2013年9月29日日曜日

日曜日の話し(9/29)

勤務先の入学試験があって午後からずっとつめる。それが終わって、ちょっとした紛糾ごとで相談。夕食前に帰宅してようやく人心地がついたところだ。

やれやれ、年に二回実施している入学試験もあと何度すればいいのか。もうホトホト飽きたという感じもあるが、「これからはしなくとも構いませんから、ゆっくり休んで下さい」と言われるとやっぱり寂しいだろうということも分かる。

× × ×

役人をしていた頃の同期にえらくシューベルトが好きな人物がいた。その者はいま関西の某私立大学で環境経済学専門のN.A.教授として有名になったが、役人になったばかりの頃は宇沢ゼミの直弟子丸出しの雰囲気をただよわせていた。実際、純粋の江戸っ子であるソ奴は「箱根の向こうには悪い奴しかいない」、「おいおい、それを言うなら鬼が棲んでるという所だろ」と。まあそんな人物だったのだが、よほど大学生活をしたかったのか、嫌いなはずの関西に引っ越してもう10年以上になる。小生、まだそれほどの年配でもない頃にいまの勤務先に引っ込んで、現役引退というか、土俵をおりたような田舎生活を続けているので、上で引き合いに出した人物とは以来会っていないが、もう随分姿も顔つきも変わったことだろう。彼の人物とは結構な縁(えにし)があったのか、公務員試験の二次だったと思うが、たまたま右隣にいた人物がその人であった記憶がある。試験が始まる前に小さい声で「▲▲してくれませんか」とその人物から頼まれたのだが、何を頼まれたのか思い出せない。「教えてくれ」ではなかった。いざ試験が始まってから、斜め前の別の人間が消しゴムを使っている最中に答案用紙をビリビリと破いてしまうなど、室内でも甚だ落ち着かない一帯であったことを覚えている。終わって外に出ているとき『あれはブラインダ・ソロー(Alan BlinderとRobert Solowであるとは後になってわかった)で決まりだよ』と大きな声で話すのが聞こえたので振り向くとソ奴であった。まさかその同じ人物が同じ役所に入って同期になるとは思わなかったので、もう一度見た時には吃驚した。その後も色々なことを話したが、口から出るセリフの約50%は英語の単語であるという不思議な日本語を使っていた。大変面白かった。

ま、何にしてもそれもこれも過ぎ去ったことである。そのうち覚えている人間が世を去れば、最初からなかったことと同じになる。しかし、小生がこうして書き残しておけば、いつかは愚息がこれをみて、昔あったことを記憶するのと同じになる。社会の歴史と一人の人間の存在は、記憶と忘却とが紡ぎ合わされている点で、そっくりである。存在の本質は「記憶」であり、記憶は時間の経過の中にある。

人も国も町も、その存在の本質は「記憶」にある。が、他方、すべてを記憶していると、とてもじゃないが不愉快で生きて行けない。忘れるべきは忘れるべきだ。難しい所である。


Der Erlkönig(魔王), Moritz von Schwind

シューベルトはナポレオン戦争の激動が終息し、欧州が保守的な戦後体制(ウィーン体制)に置かれた時代、つまりビーダーマイヤー時代に仕事をした音楽家である。ゲーテも老年を迎えた最後の20年弱をそんな時代に過ごしている。思想は革新的だが、社会は保守反動が支配し、前例のないことは革命を連想させるので全て悪、そんな空気は日本人も何となく共感できるのだ。

亡くなった母は1933年に公開された映画「未完成交響楽」が大変好きだった。小生も中学生の頃だったか、TVで再放送されたのだが、シューベルトのSerenadeや交響曲 "Die Unvollendete" をその中で初めて聴いた。



シューベルトの作品番号・第1番である歌曲「魔王」はゲーテの詩に曲を与えているが、そのゲーテが書いた最後の青春作品と感じられる「ヘルマンとドロテーア」には次の下りがある。
いずれの者にも死は生となるのです。
父上が感じやすい男の子に死をただの死として示されたのは、当を得ていませんでした。
若い者には気高く成熟してゆく老年の価値を教え、老人には若さを教えて、両者がともに永遠の循環を楽しみ、
生の中で生を完成するようにしたいものです。
(出所)「ゲーテ全集」(潮出版社)第2巻、詩集、401頁

経済産業省・某官僚が自分の匿名ブログを隠れ蓑にして勝手放題の暴言を書き綴っては気晴らしにしていたそうだが、「死ねよババア」という言いざまには、あまりの思想の低レベルに慄然とするしかなく、クイズのような奇問、珍問に正解する能力ばかりを評価する愚行に成り果てた現在の公務員試験にもはや何の希望も感じられないことが分かる。

実は「ヘルマンとドロテーア」にはもっと素晴らしい下りがあるのだが、それはまた次の好機に。





2013年9月27日金曜日

覚え書―経営者の判断ミスと刑事責任

純粋の理屈から言えば、経営者が自社の経営において失敗すれば、それが過失であろうと過失でなかろうと、投資家は経営者を免罪することはない。これは理屈だけではなく、市場による制裁として現実にそう機能するところでもある。そして会社の事故や不祥事は、基本的に経営責任者の判断で予防できるものである。真に「不可抗力」であって、誰がみても「神罰」としか思われないような事故は、まあ、ないものだと小生は思う。

一方、刑事裁判の場においては、福島第一原発で失敗した東電も、尼崎事故で失敗したJR西日本も、その経営者は過失責任を問われないことになった。東電の経営者は起訴すら行われなかった。

× × ×

しかし、任期途中で詰め腹をきった現職の社長の身の不運はいざしらず、これでは事故の痛みは、<被害者>と<投資家>と<従業員>が大半を負担してしまうのではないか。経営者は(基本的に)実損を蒙ることなく人生を全うするのではないか。

一体、経営者、取締役たちは会社において何をすると期待されているのだろうか。無能と不運はそもそも線引きできることなのだろうか。不運は確かに不可抗力だが、無能はそのことに責任を担うべきだと思ってしまうのだな。身もふたもない表現ではあるが。

ノーブレス・オブリジェ(noblesse oblige)が当たり前であった幕藩体制であれば、『世間を騒がせ、数多の民草を塗炭の苦しみに追いやった罪、誠に重々不届き。因って家財没収のうえ▲▲遠島を申し付ける』、まあこの辺が相場という気がする。しかも<連座制>である。なるほどこれは厳しくて怖い。しかし怖いのは命令権者である経営陣だけであり、部下は業務命令に服従しているだけである。

× × ×

要するに、組織の失敗に対してトップがどれほどの個人的責任をとればよいかが論点なのである。近代的な資本主義国家の法制において株式会社の取締役社長の権限と責任は限定的に定義されている。出資者である株主たちの有限責任ともバランスがよい。ちょうどそれは疑獄事件が裁判になったとき総理大臣の職務権限がポイントになるのと同じである。官僚は基本的に大臣から命令をうけて職務にあたる立場にある。その大臣は国民から付託をうけて政治をする。そして国民はというと「日本太郎」なる人物はどこにもいない。この民主主義の論理とも共通している。

まあ、細かい議論はともかくとして、法は国民に刑罰を科することもできるわけである。指導層が法によって保護される一面がある― 法が保護するのは指導層だけではないが ―のだとしたら、とるべき倫理的責任を厳しく追及されても、それは仕方のないことだ。

しかし、法の足らない所を倫理に期待しても無益だろう。社会というレベルでは、誰でも自己利益を優先する誘因がある以上、倫理は機能しない。

法はそれ自体に価値があるわけではない。窮極的には国民の幸福を増進しなければ価値はない。それには国民の「道理の感覚」に沿うことが必要だ。法の論理ではなく、法の使用者である国民が抱く道理感、倫理観を志向する<法の技術進歩>が本来なされるべきことだろう。法は、静態的にとらえるべきではなく、進化するツールとして見るべきだ。フェアな社会を作るのは法の役割である。経営者の倫理に丸投げするべきではない。


2013年9月26日木曜日

たかが旗の問題なのか?

韓国議会では「旭日旗」の製造・掲揚を処罰する法案が提出されたとのこと。これは「反日」に該当するのだろうか?

