2012年11月12日月曜日

ストーカー、痴漢、etc. ― 国家権力が監視するべきなのか

ストーカー、痴漢、ハラスメントなど現代的性犯罪が横行しているが、逗子ストーカー殺人事件でまたまた一騒動が起きている。この種の事件が発生すると概ね「守れぬ命―規制法の不備を露呈」等々という報道が洪水のように新聞のヘッドラインを飾る。今回は最初の逮捕状に記載されている被疑事実を読み上げるときに、被害者の現姓と現住所も含めて相手に伝えた点がまず今回の事件につながる原因になったと批判されている。更に、嫌がらせメールに書かれている文面だけでは犯罪を構成できないという点が、今回の殺人事件を予防できなかった原因になったと、そう批判する論調が報道の大半を占めている。

『警察は起こってしまった事件を捜査して犯人を逮捕するという面では得意なのでしょうが、犯罪を未然に防止するという点では不十分なんですよね』、今朝の某TV局のワイドショーでは誰であったか、こんな意見を表明していた。

個人的疑問がいくつかある。


  1. 逮捕とは国家権力が個人の行動の自由を奪う行為である。逮捕されるには十分な理由を知る権利がある。もし十分な理由を当人に知らせなくとも、警察は必要だと判断した段階でその人を逮捕可能であるとするならば、本当に日本国民はそんな国にしたいと望んでいるのですか?私はそう質問したい。だから、どこの誰に対する犯罪行為で自分は逮捕されるのか、その点を知らせずに逮捕するという行為を警察はするべきではない、小生はそう思う。「なぜ逮捕されるのか、本人は分かるはずだ」などと誤魔化してはいけない。
  2. 警察は犯罪の予防をするべきなのか?そもそも捜査・逮捕をする警察組織と、起訴をして刑罰を求める検察組織は分離されている。そうしないと国民にとって危険だからだ。犯罪を予防する組織と、起こった犯罪を捜査し犯人を逮捕する組織も、やはり分離するべきだろうと小生は思う。とすれば、そもそも犯罪を予防する行動は国家権力が直接担当するべきなのか?小生、この点についても甚だ疑問に感じる。<予防>のためには、あらゆる行為が正当化されるであろう。狼を恐れて、虎を家の中に入れるのですか、ということだ。
  3. メールに書かれている文面は、脅迫には当たらず、ストーカー規制法では対応できなかった。その点も法の不備として非難されている。幸いにして小生はこれまで経験した事がないが、親族の一人がもう昨年になったか、嫌がらせメールの被害を受けたことがある。その嫌がらせメールは、発信者が匿名であったが、ごく近くの知人・親戚でなければ知りえない事柄が書かれていた。警察に相談したところ、「文面だけを見ると犯罪であるとは言えないのですね、ただプロバイダーの協力を得て、誰が、というかどのアドレスから送信されたかは調べることができる。そうすると相手がわかっちゃいますが、本当に調べますか?」と、そんなことを聞かれた由。その親族は、自分のメールアドレスを変更して、調査はしなかったそうだ。今回の被害者は、2か月で千通を超える嫌がらせメールを受け取ったということだ。スパムメールとして処理するとか、受け取りを拒否するとか、アドレスを変えるという方法もとれたように思う。


結局残る論点は、嫌がらせメールでは飽き足らぬ犯人が当人の暮らしている場所に出向いて犯行に及ぶ、そんな事態をどう防ぐか。ここである。小生、その予防を警察がやり始めちゃあ、最後に泣きを見るのは国民だよ。この点だけは断言できると思うのだな。自分が嫌なことはされたくない、されればハラスメントだ。どんなハラスメントも受けたくない、それを国が全ての人の権利であると認めますか?認めたうえで、国は防止にも力を入れますか?個人情報の保護どころではなくなりますよ、と。そういうことだ。

そもそも、犯罪防止は、権力ではなく、社会の機能だと思う。やれば、やりかえされる。まあ一言でいえば、ペナルティというか制裁機能がお互いに予想できる、そんなメカニズムが社会に備わっているのなら、警察が関与しなくとも紛争当事者の最終的犯罪行為を抑止できるはずだ。具体的には、相手がどんな武器をもっているか分からない。そういう状態は有効なはずである。また、狙う相手をとりまく親族・知人など周囲の人間たちが、自分に報復をするはずだという予想も ― 今回の逗子ストーカー事件では犯人が逮捕前に自殺しているので有効ではないが、それでも一般的には ― 犯罪を抑止できるであろう。

司法当局は、武器の携帯、私的な報復をどこまで容認するか、私人の正当防衛をどこまで広汎に弾力的に認めるのか。これらの日本の制度的背景が全て、日本人が自己責任において講ずることのできる自己防衛行動を決定しているのである。残念ながら、日本国内では自分の身を自分で(というか、自分たちで)守るという点について、日本国家は極めて強く国民の自由を制約しているように(小生は)思っている。だとすれば、「国民が生きる上でのリスクは全て国の責任でございます」くらいの気概をもって、適切な犯罪防止制度を工夫するべきだろう。しかし、そんな監視国家を日本人は望まないはずだ。とすれば、自己防衛のあり方という面にも、<自由化>と<規制緩和>が望まれるのである。小生は、そんな風に思うのだ、な。

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