2013年9月26日木曜日

たかが旗の問題なのか?

韓国議会では「旭日旗」の製造・掲揚を処罰する法案が提出されたとのこと。これは「反日」に該当するのだろうか?

たかが旗のことであるけれども、日本国内で公式に使われている旗を掲揚すれば、韓国内では「違法」となると、色々不都合が生じるかもしれない。確かに韓国では2012年9月の多国間演習に際して、旭日旗を掲げた海自護衛艦の釜山港入港を拒否しているなど、旭日旗に対する反発は以前から激しいものがあった。とはいえ、少し前の9月上旬には練習艦が仁川に入港しているようであるし、同じ年の4月には韓国海軍基地で海自護衛艦が公開されてもいる―YouTubeにもあるが、どうも掲揚されているのは(しかとは分からないが)日本国旗であり旭日旗ではないようだ。いずれにしても、旭日旗は軍旗であるので、それに反発する心理は突然形成されたものではなく、ずっと以前から韓国国民の胸の中に潜在していたことは否定できないと思われる。更に、それは何故かと問うのもよいが、結局、日本が戦前期においてとった対外政策が賢明さを欠いていた。そう考えるべきなのだろう。

ちょっと調べてみたが、たとえばドイツは戦後になって国旗を改変している。ナチス政権は、当初は第一次大戦で消滅したドイツ帝国の国旗を踏襲していたが、その後は有名な赤地白丸に"Hakenkreuz"(鍵十字)旗に切り替えた。国防軍旗もデザインは違うが、赤地に鍵十字の意匠は同じである。それが第二次大戦後になって、ドイツ国旗は東も西も第一次大戦後の1918年から1933年まで存続したワイマール共和国・国旗に沿ったデザインに戻り、軍旗には鍵十字ではなく神聖ローマ帝国の伝統をひく鷲の意匠が入れられるようになった。たかが旗の歴史ではあるが、ワイマール共和国はドイツ帝国を否定し、ナチス政権は逆にドイツ帝国の栄光を回復しようとし、戦後の連邦政府は再びワイマールの精神に戻った、と。こんなドイツの歩みがにじみ出ているわけだ。

それに対して日本は、国旗は戦前期と同一(のはずだ、縦横の比率、日の丸の直径と白地の比率など変更が加えられているかもしれないが熟知しない)。軍旗も、海上自衛隊は帝国海軍と全く同じ旭日旗を使っているようだし、陸上自衛隊も帝国陸軍の十六条旭日旗をもとにして作った八条旭日旗を採用している。まあ、海自護衛艦が韓国に入港するとなると、大日本帝国海軍と同じ旗を掲揚した軍艦が入ってくるという情景になるわけで、この点は確かにドイツと周辺欧州諸国の現状とは違っているのである。

なるほど日本国憲法は平和を希求する憲法であり、近代日本のスタートとなった明治維新も決して帝国主義的拡大を目標としたわけではなく、富国強兵はもっぱら国の独立のために必要な政策だった。そしてまた、文民による外交交渉や経済的な相互依存関係を重んじるというよりも、よく言えば武断的、悪く言えば暴力的な軍事力で進めて行った支配圏拡張政策は、日本近代史の特定のある期間を特徴づけるものでしかないはずだ。しかし、その時期において<大日本帝国>を象徴した意匠が、戦後になっても、全く違った時代・国際環境の中でも、また再び使われているとすれば、やはり同じ意味が込められている。日本の国家的信念は外観は変わっても本当は同じではないのか。近隣諸国からはそう解釈されても、それは仕方がないのではないか、と。小生もこの点は納得してしまうのだ。日本政府は「旭日旗は軍国主義の象徴ではない」と反論しているようだが、そもそも日本は<軍国主義国家>になろうと国民や議会が決議したことはなく、こういう言い方はおかしい。それに象徴しているかどうかは、それをみる人たちが何を連想するかであって、掲げる人の意図を問う事柄ではない。

リンゴをみてニュートンを連想する人にとっては、リンゴはニュートンを象徴しており、アップル社の象徴ではないのだ。

たかが旗ではなく、日本国を象徴する「意匠」、その家の伝統をこめた「家紋」のようなものだと考えれば、単に「昔も使っていたんだよね」と、その程度の思案で再び採用するべきではなかったのかもしれない。慎重であるべきであったのかもしれない。この辺、ナショナル・アイデンティティの事柄であって、卑近な例でいえばコーポレート・アイデンティティが会社にとっては極めて大事である。これと同じだ。

0 件のコメント: