2012年11月4日日曜日

日曜日の話し(11/4)

ゲーテが晩年を迎えた1830年前後、彼は同時代の画家の作品を散々にくさしているのだが、幾人かの例外としてコルネリウス(Peter von Cornelius)を誉めている。
ゲーテはそれから私に(=エッカーマンに)、コルネリウスの新作の絵について、その構想といい、その展開といい、実に力にみちているとほめる。そして絵がすばらしい色彩を見せてくれるきっかけは、構想にあるという話しになる。(岩波文庫版「ゲーテとの対話(中)」、171頁から引用)
その後の叙述が思いがけない。
生物はあらん限りその生存を続けていくが、しかも、それから自分と同じものを再び生み出す工夫をこらすものだ、ということに思い至る。この自然の法則は、私に、世界の太初においては神はたった一人でおられたが、それから神の似姿をした息子を創られたのだというあの伝説を思い出させる。
そのようにして、すぐれた師にとっても、自分の根本原理と活動をうけついでくれるすぐれた弟子を育てあげること以上に切実な仕事はないのである。・・・作品がすぐれていれば、それと同じだけ当の画家あるいは詩人がすぐれていることになるであろう。だから他の誰かのすぐれた作品を見ても、私は決して嫉妬心を燃やしたりしてはいけないのだ。というのも、結局それは、それをつくるだけの価値のあったすぐれた人間に帰するからである。
忠実な弟子エッカーマンが心に抱いている複雑な陰影が思わず表出されている下りではあるまいかと読んだ次第。


Peter von Cornelius, Tavern, 1820

1820年に制作した作品をゲーテが1830年に新作とは言うまい。おそらく、1830年2月21日にゲーテが自宅の小室でエッカーマンと昼食をとりながら語ったというコルネリウスの新作は、上の作品ではないのであろう。真相は、小生の調査不足にもよると思うが、分からない。ナザレ派の画家であるコルネリウスの代表作は、主として歴史や神話に画題を求めており、上のような当時の居酒屋を描くことはそう多くはなかったのではないか。

この後、エッカーマンはゲーテからコルネリウスの銅版画を見せてもらうのだが、彼の目にはそれほど優れた作品にはうつらなかったようで、そのことも記されている。ここも霧がかかったような文章である。

文豪の晩年に年齢を超えた友情を育んだもののエッカーマンは、結果として独自の作品を遺すには至らず、その代わりに師ゲーテの人となりを伝える語り部となり、それによって歴史に残る作家となった。自分の役回りに徹することが大事であることは分かるが、生前のエッカーマンその人の心の中は永遠の謎である。

この同じ2月の初めには<報酬>の話しをしている。英国の聖職者の余りの高給ぶりがヨーロッパで評判になっていたというか、他国の同業者と余りに違うので顰蹙をかっていたというのだな。『世界は報酬を支払うことによって支配される、という意見がある。だが世界がよく支配されているか、悪く支配されているかを教えてくれるのは報酬であることを私は知っているよ』(同上、163頁)。報酬は「労働の価格」ではあるが、と同時に「正義の表現」にもなっている。人間の価値はそうそう変わるわけではあるまいに、需給関係や既得権益から不合理な報酬が支払われているとすれば、「社会正義が損なわれている」という心情が広がるものである。ゲーテは市民階級出身であり、ワイマール大公国の官僚として立身出世したが、先祖代々の遺産はなく、彼一代の才覚で稼いだ人物である。著作物の出版、販売動向にも関心が強い。優雅ではあるが、整理整頓が行き届いていて、財産管理もしっかりしている。こんな人物はあまり好かれる者ではないと思うのだが、多くの人から愛されたというのは、明るく快活だったというその性格にあったのだろう。こんなことも言っている。
正義は広い領域を占めるが、心の善良さはより広い空間を占有する。
彼が生きた時代は、神よりは理性と啓蒙の時代であり、フランス革命にも見るように<正義>が主張された時代だった。そして正義が次々に主張される世はその後ずっと現在まで続いている。「わたしは、ある機会に、現代文明の特徴をあらわすために、それを倫理時代と呼んだことがある。そこでは多くの人が、正義を行わなければならないと考え、また自分は正義を行いうると信じている・・・」(手塚富雄「生き生きと生きよ、ゲーテに学ぶ」(講談社電子文庫)から引用)。ゲーテは、正義の不毛と、自分自身の心の姿がより大事であること、善良な心に沿わない正義はこの世から消えていくことを示唆している。正義とはいえ、どんな正義でも世を変えるとは言えないことくらい、あまりにも明瞭ではあるが。


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