2013年9月2日月曜日

麓郷から ― 黒板五郎に最後にあったときの話し

ドラマ「北の国から」は1981年から放送されたのだが、小生がカミさんと一緒になったのは1984年である。子供が大きくなる過程が黒板家と重なっていて、まあ簡単に言うと北の国から世代に属している。昨日、富良野の麓郷の森に行った帰り、連れが用を足してくると言うので、所在なげにそこに立っていた掲示板に目をやると、黒板五郎の近況が紹介されていた。まだドラマ化もされておらず、あまり見る事もない文章だったが、撮影しておくのを忘れてしまった。


帰宅して、色々と検索して、大体が復元できたので記録しておきたい。
この冬。しばれる日の夕方でした。
プライバシーの都合上、場所を云うことは避けますが、思いもかけぬ富良野のある場所で、黒板五郎さんとばったり遭遇しました。僕も相当驚きましたが、向こうも相当 驚いたようでした。最初、彼は反射的に知らんぷりしようと僕を無視しました。それでも 僕が近寄ったので逃げられないと観念したのか、その晩 逢うことにやっと応じました。応じてすぐに仕事に戻りました。そうです、彼は働いていたんです。マイナス10度の夕暮れの町の片隅で、彼はまだ体を使っていました。

くるみ割りという古い喫茶店で、その晩彼と二人で逢いました。彼は自転車でやって来ました。

彼は最初 なかなか口を開きませんでした。

ポツポツと口を開き始めたのは、30分以上経ってからでした。まぁ昔から彼はこういう男でした。「北の国から」の取材に関しては いつもこのかん黙に苦労させられたものです。別段 彼は元々の無口と云うわけではなく、むしろ口の軽い方なのですが、その昔僕が彼を 高倉健さんに逢わしてしまったことがあり、それ以来 自分を恥じきってしまって、必要以上に自分のことを口の重い男に 見せたがるようになってしまった というわけです。

で、彼のその可愛い人生哲学を傷つけぬように気を使いながら、しばらく聞き出したのが以下の彼の消息です。

彼は今年、喜寿を迎えたそうです。しかし年金を払ったことがない為に、国から年金は貰ってないそうです。税金も払ったおぼえがなく、生活保護なんて制度もしらないそうです。国に果たすべき義務を果たしていないから、国から何かしていただく筋もないそうです。何で喰っているのかと問いましたら、「智恵と筋肉」と短く答えました。只その筋肉が近頃だいぶガタがきて、「パーツの衰えを感じとる」と云いました。よくよく困ると中畑の和夫さんに頼み肉体労働をさせてもらって、金でなく物で和夫さんからもらっているらしいです。純や螢や正吉から時々仕送りがあるらしいのですが、それも一切手をつけず和夫さんに渡しているらしいです。
僕が最も感銘を受けたのは、別れ際に云った彼の一言です。
誰の世話にもならず、人の知らん森で、ひっそり死にたい。
オイラの体をキツネが喰い、残された骨とか土壌菌とか小さい命が長い時間掛けて食いつくし、
そういう小さい命のお役に立って全部きれいにオラが消えた時、オラの一生は終わったと言えるんだ。 
と黒板五郎さんは最後に言った。
聞き手は倉本聰と推察される。最後の一言の前後にまだ少し文章があったような気もするが、大体、上のようだった。 文意、非常に気に入っている。

そういえば、正吉夫妻は福島・いわき市で暮らしていたらしいが、大震災当日、正吉は子供を助けようとする中、津波に飲み込まれてしまったということだ。蛍は子供の快を五郎に預けて、福島市で看護師として働いているらしい。ドラマ化を切望する。

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