たかが旗のことであるけれども、日本国内で公式に使われている旗を掲揚すれば、韓国内では「違法」となると、色々不都合が生じるかもしれない。確かに韓国では2012年9月の多国間演習に際して、旭日旗を掲げた海自護衛艦の釜山港入港を拒否しているなど、旭日旗に対する反発は以前から激しいものがあった。とはいえ、少し前の9月上旬には練習艦が仁川に入港しているようであるし、同じ年の4月には韓国海軍基地で海自護衛艦が公開されてもいる―YouTubeにもあるが、どうも掲揚されているのは(しかとは分からないが)日本国旗であり旭日旗ではないようだ。いずれにしても、旭日旗は軍旗であるので、それに反発する心理は突然形成されたものではなく、ずっと以前から韓国国民の胸の中に潜在していたことは否定できないと思われる。更に、それは何故かと問うのもよいが、結局、日本が戦前期においてとった対外政策が賢明さを欠いていた。そう考えるべきなのだろう。

ちょっと調べてみたが、たとえばドイツは戦後になって国旗を改変している。ナチス政権は、当初は第一次大戦で消滅したドイツ帝国の国旗を踏襲していたが、その後は有名な赤地白丸に"Hakenkreuz"(鍵十字)旗に切り替えた。国防軍旗もデザインは違うが、赤地に鍵十字の意匠は同じである。それが第二次大戦後になって、ドイツ国旗は東も西も第一次大戦後の1918年から1933年まで存続したワイマール共和国・国旗に沿ったデザインに戻り、軍旗には鍵十字ではなく神聖ローマ帝国の伝統をひく鷲の意匠が入れられるようになった。たかが旗の歴史ではあるが、ワイマール共和国はドイツ帝国を否定し、ナチス政権は逆にドイツ帝国の栄光を回復しようとし、戦後の連邦政府は再びワイマールの精神に戻った、と。こんなドイツの歩みがにじみ出ているわけだ。

それに対して日本は、国旗は戦前期と同一(のはずだ、縦横の比率、日の丸の直径と白地の比率など変更が加えられているかもしれないが熟知しない)。軍旗も、海上自衛隊は帝国海軍と全く同じ旭日旗を使っているようだし、陸上自衛隊も帝国陸軍の十六条旭日旗をもとにして作った八条旭日旗を採用している。まあ、海自護衛艦が韓国に入港するとなると、大日本帝国海軍と同じ旗を掲揚した軍艦が入ってくるという情景になるわけで、この点は確かにドイツと周辺欧州諸国の現状とは違っているのである。

なるほど日本国憲法は平和を希求する憲法であり、近代日本のスタートとなった明治維新も決して帝国主義的拡大を目標としたわけではなく、富国強兵はもっぱら国の独立のために必要な政策だった。そしてまた、文民による外交交渉や経済的な相互依存関係を重んじるというよりも、よく言えば武断的、悪く言えば暴力的な軍事力で進めて行った支配圏拡張政策は、日本近代史の特定のある期間を特徴づけるものでしかないはずだ。しかし、その時期において<大日本帝国>を象徴した意匠が、戦後になっても、全く違った時代・国際環境の中でも、また再び使われているとすれば、やはり同じ意味が込められている。日本の国家的信念は外観は変わっても本当は同じではないのか。近隣諸国からはそう解釈されても、それは仕方がないのではないか、と。小生もこの点は納得してしまうのだ。日本政府は「旭日旗は軍国主義の象徴ではない」と反論しているようだが、そもそも日本は<軍国主義国家>になろうと国民や議会が決議したことはなく、こういう言い方はおかしい。それに象徴しているかどうかは、それをみる人たちが何を連想するかであって、掲げる人の意図を問う事柄ではない。

リンゴをみてニュートンを連想する人にとっては、リンゴはニュートンを象徴しており、アップル社の象徴ではないのだ。

たかが旗ではなく、日本国を象徴する「意匠」、その家の伝統をこめた「家紋」のようなものだと考えれば、単に「昔も使っていたんだよね」と、その程度の思案で再び採用するべきではなかったのかもしれない。慎重であるべきであったのかもしれない。この辺、ナショナル・アイデンティティの事柄であって、卑近な例でいえばコーポレート・アイデンティティが会社にとっては極めて大事である。これと同じだ。

2013年9月24日火曜日

ドイツの与党勝利をこんな風にみる目線もあるか

旭川で研修を受けてきた愚息が今度は東京に移るというので今日は宅にやってきた。近くの温泉街にあるホテルで昼食をとってまた家に戻り、モヒートを飲みながら午後3時頃まで寛いだ後、今日は後輩と飲み会があるというので隣のS市まで戻って行った。明日の飛行機で東京へ発つ予定とのこと。東京で更なる研修をうけた後、年明けには勤務に就くので、当分の間、愚息と食事をする機会は随分と減ることになろう。

家族から世界へ目を向けると……、ドイツでは与党が大勝利をおさめ、メルケル政権は3期12年の長期政権となる見込みとなった。過剰債務のギリシアではドイツ国旗を燃やされる程に嫌われているが、ドイツ国内ではぶれることのないメ首相が圧倒的に支持されている模様だ。

その情勢について日経には以下のような論調の記事が載った。
例えばイスラム系移民がドイツ社会に溶け込めないでいる問題については、「移民側の努力不足」という論理がまかり通り、異文化に非寛容で閉鎖的なドイツ社会の改善には本腰を入れないだろう。 「ドイツの価値観」を絶対視するため、エネルギー政策や財政政策で溝のある日本との関係強化は困難が伴う。すでに日独関係は大きく冷え込み、ドイツはアジア外交で中国重視にかじを切った。
(出所)日本経済新聞、2013年9月23日 
おい、おい…と。「異文化に非寛容で閉鎖的なドイツ」とはいうが、たとえば「ドイツ 労働力 移民」で検索をかけると早速こんな資料がかかってくるのである。
ちなみに、国連が実施した「人口維持のための移民受け入れ」のモデル計算によれば、ドイツの場合、64歳以上人口の15~64歳の年齢層に対する比率を現状で維持するためには、年間約340万人の移民の受け入れが必要という結果が出ている。このことは、95年から2050年までの間にドイツは、現在の2倍に相当する約1,900万人の移民を受け入れなければならないということを意味する。
(出所)ドイツの人口問題と移民政策 
現在の2倍に相当する受入数が1900万人だから、これまでが950万人ということだ。ドイツは欧州最大の移民受け入れ国である。もちろん、その背景は経済規模の拡大があるわけであり、何も慈善事業で受け入れているわけではない―そんな慈善はそもそも非現実的だ。しかし、ともかく千万人という桁数で移民を受け入れて、なおかつ国としてのアイデンティティを保とうとすれば、移民側の順応努力を求めることが、国家の政策として間違っているだろうか。小生は、どうしてもそう感じてしまうのだな。 ちなみに日本の移民事情について、たとえばWIkipediaを調べると以下の文章にであう。
ブルーカラーの労働環境の改善や日本で就職難が深刻化するに伴い人手不足は徐々に解消に向かうが、外国人労働者の増加は2007年頃まで続き、2007年の時点で日本には約100万人の来日外国人労働者が在留。その家族や特別永住者等を含めると200万人の在留外国人がおり、日本に定住・永住する者も増えている。(出所)Wikipedia「移民」
「移民側の努力不足という論理」は、確かに日本でまかり通ってはいないが、それは日本ではハナから移民が受け入れられていないからだというのが主たる理由であろう。

移民を受け入れる時に、日本は「A級戦犯」や「靖国神社」、「戦争慰安婦」や「侵略の定義」等々、いまなお近隣国と紛糾している問題について、どんな考え方を国家の姿勢とするのだろうか。まさか靖国神社や遊就館をそのままの姿に「日本社会への順応政策」の基盤とするのだろうか。ちょっとそれは難しいと小生は感じるのだ、な。

日本の大新聞がドイツを指して「非寛容で閉鎖的だ」というのは「どのツラをさげて言うか」と怒られるような気がしないでもない。

割り切るほうがよいと思う。日本とドイツは、世界市場において製造業の顧客を奪い合う競合関係にある。中国市場で日本が退潮しドイツは浸透しつつある。ヨーロッパ市場で日本企業が攻勢に出れば損失を被るのは主にドイツである。もし経済的利害関係で対立することが関係強化の障害になるのだとすれば、1960年代以降アメリカ市場に攻撃的マーケティングを展開した日本はアメリカと外交的に対立し― 確かに日米貿易摩擦が発生した ―関係強化に困難が発生し、ひいては日米安全保障体制にも亀裂が入っていたはずではないか。日経の記事は、ドイツにはタフ・コミットメントだが、フランス(またアメリカ)に対してはソフト・コミットメント、合計すればプラスの戦略的効果を見込める意見だと言うことか。

いずれにしても、上の日経、読んで奇妙に引っかかりを覚える記事でありました。

2013年9月22日日曜日

日曜日の話し(9/22)

TBSの日曜ドラマ「半沢直樹」が過剰とも言えるような番宣を繰り広げた一週間だった。
やられたら、やり返す、百倍返しだ!
もう分かりました……そんな感じになってきた。

「やられたら、やりかえす」。ゲーム論でいえば「タカ・ハト・ゲーム」のタカ戦略である。相手におとなしく従うのは「ハト戦略」。NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、「この会津モンがあ・・」と侮蔑された八重が「会津モンはおとなしく恭順はしねえのでございます。ご存知ではありませぬか」とタンカをきる場面があった。あれもまた言われたら言い返す「タカ戦略」である。

どうも世の中全体が「やられたら、やり返す」的になってきて、強硬論が世の支持を受ける兆しがみえる。しかしながら、相手のある戦略ゲームで考えると両方がタカを目指す<タカ×タカ>状況はナッシュ均衡を形成しない。逆に、双方が激突すれば大きな損失を被るので回避するべき状況だと認識するのが正しい。かといって、最初から大人しく双方がハト戦略をとるのもナッシュ均衡ではない。この場合は、いずれかがタカ路線をとって相手を服従させようとする誘因が生まれる。タカ・ハト・ゲームのナッシュ均衡は二つあり、こちらがタカになる<タカ×ハト>、あちらがタカになる<ハト×タカ>のいずれかである。このいずれに落ち着くかは、一律の理論はなく「コミットメント」の応酬、「限定戦争」の実行から得られる双方の戦力予想などから、一定期間が経過した後、どちらかがハトを選択する時点で決着する。

もちろんこう語ったからといって「タカハトゲームが現実に当てはまっている」とは限らない。協調の利益があるのだが、それでも協調できない「囚人のジレンマ」が現実かもしれない。強硬策はできれば避けたい、それでも自衛上やらざるをえない、そんな修羅場から脱け出したい、現実はこうなのかもしれない。ジレンマを脱したい、それでもなお長期的に考えると「協調第一」よりは「目には目を」のタカ戦略をとっておく方が「不屈の人」、「不屈の国」の評価をかち得る正道だ、と。そう(正しく)認識しているのかもしれない。合理的人間は非道な人間に勝てないものである。

日曜日だというのに殺伐とした話しだ。とはいえ、話しだけだからまだいい。画家コローはプロシアとの戦争が始まっても村から非難せず、敵軍が攻撃してきたら、義勇兵の一人として反撃するため、武器を購入して備えていたという。1870年から一年近く続いた普仏戦争の時だ。

コローの絵は昔から好きだった。


Corot, Ville d'Avray, 1867

いまネットで作品全体を一覧したが、普仏戦争の前後でそれほど画風に変化が出ているようには感じられない。というか、コローその人は1796年生まれだから戦争開始時点で74歳になっている。1875年には没しているから義勇軍参加云々は、コロー最晩年のことであり、周囲の人から見れば「老いの一徹、年寄りの冷や水」というところだったに違いない。

それでもフランスの敗戦直後にコローが描いた下の「村を行く騎士」には隠すことのできない寂寥感が漂っている。画家が絵を描くときその人の心象風景がにじみ出てくるのは当たり前である。


Corot, Cavalier in sight of a Village, 1872

どことなくスペインの野をいくドン・キホーテを連想させる。若い時分の画風とはまったく違っている。水々しさはもはやなく、落ち着いた枯淡の味もなく、ただ淋しく、迷いの中をさまよっている。








2013年9月20日金曜日

「東海」でも「日本海」でも使いたい方を使って損をするのか

こんな事がニュースになるのか?正直、小生、そう思ってしまった。
【ワシントン=今井隆】米メリーランド州アンアランデル郡の教育委員会が、日本海の名称を巡り、韓国が主張している「東海トンヘ」を合わせて教えるよう、郡内の公立学校の教員に文書で指示していたことが19日、分かった。
在ニューヨーク日本総領事館は「日本海が国際的に確立した唯一の名称」だとして、「東海」の呼称を使用しないよう申し入れたが、委員会側は撤回しない意向を示しているという。
日米関係筋によると、こうした事例が発覚するのは米国では初めて。在米韓国人団体は各地の教育委員会などに「東海」の呼称を採用するよう働きかけを強めているとされ、同様の動きが広がるおそれもある。
(出所)読売新聞、2013年9月19日 
どうでもいいっしょ…、そう思うなあ。台湾やフィリピン、東南アジアからみれば「東海」ではなく「北海」になるわけであり、それぞれの国がつけたい名前を挙げれば、色々な呼び方が出てくるだろう。名前の付け方によって、現存する日本海の形や色が変わるわけではなく、資源賦存量が増減するわけでもない。仮に、韓国の「働きかけ」が功を奏して、「東海」が「確立した名称」、というか「正式名称」になるとしても、日本人が日本語で「日本海」といいたければ、そう呼び続ける自由はあるわけである。

大体、ドイツ人は自国のことを"Deutschland"と称しているが、米英人はドイツのことをもちろん"Germany"という。フランス人は "Allemagne"(アルマーニュ)と呼んでいる。ゲルマン民族のアレマニ族に発する呼称だろうと小生は推測しているが、英語ではチュートンという呼び名もあり、こちらはテウトニ族が語源だろう。小生も専門ではないので、この辺の言葉の由来については、しかとは分からない。要するに、みんな呼びたいように慣習にそって呼んでいるのであって、汗水たらしてこの現実を変更しようとする人為的な努力は非生産的で下らない。小生にはそう感じられるのだ、な。

そもそも韓国のいうとおり「日本海」を「東海」と改名するとしても、英語の地図には漢字を使わない、ましてハングル文字は使わないだろう。書くとすれば、”Tong He"とでもして韓音で英語表記するのか、しかし漢字は中国人が発明した文字だ。中国人が「この文字はTong Khaiと発音するのが正しい」と主張すれば、中国音を覆すのは難しかろう。

となると、"East Sea"と英名で表記するか。まあ、小生は英語でそう呼びたい人は英語でそう呼んだらいいというのが意見だが、英語で"Sea of Japan"を"East Sea"と改名するとなると、音だけでなく意味も付いてくるので、異論反論が多く出されるであろうなあと、人ごとながら心配だ。紆余曲折の果て、"Sea of East Asia"などはどうかと逆に提案されるかもしれない。ま、英語の地図だけであろう、使われるのは。韓国も「東亜海」とは書かないだろうし、呼び方は"Ton He"のままで変わるまい。日本では「日本海」のままであろう。英訳すれば"Sea of Japan"でこれも変わらぬ。大体、日本で「東海」といえば、「日本海」とは反対側の地方をさす – 方角からして当たり前のことだ。

もう一つの類似例は、ドーバー海峡南方の"The English Channel"(イギリス海峡)だろう。なぜ"English"なのか。英国人には当然だろうが、たとえば海洋にかけては先輩格のスペイン人は"El canal de la Mancha"という名称をつけている。英語を第一外国語で習っているから"The English Channel"が正式名称、というか「確立した名称」だと思ってしまいがちだが、別に英語が正統で、その他言語が卑語であるわけではない。

本当に、細かくて、実質のない"empty"なことを今日は書いた。

名前にこだわるのは、名を正し、実態をあるべき姿になおし、倫理を全うして、宇宙と調和しようという儒学思想『正名論』に由来しているとみる。国家が支援すると国粋主義に転じやすい。学問的には、しかし、中世スコラ神学に相当するもので非科学的な信念にすぎない。

2013年9月17日火曜日

地球温暖化の真偽と直近の見方

プロジェクト・シンディケートに以下のレポートが載った。パラグラフの前後は逆になるが、引用元を明示することにして、ここでは小生自身が着目した順で残しておきたい。

Several studies from this year show that the slowdown could be caused by a natural cycle in the Atlantic or Pacific that caused temperatures to rise more in the 1980’s and 1990’s but that has slowed or stopped global warming now. Global warming is real, but it has probably been exaggerated in the past, just as it is being underestimated now.
Source: Global Warming Without Fear, 2013, 9, 13

従来のモデルによると、この10年間の実際の気温推移を相当(上図では71%と記載)オーバー・エスティメイトしてしまったという。
Compared to the actual temperature rise since 1980, the average of 32 top climate models (the so-called CMIP5) overestimates it by 71-159% (see graph). A new Nature Climate Change study shows that the prevailing climate models produced estimates that overshot the temperature rise over the last 15 years by more than 300%.

冒頭は次のように始まっている。
MALMÖ – On September 26, the United Nations Intergovernmental Panel on Climate Change will present the summary of its most recent assessment report, the fifth in 23 years. Although the IPCC is not perfect – it famously predicted that all Himalayan glaciers would be gone in 2035, when the more likely year is 2350 – its many experts generally give us the best information on the fractious issue of global warming. 
Because of extensive leaks, the report’s contents are mostly known. And, because we have done this four times already, how the report will play out politically is also mostly known. But, because 20 years of efforts to address climate change have not amounted to anything serious, it might be worth exploring a different strategy this time.
新興国の経済発展を考えると、上の図のように2000年以降に温暖化ペースが鈍化しているのは理屈に合わない。かといって、この夏の日本を襲った猛暑と竜巻、京都・嵐山の水害は温暖化の影響とも思われる。とすると、もっと早い時点で起こってもよかった、その方が理にかなうように思わせるグラフではないか。

疑問は尽きない。

いずれにせよ、地球上の平均気温は地球上の要因で決まるというより、太陽活動や太陽系内に分布している宇宙塵など「宇宙レベルの要因」によって、ほぼ大半が決定されるような気もする。我が家の庭の平均気温は、水をまく回数とか、すだれをかけるとか、木立を植えて陰をつくるとか、その家の住人の活動にもよるだろうが、より本質的には季節が夏であるか冬であるかによって概ね決定されるのが「庭の気温」である。こう考える方が割と常識的であると思われるのだな。

もちろん化石燃料による二酸化炭素が気温上昇の一因である。これは確かで、実は逆であるというロジックはない。だからこれからも二酸化炭素排出抑制に向けた努力は続けるほうが良いのだが、そのことによってどの程度の「効果」があるかといえば、よく分からない。上のレポートはそんな意を含んでいる。実は、いま程度の努力は「温暖化防止」においては微小な成果しかもたらさない。これが真相かもしれない。こんなことも弁えた上で、地球上のエネルギー政策を選ぶのが賢明だということだろう。

2013年9月15日日曜日

日曜日の話し(9/15)

いい歳をして経営する会社で不正経理事件を起こしたり、詐欺で告訴されたり、息子の不祥事に巻き込まれたり、あまりにも情けない生き様が多いのだが、明日はわが身となるかもしれないと思うと、正直恐怖を感じる。自分では制御できない不運はただ「怖い」ものである。若い時分にはこんな心理とは全く無縁だった。

人生五十愧無功 (人生五十、功無きをはず)
花木春過夏巳中 (花木春過ぎて、夏すでになかばなり)

満室蒼蠅掃難尽 (満室の蒼蠅(そうよう)、掃へども尽き難し)
去尋禅榻臥清風 (去りて禅榻(ぜんとう)を尋ね、清風に臥せん)

足利義満を補佐した名管領・細川頼之が残した詩の結句がとても好きである。清々しさを望む心がなくなれば、人間泥まみれに生きて、泥にまみれて死ぬしかあるまい。御免だ。はずかしい。思うに、仕事に没頭する40歳から60歳までより、最後の20年をどう生きるかが一層難しい。というか、きれいに生きて花を咲かせるのが人生の中で一番難しい。ここをどう生きるかを見せて、一つの目安を記憶に残してやるのが、子供達に為すべき最後の義務である。そう言うなら言えないこともないのだな。



幼子イエス・キリストを抱く老シメオン

イコンには作家名を書かない。滅亡直前の15世紀ビザンティン美術からは、どんな国威発揚的な邪念も利益志向の商業欲も拡大欲もうかがわれない。清々しい浄化作用をもつという点で真物をそのうち観に行こうと決めている一つである。





2013年9月14日土曜日

メモ: 福島第一はコントロールできている、いない?

東電の山下和彦フェローが民主党との会合で「汚染水はコントロールできていない」と述べたとの報道。安倍総理は五輪招致の最終プレゼンで「状況はコントロールできている」と明言したので、それは嘘ではないかと日本国内でちょっとした盛り上がりを呈している。

昨日の投稿でも、「おしゃべり好き」が高じると「科学音痴」になると、そんなことを書いたが、やっぱりそうなんだろうねえと感じるのだ、な。大体、「東電」ではできていなかったから、現時点では「政府」が前に出てやるという「体制変更」になったのではないのか。その原因は、震災から数えて何番目か寡聞にして数えられないが、「東電」のマネジメント・ミスにある。

たとえば…と更に仔細に書くのもよいが、記録する価値もない。面白いのは
嘘を言ったのが安倍総理で、真実を語っているのが東電だ、だから内閣は怪しからんと(何と)民主党が息巻いて、政府との対決姿勢を強めている…
こんな印象が今日の道新なぞからは伝わってくるのだな― 単なる個人的印象かもしれないが。

東電が<真相>を語ってくれた、民主党が対決姿勢を強めている……

小生、思わず口からコーヒーが吹きこぼれてしまった。本気でこんな愚論(迷論?)を国会という場で繰り広げるなら、「日本人の愚かぶりも想定外である、いっそ国連が『対日原発事故調査団』を結成して日本に送り込み、国際的枠組みの下で状況をコントロールしないといけないのじゃないか」と、韓国の朝鮮日報か、中国の環球時報あたりが書きまくるだろうと予想する。

ま、先日の投稿では1年後に東京五輪辞退に追い込まれる確率もゼロではないと述べた。その心配は今も変わらないし、この秋には国際原子力機関(IAEA)の第2回調査団が緊急来日するとの報道だ。科学的にみて、状況が最悪であることは確かだが、だからといって『東電は真相を語ってくれた』などと民主党と一緒になって言い出せば、地獄のエンマ大王(?)にヘソをとられてしまいますぜ(笑)。


2013年9月13日金曜日

原発とどう向き合うー「理科離れ」と「おしゃべり好き」

小生には息子が二人いる。本ブログで「愚息」と呼んでいるほうと「長男」と呼んでいる方の二人だ。二人の性格はかなり違う。愚息は長男とは反対で「自然より人間」、「観察よりおしゃべり」が幼少の頃より好きだった。で、勉強したのは(当然のこと)法律という学問の中でも特に人間臭い、時にはドロドロした問題にも取り組まなければならない分野だった。

現代日本の高い生活水準を可能にしたのは、しかし、科学への関心である。福沢諭吉が幕末から明治にかけて何度も強調したのは、これからの日本人が勉強しなければならないのは、儒学という人間の生き方や倫理に関する学問ではなく、「窮理学」であるということだった。窮理学とは「物理学」のことだ。その頃、福沢が生きた時代は自然科学だけではなく、社会科学も成長しつつあった。マルクスが「資本論」第1部を発表した年は、正に徳川慶喜が大政奉還をした年である。1880年にエンゲルスが「空想より科学へ」を著したとき、福沢諭吉は45歳であった。経済学が物理学を模範として理論化されていったのは偶然ではない。福沢にとって「科学」と「理科」は日本の将来を約束する知識であったわけだ。

それがどうだ。科学的知識の活用が豊かな暮らしを見事なまでに提供したいま「理科離れ」現象が日本を覆うようになるとは。福沢はもちろん、誰にも想像すらできなかっただろう。戦後日本の高度成長時代、鉄腕アトムを書いた手塚治虫が生きていたら、日本人の感性の余りの変容ぶりに吃驚するだろう。

東日本大震災後の日本人の科学観についてウォール・ストリート・ジャーナルがこう書いている。日本語版から引用するが元は英文である。
原子力発電は、二酸化炭素排出という理論上の問題に対する有能な文明の解決策かもしれない。ただし、人類が有能な文明を持っていればの話だ。
(中略)
それでも、汚染水は不安定なタンクにたまり続けることになる。必要な解決策は、この水をろ過して可能な限り放射性物質を取り除いた上で海洋に放出することだ。残念ながら、日本の漁業団体は、日本のほぼ全てのロビー団体がそうであるように、さまざまな措置を阻止できる権利を有しており、そのような解決策への同意を拒否している。しかも、汚染されていない地下水を、東電が既存の設備を使用してプラントから海洋へ放出することにさえも、日本の漁業団体は反対している。こうした膠着(こうちゃく)状態は、現代世界での原子力復活への希望をくじくことになる可能性がある。
(出所)Wall Street Journal, 2013, 9, 12 
韓国が日本の8県産水産物を全面輸入禁止とした措置に対して「非科学的である」と日本政府は応じている。放射能汚染に敏感なフィンランドなど北欧諸国は科学的データに基づかず日本近海の水産物を一律に輸入禁止するなどはしていない。科学的知識に基づいて行動するときに、議論は冷静になり、結論は合理的なものになるというのは、もう分かっているはずだ。
日本が放射線に過剰なまでに敏感になる背景にはおおむね広島と長崎がある。しかし、もっと大きな原因はLNT仮説(直線しきい値なし仮説)を支持し、1950年代に大気核実験に異議を唱(とな)えた善意の活動家にあるかもしれない。LNT仮説とは、放射線はどんなに微量であっても健康に害があるとする考え方だ
 遅ればせながら、そうした問題に関する権威機関の1つ、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、かつて擁護していた疑義あるリスク計算式を撤回しようと先頭に立って動いている。UNSCEARは昨年、恐らく地球温暖化への対抗策として原子力エネルギーを救出しようとの目的から、「低線量を大勢の人数で掛け合わせて、放射線で誘発された健康への影響を受けた人数を推計すること」は推奨しないとの見解を明らかにした。
 反原発活動家にとってさらに悩ましいのが、中には最大600ミリシーベルトの被ばくをした人もいる福島第1原発の作業員にさえ、放射線を原因とする疾病が見受けられず、今後発症する見込みもないとUNSCEARが断定したことだ。しかし、その結果、国連には非難が殺到した。
(出所)上と同じ。下の引用も同様。
理にかなっていないのは日本もそうであるし、アメリカもそうであるし、世界も同じである。
しかし、ここで1つの疑問がわいてくる。世界で最も有能な国の2つ(もちろん米国と日本のことだ)でさえ、目的の一貫性を保って原子力産業を効果的に管理できていない。だとすれば、われわれが望む気候にするために大気の化学的プロセスを管理するという難題に、果たして世界が立ち向かえるのだろうか。
放射能汚染と二酸化炭素排出・地球温暖化は―因果関係には専門家の間で色々異論があるようだが―文字通り『前門の虎、後門の狼』だ。虎を怖れるあまりに狼から目を背けるのは愚かである。やるべきことは、あらゆる問題を解決することであり、一つの問題を解決することではない。「逃げてはいかん」わけだ、な。

