うかで、その国が歴史にどう残るかが決まる。使うときの感性に国民のレベルが反映される。エジプトのピラミッドは、失業対策として実行されたということだが、無用の長物も今では観光資源となって古代エジプトの壮大なスケールを思うよすがとなっている。


Tiziano, Assumption of the Virgin, 1518

とはいえ、ティッツアーノは文句なしに美しい。日本もこうありたいものだ、と。はるかに貧しく、不平等度も高く、国力も弱かった時代に創った様々の歴史的遺産が日本には残っている。そうした先祖の遺産を「世界遺産」に登録したいとも考えているようだ。いま生きている日本人は、忙しく仕事をこなしているのだが、だから一つの国として記憶に残り、歴史に残っていくとはどうしても思えないのだ、な。一体、<戦後日本>は何を残すつもりなのだろう。

貯めた金は、ドル安と高額年金で雲散霧消するであろう。結局、ゼロになるのではないかな?結局、現代日本人は、丸ごと<失われた世代>になるのではないかな?生きている私たち同士で<失われた世代>と呼び合っていたなどと知られたら、それこそ「こんな世代も生きてたぞ」と笑い話のタネにされてしまうだろう。

2012年4月13日金曜日

日本人は「勉強」しすぎなのか?

北朝鮮がロケットを発射したとの報道があったと思うと、今度は米国→自衛隊→防衛省→内閣→JAlert(=全国瞬時警報システム)という正規の経路に沿って、なぜ発射の事実と警戒警報が国民に告知されなかったのか?そんな疑問で、またまた野田政権は ― というより「政治家主導」を旗印としたまま無自覚的に官僚による操作下に置かれている(としか思えない)民主党政権の欠陥であろうと小生は見ているが ― 不信をかっている。これでは消費税率引き上げもままならないだろう。まあ昨年の大震災では、現に福島第一原発のメルトダウンが心配される中で文科省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」を隠ぺいした民主党である。「また、やったか!」と感じる人は多いと思われる。


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さて、学期が始まって時間がとられるようになると、中々まとまった本に目を通すことができない。とはいえ、全く異質と思われる人が特定の問題については意見を同じうしていることを知ると、物事の本筋が見えてくる。そんな思いは誰にでも経験があるのではあるまいか。

森嶋通夫という高名な経済学者がいた。既に先年、故人となってしまったが京大、阪大を経て英国ロンドン大学(LSE)で学者人生を全うした人である。同氏の著書は難解な数式に満ちており、読みこなすのは大変である。しかし岩波新書から出た「イギリスと日本」は、1970年代の当時、ベストセラーになったから覚えている人も多かろうと思う。続編も出ている。

同氏の書いた本に「なぜ日本は没落するか」があって、これまた非常に面白い。1999年に出版されているが、現在の日本が辿ってきた歩みを予言しているかのような叙述は、エバンジェリストたる森嶋の一面を如実に伝えている。この本の中で、氏は日本の高等教育の弱点を「教えすぎる」ところにあると指摘している。たとえば


まず10歳代後半の人々の能力を高めるために、高校での教え過ぎの科目数を大幅に削減することを提案したい。・・・要するに、日本の高等学校は、新制でも旧制でも教え過ぎで、出来るだけ多くの科目を広く浅く学ばせようとする。だから日本人は、学問とは知識を数多く集めることだと考え、集めて保存するために記憶能力を磨く。その結果、日本人は考えることを甘く見る。「なぜか」と尋ねることは、学校でも、家庭でも(投稿者追加:そして社会でも)決して歓迎されない。(注:134~135ページから引用)

あまりに広分野について、過大な知識を要求する面があるのは高校だけではなく、日本の大学も上の弊害に陥っていると小生は感じている。そして、最近10年間の日本の大学改革は、学力低下是正の名の下に4年間で専門教育を終えることができないという理由から、1年次から専門教育を始めることに力点を置いてきた。たとえば経済学部ならあらゆる経済学関係科目を入学直後から数多く修得することを学生に求めている。

森嶋通夫氏と同じ程度に宇沢弘文氏も大変高名な経済学者である。同氏の「日本の教育を考える」という著書がある。この本の134ページには1970年前後の東大紛争時、政治学者である丸山真男を中心にまとめられた東大改革提言が紹介されている。それについて宇沢氏は次のようにまとめている。

本郷は、学部ないしは学科ごとに独立して、それぞれ法学専門学校、経済学専門学校、医学専門学校などとして、その教師は教諭と呼ぶことにする。駒場は、東京大学とよび、四年生の「リベラル・アーツ」の大学とし、その教師は教授とよぶことにする。(注:134ページから引用)

そのリベラルアーツだが、こう述べている。

いずれにせよアカデミック・プログラムは決してきびしい(投稿者追加:厳しいという意味ではなく、過重ではないという意味)ものであってはならず、一人一人の学生ができるだけ、時間的にも、精神的にも余裕をもって、自由に四年間の大学生活をおくることができるようにすべきです。(注:219ページより引用)

森嶋氏も述べているが、知の形成は教師の指導による、というより何より同世代の友人と切磋琢磨、悪く言えば議論、口喧嘩などをしながら、高まって行くという点を強調している。高度の<専門的職業>につく人材は、地頭(ヂアタマ)を鍛える場がいるという指摘だ。

戦前の旧制システムでは、小学校(6年)・中学校(5年)を終えたあと、職業教育を担当する高等専門学校(3年)と高度のプロフェッショナルを養成する旧制高校(3年)・大学(3年)のコースに分かれていた。森嶋氏は、それでも欠点があったと旧制高校を批判しているが、職業教育志望の学生と、高度のプロフェッショナル志望の学生が、ごった煮状態になっている現在の大学よりは、役割分担がしっかりしていたことは確実であったろうと思われる。

宇沢氏が紹介している東大改革のための「丸山私案」は、アメリカのロースクール、ビジネススクール、メディカルスクールの役割とも相応している。やはりここでも、戦後日本の新制大学が「大学=頭脳をきたえる場」と「大学=職業技術を習得する場」という、かなり異質の達成目標を持たされてしまった、二つの異質な活動が混在している、そのことの反映を見てとれる。制度設計として混乱していたわけであって、そのために考える力が不十分で、教えたことしかできない<自称プロフェッショナル>が大量生産されていた。そこを問題として指摘したのであろうと小生は解釈した。


