2013年9月15日日曜日

日曜日の話し(9/15)

いい歳をして経営する会社で不正経理事件を起こしたり、詐欺で告訴されたり、息子の不祥事に巻き込まれたり、あまりにも情けない生き様が多いのだが、明日はわが身となるかもしれないと思うと、正直恐怖を感じる。自分では制御できない不運はただ「怖い」ものである。若い時分にはこんな心理とは全く無縁だった。

人生五十愧無功 (人生五十、功無きをはず)
花木春過夏巳中 (花木春過ぎて、夏すでになかばなり)

満室蒼蠅掃難尽 (満室の蒼蠅(そうよう)、掃へども尽き難し)
去尋禅榻臥清風 (去りて禅榻(ぜんとう)を尋ね、清風に臥せん)

足利義満を補佐した名管領・細川頼之が残した詩の結句がとても好きである。清々しさを望む心がなくなれば、人間泥まみれに生きて、泥にまみれて死ぬしかあるまい。御免だ。はずかしい。思うに、仕事に没頭する40歳から60歳までより、最後の20年をどう生きるかが一層難しい。というか、きれいに生きて花を咲かせるのが人生の中で一番難しい。ここをどう生きるかを見せて、一つの目安を記憶に残してやるのが、子供達に為すべき最後の義務である。そう言うなら言えないこともないのだな。



幼子イエス・キリストを抱く老シメオン

イコンには作家名を書かない。滅亡直前の15世紀ビザンティン美術からは、どんな国威発揚的な邪念も利益志向の商業欲も拡大欲もうかがわれない。清々しい浄化作用をもつという点で真物をそのうち観に行こうと決めている一つである。





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