おしゃべりをしているだけでは「原子力」も「地球温暖化」も「異常気象」も何も一切解決できない。話し合いで分かり合えるのは100%人間的な事柄だけである。おしゃべりが間違いであるのは日常のことだが、検証された科学的事実は誰にとっても「事実」である。事実に向き合わない原因は感情である。いまの問題を解決するのは、しかし、感情でなく、科学的知識だ。日本も韓国に対して、そのことを言っている。

2013年9月12日木曜日

人は育てるのか、育つのか

三国志の終盤は、諸葛亮孔明と司馬懿仲達の戦いで始まり、幕を閉じる。その司馬仲達は才が嫉まれ、永い期間、郷里に逼塞していた。ところが「天めぐり、地転じて」、蜀の勢いが増し、魏国内でも反乱が兆す。そこで仲達が再び朝廷に召し出されることになった。朝廷は遠い。途中、回り道をして反乱の芽を摘んでから、都に上るのが上策と考えた仲達は息子二人を呼んで自分の方針を伝えようとした。ところが仲達の息子は、仲達自身を上回る程の才能にめぐまれていて、朝廷が父をそろそろ召し出すはずということも、途中で回り道をして反乱へ対処する方を優先するであろうことも全て予想していた。予想した上で、必要な準備を全部済ませていた。そう答えると、司馬仲達は「いつの間にか我が家にも麒麟(=天才)が育っておったか」と感慨無量であったそうだ。

羨ましいねえ。何度そう思ったことか。

子供は育てるものか、育つものか。小生にも分からない。誰にも分からないだろう。誰にも分からないから、人によって色々とやることは違うだろうし、方針も違う。要するに正解などはないのだろうと思う。そんな分からないものを、国があたかも正解を知っているかのように「これからは人を育てることが大事です」と。そんな風に言うのは、パフォーマンスとしては有効だろうが、本気になって国が人作りに出てきたら、そりゃ鬱陶しいだろうと心配になる。ロクなことがないからね……。

少し旧聞に属するが、以下のインタビューがあった。相手は元国連難民高等弁務官・緒方貞子氏である。
「国際化と多様化がやや混同されている面がある。本当に必要なのは、いろんな価値を比較習得していく人材が日本の中で育っていくことだ。それは国文や漢文の分野でだっていい。多様性が出てこないと本当の意味で近代国家とは言えない」

 「私は国連難民高等弁務官をしていたころ、随分旧ソ連の国を訪れた。そこで旧ソ連の教育の仕方は画一的で、日本に似ていると強く感じた。画一的な教育はある程度のレベルまでみんなを引き上げるが、本当に強い国、リーダーシップを持った国になるには画一的ではだめだ

 「みんなが同じ発想と内容をもっているのは弱い国だ。それは全体主義の中でしか成り立たないはずで、日本の教育はやや全体主義的なところがある。それは長い島国の伝統といった側面もあるのかもしれない。みんなが同じような生活をして、同じように協力してきたのだけど、変わっていかなければならない状況になってきた。日本にとっては大きなチャレンジだ」
(中略)
「講義だけで終わりではなく、ゼミなどできめ細かい指導が欠かせない。米国の大学院に留学していたときは、ほんとうにたくさんのペーパーを書かされた。必要なら米国のように学生の教育指導にあたるティーチング・アシスタントを増やした方がいい。学生が論文もかかないで講義だけ聴いて卒業していくのは楽過ぎる気がする」
(出所)日本経済新聞、2013年8月29日 
人は誰でも本来はユニークでバラバラであるわけで、寧ろそれが良いのだという趣旨だ。国がやると、原理、原則的に最もよい方法を採ろうとする。自然と統一的になる。自由でバラバラの教育をするのは、国には理屈として不可能であると、そろそろ見切った方がよい。

人は「育てる」のではなく、自然に「育つ」のを応援する。国がやるべきことはこのくらいである。それ以上の役割を国が担おうとするなら有害であると、小生、考えているのだ、な。日本がいま世界で立っている位置は、幕末、明治維新の時代とは全く違う。そもそも「日本人は…」という見方そのものが時代遅れであり、今後将来のテーマになるだろう、移民促進にもマイナスの影響をかもし出すであろう。150年前の日本はどうであったか、歴史的発想はそれなりに大事であるが、明治と現代が全く違うということも核心的事実である。

幕末から明治維新にかけては、長岡藩の米百俵の逸話ではないが、とにかく人を育てることが最重要な課題であった。そして当時は学ぶべきことは誰にでも分かっていた。国の独立を全うするには西洋の知識と技術を吸収することが効率的だった。追いつく先が一つなのだから、教えることも一つでよかった、というよりそれ以外の教育方法は明治から大正にかけて、ダーウィン的メカニズムで自然淘汰されてしまい、加えて国定教科書による国の介入によって衰退し、結果として日本の教育は画一的になってしまったのが現実だったろうと理解している。その果てに、均質化と序列化が進み、戦前期・昭和の退廃が進んだのだろうと思っている。

読ませるのは一律・統一的にできるが、書かせたものを熟読して討論の相手をしてやるのは、大変なエネルギーを必要とする。人はそれぞれ違った考え方をするし、何でも違う理解の仕方をするからだ。どれを優等であると評価するかは国が基準を決めることができるが、仮に国家から評価されなくとも、書けば誰かが必ず読む。読んだ人は感心するかもしれない。確かに140字限り、60字限りなどなど、ネット社会は形成されているが、上に引用するように『学生が論文もかかないで講義だけ聴いて卒業していくのは楽過ぎる気がする』。最後の形容詞は、「楽すぎる」ではなく、「淋しすぎる」、「哀れすぎる」と。ボロボロになった廃屋で「暮らし」とも言い兼ねる毎日をおくっているのが「憐れ」であるのと同じ意味で、書くことをせずに、学生時代を終えるのは、どことなく「哀れ」であるような感覚を覚える。高額の授業料とバランスしていないと思う。

2013年9月10日火曜日

東電経営トップを不起訴とすると行政府に不整合が生まれないか

東電・福島第一原発の過失責任を問うには「疑義が残る」として検察は告訴されていた40人全員を不起訴とした。
東京電力福島第1原発事故を巡り、東京地検は9日、業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発されていた東電の勝俣恒久前会長(73)や清水正孝元社長(69)、菅直人元首相(66)ら約40人全員を不起訴処分とした。大津波は具体的に予想できず、安全対策や事故後の対応に過失はなかったと判断した。告訴・告発した被災者らは処分を不服として、検察審査会に審査を申し立てる。
(出所)日本経済新聞、2013/9/9 20:25
この不起訴処分そのものに「疑義が残る」理由がある。
  1. もし経営上の過失がないのだとすれば、事故そのものが予見不能な天災によるものであり、いかんとも回避することができなかったことになる―実際、検察はそう考えているようだ。この事実認識は、事故が「人災」であると結論づけた国会の事故調査委員会と矛盾する。「人災」と判断するからには、誰が責任を負うのかという審理が続かなければならない。とはいえ、人災説はあくまで国会事故調の結論だ。立法府、行政府、司法府が別々の判断、結論に至るとしても、それはありうることである。しかし、地検は法務省に属し、行政府の一組織である。行政府の内部においては、可能な限り、省庁割拠を避けて、全体整合性を保つことが求められているのではないか。
  2. 原子力損害については無過失・無限責任が原則だが、原子力損害賠償法(=原子力損害の賠償に関する法律)の第3条第1項には、次のように異常な天災地変の際には事業者(=東電)を免責することが規定されている。
  3. 第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない
  4. 民主党政権とはいえ、政府はこの免責規定を適用せず、東電の経営責任を求める姿勢を既にとってきている。だからこそ、東電は巨額の賠償負担に耐えきれず、国有化されているのだ。免責しないというのは、原発事故が「異常に巨大な天災地変」によるものではなく、従って東電、というか東電社内の誰かに事故責任があるということになる―その責任を引き受けて該当人物が刑罰の対象となるかどうかは、客観的証拠に基づく審理が必要とされるが。
  5. しかし検察は「過失はなかった」と判断した。ということは、東電は経営上は無過失であったことになる。無過失でも現に起こった事故の損害賠償義務を負う規定になっているから、「そういうことです」と言うなら法の理屈は通る。しかし、政府の従来の、というか官邸、経産省等の判断は「天災が原発事故の主因であったわけではない」。こうではないのか。天災でないというのは人災であるわけで、この点は国会・事故調と事実認識に変わりはない。しかし行政府の別の部局である検察は「経営者は無過失であって罪には問えない」と。