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森嶋氏、宇沢氏はお二人とも純粋アカデミック・ワールドの人たちである。しかし大前研一はそうではないと思う。大前氏はビジネスの現場に立つ側にいると見てもよい。その大前氏も全く同じことを言っている。前にも紹介したが「知の衰退からいかに脱出するか?」である。その第7章にはサブタイトル「先生が子供にものを教えること自体が時代錯誤」という節がある。その節を含む大きな括りとして、「考える力があって知識が足りない人間」と「考える力はないが知識を詰め込まれた人間」とでは、21世紀にどちらが有利かという問題提起がある。こんなことを書いている。

本来の先生の役割というのは、生徒の能力を判定することではない。指導要領に沿って右から左に教えることでもない。子供たちの持って生まれた潜在能力を引き出すことが仕事なのだ。しかし指導要領に従うだけの現在の先生には、そのようなスキル、能力はまったく備わっていない。かえって子供の個性や能力をスポイルするだけである。・・・「教える」="Teach”には、「答えがある」という前提がある。だから先に生まれた方が答えを知っているから、教えてやる ― これが"Teach"の意味するところだ。答えがあるものを"Teach"するのだから、裏返せば、答えがなければ"Teach"できないということになる。(注:324ページから引用)

Teachではよい学校ができない。生徒達が、自ら会得する(=Learnする)ことを助ける。更には、自分の得意技を見つけて開花する(=Enpowermentする)ように持っていく。これが一番大事だ、と。現に北欧は、この点に気がついて教育改革を完了し、学校の基本スタンスを変えて、成果を出してきている。ここを強調しているのだな。考えるよりも先に「答え」を覚えてきた日本のエリート層が、答えのない世界に直面すると、当惑し、思考停止になるのは自然な結果であると大前研一は現状を要約している。


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まあ、この位のことは普通の日本人であれば、薄々は気がついてきたのではなかろうか。だからこそ、<官僚不信>の社会心理が、決して一過性のものではなく、長期間持続しながら、多くの人の胸の中に広がってきているとも言える気がする。

ところが、たとえば毎日放映されているTVでは、無用の知識を競うクイズ番組が花盛りであり、そんな場で成果を出すことの得意な全国のエリート大学生、エリート高校生が出演したりする。年長のプロデューサーがそんな価値観に染まり切っているのであろう。<ゆとり教育は完全な失敗>であって、学校の生徒達には<怠けることなく勉強させる>ことが必要である、と。そんな見方が正しいと公認されているかのようだ。いま、1日を1単位とするのではなく、5年を1単位として、日本が歩んでいる道をざっくりと振り返ると、まさに上で引き合いに出したような大前・宇沢・森嶋各氏の指摘、つまり<考えるのが苦手な日本エリート層> が、ここでまた取り返すことのできない失敗を演じつつある。その自称ジャパニーズ・エリートによる失敗は、「やっちまった!」と言う風なものではなく、10年程度の長い時間をかけて進行する<国の成人病>のような、いわば<生活習慣病>を招くような、そんな惨状につながっていくような気がする。そういう心配というよりか、諦めにも似た気持ちが胸中に湧いてくるのである。

少なくとも言えることは、現に自分の子供を育てつつある人たちは、諦めてはいけないということだ。意味のある教育サービスを供給している国は日本だけではない。社会のエリート層が、社会の問題を自分の問題であるかのように真剣に考えている国は、日本以外にたくさんある。日本では手に入れることのできない教育サービスは、外国から輸入するしかない。あるいは教育事業として真似をするしかない。幸い、日本の個人が保有している金融資産は多額である。投資をするなら、国債は投資の意味がない。カネにこだわる世帯への年金給付に回るだけである。バカの一つ覚えのように安値でシェアばかりを取りたがる日本企業の株も期待薄だ。アメリカのNASDAQや香港株、上海株に投資するのは癪である。次世代の卵たちに、ヒトに対して投資をするべき時代ではないだろうか。この点ばかりは確かであると思うのだ。現世代の英断は、将来世代が歴史の中で称賛してくれるであろう。それが日本人の現在世代には最大の報酬ではないだろうか。

2012年4月11日水曜日

国が全国民を相手どって提訴はできるのか?

国にせよ、国家にせよ、それは単に仕組みであって現存在するものではない。しかし、国が人格を備えた法人だと考えておこう。

国と国民との間には権利義務関係がある。それは双務的なものである。国が国民に何かをするからには、反対給付がなければ実行不能である。これは当然だ。そもそも国は、本来なにも持っていないのであるから、国民が先に提供しなければならない。

国と国民の双務契約を規定しているのが<憲法>である。日本国憲法には国民の権利、三つの義務が規定されているのは小学校から習うことである。義務と言うのは、すなわち納税の義務、教育の義務、勤労の義務である。

これが「三大義務」であるという言い方で記憶に残っているのだが、そうだとすれば腹立たしいほど瑣末な規定でしかない。なぜ義務教育を受けさせる義務とだけ言うのか、日本人はすべて子供を愛し、育み、健やかに成長させていく総合的な養育義務を負っているのに決まっている。将来世代を牛や馬のように低コストかつ効率的に生産するのではなく、全人的にバランスのとれた十分な教育機会を与える義務を負っているに決まっているではないか。小学校や中学校だけで「はい、義務は完了」ではないのである。できれば、自分の子供だけではなく、地域近隣の子弟すべてを育む精神があればもっと理想的ではないか。しかし憲法では「義務教育」を受けさせるという一断面だけをとりあげている。この一点だけでも現行憲法は理解不能ですな。おそらく軍国主義、有用な人材を確保することを第一とする生産重視思想。ここに由来する規定だと思われる。この一点からも、敗戦で虚脱状態になり、思考能力を失っていた時に日本国憲法が制定されたことが窺われる。そう思うのです、な。

それから納税の義務だ。1円でも税を負担すれば義務を履行したことになるのか。そうではないと考えるべきだ。国民は、国民が運営する国家が公的活動を行うのに十分な資金を税として支払う義務がある。一時的には資金繰りから国がカネを借りてもそれは許される財務技術であろうが、10年も20年も税収が不十分であるのは、許容されないはずである。そういう風に解釈しないと<納税の義務>という規定は、規定した意味がないであろう。だとすれば、国家予算の半分未満しか税で調達できないという現在の状態は、そもそも論で考えれば、憲法違反である。国は租税調達権に基づき、国民を提訴できるロジックではないか。

とはいえ国民は勤労の義務がある。働けなければ支払い能力がなく税を納めることができない。義務であると規定するなら、国は勤労の場を設ける義務がある、そう考えるべきなのか?ということは、国民は憲法上の規定とは反対に日本国内で働く権利があると考えるべきなのか?「べきだ」と言う人もいるだろう。しかし、小生はそうではないと思う。生活に窮すれば、先祖は移住をしてでも、移民をしてでも、自らの人生を切り開いた。勤労の義務の裏側には、働く場がある所に自分の身を移動せよという含意が含まれる。そう考えるべきなのではないか。国内に雇用機会がないからと言って、それを理由に税負担を回避することは予定されていないのではないか。

自分が暮らす地域に雇用機会がなければ、冬季は大都市に出稼ぎに行くことで所得を補い、その所得で家族を養い、家族が暮らす県や町に税を支払った。かつての地方の農家の行動と同じことではなかろうか。現にフィリピン、南米、トルコ等々、雇用機会を海外に求めることで、文字通りグローバル規模で勤労に励んでいる国と国民は数多い。それと同じではないか。

戦後の日本国は、日本人が選んだ国会の意志を抑え、議会に反して国家意志を強行しているわけではない。だとすれば、憲法という双務契約に違反した場合は、国が行政訴訟の対象になるだけではなく、義務を履行しようとしない国民全体もまた提訴の対象になりうる。そう考えるのが、ロジカルではないか。

最近は原発、再生エネルギー、大地震への対応など、何かといえば官庁の法規掛が関係してくるような世情だが、もしそれほど法規が万能ツールであるなら、その大本である日本国憲法の規定なりスピリットは厳守されているのか、改めて再点検してみたらいいのではないだろうか。

2012年4月9日月曜日

TPPは日本農業のどこを変えるのか?

昨日(8日)付けの北海道新聞には札幌で行われたシンポジウム「TPP 農と食どうなる」(主催:全国地方新聞社連合会、株式会社共同通信社、後援:北海道新聞社など)の要旨が掲載されていた。各分野の専門家をはじめ政府関係者として経済産業副大臣、農林水産副大臣もパネリストとして参加していた。

中にはこんな意見が出されていた:
平均耕作面積はオーストラリアが2千ヘクタール、米国は200ヘクタール。自然条件の違いから北海道(投稿者が補足:戸当たり経営耕地は20ヘクタール、十勝地方では40ヘクタール)でも競争力を持つのは不可能だ。
もしこのロジックが正しいなら、オーストラリアは米国の10倍の耕作面積で経営されているので米国農業はオーストラリアとは太刀打ちできないことになる。奇妙である。おかしな生産関数を念頭においているのであろう。

こんな意見もあった:
安全性と食味などの品質は、日本産食品は世界一だと確信している。安全性に関して米国から規制緩和が求められるが、これは日本農業の強さを消す結果となってしまう。
おそらく日本国内で流通している食品の過剰安全、過剰品質は、米国を初めとする海外からの圧力で規制緩和はされるだろうと小生も予想している。しかし、日本の食品は<安全と食味で勝る>と言いながら、同時に規制緩和をしたらそれができなくなる。米国、豪州産の農産物と同質のものを作らざるを得なくなると考えるのは、安全と食味が差別化要因になっていないということだから、そもそも矛盾した思考である。それが価値になっているなら、相手はそれを持っていないのだから、戦えるはずだ。

更にこういう意見がある:
積極的に国産品を買うことで、農業の現場を支えたいが、現実には年収が下がっていく中で果たして買い支えることができるか。明日の食べ物を作ってくれる農業をどうやって守っていくのか。
海外から低品質(それでも国際市場では標準クラスの)の農産物が輸入されれば、それと同等の国内農産物は駆逐されるだろう。しかし、それは少数の農業経営者には打撃だが、大多数の消費者にとってはプラスである。プラスだからこそ、下がる年収の下では安い外国産の農産物を買うのである。ちょうど中国産のうなぎを食し、チリ産の鮭を食べるのと同じである。しかし、食の安全、微妙な食味を求める日本人消費者の好みは、自由化後も残るのではないか。特に安全性はそうだろう。だとすれば、安全と味が確証された国内ブランド食品は割高になる。国内ブランド食品を食べる余裕のある消費者が、日本の農業を買い支えていくことになるだろう。それは牛肉自由化後に進展した国内牛肉生産構造の変化と同じである。

農業だけではなく、工業、サービス業すべての産業において、評価されているものは高額となる理屈だ。高額商品を購入できる顧客がその商品の生産者を買い支えることになる。市場を閉鎖することで、安全で美味しい食品を中くらいの値段ですべての日本人が買っている。そんな状態から、真に価値あるものは高く、標準並みの品質でしかないものは国際標準価格で流通する。予想されるのはそういうことだ。

一方にだけ販路がある貿易はロジックとしてはない。カネが自国に戻ってこなければ、相手の商品を買うことができなくなるからだ。それがTPPというか貿易自由化の論理、貿易の理屈である。ただ市場開放をすれば、顧客の構造が変わる。激変する。当然、新規マーケティング戦略が必要だ。サボっていれば、結果は出ない。それは「学校生活」と同じである。しかしそれは貿易自由化の問題ではなく、国内の組織の問題である。組織に問題があれば、自由化をしてもしなくても、必ず衰退する。放置するより、開放という強風をあてるほうが、未来が開ける。こんな見方に小生も賛成だ。

日本の農業を小生は心配していない。上級農産物を生産する農家は、日本人の中の余裕のある階層、及び(それを買うことが困難になった国内消費者がいることの裏腹の理屈として)高額でも日本産農産物がほしいという海外顧客。この二つのセグメントに販売するだろう。その顧客が日本農業を支えていくはずである。

<日本人>と<日本の農業>は歴史を通して、ずっと一心同体で生きてきたと言えるのだが、TPPはその一体感を打ち砕くものであるとは、小生も考えている。そのことが日本文化にどのような影響を与えるのか。そんな問題意識もありえるのだろう。しかし、いまの時代、これも日本の農業の発展の一つのあり方なのではないか。江戸時代にすでに<米>は日本市場全体で生産、流通していた。安くてまずい米も高くて美味い米もあったのである。それと同じことである。

2012年4月8日日曜日

日曜日の話し(4/8)

ずっと昔、岡山市で暮らしていた。旧制六高の跡地にたつ岡山朝日高校横の公舎である。独身時代から新婚早々時代にかけてのことだ ― あまり関係のないことではあるが。

その頃、無味乾燥な役人生活の合間、日曜日になると倉敷美観地区を散策するのが息抜きだった。大原美術館の横に、今でもあるのだろうか「エル・グレコ」というカフェがあった。その店の名は同美術館に所蔵されているエル・グレコの名作「受胎告知」によることは当然ながら小生にも察しがついた。下の画像がその作品である。


エル・グレコ、受胎告知、1595‐1600

但し、上の画像はWeb Gallery Of Artで提供されているもので、大原美術館ではなく、ハンガリー・ブダペスト市の美術館で所蔵されている方である。

エル・グレコは彼のニックネームであり「ギリシア人」という意味の普通名詞である。ま、秀吉の渾名が「さる」という普通名詞であったのに似ている。本名はドメニコスでありクレタ島出身のビザンティン風イコン画家として出発した。その後、イタリアに赴き、隆盛を極めていたイタリア・ルネサンスの画芸を習得しようとしたが、それまでに身につけた技が邪魔をしたのか、むしろ凡庸で目立たない弟子であったそうな。その後、ドメニコスは新興スペインにわたり、そこで後半生をおくるが、芸術家として大成したのはスペインの地である。人々が「よお、ギリシア人!」と呼んでいたのでしょう。新興の地が、第二の人生を送りつつあるドメニコスには、イタリアよりも適していたのであろう。それがエル・グレコである。

上の画像は、小生がみた「受胎告知」とは微妙に色調が違うが、大変懐かしい。

「よお、ギリシア人!」と呼ばれたビザンティン画家は、少なくとももう一人いる。「ギリシア人テオファーネス」(Theophanes the Greek)だ。


Theophanes the Greek, Madonna of Don Icon, 1380

テオファーネスは、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルで生まれた。後に帝国を蹂躙したトルコ人が街の名を質問したとき、「おれたちゃ、街にいるに決まってるだろ!」と、そう答えたそうだ。英語にすれば"in the town!"、ギリシア語では”イスティンボリ”。国民にとって「街」といえば都を指す。その発音がイスタンブールという現在の呼称の始まりであるそうな。ギリシア人は、今でもイスタンブールとは呼ばず、コンスタンティノポリスと旧名で呼ぶそうだが、小生は確かめていない(注: 益田朋幸「ビザンティン」山川出版社による)。

ビザンティン帝国は、1453年の滅亡まで国としては存続するが、テオファーネスの頃は政情、経済力ともに振るわず、国力は衰え、国の未来はないことが誰の目にも明らかであったのだろう。ひとつの国が滅ぶ前には、例外なく、エリート層の流出、国軍弱体化、国防費膨張、財政破綻、増税、そして現役世代の流出と流民化。そんなパターンをたどるものだ。ビザンティンもそうであったと思われる。テオファーネスも、当時モンゴルの軛から脱しつつあったノブゴロド公国、更にモスクワ大公国に移住して、そこで創作活動を展開したようだ。<ロシアのエル・グレコ>であったことは間違いない。

14世紀から15世紀は「ビザンティンから来た移民」、「ビザンティンの遺民」が、ヨーロッパ世界の周辺部まで含め、広く拡散した時代である。そんな移民なり遺民は、現代ではそれほど目立つ存在ではない。というか、ほどんどいない。しかし、永遠の寿命をもちえた国は、歴史を通して、一つもない ― 日本は皇室と日本列島の領土が概ね変更なく継承されてきた、その点に着目する限り、稀な例外的国家である。百年後の世界において、<世界連邦>が結成され、元アメリカ人、元ドイツ人、元日本人という風なニックネームが流通しているようであれば、それはそれで人類の進化のありうる可能性だ、な。

だとすれば<エル・グレコ>は大変サバけた、嬉しくなるような呼び名ではないか。元・日本人ならエル・ハポネとでも呼ばれるのだろうか。

2012年4月6日金曜日

米欧経済、原発再稼働、二つの不安

記録ハズレの春一番のあと、大きな不安の波が、それも二つの波が寄せてくる兆候がある。

一つは米欧経済の先行き不安。ロイターでは次のように報じている。
[ニューヨーク 5日 ロイター] 5日の米国株式市場はダウとS&P500が3日続落。ユーロ圏債券への売り圧力の高まりを受け、欧州の金融安定をめぐる懸念が再燃した。 
市場ではユーロ圏、特にスペインをめぐる懸念が高まっており、同国の10年債利回りはこの日も上昇、マドリード株式市場の主要株価指数は7カ月ぶり安値をつけた。
米FRBによる第三次量的緩和(QE3)は、いざという時の特効薬にとられている方策だが、QE3実施の見込みは当分なさそうになっている ― 少なくともFOMCの議事録をみれば。FRBの判断自体は、原油価格の動向をみれば自然だと思われるのだが、金融面の下支えがなければ、これまでの経験則通りに原油高=米国景気後退となるのではないか、そう予想して株式市場では失望売り、リスク回避の状況になってきている。その原油高の背景には、投機資金の動きもあるだろうが、それを実態面で支えるイランとホルムズ海峡問題をとりまく不安定な状況がある。リスクの高まりは、割引率をあげるので株価は低下し、原油価格はリスク・プレミアムというコスト上昇から取引価格が上がる。こういうロジックだ。

それから欧州ソブリン危機の再燃懸念。上のロイターではスペイン国債の利回り上昇(=国債の売り圧力の高まり)が報じられている。この背景には今月のギリシア選挙がある。先月にデフォールトを避けるため緊急避難的な資金が欧州主要国から供与されたが、その時の約束は財政緊縮の誠実な実行であった。しかし、その約束は政権与党を縛るのであって、野党が勝利するとどうなるかわからない。野党は「財政緊縮など蹴っとばせ」と息巻いている。特に生活苦に窮して老人が自殺する事件があってから、ギリシア国民全体の雰囲気が変わってきているというから、ギリシアの先行きは混沌としている。ギリシアで野党が勝利すれば、EUとの約束は破棄される公算が高く、そうなれば今後の債務調整、国際収支均衡の目処はたたず、EURO圏から脱退しドラクマ暴落をテコにして経済立て直しをすすめる。まさにアイスランドが選択した道を歩むことになる。ギリシアにとってはそれでよいが、独仏墺の銀行が被る損失は巨額で、しかもスペイン、イタリアにも飛び火するだろう。こうなればEURO危機となる。

<原油危機>と<ギリシア不安>だ、な。いずれも<アリの一穴>で堤防が崩れる格言を地でいっているのが現在の状況である。

× × ×

世はかほどに不確実である。そんな不確実性は<原発再稼働>問題についても、当然、あるわけである。福島第1事故の真因もまだつきとめられていない。それなのに原発を再稼働させるというのは、これまでになくリスクが大きい。とはいえ、原油高・天然ガス高が今後どこまで進むか分からない。そんな時に国内の原発設備が全面ストップすれば、それだけでも電力コストを大幅に上げることになる。企業はそれに耐えられないというリスクがある。電気料金を無理に抑えると、電力企業が財務的に頓死するリスクが高まっている。電力企業を救済するために国がカネを注入すると、日本発のソブリン危機があるかもしれない。「電気を使わないようにしよう国民運動」― そんな愚かな行動を日本人がするとは思えないが、もしすれば服を体に合わせるのではなく、体を服に合わせることになろう。豊かな暮らしから自ら辞退するという選択だな。それもよいが、経済力がなくなるという帰結から逃げるわけにはいかない。やはりソブリン危機への道が待っている。

再稼働すると、事故というハザード・リスクがあり、再稼働を延期しても経済混乱というエコノミック・リスクがある。正に前門の虎、後門の狼、ここに進退窮まった、というわけだ。

今朝の国内各紙の一面には<原発再稼働三基準>を首相と三閣僚が了承したという報道がある。日本人は本当に「三▲▲」という言葉が好きなのだねえ、と。三羽烏、三本の矢、三種の神器などなど。ただ、この取り組み方は、典型的に官僚的・法律的・手続き的な発想である。悲しくなるほどに行政執行の枠の中でリスクを処理しようとしていると言わざるを得ないのだ。

リスク・マネジメントに何より大事であるのは、まずは情報と分析であるはずだ。たとえば4月5日付け北海道新聞朝刊によれば
少なくとも福島第1の2号機は、津波の前に地震の揺れで圧力抑制室が損傷した可能性が大きい・・・東電が3月下旬に2号機格納容器の水位が60センチしかないと発表しましたが、破損した圧力抑制室から水が漏れていたと考えるとつじつまがあう。
と、田辺文也氏は語っている。同氏は、旧日本原子力研究所で原発の安全解析に携わってきた専門家であり、現在は社会技術システム安全研究所所長である。更に、同氏は
電力会社も地震で損傷したとは認めません。認めると、全原発の耐震設計を見なおさねばならず、津波対策ばかりを前提した再稼働ができなくなるからです。
こうも発言しているのである。原発事故の主因をどうみるかによって、今後、再稼働するにしても進めていかなければならない方策、つまり再稼働後の管理システムが変わってくるはずである。

他方、再稼働をしないままにして、原発抜きでエネルギーを供給するとして、日本のマクロ経済的状況にはどのような波乱が予想されるのか。その定量的な予測は、完全ではないにしても、内閣府の経済社会総合研究所ならできるはずである  ― もちろん経済産業省にも計算を行う能力自体はあるはずだ。旧・経済企画庁がまだ機能していた時代には、こういう種類のシミュレーション結果が必ず国会の場で明らかにされていた。いやいやその後の小泉内閣の時代にも経済財政諮問会議事務局として必要な詰めの作業を担当していたと記憶している。なぜ原発再稼働をしない場合のリスク評価がないのか。否、ないはずはないのである。国民に分かりやすく伝えられていない。国会の質疑応答の場で明らかにされていないということだと思う。小生は、最近のことの進展ぶりには、絶句を通り越して、その劣化ぶりに呆れる思いがする。

そういう実質的な作業の積み重ねから結論なり、判断が、最後の段階で自然に出てくるのが、本来は理想のはずである。その実質的な作業に最大のエネルギーを投入することなく、手続き的形式を整えることに何より精力を注ぐという、いまの政治のあり方。これで暴動も何も発生せず、マスメディアも「ああ、そんなところですか」と批判もせずに放置する状態。これは官僚行政機構を乗り越える何ものも私たち日本人が作り得ない、正にそのことを教えてくれている。そんな風に思うのですね。「そんなことなのか・・・」と。無意識のうちに河を渡ってしまった。まさにRiver Of No Return、そんな不安を感じてしまう<原発再稼働三基準>なのである。

2012年4月4日水曜日

数学ブームと統計ブーム

今日もまた前回に続く尻取りゲームのような投稿だ。小生が勤務する職場が提供しているブログに寄稿を求められた。その半分以上は既に投稿した内容と重複するのだが、最終パラグラフは新規に書いたことでもあり、視点は少し異なっている。覚え書きとして保存しておくことにした。

ですます調になるなど語調が変わっているのは、職場のブログに合わせたためだ。

× × ×

世は「数学ブーム」であるとは耳にしています。実際、書店の数学書コーナーに行くと、啓蒙書や入門書が非常に増えているのに驚かされます。


「統計ブーム」である、とも言われています。金融工学の成功と破綻が興味を刺激したのでしょうか?それもあるでしょうが、どうやらリスクなるものに社会の関心が向き始め、不確実な状況でもとにかく決断しないといけない。どれほど安全重視であっても、先が見えないいま、リスクから身を避けることはできない。そもそもリスクとは何だろう?そんな思いが浸透しているのかもしれません。であれば、手元のデータをどのように活用すれば成果を期待することができ、しかもリスクを小さくできるのか。そんな問題意識が浸透するのは自然なことです。


「そんなことなのかなあ・・・」と、色々、思いめぐらしていたところに、二つの知らせが届き「やっぱり、そうみたいだなあ」と納得することがありました。今日はその二つを紹介したいと思います。




× × ×


一つは新聞報道です。2月25日の日本経済新聞朝刊を読んでいた私は、平均値を理解しない大学生の学力低下、という記事に目が向きました ― 各紙も報じていたことと思われます。OBSブログに目を通す皆さんは読んだ方も多いでしょう。

 その記事は、日本数学会が主催した数学力テストの結果についてでした。対象者は、全国の国公立・私立大学生6千人です。サンプル調査ですが、全国大学生の正答率を推測するには、十分なサンプル数です ― マスメディアがよく行っているいわゆる<世論調査>は概ね千人規模の電話調査ですが、このくらいはコストをかけてデータを収集しないと精度に疑問符がついてしまいます。「ウンウン、さすが日本数学会だなあ」と、そう思いながら読んでいきました。

記事のヘッドラインと関係があるのは以下の問題についてでした。新聞には○、×の正答が示されていましたから、ここでは日本数学会の問題から引用させてもらいましょう。皆さんも一緒に回答してみてください。

1-1 ある中学校の三年生の生徒100 人の身長を測り、その平均を計算すると163.5
cm になりました。この結果から確実に正しいと言えることには○を、そうで
ないものには×を、左側の空欄に記入してください。

  1. 身長が163.5 cm よりも高い生徒と低い生徒は、それぞれ50 人ずついる。
  2. 100 人の生徒全員の身長をたすと、163.5 cm × 100 = 16350 cm になる。
  3. 身長を10 cm ごとに「130 cm 以上で140 cm 未満の生徒」「140 cm 以
    上で150 cm 未満の生徒」・・・というように区分けすると、「160 cm 以上で
    170 cm 未満の生徒」が最も多い。
上の三つの設問全部に正答した場合のみ正解となります。出題された問題は他にもありますから、上の問題には大体2~3分で答える必要があります。新聞報道は、大学生の正答率が76%でしかない。この点に焦点をあてていました。

新聞を読みながら、家内が近くでTVのワイドショーを観ていましたから質問してみました。家内は、女性には珍しく数学が好きで、歴史と国語が苦手であり、最近の趣味は「ナンプレ」、つまり数独にはまっています。

設問1は、平均値以下の人が半数いる、以上の人が半数いる。こうは断言できないわけですから、これは家内も正答しました。設問2は、出来なかった大学生がいたこと自体が不思議な現象です。設問3は、家内も間違えました。身長の分布は概ね左右対称であるし、平均身長が163.5センチであれば、その付近の人が一番多いだろう。そう考えたのですね。解答の鍵は「生徒100人の・・・」というところです。たとえ全体としては平均を中心に左右対称になっていたとしても、100人の分布だと違うでしょう。色々な100人がいますから。100人の身長の分布には凸凹があります。低い人と高い人がそれぞれ多く、並の人が少ない100人かもしれません。だから設問3もやはり×なのですね。


上のクイズは、「平均値」についての理解度がよくチェックできる良質のクイズだと思います。しかし、これだけで「平均値も理解できない大学生の低学力」とは言えないような気がしました。


そもそもデータにはランダムな揺らぎが含まれています。それゆえ、大事なことは、データの結果を丸ごと信じるのではなく、得られた結果は想定内であるかどうかという判断です。データを活用する前に特定の想定なり予想を持っていないと<判断>はできませんね。このような場合、二種類の間違いをおかす可能性があることは、統計学の授業でも大きな聞かせどころになっています。

一つは<第1種の判断ミス>と呼ばれています。これは<ヌレギヌ型>というか、想定は正しいのだが、データが想定外に思われる時のことです。もう一つは<第2種の判断ミス>。これは<見のがし型>というか、実際には想定が間違っているのに、データは誤差の範囲というか、「まあ正常」のように見える場合です。


本当にこわいのは、無論、後者の場合です。「おかしい!」と思ったところ、何も異常はなかったとしたら、ムダに騒いだ点はとがめられるでしょうが、何もなかったこと自体は良いことに違いないわけです。反対に、「測定結果は想定内であります」といえば、その場は丸くおさまるでしょうが、実際には想定に誤りがある。大惨事の可能性が見逃されてしまう。これでは手間ひまをかけて調べている意味がないことになります。


本当に怖いのは<第2種の誤り>の方です。想定内と判断する正にその時にこそ、失敗の芽が隠れているのですから。


話が横道にそれました。さて大学生の学力についてです。全体としては大学生の学力は低下していないと想定しましょう。今回の日本数学会が行ったテスト結果は、確かに不安を抱かせるものであり、この低い正答率は<想定外>の結果なのかもしれません。しかし、20年も昔の大学生に同じ数学テストをしたわけではなかろうと思います ― 日本数学会の提言でもこの点には触れられていません。「学力が十分だったはずの」昔の大学生なら、まずこんな回答はしない。事実、もっとできた。この点が確かめられているのであれば、今回の結果は現在の学生の学力低下を証拠付けるものになります。そうではなく、昔の大学生だって間違える問題なのであれば、今の大学生だって間違えて当然です。「ここを日本数学会ははっきりとさせてほしいのだがなあ・・・」と、記事を読み終えた私はそう思ったのです。


つまり厳しすぎる目で、もっと言えば<先入観>をもって、今回の数学テストの結果を新聞は論評しているかもしれません。データの結果をどう解釈して、どんな行動に結び付けていくか。統計の勉強で一番難しいところでもありますし、これこそ醍醐味というところでもあります。統計ブームがもっと深まって、単に学力低下と解釈する見方でいいのか、と。そんな議論も展開されてほしいものです。



× × ×


最初に「二つ紹介しましょう」と言ったもう一つを忘れていました。長くなり過ぎましたから、簡単な紹介にしておきましょう。それは私が所属している日本統計学会から郵送で送られてきたものです。封を開けると、統計検定のポスターと2011年11月20日に実施した検定試験(2級、3級、4級)の問題が入っていました。統計検定の創設については、当然、聞いていましたが、詳細な実施内容まではフォローしていませんでした。統計検定のオフィシャルサイトも既に稼働しています。2012年度にはイギリス王立統計協会(Royal Statistical Society)との共同実施により国際資格の検定も始めるようです。確かに統計調査士や専門統計調査士という職業資格も、統計ブームを単なる流行語に終わらせないために、必要なものかもしれません。いわゆるNumerical Literacyというか、数的処理能力が、現在の社会で非常に必要になっている。そんな実態に支えられた統計ブームであるのなら、統計検定も発足が遅すぎたくらいである。そう言えるのかもしれません。

2012年4月2日月曜日

数学ブームを呼ぶ一つの背景とは? 電力会社による原子力研究支援の是非

数学ブームであるとは耳にしている。実際、書店の数学書コーナーに行くと、啓蒙書や入門書が非常に増えているのに驚かされる。

統計ブームでもあるという。金融工学の成功と破綻が興味を刺激したのだろうか?そればかりでなく、やはりリスクなるものに社会の関心が向き始め、不確実な状況でもとにかく決断しないといけない状況に、さすが安全第一の日本人も慣れて来たということなのか。

さて、大学の法学部の入試で数学を課している所が少なからずある。愚息も二次試験の数学で爆発して、入試センター試験の失敗を取り返し、やっと滑り込んだ経験をした(当人は違ったことをいうかもしれないが)。数学で爆発したはよいが、大学に入った後の法律の勉強ではやっぱり数学は、全然、使わない(当たり前だ)。

証明するという感覚を磨くのにいいんだよね。愚息もこの位のことは言ってほしいのだな。<証明する>ということと、<主張する>ということの違いが、分かっているようで全然分かっていない人が余りに多いのではないかなあ、というのは小生の感想だ。証明されるということは、もはや反対はできないという感覚。論破された以上、相手の言い分を(嫌でも)認めざるを得ない感覚。どんな強大な権力をもっていても、どんなに感情的共感をもっていても、論理で負けてしまうと、それだけでダメ。この感覚は数学でないと中々磨かれないのかもしれない。『君主でさえも論理には服する』、数学を学ぶ者がよく口にする格言だ。その数学ブーム。背景として日本企業の海外展開があることは確実だ。「こういう場合はこうなんですから」といくら言ってもダメでしょうから。常識などは時代や国が違えば全く違う。<説得>の根本的要素はロジックだということだ。目的設定を承認してしまえば、こういう手段をとることがベストである。これは論理の世界だから相互理解のチャンスが高まる。ロジックが万国共通のコミュニケーションツールであるのは否定しがたいわけである。

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こんな報道がある。
電力各社とその業界団体電気事業連合会(電事連)が、国の原子力研究の中心を担い、原発の安全審査機関に委員を多く送り込んでいる独立行政法人・日本原子力研究開発機構(JAEA、茨城県東海村)に長年寄付を続け、2008〜11年度だけで計約2億5千万円に上ることがわかった。 
東京電力福島第一原発の事故で電気料金の値上げが浮上した後も続けていた。原発の関連組織や立地自治体に対する電力会社の寄付は電気料金に反映される仕組みになっているが、電力各社は寄付の総額も公表していない。今回、朝日新聞は機構に情報公開請求し、08年度以降が公開された。 
電力会社や原子炉メーカーが安全審査機関でメンバーを務める大学研究者に多額の寄付をし、原発の推進と審査の線引きがあいまいな実態はこれまで明らかになっているが、規制にかかわる機構と電力業界も金銭面でつながっていた。(出所: 朝日新聞デジタル、2012年4月2日)
 Wikepediaによれば、原子力研究開発機構についてこんな風に述べている。
独立行政法人日本原子力研究開発機構(にほんげんしりょくけんきゅうかいはつきこう、Japan Atomic Energy Agency、略称:原子力機構、JAEA)は、原子力に関する研究と技術開発を行う独立行政法人日本原子力研究所 (JAERI、略称:原研) と核燃料サイクル開発機構(JNC、略称:サイクル機構、旧動力炉・核燃料開発事業団 = 略称・動燃)を統合再編して2005年10月に設立された。
研究開発部門と事業推進部門に分かれていて、核燃料サイクルから核セキュリティまで多くの事業をてがけていることが分かる。 この研究機関に電力会社は寄付をしてきたというのだな。

報道されている記事内容はニュアンスとしては批判しているようだ。

どこを批判しているのか?寄付がいけないのか?しかし、核関連技術の進歩は電力会社の利益にもかなうはずだ。それ故、研究を支援する動機があり、寄付行為は合理的である。それほど関心があるなら、国への寄付ではなく、自社研究するべきではないか。そういう批判だろうか。しかし、自社研究をすれば得られた知見は社外秘にするのが常識だ。それだと各電力会社で重複研究される結果となり非経済的であろう。だから国の研究機関に研究奨励金として寄付をして共有知の増進につとめるのは、決して悪くはないやり方だ。こういう理屈を論破しなければ批判にはならないだろう。

あるいはまた、批判しているのは安全審査を担当するかもしれない研究者に広く寄付を行っていた点か。それは事業推進サイドと安全審査サイド、分かりやすくいえば敵と味方が取引をしている、と。そういう批判なのだろうか?

これもおかしい論理だ。たとえば野球で言えば、1敗すれば相手が1勝し、優勝に一歩近づく。相手の得は自分の損となるゼロサムゲームである。こういう場合にはカネをもらって相手に勝ちを譲る行為は、自チームの負けを誘う背信行為となる。勝負をかけた試合をやっている外見と実際に進行している事態が異なってしまい、結果としては観衆を欺いてカネをとっている行為となる。これはスポーツ興行として詐欺に該当し、だから犯罪なのである。

電力会社が原子力研究者に寄付をするのは、野球でいう八百長と似た行為なのだろうか?研究支援はゼロサムゲームだろうか?電力会社の寄付は原子力安全技術の進歩を阻害する行為なのだろうか?論理的にそうだとは言えないだろう。安全技術を進歩させる研究の成功は、研究者と電力会社とで利益が一致していると考えられる。だから安全研究の進展には相互協力の誘因がある。そうではなく、電力会社は、安全性向上とは無関係の — たとえば低コスト化、燃料効率上昇などの — 原発関連技術に偏った寄付をする動機があるのだろうか?電力会社による多額の寄付と研究サイドの安全技術志向は(有能な研究者総数は一定だから)トレードオフなのだろうか?もしそうなら電力会社の寄付が、安全性技術の進歩を抑えて来たというロジックになる。この点は、確かに今後の研究課題であろう。もしそうなら、政府は電力会社が直接に研究支援することを禁じるか、研究上のバイアスを矯正するため国費は安全性研究に重点投入するべきであった。その原資は、たとえば<原子力技術開発負担金>なる負担を電力会社に課して調達すべきであった。紹介した記事はこんな風に代替戦略案を提案する文意になる。

電力会社から資金を提供してもらったことのある研究者が、電力会社が推進している事業の危険性を認知しながら、電力会社の利益を顧慮してそのことを知らない振りをする。上の報道記事は、上のような事実があったと言いたいのかもしれない。あるいは、電力会社が研究結果の記述の仕方に、資金の出し手の立場から、影響力を行使した。そのために客観的な研究活動を妨害した。そういう指摘かもしれない。

もしそうなら、電力会社は研究支援と広報活動とを混同していたことになるから、それは支出の目的を正しく理解しないことによる<経営の失敗>に他ならない。つまり、経営者が無能であったという解釈になる。経営者の無能とシステム上の不備を混同してはならない。むしろ無能な経営者が、社内トップに就任できた原因を探らなければならない。無能な経営者の災禍は、会社を滅ぼす意思決定を、自覚することなく、下してしまう点にある。今回の東電は文字通りその轍を踏んだわけだが、その失敗の原因が研究支援システムにあったと考えれば、それは<たらいの水と一緒に赤子を流す>行為と同じになろう。Aという失敗を繰り返すまいという思いから、今度はBという失敗を犯す例は世間に多い。血が頭に上った状態が他ならぬリスク拡大要因である。

× × ×

このように考えると、電力会社や電気事業連合会が、国の原子力研究機関に研究奨励金(=寄付)を拠出して来た行為のどこが誤りであったのか?必ずしも判然としない。むしろ朝日新聞のほうが簡単に論破されてしまいそうだ。

水も漏らさぬロジックが頭の中にある文章と、何となく主張しておきたいニュアンス中心の文章は、読んですぐ分かる違いがある。法廷では、ロジック抜きの主張や感覚ばかりを述べても相手はもちろん納得しない訳であって、だから<数学くらい分かっておけよ>という意味で数学入試をスクリーニング手段にしている。多分、こんなところなのだろう。

2012年4月1日日曜日

日曜日の話し(4/1)

昨日は北国も天気が大荒れとの予報があったが、過ぎてみると大したことはなかった。朝方は台風一過のような青空さえも見えていた。


先週は16世紀から14世紀へ遡った話しをした。そんな風に前へ、前へ遡っていて、改めて気がつくのだが、どんなに調べても今日慣れ親しんでいる西ヨーロッパ美術に関しては、13世紀が限界というか、その以前の「ゴシック美術」の作品例は中々データが集められない、特に絵画作品に関しては。どうやら専門書にあたらないと分かりにくいようなのだな。たまにあってもほとんど全てはイタリア人芸術家による作品であって、その他の地域ではどのような文化活動が展開されていたのか、データ収集が急速に難しくなる。この<ない>という状況が、小生にとっては、甚だ興味がある。


しかし、実は誰でも知識としては知っているはずだが、12世紀はおろか10世紀にまで遡ると今日のギリシア、東欧、トルコの地域にかけて大国が存在していた。即ちビザンティン帝国であり、又の名を東ローマ帝国と呼ぶ。西ヨーロッパが暗黒時代に沈んでいた時代、世界の富と文明はマケドニア朝ビザンティン帝国に集中していると言われていた。その帝国はイタリアの都市国家と経済力が成長するに伴って競争力を失い、十字軍による略奪に遭ってからは帝国の権威を喪失し、領土を失い、最後は枯れ尽きたように15世紀半ばに消滅してしまった。現在のイスタンブールはその残骸のような都市である。


しかし千年にわたるビザンティンの文化的影響がないはずがなく、初期ルネサンスの写実主義もビザンティンの影響があると言われている。帝国が丸ごとオスマントルコに占領されたこと、西欧とは異質のロシア帝国が後継的地位を占めたことなどから、西欧とビザンティン帝国の文化的相互浸透はこれまで研究の積み重ねが比較的薄かったとされているようである。ま、芸術史的にはフロンティアになっているそうな。


Archangel, 1130 - 1200 
Source: http://www.novgorod.ru/english/read/information/icon-painting/part2/


ビザンティン文化の精髄は、一つには写実的モザイクと非写実的イコン(Icon)にあると言われている。そのイコン制作の伝統はロシアに伝わり、ギリシア正教文化とともにロシアで独自の発展を遂げている。モザイク芸術自体は12世紀以前の西ヨーロッパにも多数遺されている。それらはやはりイタリア人による作品が大部分を占めている。

(小生を含めて)現代の私たちは「イタリアから」ヨーロッパを辿り始めることが多いが、日本史とシンクロさせてしまえば鎌倉時代である。鎌倉時代の前に王朝文化が完成していたように、イタリア・ルネサンスの前に古典古代を継承する完成された文化があった。そのことはとても大事なことではないか。そんな気もするのだな。実は、傷心のゲーテがイタリア旅行に発ったのは、ルネサンス紀行ではなく、古典古代の遺産に直接触れるためであった。それが『イタリア紀行(Italienische Reise)』である。ましてそれが<失われた帝国>の育んだ果実であるなら、その文化的古層を調べることで、いまの価値観では非常識と分類されている思想も、案外、長い年月のあいだ常識と見なされていたことを確かめられるやもしれないのである。古代ローマ帝国の伝統を引くビザンティン帝国が、かくも長期間持続したのは、確固としたイデオロギーと周辺環境に対応して柔軟に政治制度を改革した二つの点にあったと考えられているようだ。

真物を、将来是非見る機会を得ようと思うが、少なくとも映像を見る限り、ビザンティン文化の影響をうけた芸術作品は深い魅力をたたえていると感じている。