2013年8月18日日曜日

日曜日の話し(8/18)

お世話になっている寺で本日は施餓鬼会がある。回向が始まる前に着くように家を出たのだが、寺の境内、門前は既に駐車車両で一杯だった。今年は盆に墓参りまでしているので、回向料だけをカミさんに届けてもらって、そのまま買い物をすませ弁当を買ってから帰宅する。

帰宅してから、先日、友人たちと会食をした時に出た話題を思い出した。そういえばネット事情に詳しく、美術にも関心の深い友人は、愛用のmini iPadにモネやクリムトの画集アプリをインストールしていた。その数は10冊を超えていた。書籍の形でそれだけの画集を持ち運べば10キロ超の重量になる。やはり技術進歩は有難いものだと、機械には詳しくない方の友人に大いに吹聴したのだ。それを思い出して、小生のiPadにもクリムトを入れたところだ。まあ、もともとモネとセザンヌは既にインストールしているのだが、姉妹作品がこんなにあるとは知らなんだ。

そういえばフランス人のモネは、海や睡蓮などは何度も絵にしているが、実は当時としては最先端の文明の象徴であった蒸気機関車と駅構内の情景を何枚も写生している。同じ印象派のドガは、写生するにしても劇場の踊り子であったり、競馬場であったりしたのだから、モネは機械好きでもあったのだろう。


モネ、サンラザール駅、1877年
(出所)WebMuseum

パリのサンラザール駅はパリとノルマンディー地方を結ぶ鉄道の終着駅である。モネは同地方にある港町ル・アーブルが郷里だから、この駅を描く気になったのだろう。フランスで鉄道網が整備され始めたのは1830年代、パリとリヨン間が最初であるはずだ。フランス全土の鉄道網があらかた完成したのは1860年代になってからであり、その形が今日に至るまで基本型になっているという。

下は郷里ル・アーブルの港の風景である。


C. Monet, Fishing Boats Leaving the Harbor, Le Havre, 1874
Source: WebMuseum

舟の大半は漁船とはいうもののほとんど全部が帆船である。江戸の人々が蒸気機関の黒船に吃驚したのは、モネが上の作品を描いた年の21年前である。米国・東インド艦隊を率いたペリー提督は、帆船から蒸気船への切り替えを提言した海軍近代化の父であるそうだが、新しい技術が古い技術に完全にとってかわるには、相当長い時間を必要とするようである。

いまはインターネットのない生活は既に考えられなくなっているが、これからも更に一層身の回りの暮らしのあり方はインターネットが変えていくに違いない。20年先のライフ・スタイルなど想像を絶するというもので、いま話しても井戸端会議の域を出まい。インターネットは、情報通信技術だが、ロボットなど自動制御技術も<情報処理>には違いない。ロケット打ち上げ、宇宙ステーションの管理も情報処理、電子書籍の売買管理も同じ情報処理技術の賜物だ。Amazonは、メガネ不要の3次元映像再生端末を開発中であるという。現代の蒸気機関車はコンピューターだろう。

蒸気機関車を描く芸術家の心理は共感可能である。モネがいま生きていたら、おそらくロケットの打ち上げ風景を写生したいと言うに違いない。

不思議に感じるのは、エネルギー産業の最先端技術であったはずの原子力発電所を描いた絵画作品を一枚も知らないことだ。<新しい技術>というのは、色々な外部不経済を指摘されるにしても、その機能性に目を向けると確かに美しい。岡鹿之助が描いた「雪の発電所」- 水路式発電所 ‐は切手にもなっている。



アメリカのゴールデンゲート橋やパリのエッフェル塔、東京のスカイツリーが美しいのと同じ意味合いで、最新の技術には見たことのない<新しい美>が隠れているものであろう。ところが、原発施設に美を認める人がいない。美のモチーフとして原発施設を選んだ人がいない。小生は寡聞にしてみたことがない。これは大変不思議ではないかと思うのだ。

確かに不思議なのだが、小生は幼いころ、ウラン、というか放射性物質の放つ青白い光を美しいと感じたことをよく覚えている。




この時の気持ちは、キュリー夫人が夫ピエールとはじめて分離したラジウムをのぞきこんだ時の感動に似ているのではないかと自負している。
ひっそりと静まった闇の中、二つの顔が、ほのかに青白い光をのぞき込む。その神秘的な光の源を、ラジウムを―自分たちのラジウムを!
(出所)エーブ・キュリー(河野万里子訳)『キュリー夫人伝』(白水社)、255頁
上の写真は、ラジウムではなくコバルト60なのだが、水中で発するこの色は、やはり自然の神秘を蔵していて、とても美しいと感じるのだ。

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