ウ〜ム、こんな認識がありうるとは…、小生のような素人には思考回路が再現できない。普通の人には理解困難と思われる。

原発以外の事故でこのようなケースが生じることはないと思う。交通事故においても、運転者が到底避けられないような事故であるとしても、現に事故が起これば誰かの過失が幾分かずつ問われるし、問われねばならない。すべての人が無過失の交通事故は想像困難である。発電事業も人の営為だ。同じ理屈ではないか。唯一の例外が「巨大な天災」なのだが、この例外は福島第一には当てはまらないというのが、これまでの公式見解だと思ってきた。実際、事故を起こした原発施設は、被災地域内では福島第一だけである。運・不運100%でこの違いが出たとも考えにくい。

そもそも天災か人災かという議論は不毛である。すべての事故は"Human Factor + Bad Luck"、つまり人の要素と不運の要素の二つが重なって起こるものである。不運があるにせよ、過失要素がゼロ、つまり「為し得たし、為すべきであったにもかかわらず、為さなかった点は何もなかった」という判断は、これまでの政府見解と矛盾するばかりではなく、不誠実であると指摘されるだろう。

法律専門家が常用する「合理的に予見できたかどうか」という議論も、今回のテーマに適用するのは愚かである。巨大津波は、そもそも日本近海においては数十年に一度 ‐ 決して何万年に一度の頻度ではない ‐ しか発生しておらずデータが少なく、極値について確率的予測をするのは難しいはずだ。「予測困難」ということは、自社に都合の良い予想をしてもよいということではない。数メートル程度の、あるいは10メートル程度の、その他何メートルでもよいが、合理的なハザード予測などできるはずがないのだから、津波の高さの期待値を求めようとすれば(=無限大)になるかもしれないということだ。これは決して荒唐無稽な議論ではなく、要するに「はっきりとは分からない」ということだから、「想定外」という言葉を軽々しく使うべできではない。合理的な予想が困難であった事業を行っていた以上、守るべき安全マインドが自然とあったはずで、為すべきことも自然と決まっていたはずだ。そういう意味合いである。
本件、構いなし。立ちませい。これにて本日一件落着。
裁判にもならずにこれじゃあ、国に対する不信の念は高まる一方、そのうち一揆でも起こりますぜと心配になる所だ。

江戸期、西洋ではナポレオン戦争の最中にあった1808年、長崎港内にイギリス軍艦フェートン号が侵入し、オランダ商館員複数を拉致、軟禁するなど騒動を引き起こした。いわゆる「フェートン号事件」である。結果的に日本側に実損はなく、オランダ商館員も無事解放されたので、単なる騒動で終わったのだが、時の長崎奉行・松平康英は国威を傷つけたとの自責から切腹をして謝罪した。泰平に慣れて緊急出兵の要請に応じられなかった鍋島藩の家老ほか数名も切腹し、鍋島藩主は閉門処分となった。明治維新で一翼を担った肥前・鍋島藩が以後近代化を急いだ動機は、この時の屈辱が深かったことにある。

現代日本ではまた慣習も倫理観も違うのは仕方がないが、いつの時代も自社の経営失敗から多数の人の人生を狂わせてしまえば、それ自体、文字通りの罪であろう。前の投稿でも話したが<ノーブレス・オブリジェ>がやはり問われているのだと小生には思われる。


2013年9月8日日曜日

日曜日の話し(9/8)

2020年五輪開催地が東京に決まった。

原発汚染水で想定外の混乱となったが、この結果によって最も大きなプラスの影響を受けるのは安倍総理であろうというのが多数の見方である。日曜日のわりには生臭い話しになってしまっているが。

しかしながら、昨日時点の道新には以下のコラム記事が載っていた。一部分だけの引用になるが
『東京は安全』と強調するのは『福島の現状はひどい』と認めるということ。ならば、なぜ2年半もの間、ひどい福島を放置してきたのか。バカにしている。
小生も少年時代から役人生活を辞めるまで、ずっと首都圏住人であったし、福島・いわきには弟家族が暮らしているので、それぞれの生活感覚にはピンと来るものがある。気持ちはわかる。気分を害したなら謝ります、悪気はないんだ、そういうしかない。
原発の電気は東京に送っていたのに…
確かにそうである。忘れちゃあ罰が当たるってもんだ。普通の東京人ならそう言うはずだろう。

最近は、新潟・柏崎刈羽原発の再稼働に、新潟県知事の個人的見解で反対して、首都圏への電気をストップするなど、とんでもないことだ、と。そんな意見(妄言?)を首都圏在住の何かの専門家が口にするようになっているよし。これは、しかし、福島県住人の怒りに油を注ぐのではないかねえと心配になる。「福島はもうダメだろうってんで、今度は新潟で間にあわせるつもりか!」と。

小生が、東電経営トップであれば、自社が保有している新潟・刈羽原発は、北陸電力か中部電力に売却する方向を考えるだろう。売却収入は福島第一原発の事故処理に充てる。無情だが仕方なし。青森・東通も東北電力に売却する。背に腹は代えられないのが基本的な理屈である。会社としては幕引きになるだろうが、そこで混乱を回避するべく「良き相談相手」になるのが経済産業省の仕事であろう。

新潟・刈羽他の原発を買収した北陸・中部・東北電力は、(再稼働後)そこで発電した電気― その一部か全量 ー を首都圏に販売すればよい。ただ、原発運転に伴うリスク・プレミアムと地元対策費は従前とは比較にならず高騰するだろうから、首都圏への電力価格は高めにならざるをえまい。それは仕方のない事だ。いずれにしても首都圏内電力価格は上昇するのがコスト面から引き出されるロジックである。敢えて言えば、消費地である首都圏内に小型原発を設置してこなかったエネルギー戦略の非効率性のツケである。まあ、この辺りが道理の通ったやり方ではないのかと感じるのだ、な。

ともかくも、安倍総理は強運だったが、今回の招致成功は決して「名誉ある勝利」とは言えないような気がする。

いやはや今日の日曜日の話しは、これまで書いた中でも最も生臭い話しになってしまった。これでは気持ちが清々しくならない。いまは蝦夷の地で暮らし、ここに土着しようと決めているので、首都圏のことはもう小生にとって縁遠い話しである。


後藤純男、雪の斜里岳

最近、中村彰彦の『落下は枝に還らずとも』を読んで知ったのだが、明治以前の幕末、道東・道北の防備は会津藩の担当だった。で、斜里には代官所が置かれていた。主人公の秋月悌次郎は、鶴ヶ城落城の際、降伏の使者に立った人物で、漢詩「北越潜行の詩」を残したことで名が知られている―『行無輿兮帰無家   ゆくにこしなく かえるにいえなし …』― その秋月は、一年程、左遷にあい斜里代官所に勤務した事がある。

先週、美瑛・白金温泉に泊した帰り、上富良野にある後藤純男美術館に寄ろうと思っていた。湯元温泉ホテルをチェックアウトするとき優待券までもらっておいたが、ところが十勝岳温泉経由のパノラマラインが霧で使えず、位置的に不便になり、時間の都合で割愛してしまったのが、まだ残念である。

ところが、後で分かってきたのだが、美瑛には新星館というのがあって、須田剋太と島岡達三の記念美術館になっているらしい。この施設のことは知らなんだが、須田画伯といえば司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズでずっと司馬氏に同行し挿絵を描き続けた人である。これもまた見逃せぬ。先週は近くにまで行きながら「風のガーデン」も見逃したし、次回は拙宅からほど近い場所で非正規社員をしながら暮らしている長男のほうを連れて、来年あたり見に行くとするか。


2013年9月6日金曜日

日本企業の長期成長性にきざす疑念

小生は、投資家としてのセンスは自分でも感心する程に全くといって、ない。古くはDoCoMo株公開時に買い付けた事があるが、株式分割直前で先行き分からないということで売却した。そうしたら2倍だったか、3倍だったかの急騰を演じて、大儲けをやりそこなった。次は、楽天株。やはり注目していたのだが、何せe-Commerce分野の先行きがまだ不透明であった時期、DoCoMo株の逆パターンで大損をするかもしれぬと感じて買うのをやめた。そうしたら、グングンと急成長して買い付けたのは上がった後だった。最近ではソフトバンク。アメリカ進出にも見事成長した。もう買う状況ではなくなった。

