2012年12月27日木曜日

二大政党制が単なる二択政治になるなら最悪ではないか

今月16日の総選挙の結果は二大政党とはかけ離れたもので、いわば<ガリバー型政党分布>とでも言うべき状態になった。野党は多党が分立しているし、他方、参議院では自民党、民主党を軸にしながら、「どこがどことくっつくのか?」と、腹の探り合いと合従連衡、権謀術数が支配することになろう・・・。

こんな風に書くと、だから政治はわけがわからない、密室政治はもう沢山だという反応が予想される。しかし、「こんな密室政治はもううんざりだ」と言うばかりで、その逆の見方もまたありうるということに目を向けないなら、あまりに単細胞的であるだろう。

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ドイツでも来年秋に連邦議会選挙がある。本年5月に実施されたノルトライン=ヴェストファーレン州の州議会選挙ではメルケル首相率いる与党が大敗している。この州は大都市が多く含まれドイツ国内でも中央政界に対する大きな影響力をもっている地域である。日本でいえば東京都議選に例えられるような位置づけにある。そこで野党・社会民主党の得票率が39%、CDUの得票率が26%にとどまったので、にわかに来年秋の政権交代もありうべき可能性として視野に入ってきた。それがドイツの政情だ。少なくとも与党が進める財政緊縮路線、欧州財政協定路線にはかなりのブレーキがかかりはじめた。そうも言えるか。

ただドイツもCDU(=与党・キリスト教民主党)、SPD(=社会民主党)の二大政党が多数を占める寡占状態だが、どの一党も安定過半数をとれない、だから連立政権が常態である。その連立を組むパートナーとして自由民主党(FDP)や緑の党(Grüne)がキャスティンボート的役回りを演じるが、これらの小党がどの大政党と組むか、必ずしも長期的に一定した関係はない。そこで「あちらとくっつく、こちらと離れる」、その度に有権者は政治家の合従連衡に翻弄される、そんな状況にドイツ国民の不満も高まっているようだ。独誌Die Zeitでも次のような記事がある。
Wie kann der Wahlkampf ehrlicher werden?
選挙戦をいかにして名誉あるものにするか?そんな風な意識だ。具体的には、どうせ選挙が終わって連立を組むつもりなのなら、選挙の前に複数の政党がブロックを構築して、政策調整を済ませ、その内容を有権者に示す方がよい。それが一方の意見である。
Das geht so weit, dass Parteien, die erklärtermaßen miteinander regieren wollen, mit denselben Schwerpunkten gegeneinander antreten. Die SPD nennt als ihren programmatischen Kern im Wahlkampf: soziale Gerechtigkeit. Und die Grünen? Soziale Gerechtigkeit!Was sollen die Wähler davon halten? Nur Polit-Puristen können behaupten, dass so wenigstens im Wahlkampf die Positionen der einzelnen Parteien nicht verwässert werden. Alle anderen aber dürfen sich darüber ärgern, wenn nach der Wahl das jeweilige Programm, für das sie stimmten, in den Koalitionsverhandlungen radikal zusammengestrichen wird. 
Source: Die Zeit, 21.12.2012 - 15:14 Uhr 
ドイツでは、社民党も緑の党も基軸は<社会的公正>であり、理念は同じである。しかし、選挙前はこの似通った二党が、政治的な位置はあくまでも異なっているのだと主張し合っている。選挙が終われば、色々な政策が連立協議の中で変更を加えられ、妥協が形成され、事前の綱領は根本的に改変されてしまう。これでは「公約を信じて投票したのに・・」と、有権者の不満も強いようだ。政策決定のプロセスが見えづらい。だから、事前に複数の政党がブロックを結成して、有権者が「こうするか、ああするか」の選択ができるような方式にするべきだ。本来、二大政党というのはこういう理解しやすい選択機会を有権者に提供するのに便利(Convenient)なのであって、そんな状況に近づける工夫をしようというのが、上の意見の狙いであると思うわけだ。

