2012年5月4日金曜日

原発と日本経済 ― リスク評価もできぬ、安全限界もわきまえぬ、では困る

関西電力管内では、今夏、どんなに節電をしても15%程度は電力需要をまかなえないのではないかという「憶測」がある。これは流言飛語だという人がおれば、かなり信用してもよいのではないかという人もいる。

ここ北海道でも泊原発3号機が今月から定期検査に入り、北電も節電要請をすることになるのではないかと心配されている。夏場に節電するのであれば、厳冬期の北海道の電力需給は相当厳しいだろう。本日の道新には、原発停止の余波で三美炭鉱(美唄市)でフル操業を続けているという記事がある。同社の西向沢露天坑は低コストであり、海外の安い石炭とも十分戦えるらしい。昨年来の本州への余剰電力送電は、この石炭が支えている面が大きいというのだから、エネルギー事情もだんだんと変わりつつある。ただ、原発再稼働・脱原発の方向が不確実ないま、大規模な能力拡大投資に踏み切るのはリスクが大きいというので、当分はフル操業体制で行くと話している。

電力という最も基礎的なエネルギーにおいて、日本経済は<供給ボトルネック>という昭和20年代以来の経済状況に陥りかけている。類似例としては、チェルノブイリ原発事故直後のウクライナが挙げられるようだ。当時、国民の間に反原発意識が高まり、ウクライナも原発を全て停止した。それを代替したのがロシアの天然ガスである。しかし、電力供給が不安定になり、頻繁に停電が発生し、工場の操業は停止した。そのため製造業の海外流出が加速し、失業者が激増。国民の所得が低下、税収が減少して財政が悪化。結局、ロシアに天然ガス代金を払うこともできず、ガス供給も停止される憂き目にあったことは記憶に新しい。ウクライナの国民が原発再稼働を納得したのは、こんな惨状と向き合ってからだ。

惨状と向き合って初めて納得するのは、文脈は全く異なるが、今日のギリシアと相通じるものがある。日本もその仲間入りをする可能性がある。ま、子ども手当とか児童手当とか、そんな場合でなくなるかもしれぬ。公的年金とか、そんな余裕はなくなるかもしれぬ。とすれば、年金制度改正という課題そのものが、雲散霧消することになるであろう。つまり緊急事態である。

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とはいえ、政府も苦悩にみちているはずだ。菅前総理が「危険である」と主張して原発を停止したあと、止めた原発を再稼働するには「危険ではない」ことを政府が証明する必要ができた。しかし、それを証明する体制は、「原子力規制庁」の発足すら見通しが立たない今、ないに等しい。

原子力安全委員会も自らの責任で「安全である」と証明することに消極的であるようだ。そりゃそうでしょう。「危険だ」と判断していれば、原子力安全委員会が「危険だ」と言っていたであろう。委員会が「危険でない」と判断していた原発を「危険である」と菅前総理が言いだしたのだ。それが「いまはもう危険ではありません」と証明するデータを揃えるのは、科学的には不可能ではあるまいか?当時も今も「危険ではない」と考えているに違いないから。

原子力安全委員会の真の難問は、「危険でない」と証明することではなく、菅前総理が「危険だ」と停止指示を出した時点において、「確かに危険であったのです」と、この点を証明することのほうであろう。

経済的混乱というエコノミック・リスク、原発の安全投資がなお不十分であるかもしれないというハザードリスク。これに加えて、危険ではなかった原発を首相が超法規的手続きによって停止させたという事実が、実は水面下には潜在している。ここの経緯に火がつくと、汚職ではない、まさに政治家としての信念が弾劾されるという久しぶりの政治劇を見ることになるかもしれない。ま、民主党にとってはポリティカル・リスクであろう。失業と自殺に相関があることは認められている。原発事故による強制避難長期化と孤独死との関連も指摘されている。問題は<そういう事態が到来する確率評価>である。こういうリスク評価が、いま、求められている。

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いずれにしても駆逐艦から爆雷攻撃されれば、潜水艦は海面下深く潜航するしかない。できれば海底面に静かに着座して、エンジンを停止するのが最も安全であろう。それは事実だが、それが出来るのか?技術上の<安全限界>をわきまえておかなければ、安全策が最も危険な策であるかもしれないのだ。

どちらにしてもリスクがある時には、よりリスクが小さい方向を決めることがリーダーの責任だ。その判断を分かりやすく説明して、全員の納得を得ることも仕事のうちである。

投資家はリスクを引き受けてギャンブルをするが、政治家はギャンブルは避けるのが当然だ。しかし、いまの日本国に安全確実な進路はない。大事なのは、リスクの評価である。



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