カミさんは「うちは、株で儲けると何か変事が起こるから、儲けない方がいいよ」と話しているが、それでも中々一度つっこんだ足は容易にぬけないものだ。

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旧聞に属するが、こんな記事がある。
「リーマン・ショックから5年を経て、世界の株式市場では米国偏重がかつてなく強まった」。大和証券の成瀬順也チーフストラテジストはこう断言する。米ダウ工業株30種平均は2009年3月を底に上昇を続け、今年8月2日には1万5658ドルと再び史上最高値を更新。世界の株式市場で、米国だけが異質の動きをみせている。
(中略)
株式市場が浮き彫りにする「米国のひとり勝ち」の構図。これを支えた大きな要因が、金融史を塗り替えるほどの大規模な金融緩和だ。危機直後の08年11月、米連邦準備理事会(FRB)は証券の買い入れを柱とする「QE1(量的緩和第1弾)」を導入。マネーの大量供給で「早期にデフレの芽を摘み取った」(セゾン投信の瀬下哲雄ポートフォリオマネージャー)ことが奏功し、ダウ平均は09年3月の6547ドルを底に上昇に転じた。
 「米株高を読み解くには、産業革新という視点も欠かせない」(大和の成瀬氏)。アップル、グーグル、アマゾン・ドット・コムは過去5年間でいずれも時価総額を1000億ドル以上増やしている。危機前に隆盛を誇ったウォール街の投資銀行が勢いを失う一方で、米IT(情報技術)企業はイノベーション(技術革新)を矢継ぎ早に積み重ね、気がつけば世界を席巻していた。
(出所)日本経済新聞、2013年8月13日
マクロ経済政策の政策技術が進歩した事は、アメリカ経済学界の貢献が大きいが、もともと新型の金融政策の実験場は日本であった。その日本では、踏み込みが足らずに、成果が十分でなく、新政策はむしろアメリカで花開いたという話しは、何やら航空戦主体の海軍戦略を試行しながら、組織として採用するにはいたらず、大規模に活用したのは米軍であった故事を連想させる。日本の経済学者も欧米で学んで帰国したはずなのだが、個々人の力量もさることながら、若手が進めている新しい考え方までをオープンに動員して活用しようとする国の姿勢。政策当局のスタイルが、どうもアメリカに比べると、保守的にすぎる面がマイナスにきいているように感じる。

そして次に、新しい産業が生まれていること。産業革新である。金融緩和だけではダメなのであって、金融緩和+産業革新がバブル崩壊克服の王道であるという認識が確立しつつある。その産業革新にアメリカが成功している原因の一つに、本当に売れる商品はBtBではなくBtC、というか所詮は玄人好みのニッチ狙いではなく、消費者相手の草の根にアピールしようとする当たり前の事業戦略にあると思うのだ。大体、草の根にアピールするには草の根にいないとダメだろう。日本の組織風土を顧みると、ともすれば法人営業、それも財閥系メガ企業相手がエリート部隊で、地方相手の商売はローカルな下積み部隊として社内でも強い発言力をもたないのではないか?そう言っては極言だろうか?極言でないなら、Facebook、Amazon、Googleに匹敵するような新興企業が育ってほしいものだ。ま、楽天は確かに成功しているが…。

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今年の初め、Amazon株を買い付け、春先には安値に落ちたFacebookを買った。その時点の評価額は日本株が50%を大きく超えていた。その後、日本株は5月下旬にかけて猛烈なスピードで騰がった。なんでアメリカ株などを買ったかと、またまた失敗したか、と思った。しかしながら、9月上旬の現時点、アメリカ株の評価額が日本株を超えようとしている。Facebookは、広告収入の増加があらゆる専門家の予想を超えているので、評価がまったく変わってしまった。Amazonは、長期的な成長軌道に沿って、株価も上昇を続けており、その基調に変化はない。Amazon.comが次々に打ち出している新成長戦略も本筋をついていて、売ってしまうかという気が―蜃気楼のような株価だという専門家もいるのだが―おこらない。

日本株はどうだろう?日立は…、というと確かに昨秋から騰がったが、今以上に日立が世界市場で拡大して、企業として成長するのだろうか?四国電力は…原発再稼働だけが希望だよね。三井物産は…TPPが立ち上がって、うまく貿易拡大に食い込んで行けば、もうちょっと大きな会社になるかな?楽天はどうだ…まあ、日本市場では地位が確立したが、しかしライバルも立ち上がってきているから過当競争になるかもしれぬ。世界では……どうかなあ?

ほんとにもう、上の段落のように日本企業の将来を考えると、… につぐ … なのだ。???と表現してもいいかもしれない。

新興国の経済が低迷気味であるのは、それなりの理由があるが、まだポテンシャルがある。EUの病弊は硬直した制度もそうだが、まずは不良債権、過剰債務を処理すればよいわけで、やることはハッキリしている。日本は90年代の不良債権問題は解決した。過剰債務といっても日本の債務問題は、日本政府が国内の居住者に対してもつ債務問題であって、日本国が世界から借金しているわけではない。つまり浪費体質の変更を求められているわけではない。どうにかなるはずなのだが、「日本企業はこれからも成長するよ」と、そんな風な期待をどうにも持てない。これは確かなのだ。

やはり日本経済は、まるで食い合わせの食材のように<縮小する国内市場+円高懸念>、この二つが未来を暗くしているのだな。何をやっても上の変わらぬ二要因に目が向いてしまうのだ。いっそのことTPP域内では<共通通貨>を採用したらどうなの、と。EUROならぬTAPEA(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)を発足させて、「1タピア」とでも発音すればよいのでは。そんな風に思ってもしまうのだな。

2013年9月5日木曜日

マスコミ報道に一言: 婚外子相続格差違憲判決

昨日、最高裁が婚外子相続格差は違憲であるとの判決を下した。

谷垣法相は違憲判決を受けて、「違憲立法審査権を有する最高裁判所が、憲法違反の判断をしたことは厳粛に受け止める必要がある。判断内容を十分に精査して必要な措置を講じていきたい。相続は日々起きることなので、『法律にはこう書いてあるが、最高裁判所はこう判断している』ということで、いたずらに混乱を生じさせてはいけない。できるだけ速やかに検討して、速やかに対応策を講じていくのは当然だ」と述べているよし。

昨晩の「報道ステーション」でも当然のこと話題になっていて、朝日新聞社から派遣(?)されている記者が、個人的な意見を開陳していた。その概要は、
今回の判決は当然だと思う。ところが、与党保守勢力は家族を非常に重要視する立場をとっていて、夫婦別姓にも反対している。自民党の憲法草案をみても、『家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない』と。憲法第24条に追加することが含まれている。もうホントに時代遅れなんですね。国内で暮らす人たちの多様な価値観を認めることが何より大事ではないでしょうか。
こんな意見を述べていた。憲法草案24条については河野太郎議員が反対していて聞いている人も多かろう。

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色々な生き方を認める。小生、反対はしない、というか大賛成だ。しかし、ちょっと待っておくんなせえ。そう言いたくもなるのだ、な。

倫理をどう考えるのか?善悪の別をどう考えるのか?規範意識を放置すれば、いまでも階層化が進んでいるのに、分裂へ向かう契機になるのではないか?

前近代においては宗教が規範意識の土台であった。近代に至って、理性が神に置き換わり、カントは実践理性の存在を認めた上で、普遍的な倫理規則をすべての人間が共有できるはずであるという結論に至った。そこには「個人別々の倫理を認め合う」という思想はない。

「多様な価値観」という言語表現のうちに、何が善であり、何が悪であるかについても、個人個人で色々な考え方、別々の倫理観があるという見方が含まれているなら、是れ既に「倫理の否定」であって、悪を羞じる心がなくともよいという立場に陥るのではないか。その人にとって、その行動は「悪」ではないのだから。

人として何が大事か、まあ色々考え方もありますから……と、こんな風に言い出せば、反政府勢力に化学兵器を使っても、この国にはこの国の倫理があるのです。アサド政権はこう反論するであろう。大河ドラマの八重ではないが『ならぬことはならぬのです』と、そこから生きる事を始めるのが「倫理」であろう。多様である余地は、「倫理」にはないのであって、意見が異なるのは「色々な倫理」があるからではなく、個々人の理解が不十分だからだ。こうも言えないか。

★ ★ ★

だから、単に自民党保守勢力が主張していることだから、古臭いに決まっている、時代遅れに決まっている、時代遅れのことは間違っているに決まっていると考えるとすれば、とんでもなく傲慢な姿勢である。

とはいえ、「国民共通の規範」という概念自体、時の権力の統治ツールであった面も見逃し難い。なぜ国民の規範意識を統一する必要があるのか?窮極的には、均質・良質の兵士を徴兵して強力な国軍を編成するため、労働者という経済戦争の兵士を調達するためであった。つまりは、「国民国家」の誕生と「神から理性」、「信仰から倫理」への置き換わりは表裏一体のものであり、歴史においてほぼ同時に進んだことである。そうしてどの文明国家も富国強兵、その果てに侵略と拡大を目指して競争する近現代400年が形成されるに至った。そう見ることも出来るような気がするのだ、な。

もし21世紀がカビの生えた国民国家が崩壊して行く時代であり、世界共通の自然観、人間観、生命観、社会観が浸透し、受容されていく時代であるなら、日本もまた日本独特の家族観に執着する必要はない。まして成文憲法に記載する必要はなにもない。有害かもしれない。そう言うべきだろう。

2013年9月2日月曜日

麓郷から ― 黒板五郎に最後にあったときの話し

ドラマ「北の国から」は1981年から放送されたのだが、小生がカミさんと一緒になったのは1984年である。子供が大きくなる過程が黒板家と重なっていて、まあ簡単に言うと北の国から世代に属している。昨日、富良野の麓郷の森に行った帰り、連れが用を足してくると言うので、所在なげにそこに立っていた掲示板に目をやると、黒板五郎の近況が紹介されていた。まだドラマ化もされておらず、あまり見る事もない文章だったが、撮影しておくのを忘れてしまった。


帰宅して、色々と検索して、大体が復元できたので記録しておきたい。
この冬。しばれる日の夕方でした。
プライバシーの都合上、場所を云うことは避けますが、思いもかけぬ富良野のある場所で、黒板五郎さんとばったり遭遇しました。僕も相当驚きましたが、向こうも相当 驚いたようでした。最初、彼は反射的に知らんぷりしようと僕を無視しました。それでも 僕が近寄ったので逃げられないと観念したのか、その晩 逢うことにやっと応じました。応じてすぐに仕事に戻りました。そうです、彼は働いていたんです。マイナス10度の夕暮れの町の片隅で、彼はまだ体を使っていました。

くるみ割りという古い喫茶店で、その晩彼と二人で逢いました。彼は自転車でやって来ました。

彼は最初 なかなか口を開きませんでした。

ポツポツと口を開き始めたのは、30分以上経ってからでした。まぁ昔から彼はこういう男でした。「北の国から」の取材に関しては いつもこのかん黙に苦労させられたものです。別段 彼は元々の無口と云うわけではなく、むしろ口の軽い方なのですが、その昔僕が彼を 高倉健さんに逢わしてしまったことがあり、それ以来 自分を恥じきってしまって、必要以上に自分のことを口の重い男に 見せたがるようになってしまった というわけです。

で、彼のその可愛い人生哲学を傷つけぬように気を使いながら、しばらく聞き出したのが以下の彼の消息です。

彼は今年、喜寿を迎えたそうです。しかし年金を払ったことがない為に、国から年金は貰ってないそうです。税金も払ったおぼえがなく、生活保護なんて制度もしらないそうです。国に果たすべき義務を果たしていないから、国から何かしていただく筋もないそうです。何で喰っているのかと問いましたら、「智恵と筋肉」と短く答えました。只その筋肉が近頃だいぶガタがきて、「パーツの衰えを感じとる」と云いました。よくよく困ると中畑の和夫さんに頼み肉体労働をさせてもらって、金でなく物で和夫さんからもらっているらしいです。純や螢や正吉から時々仕送りがあるらしいのですが、それも一切手をつけず和夫さんに渡しているらしいです。
僕が最も感銘を受けたのは、別れ際に云った彼の一言です。
誰の世話にもならず、人の知らん森で、ひっそり死にたい。
オイラの体をキツネが喰い、残された骨とか土壌菌とか小さい命が長い時間掛けて食いつくし、
そういう小さい命のお役に立って全部きれいにオラが消えた時、オラの一生は終わったと言えるんだ。 
と黒板五郎さんは最後に言った。
聞き手は倉本聰と推察される。最後の一言の前後にまだ少し文章があったような気もするが、大体、上のようだった。 文意、非常に気に入っている。

そういえば、正吉夫妻は福島・いわき市で暮らしていたらしいが、大震災当日、正吉は子供を助けようとする中、津波に飲み込まれてしまったということだ。蛍は子供の快を五郎に預けて、福島市で看護師として働いているらしい。ドラマ化を切望する。

2013年9月1日日曜日

日曜日の話し(9/1)

週末、美瑛郊外の白金温泉まで小旅行をした。カミさんと同行し、旭川で修習中の愚息もピックアップして、三人で湯元温泉ホテルに宿泊した。広くはないが露天風呂は渓流の音が聞こえてきて中々結構だ。愚息の旭川修習期間は今月で終わり、次は東京に行き、来年早々から実際の業務に就く予定である。となると、親子で同宿するような旅行は今回が最後かもしれない。

実は愚息の名は「弘之」という。いままで話さなかったが、名前をつけた由来というか、その訳を昨晩話しておいた。
小生:お前、知ってるか?名前を決めた理由。
愚息:知らない。聞いたような気もするけど。
小生:それは弘法大師の弘の字をとったという奴だろう?実際は違うんだよ。話さなかったけどな。これ、読んでみろ。
愚息:士は以て弘毅ならざるべからず……
小生:兄弟二人に弘と毅の字を一字ずつ分けたわけだな。次に、「任重くして、道遠し」ってあるだろ。弘って字は「広やかな心」という意味なんだな。毅の方は「どんな人も受け入れる広い心をもつ一方で、決める時には断固として決断して、揺るがない。毅然としてるって意味だ。なんでこの両方がいるかっていうと、重い任務を課せられて、歩いて行かなければならないから。これが任重くして、道遠し、だ。
愚息: 次の「仁、もって任となす」は?
小生:重い課題は具体的に何かっていうことだよ。儒学流の人間理解は、古代ギリシアのソクラテスやプラトンあたりとは違っているんだが、ま、大雑把にいって四つ大事なことがあるというんだな。その第一が仁だと言っている。それだよ。次に、「また重からずや」とあるだろ。「仁が任務というのは、これは大変だ。重い課題だ」と、そういうことだね。それから「死して後已む」、つまりいつまで頑張って任務に堪えないといけないのか?死ぬまでだ。一生だ。そこで「遠からずや」と来る。全体としてはそんな意味だ。要するに、言葉で「仁」とはいっても、超一流の人間にとってさえ、そうそう簡単に実行できない、身に付くはずはないということさ。兄ちゃんは、ああいう感じだから、毅然といっても荷が重すぎるからな。これまで話さなかったが、お前は公に就くだろ?利害得失より大事な事柄がある。それで話したんだよ。
この後、「じゃあ、具体的に仁ってどんなこと」というので「惻隠の情は仁のはじめなり」を出して、仁・義・礼・知という、まるで里見八犬伝のような語りをしたのだが、これはまあ省略してもいいだろう。ま、臆面もなく名前の由来など、親が子に対して絶対的優位にたてる話題ではある。それにしても、改めて上のやりとりを読むと、エエカッコをしたものだ。

なるほど確かに、<国益>と大上段に振りかぶってみても、所詮は<利害得失>に関する話しであり、人間社会にとって最も大事な論点ではない。国を考える時も同じだ。是非の違いを認識する智慧があれば、それだけ利益追求が巧みになる。が、それでいいというわけではないというのは、2500年も昔から当然のことだったわけだ。利益など「確かに上手いやり方だね」という以上の意味は人間にとってない。そう割り切っても社会の真相からかけ離れる事はないのだろう。正解を探そうとする是非の心は、相手を思いやる仁、悪をはじる義の心、譲ることを知る礼、これよりも下位にある。そう思うのが、伝統的な儒教的な発想だ。西郷隆盛も「進む道に迷ったときは何が利益であるかではなく、どうするのが悪であり、どうするのが善であるかで決めよ」と語っているよし。同じ文脈だな。利害得失に重きをおかないのは、古代ギリシアの哲学者も同様であり、人間が求めるべきことは<幸福>であって、<利益>ではない。<国益>が大事であると断言する考え方は、すこし単細胞的であって、バカに近いと言われても仕方のない側面は確かにある。

とはいえ、この話題は厄介だ。また別の機会に。


美瑛の樹には名前がついているのが多い。ケンとメリーもそうだ。この後、マイルドセブンの丘の側を過ぎた所にあるドイツ風"Land Cafe"で休憩をとる。


台風が接近して雨がひどく、「青い池」はBlueというよりGreenに近い色調だった。それでも周囲の自然は隔絶してよい。宿への途中に立ち寄ったのだが、更に近くにある陶芸ギャラリー「皆空窯」でぐい飲みと珈琲カップを買う。

今日はパノラマラインから十勝岳温泉を経由して富良野に行く予定だったが、霧が濃く、再度美瑛の街に戻り、国道を南下して富良野まで走る。新富良野プリンスホテル近くの「森の時計」で昼食をとり、そのあと「北の国から」の舞台・麓郷を回った。愚息が同ドラマを一度も観たことがないと言ったのには驚いた。免許とりたての愚息がずっと運転をしたが、いい練習になったようだ。こう書いてみると、今回は倉本聰ドラマツアーであったかもしれない。風のガーデンに寄る時間がなかったのは残念だ。