2012年7月25日水曜日

<格差是正>とは、感情論にすぎる言葉だ


小生が国から俸給をもらっているから、こんなことを書くと思われるなら大変癪な話である。どこに勤務していようと、小生の性格は直らないから、同じことを言ったり書いたりすることは、間違いない。


55歳以上の公務員は昇給を停止しようという人事院勧告がなされる方針である。これは良い。異論はない。小生自身、年齢の大台が迫るにつれて、「人間50歳がピークだな」、と。痛感している。50を越えてからは、まず目に来る。次に肩と背中に来る。最近は腰に疲労がたまるようになった。それと並行して根気がなくなる。休養を求めるようになる。更には、どんな重要懸案にせよ、自分が直接関係しないような、利害関係の薄い、長期的で基本的な課題については真面目に検討しなくなる。一口に言えば、自分と関係ないからだ。大体、人生の終盤に入った人間が、自分で責任もとれないくせに、基本的な事柄に首をつっこむべきではないというのが、小生の意見だ。したがって55歳以降は昇給停止。決めるのが遅すぎたくらいである。後続の世代の人からみれば<不公平>であり、たしかに気の毒には思うのだが。


しかしながら、昇給停止の理由が<格差是正>にあり、と。これは納得できない。そもそも格差はすべて是正するべきなのか?なくすべきなのか?あるべき格差もあるであろう。あるべき格差になっていない場合は、むしろ格差を拡大するべきだろう。

イチローの年棒は20億円だがこれは不平等の象徴なのか?小生はそうは思わない。プロ野球のレギュラー選手が、シーズンを通してゲームに出場すれば、みんな同じ時間だけチームに貢献する。どのレギュラーがかけても困るだろう。打つ人、守る人。トップバッター、4番打者、ラスト。それぞれ仕事を分担しているだけで、誰がかけても困る。みんな必要なのだ。だから等しく報酬を払うべきだ、と。そんな議論は誰もしない。そんな組織管理をすれば、モラルハザードが広がり、誰も本気でチームに貢献しようとしなくなる。努力のしがいがない。向上心も萎えるだろう。


格差は、貢献を正当に評価し、対価を与えるという観点から見るべきものだが、更に、努力を厭う人間の弱さを矯正するための管理ツールでもある。身も蓋もないが、士気を維持するための人参である。

55歳以上の年齢層において、公務員と民間勤労者との間の給与ギャップが拡大するので、その格差を是正するというが、55歳以上の公務員と55歳以上の民間勤労者が、同じ仕事に就いているわけではない。責務・職務・拘束時間など業務内容が異なるのに、実際の給与差を<是正するべき格差>と認めるロジックは何か。


いっそ政府に雇用される公務員については、法務、財務、経済、治安、軍事、司法、中央政府・地方政府などの組織ごとに、管理業務、事務業務、補助業務、研究業務、教育業務など職種に分けたクロスセクション表をつくり、各セルごとにOECD加盟国の公務員給与平均値を算出して、特定年を基準年として購買力平価で換算し、そこで日本円と水準合わせをして、それ以降は日本の毎年の一人当たり名目GDPの増減率だけ給与を調整する、そして5年ごとにOECD加盟国の実態調査をして基準改定をする。国民経済計算でも推計するようにして、機械的に決定していくのがよいのではないか。そうすれば官僚も自分の給与が減らないように一生懸命にデフレ解消に向けて努力するだろう。等級間の格差は最後に決めればよい。

<格差是正>という感情論の餌食になりやすく、客観的な中身にも乏しいシステムよりは、よほどマシであろう。

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