2013年3月9日土曜日

イノベーションは我慢から生まれることはない

北海道は3月になったというに相変わらずの厳冬である。振り返れば昨年12月から天気はおかしかった。ドイツの記録的暖冬がそのうち日本に回ってくると素人予測をたてていたが、とんでもない結果である。桃の節句にもなってから、道北では地吹雪の中、悲惨な事故すら起こってしまった。雪の多かった冬、寒さの厳しかった冬、ドカ雪に吃驚した冬、……、色々な冬を経験したが、こんなに<性悪の冬>は初めてだ。と、自然現象に怒りをぶちまけていても仕方のないことだ。
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道新の社説をなにげなく読んでいると − 3月から日経はWEB購読だけにしたので紙面は道新一つになった − 冬の節電について論じていた。道新という新聞は、基本的方向には賛同することが多いのだが、時に経済合理性をはなから考えず「敵幾万人ありとても」風な素朴自然回帰主義を振り回すことも多いので、その点かえって辟易することもままある。
値上げをたてに、泊の再稼働を迫るようなやり方は認められない。
合理化努力はもちろん、再生可能エネルギーを含む電源の多様化、節電を促す料金メニューの設定など新たな経営ビジョンを示すべきだ。
この冬は燃料費も高騰している。家庭にとっても、企業にとっても、厳冬期の節電努力は並大抵のものではなかったろう。
だが、省エネのための投資や創意工夫は決して無駄にならない。
(出所)北海道新聞、3月9日
省エネのために努力を払うことは常に大事である。大事でない時はないのであって、むしろ当たり前のことである。再生可能エネルギーなどを増やすべきだから節電が大事であるわけではない。ベトナムはなぜ原子力発電を拡大しようとしているのか、トルコはなぜそうするのか、中国は原発がこわくはないのか、韓国は?アメリカは?イギリスは?・・・やはりそこには同じ<無駄を省く>こと、つまり<節約・節電>への意識があるわけだ。

議論の出発点が最も大事だ。

ずっと原子力発電を国是としてやってきて、大地震と大津波が発生したら電源を喪失することくらい理屈では理解できていたにもかかわらず −だからこそ管理ミスという人災であって、不可抗力の天変地異による災害とは考えない、そうではなかったのか − 実際に巨大津波が到来して、沿岸部に林立する原発施設の中で最も老朽化した施設が事故を起こした。だから、原発は適切ではないのだ、と。こんな議論は、大震災以前の日本人はバカだったのだと、言わんばかりではないか。

小生は、率直に言って、大震災以前に日本人が選択してきたことは、愚かだったとは思わない。つまり原発事故は管理ミスであり、その責任を追及するべきだと思う。責任を追及しないのは、天災によるものだと考えている証拠だ。だとすれば国が東電に対して保険金を支払うべきである。それは許容範囲を超えるほどのハイリスクの証であると考えるなら、脱原発を唱えても論理はとおる。もし保険金を支払わないなら、事故の原因は天災ではなく原発管理者の責任だとみるということだから、被告となりうる会社の経営を国が支えるのはおかしい。どちらの立場をとるかを明瞭にするべきだ。

社説の筆者は、電力価格が上昇するのは安全コストの上昇、代替資源の高価格による論理的帰結であると、そうハッキリと言い切ればよいのである。価格メカニズムが節電を可能にすると言えばよいのである。基本料金・使用量料金の二部料金制や、大口電気料金制などは廃止して、電力を消費すればするほど購入単価が上がるようにすればもっとよい。生活水準は下がるだろう。そこで我慢をする。そんな呼びかけなら理屈が通るのである。安全に暮らせる世の中はフリーランチじゃあないのだ、と。なぜそう言わない?質問したい気持ちを禁じ得ないのだな。

イノベーションは不必要な我慢を拒否する願望から生まれる。挑戦からはじまる。そのためには参入の自由と競争の自由、創業者利益の獲得を保証しなければ、起業家などは出ないのだ。大体、これからは再生エネルギーだと人々の目が向いている状況で、その分野でイノベーションは生まれない。もうダメだと思われた原発分野でイノベーションが生まれて、人々は吃驚する。原発を超えるニュー・テクノロジーが提案されて吃驚する。そんな可能性のほうが高いと思う。そのとき、イノベーションを受け入れて、事業として開花させるだけの器の大きさが日本社会には求められているのじゃあないかと。小生、そう思ってしまいますなあ。

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