これに対する反対の見方もある。

Das wäre natürlich schön bequem: Ein Lagerwahlkampf Rot-Grün gegen Schwarz-Gelb, mit gemeinsamen Schattenkabinetten und Wahlprogrammen. Damit wir Wähler endlich sicher wissen, was wir für unser Kreuzchen am Ende bekommen, für welches politische Endprodukt wir mit unserer Stimme bezahlen. Politik, so berechenbar wie der Einkauf im Supermarkt! 
Aber Demokratie ist kein Supermarkt. Zum Glück. Wer sie auf eine Blockwahl reduzieren will, offenbart damit nur, dass ihm eine falsch verstandene Effizienz wichtiger ist als Meinungsvielfalt und Berechenbarkeit wichtiger als politischer Streit. Das ist ein letztlich schädliches Politikverständnis. 
Um das zu erklären, müssen wir uns kurz daran erinnern, wie Demokratie eigentlich gedacht ist: Alle Menschen sagen ihre Meinung, und am Ende trifft man nach einer fairen Diskussion eine gemeinsame Entscheidung. Dieser Diskurs ist umso besser, wenn möglichst viele der existierenden Meinungen und Argumente zur Sprache kommen. Im Idealfall, so sagt es Jürgen Habermas, herrsche nur der "Zwang des besseren Arguments und das Motiv der kooperativen Wahrheitssuche".
概要はこうだ。確かに、たとえば社民党+緑の党とキリスト教民主党+自由民主党の二大ブロックが対立して、<影の内閣>、<政策綱領>を選挙に先立って、事前に提示すれば、分かれ道に直面した有権者がどちらの方向を選ぶか、その機会が与えられる。それはいかにも有権者にとっても便利である。ちょうどスーパーで商品を選ぶのと似ている。

しかし、民主政治というのはスーパーで買い物をするのとは違う。 こんなやり方をすれば、意見の多様性よりも悪しき効率性をとるかもしれない。数字では測れない政治的対立をあたかも数字で測れるかのように過度に単純化して考えてしまうかもしれないのだ。民主主義というのは、誰でも自らの意見をオープンに発言して、抑圧のないフェアな議論をかわすことを通して、最後に何らかの結論を得るための全体的な仕組みであるはずだ。だから、選挙戦においては、できるだけ多くの意見を議論に登場させるほうが良い。多くの議論が登場すれば、最後に最良の議論が残る可能性が高まることになるし、<集合知>がそこで確認されることにもなる。「三人よれば文殊の知恵」とでも言うか、そんな社会的な工夫が民主主義なのだ。ま、こんな趣旨である。

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日本人も二大政党制がよいと考えている人が増えているようだ。確かに、原発は是か非か?こういう問いかけをすれば、答えもYesかNoの二つしかないので、選択が単純になる。受験者Aは合格とするべきか、不合格とするべきか?この製品は害があるのか、害はないのか?TPPに参加するべきか、拒絶するべきか?中国は信頼できるのか、信頼できないのか?すべて物事は是か非か、善か悪か、正か邪かという二項対立に持ち込むことが可能である。

回答を二通りに限定させることによって、決め方はシンプルになるが、失われるものも多くなる。良い面と悪い面の両方を含んでいる現実に対して、本当は「良い」と回答する方が全体の利益にはかなう場合に、誤って<悪い>と結論を出してしまう集合知ならぬ<集合愚>が発生するかもしれない − 逆に、「悪い」と判断するべき時に、「良い」と結論を出す失敗もありうる。とるべき判断とは正反対の結論を出す時の損害ははかりしれない − <間違った開戦の決定>などは一例だろう。

二項対立、言い換えると<選択の仕方>が間違っている。客観的な正解がありえない状況においては、現実にそった選び方をする必要がある。正解が明らかでない場合は、社会的な判断もいずれか一つの見方に偏らない方が、というより偏らせない方が、理にかなっている。不明解な姿勢をとり続けることによって、大胆果断な敵には<先制攻撃>のチャンスを与えるだろう。だから即断即決をするシステムが国益の観点から良いのだ、という結論にはなるまい。是非を決める意思決定を速くしても、甚大な失敗のリスクが高まるのであれば、元も子もない。集合知の形成に時間をかけるシステムにしておくのは、決して愚かな国作りではないと思うのだ、な。

ということで、1994年の細川内閣による選挙制度改革は改悪であったというのが、小生の立場であります − ちょっとロジックが飛ぶが、とりあえず今日はこの結論で。




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