2013年6月24日月曜日

無党派 ー 計算高い利己主義者か、おさない夢想家か

都議選で自民党・公明党が圧勝し、政権与党は自信を深めている。反対に、民主党は半減未満の惨敗、というより壊滅状態になった。おそらく、来月の参議院選挙でもこの流れが引き継がれるだろう。

今朝の道新を読むと、参議院選の比例区で自民党に投票すると回答する人が29% – 28.8%だがヘッドラインでは28%と小数点以下切り捨てにしている – 民主党が8%である。ところが、「まだ決めていない」という人が38%いる。最大のマスを形成しているこのグループが、おそらく「支持政党なし」の「無党派」に対応していると推測される。

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「無党派」というのは、与党なら政権の運営状況や総理・閣僚の発言などをよく聴いて、野党なら公約や主要人物の発言をよく聴いてから、投票先を決めるという人たちのことだろうから、印象としては<合理的な態度>であると言っても、それなりの理屈はある。

ただ昨日の都議選では、共産党も当選者が倍増し、大躍進を遂げている。共産党の党員数というか、党費納入者数は数年前に大規模な整理を行ったため、30万人から25万人程度に減っている。また、一般に共産党シンパとみられる機関誌「赤旗」の読者は、10年前の36万人から24万人へ3割以上も激減している。経営的にも赤字で苦しい状況だ。いまの世情は「右傾化」を心配するべきなのであり、「左傾化」が懸念される時代ではない。まして共産党支持の流れが定着する社会状況であるとは、全然言えないわけだ。ところが、都議選で共産党が躍進した。これは無党派層が共産党候補を支持したからだと容易に憶測がつく。

全くねえ、ある選挙では民主党に投票し、次の選挙では共産党に投票する……。論理的に「ありえない」わけであり、小生は残念ながら、こういう投票行動の胸の内がサッパリ分からない。ただ、こ難しい理念の話しはさておくとして、日本における所謂「二大政党制」は、保守的な自民党とリベラルな民主党が対立する構図ではなく、既得権益層が支持する保守勢力と体制倒壊をはかる急進勢力に二極分化する、そんな二大政党に収斂されて行く。こんな行き方も、ひょっとしたら、ありうるのではないか。都議選ばかりでこうは言えないと思うが、参議院選でも共産党が躍進するとすれば、その兆しではないか、そんな風に思うのである。

だとすれば、無党派層もまた二極分化していくだろうと憶測されるのだが、それでも最後まで「無党派」であることへのロイヤリティというか、無党派であることへのコダワリというか、こういうグループは最後まで残るだろうなあ、と。そうも思われる。それは、つまり自分自身がどの社会階層に属するかという観点ではなく、よく言えば是々非々主義、悪く言えば「何かをしてくれそうな側」に入れる。最初から信念であるかのように一方の側を支持するのではなく、現状に基づいて自分の立ち位置を決める。そこが、「日和見」といえば成る程そうなのだが、ある意味で非常に科学的である、おそらく自意識としては堂々と語れないまでも、かといって引け目にも感じない、ある種の確信を感じる、そこで無党派という行動パターンにつながるのだと推測される。

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ただ小生は思うのだが、投票行動もその人の社会的関係をかなり反映するのだと思う。無党派という「派」がマスとしてあるなら、それに応じた社会的関係、その人達をとりまく社会状況が一定のパターンとしてあるのだと思う。

「これが自分の考え方に近い」ではなく、「これは良さそうだ」という観点で自分の社会的立ち位置を決めるのだとすれば、思想や原理ではなく、個別利益に即して自分の行動を決めていることになる。個別利益の見通しは、実は現在の社会システムを前提にしているものである。つまり、基本的には体制に属しながら、末端にいるために、自律性をもたず、それ故に大きな希望や動機は持てず、社会レベルの目標を持たないがゆえに、個別利益をみて自己の立ち位置を決める。そういうことじゃあないか?そんな行動原理が「無党派」を形成しているコアではないかと見ているのだ、な。

であるなら、こういう階層は江戸期・幕末でいえば、いわゆる「下級武士」と相似関係にある。上級武士というか、旗本ではなくて貧乏御家人。その下級武士が、実は指導層内部においては最大のマスであって、そのマスが特定の目標をもてば、執行部の組織体制を倒壊して集団的目標を達成できる。そんな自覚をどうして持てたかが「明治維新」を理解する大きなポイントだと思う。つまり、明治維新は上からの革命だと言われるが、逆に下からの革命でもあった側面があるので、やはり日本の歴史を画する一つの「社会革命」だった、こんな見方が大変面白いのじゃないかと思う。

入れる政党がないから、共産党に投票する。もし本当に都議選でそうしたのだとすれば、共産主義・社会主義思想をよく知らないのかもしれず、夢想的なキョロマではないかと思われるし、せいぜいよく言ってもロマンティストだろう。こうくくると、「まだ投票先を決めていない」と回答した人たちの怒りをかうかもしれないが、現在の社会システムを前提とした「リベラルの限界」を多くの人たちが意識しはじめている兆候であるのなら、無党派=ロマンティストと言葉遊びをしている場合ではないかもしれない。自由と人権、私有財産権と市場経済は、いまの社会を支える原理だが、社会を支える原理は多数の人の利益にならないと受け取られれば正当性を容易に失うものである。あらゆる共産党が唱える<人民の解放>が、「無党派」の支持を得る確率は決してゼロではないことを知っておくのがよい気がする。

ま、昔とは違ってプロレタリアートが国際的に団結するような経済環境はもはや存在しない。ミラノヴィッチ「不平等について」で強調されているように、不平等は階級によるものではなく、生まれた国によるものがずっと大きい。日本国内の「人民」は、世界においては恵まれたグループに該当する。だから、共産党といっても、日本一国限りの人民の解放を目指すしかないことは、自明である。話しは、所詮「日本ではどうなるのか」という、狭い限られたものなのだ。

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