2012年8月13日月曜日

だって、あれは嫌だから ― このネガティブな職業選択基準

いつもはS市のアパートにいる愚息が、何という理由はないのだが、宅に帰ってきた ― 多分、お盆でアパートが閑散としており、大学に行っても誰もいないから、行くところがなくなったのだろう。

さっきまでドイツ産のヴァイツェンを飲みながら雑談をしていた。

『法曹合格者を毎年3千人出すと言うのはもう無理になっているみたいだねえ。大都市圏を弁護士であふれさせば、必ず弁護士のいない地方圏に流れていくだろう。そんな風に考えたと思うんだが、どうして流れていかないのかなあ? 』
『札幌では新司法試験が始まって市内の弁護士が3倍に増えたんだって。でも道内地方都市では、ほとんど変わらないらしいんだよね。東京の普通の法律事務所の初任給は大体600万円なんだけど、地方では700万円だというしね。過疎地に行けばもっと高いらしいよ。同じ仕事をするより、地方のほうが評価が高いはずなんだけど、東京からは出たくないらしい。 』
『それは行動として<非合理>じゃないのかい?どうしてだろう? 』
『う~ん、僕の行っていたロースクールでも感じたんだけど、東京から来る人達は、何というかなあ、「追い出された」というか、「流れてきた」っていう感じで北海道に来るらしいんだよね。 』
『そんな風に感じることがあったのかい? 』
『一年に入った直後は、かなり明らかに感じたよ。東京にいれば一流、出れば二流。そんな考え方があるみたいだよ。でもまあ、北海道って道外には出たがらないでしょ。で、北海道ならトップクラスじゃないかと思ってきたら、そうではないとわかってくるのが最初の半年なんだよね。来た人たちは、収入が低くても、やっぱり東京に戻りたがってるよ。東京の外で仕事をするのが<嫌>なんじゃないかなあ? 』
『その感じ方は、やっぱり非合理だねえ、おれも30年、東京圏には住んだけどねえ、ま、俺の場合、生まれた町は四国で東京じゃあなかったがな・・・自分を高く評価する場があれば、イギリスでもアメリカでもオーストラリアでも、どこでも行く。通常はそう考えるはずだからね。狭い日本で、地域を感覚的に細分化するのは合理的根拠がないねえ。俺の知人にね。その言い回しを英語で言ってみろという人がいたよ。「だって、嫌ですから」、英語でいうと"Why don't you get it?", "Because I hate it".こういえば"Why?"とくるはずだ。嫌だからというのは、全くもって内容がない、内実がない、エンプティじゃないか。そもそも価値を生みだす方向とは正反対だ。英語では"Because I hate"じゃなくて、"Because I want"となって、相手に言いたいことが通じるってものだ。法律では<価値>という言葉を使うことはあるかい? 』
『法律では<価値>という言葉は使わないね。<利益>のほうが多いかな。 』
『利益もそうだけど、経営学では価値というと、次は顧客満足という言葉が出てくる。経済学では付加価値だね。たとえば、鉄とゴム製品はなにもしないと無用の長物なんだけど、それを自転車という形にすれば皆の役に立つんじゃないか?そういう着想が自転車を生む。そこに価値が生まれるだろ?自転車という着想、それを作りたいという願望、みんなの喜ぶ顔、驚く顔をを見たいという前向きの動機。この動機から、現実が変わる。実態が変わる。中身が生まれて、価値が生まれるよね。「だって、あれは嫌なんだよね」、だから今やっていることをやる。そこから何が生まれるんだい?それは単なる<情緒>じゃないか。主観的な気分を伝えて、そこはかとなく「ああ、うたてかりしことよ」と言えば、源氏物語の<もののあはれ>にはなるけれど、それは自分にだけわかる<気分>であって、<意思決定>にはならんね。 』
『確かに東京を出たがらないというのは、そんな気分もあるのかもしれないね。 』  
『気分じゃなくて、大事なのは動機だ。「東京を出るのが嫌だから」ではなく、地方で得られる高い報酬より、もっと大事だと考えていること、自分が本当に欲していること、地方ではそれが得られない、東京では得られるのだ、という論拠。地方に移りたいと思う動機がない。その自覚があって、はじめて意志決定に中身ができる。ビジネスは論理だろ?とすれば、こんな風に思考しないと、意志決定は行えないよ。 』
『俺の父方の祖父は、家庭の事情で義務教育のみをおえて銀行に就職した。父は長男であり大学で研究を続ける道を断念して、実家に近い会社に入社することを余儀なくされた。俺は、父が癌になったことを大学院在学中に知って、就職の方便としてとりあえず官庁に入り、15年の間、役人生活をおくった。先祖三代にわたってずっと「そうするしか仕方がなかった」、そんな風に人生を決めてきたわけだな。』 
『それとは違って、いまお前は、そういう意味では、<自由>を与えられている。ここが違っている。何代かぶりで広い選択肢から意思決定をする巡りあわせになっている。ある面、恵まれてもいるんだが、「ああするしかなかった」という状況ではない以上、真剣に自分と向き合って、自らが本当に欲することを自覚しないといかんね。それも責任重大だ。難しいよ。まあ時間はあるから、ゆっくり自分を見つめ直せばいい。』
仕事を決めるというのは、家を買うよりもカネはかからないが、より重大な意思決定かもしれない。自分の志は、海の深層を流れる海流のようなものであり、その時々に覚える興味は世間という風に吹かれておきる波にたとえられるだろう。

自分が本当にやりたいと思っていること。それを自分で知ること自体、決して易しいことだとは言えまい。易しくはないが、仕事は自分が自分であって初めて面白く感じるものだ。仕事のために作った自分は、いつかは壊れるものだ。
俺だって、試験に受かった時は「よおし、こうなったら局長にまで偉くなって、政策の立案をリードしてやろう」と、そんなことを考えたよ。恩師に勧められるがままに試験を受けるまで、そんな風に考えたことは一度もなかったのにね。人間には<勢い>というのがあって、状況のままに自分を作るところがあるのさ。それは自分じゃあない。
自分自身を知る。自分の力は、作られた自分からは出てこない。本当の自分から初めて力は出てくるものである。

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