2013年2月9日土曜日

日銀総裁の心理 − 経済分析で実証するのは難しすぎる


こういう議論をするとすれば、それは政策技術に関する話しになるわけで、専門家にとっては最も得意の領域である。
WSJ:日銀は具体的にどのような政策を取るか、あるいは取るべきか。 
ポーゼン氏:いくつかあると思う。まずは新しい総裁、副総裁の下で開かれる4月の政策決定会合だ。最も重要なのは、長期国債だ。量的緩和のために日銀が購入している国債の残存期間は3年よりもはるかに短い。これでは現金を買っているのと実質的に同じだ。経済学や中央銀行の政策についてのわれわれの知識からすれば、現金を買っても経済への影響はほとんどない。反対に、長期国債など現金から遠いものを購入すればそれだけ経済に大きな影響を与えることができる。これが米国、英国の中央銀行、そして程度の差こそあれ欧州中央銀行が行っている施策だ。日銀は残存期間の長い国債を大量に買うところから始めると思う。
(出所)Wall Street Journal Japan, 2013年 2月 08日 19:48 JST 
償還期間が3年未満の債券を買い取るか、7年超の債券を買い取るかで、日本国内の民間金融機関ひいては企業の行動パターンが異なるのか、変わらないのか?

長めの債券を高めの価格で市中から買い取るなどという金融政策はやったことがないのだから確証的なことは言えないわけだな。確証的なことは言えないところを、『長期金利を断固として下げれば、それで効果が出ないはずはないだろう…」と考えて、<敢然と>やる。まあ、ここの点を云っているのであろう。必ず住宅ローン金利に波及する。住宅ローン金利をグンと下げれば、そりゃあ効くでしょう。変動金利ローンの場合、返済中の適用金利が下がって、小生など年収が数十万円アップするのと同じことになる。それがずっと続くとなれば、消費行動に現れないはずはない…。とはいえ、<憶測>であって、<実証的根拠>があるわけではない。そうするならそうするで、ま、職と名誉と自分の人生を賭けて、深く踏み込む<度胸>が不可欠になる。

政策というのは、データに基づいて実行するのであって、<敢然>と<断固>として行うものではないし、それは寧ろ不適切である。随分、昔であるが、小生もそんな議論をしたことがある。その議論は、当時はとても合理的であり、絶対的な真理だと思っていたが、政策とは政治の現実そのものである。政治の現実とは権力の行使だ。確かめられたことだけを実行するという姿勢では、問題を解決できない、究極的にはこう言えるのだろうなあ、と。考えることは年齢によって変わるものである。

だから、次のやりとりになるのだろう。
WSJ:あなたは日銀の政策を変えるために非常に重要なのは「ふさわしい人物」を選ぶことだと言っている。だれがいいと思うか。誰が日銀総裁にふさわしいか。あるいは誰になると思うか。 
ポーゼン氏:多くの人が3人の名前を挙げている。わたしは名前を挙げないが、この3人は前向きな動きを作り出せると思う。3人とも日銀総裁にふさわしい経歴を持ち、経済学の知識を持っている。重要なのは、金融政策ができることについて敗北主義に陥らずに現実的になることと、そして、抽象的な原則を振り回したり、しぶしぶ経済指標に対応したりするのではなく、少しプラグマティックになることだ。
(出所)上と同じ 
 <敗北主義>という用語は、小生が学生の時分からよく使われていた言葉だ。小生は、甘く育ったのか、”チャンボツ”であったのか分からないが、どんなことが敗北主義に該当するのか、よく理解できず、理解できないままに、意味も分からず、気に入らない時に「それは敗北主義だろう」と台詞として言うだけはしていたものだ。

そもそも当局の責任者の心理状態など、マクロ経済分析において系統的要因としてリストアップされることなどないはずだ。それと、日銀の意思決定は政策決定会合で決まるもので、総裁が独裁するものではない。だから、日銀総裁のキャラクターまでを取りざたする上の指摘は、分析対象になることもない「下らない議論」のはずなのだが、ポーゼン氏の指摘は、小生にも奇妙なほどピンと来てしまう。

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