2012年7月11日水曜日

歴史の見方と皇位継承の関係

日本史を勉強すると多数の天皇の名前が一貫して出てくる。有名な存在は誰だろう?まずは後醍醐天皇は誰でも知っているか。明治天皇もそうだな。それから天智天皇とか天武天皇は?100%「覚えてます」とはいかんだろうねえ・・・

日本には天皇が飛鳥・奈良・京都にいて朝廷なるものをしいておったから、歴史の主要人物であり続けたのは当然でもある。しかし副作用もある。歴史の大きな進展を批判的にというか、「あれは間違いだったよね」という結論もあるかもしれないという視点で、振り返る事を難しくしている ー 多くの人は「そんなことはもうありませんよ」と言うだろうが、近世・近代が絡んでくると声高に常識を真っ向から否定する意見は述べにくいと(小生は)思いますなあ、いまでも。

現在の皇位継承範囲を広げるために、戦前の宮家で戦後皇籍を剥奪された家の末裔を皇族復帰させようという案が根強くある。表向きは何百年も遡らないと血縁関係はないのですと。そういう理由付けがされているのだが、それでも戦前は宮家で皇族だったのでしょう?そう聞かれれば、それは確かにそうなので、「そうですね」と認めるわけだ。憶測するのだが、これは歴史評価にも直結する事柄じゃな。戦前の伏見宮、閑院宮などなど、多くの人物が皇室の藩屏にならんとして軍を志し、軍内で実績を積み、皇族の立場で帝国陸海軍に隠然たる影響力を持ったのは周知のことだ。そして昭和天皇の意志に必ずしも沿わずして、軍の意向を正当化する役割を演じた。そういうこともあった。ま、はっきりいって、戦後に離脱した旧皇族を元の地位に戻すのは嫌だ。それが本音なんだろうねえ、そんな風に感じる事もないわけではない。第一、極右勢力にまた担がれるかもしれんし、ね。悪くすると国がひっくり返ってしまう。

そんな目で日本史を振り返ると、じゃあ明治天皇はどうなんだ、と。明治維新はどうなんだ、と。日清戦争は?日露戦争は?きりがないわけだな。小生は個人的には太平洋戦争に至る道は明治という時代、明治天皇の「治世」に根ざしていると思っているが、そんなことをアカラサマに論じる事が今の日本社会で、外国人ではなく、日本の学者に可能だろうか?容易だろうか?100%完全に賢明な統治をした時代など一つもないわけだ。そこを分類して批判する作業をしないといけないのだが、最初から明治維新は救国の大事業として不動の結論を定めていると、やりにくいわけだ。そしてそこには明治天皇崇拝感情が根っこにあり、やっぱり引いてしまうのじゃないかと思うのだ、な。その延長に太平洋戦争を終わらせた昭和天皇の苦悩と英断もまた尊重するべき民族的記憶と化している。これがいま日本人が合意している歴史評価であるし、これは一つの立場でしかないとも思うわけだ。

もし万が一、そんな歴史的発想も混じっていて、それが皇位継承論議に影響しているなら、これはいかにもまずいやり方だ。ま、そんなことは絶対にないとは思っているが。

中国では新王朝が旧王朝の歴史を編纂する方式を一貫してとっている。それも革命後おおむね100年程度が経過してから歴史評価をまとめ始めることが多かった。急いだ場合は改訂稿が編まれた。中国の前の支配者は清王朝で1911年の辛亥革命から100年がたったばかりだ。原稿としては既に1920年代に書き上がった『清史稿』、共産党政府、国民党系の台湾政府が編集した『清史』がある。ここ400年の中国の歴史をどうみるか。当の中国人もまだ決めかねているわけだが、ごく自然なことだと思う。日本の歴史も同じ事である。明治維新の評価は永久に決まっていると断定する必要はない。戦前期まで存在した旧宮家の歴史評価をいま決める必要は全くない。それは100年後の日本人に任せるべきであろう。

歴史評価は未解決で棚上げしたまま解決できるところから先に解決するのが合理的である。だとすれば、日本の歴史を通じてずっと皇族であった家門は、戦後の皇室宗家の民主化の流れと比較対照すれば、やはり事実として今でも皇族であると認識するのが合理的であろう。日本国憲法の改正問題もそうだが、日本では国の形を議論し始めると必ず天皇・皇室が関連してくる。歴史評価で激論になる。これは日本国にとっては非常に不幸なことである。その不幸のツケは日本の国民が払っていることを忘れるべきではないと思う。

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