2012年9月23日日曜日

日曜日の話し(9/23)

1816年という時点でゲーテはこのように話していたに違いないとトーマス・マンは1939年の作品『ワイマールのロッテ』の中でゲーテに語らせている。
今はもはや戦争や史詩の時代ではない。王侯は逃げ出し、市民が凱歌をあげ、実利の時代が明けようとしているのだ。見たまえ、金銭と交易、精神、商売と富とを目標にする時代が訪れようとしていて、自然までが理性的になり、常軌を逸した熱病的な震動を永遠にやめてしまい、平和と富とが永遠に保証されるのを、私たちは信じられそうな時代、それを希望できそうな時代になりつつあるのだ。 
これはほんとうに心を元気づけてくれる予想であって、私もそれには少しも不満はないのだ。しかし、自然力の一部さながらの人物が、胸中にみなぎる力を広漠とした海に取りまかれたひっそりとした場所で窒息させられている気持、鎖につながれてあらゆる行動をはばまれている巨人の気持ち、内部に沸き立ち煮えたぎる力を感じながら、土砂で口をふさがれてしまい、内部の炎の出口を失った火山の気持、溶岩は破壊もするが肥料にもなるというのにね、お前 ― そういう気持ちを想像すると、胸を押しつぶされるような思いがして、思わず同情の念を禁じられなくなるのだ。(岩波文庫版、下巻、165頁)
上で「胸中にみなぎる力を広漠とした海に取りまかれたひっそりとした場所で窒息させられている」人物はナポレオンである。ゲーテは、フランスの独裁君主ナポレオンに大変共感を抱いていて、解放戦争後もフランス皇帝から授与された勲章を佩用し、周囲の顰蹙をかうなどをしている。同時代のドイツ人からは大変冷淡な目で接されていたのも事実のようだ。

ゲーテが生きた時代は、貴族社会から市民社会への移行期であり、市民社会になると野心や名誉を求める魂よりも、損得の計算、ビジネス環境としての平和の追求が主になることはゲーテも予感していたことが分かる。その反面、人間が社会に埋没して、真の意味での英雄や天才が不必要になることも洞察していた。上は、それが寂しいという気持ちを表現した下りである。

確かに、ヨーロッパに限れば、社会を根本から変革するほどの真の英雄はナポレオンが最後であるとは言えそうだ。自由が浸透し、市民社会が成熟するにつれて、英雄や天才といえども、思うようにならなくなり、結果として社会が欲する平和が続く。ビジネスの発展がもたらされる。自由こそが、英雄や天才が自らの才能を自由に開花させることを制約する。だとすると、歴史の逆説の一例であるかもしれない。

しかし、第一次世界大戦は現実に起きたし、第二次大戦を防ぐこともできなかった。富を求める強欲な経営者は、帝国主義戦争を引き起こしたかと思えば、合理性なきバブルを形成しては、社会を混乱させている。どうせ混乱するなら、人間の<強欲>ではなく、<良心>の失敗から混乱させてほしいものだ。そう思う人は多いと思う。そんな人が半分を占めれば、資本主義は本質的な曲がり角を迎えるだろう。

考えてみれば、日中韓国境紛争も経済的合理性が背景にあるとは思われず、むしろ国威、正義を根に持つ、非市民社会的紛争である側面がある。ということは、東アジア全体に、ビジネスを原理とする本当の意味での市民社会が定着した暁には、あんな小島で戦争を心配するなどバカバカしくなるであろう。そんな予想も成り立つのかもしれない。


ティッツィアーノ、聖なる愛と俗なる愛、1515年

ワイマール市フラウエンプランにあったゲーテ宅(現・ゲーテハウス)の「黄色い広間」の壁にはティッツアーノの「聖なる愛」の模写が飾られていたと岩波文庫版(望月市恵訳)では訳されている。それは、多分、上の作品ではないかと推定するのだが、真偽は未確認である。44年ぶりに再会した旧い恋人シャルロッテとその娘、何人かの友人と、ゲーテは上の作品が飾られている広間で1816年9月25日に午餐会を開いた。『ワイマールのロッテ』でトーマス・マンはこう記している。そこで語られた話の細部まで、よくもまあマンは見てきたようにリアルに再現したものである。マンがこの小説を書いたのは123年も後のことだが、それでも全編ゲーテの詩の断片が散りばめられており、それは全てを頭の中に暗記していなければ難しいことであり、その意味では絵画にはよくあるが、全体がゲーテに対するオマージュ小説になっている。

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