2013年10月31日木曜日

個々人の思想と社会全体の変化

人間一人が考え方を変えたからと言って、世間全体とは何の関係もない。世の中を変えるほどの影響力をもった人間は歴史に名が残っているはずである。ほとんどの人はそんな大人物ではない。

小生は割と永井荷風が好きでよく読んでいる—いや、そうでもないか、小説はどうも展開が遅くて最後までいかない。最初に感心したのは荷風が後半生に記した日記『断腸亭日乗』であるので相当に渋い。それから随筆へと目が向いて、先日投稿の「霊廟」のほか、「雪の日」や「狐」を何度も読み直して、非常に感心した。荷風は、怖い父親、優しい母親から長男として生まれ、周囲からチヤホヤされて甘やかされて育ち、それでも何度も転宅を繰り返しては自分の居所を失うという淋しさを経験する。そんなところが結構小生とも似ているのだ。だから共感できる下りが多い。

荷風が幼年の頃、西南戦争が終わってまだそれほど年数が経っていなかった時分、自宅の書生の田崎についてこんな風に書いている。稲荷神の使いであるという狐を殺せと荷風の父親が厳命したのに、それは恐ろしいことだと女性達が異論を唱える場面である。
その時分の書生のさまなぞ、今から考えると、幕府の当時と同様、おかしいほど主従の差別のついていたことが、一挙一動思い出される。…田崎は主命の尊さ、御飯焚(メシタキ)風情のくちばしを入れるところではないと一言の下に排斥してしまった。(出所)「狐」より引用。
 <主命>という言葉が、平成の現時点、死語となっていることは確実だ。いまでは社長の業務命令すら、厳格には通らないであろう。何が正しく、何を最優先で行うべきかという思想が変わったのだ。とはいえ、荷風が思う程の事でもない点もある。
親切で、いや味がなく、機転のきいている、こういう接待ぶりもその頃にはさして珍しいというほどの事でもなかったのであるが、今日これを回想してみると、市街の光景と共に、かかる人情、かかる風俗も再び見がたく、再び遇いがたきものである。物ひとたび去れば遂にはかえっては来ない。(出所)「雪の日」より引用
親友井上と隅田川畔を歩いている時に雪に降られて入った茶屋で焼き海苔と熱燗を振る舞われた時の情景である。荷風は、あの時のような人情、親切には再びあいがたいと嘆いているが、先日の東京五輪招致の成功のキーワードが「おもてなし」であったという事を聞けば、あの世で荷風がどういうか聞いてみたいものだ。
しかし私たち二人、二十一、二の男に十六、七の娘が更け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのずから身を摺り寄せながら行くにもかかわらず、唯の一度も巡査に見咎められたことがなかった。今日、その事を思い返すだけでも、明治時代と大正以後の世の中との相違が知られる。その頃の世の中には猜疑と羨怨の眼が今日ほど鋭くひかり輝いていなかったのである。(出所)「雪の日」より引用
上の下りは「雪の日」の終盤、寄席でアルバイトをしていた荷風が、下座をつとめていた若い女と二人で一緒に帰る事にしていたところ、ある夜、急な雪で難儀をしたときのことを70歳近くになってから回想しているものだ。

日本は、戦前期・昭和に軍国主義の台頭を抑えきれずに失敗しただけで、他の時期は明治から大正にかけて奇跡のような近代化を成し遂げた。歴史の教科書のとおりにそう思いがちだが、明治と大正を比較しても荷風のように世の中はずいぶん違っていたと感じる人物がいたのである。そう言えば夏目漱石は「日本は滅びるね」と「三四郎」の中で暗闇の牛に言わせている。明治が終わると、日本人の心の中には人を疑う気持ち、人を羨んだり、妬んだり、憎悪を感じる気持ちが強まっていた。日本の近代化の一つの曲がり角がそこにあったわけだが、その風潮は直ちには方向が戻らず、昭和前期にかけて益々強まる一方になった。リアルタイムでこんな感想を持つ人がいたことなど、案外、知られてはいないのじゃないかと思うのだ、な。

経済発展は、一直線にはいかず、ジグザグの進路をたどるものだ。グローバル化は19世紀に非常に進んだが、その果てには帝国主義と民族主義が興り、ついには世界大戦になった。進歩は必ず反動をまねく。日本の明治期・経済発展にも反動はあった。反動は、個人個人の心の中では<反発>として芽生える。<憎悪>として育つ。共有されたその情念が、いつの間にか日本人自らが歩む方向を変えてしまうのである。人間はいつでも自分の歩む方向が正しいと信じたいものだ。言っている事ややっている事が正しいと信じたがるものだ。日本人を駆り立てている真の動機と意図が何であるか、何かの目的が共有されているかといえば、そんな共有された理念などはない時代のほうが案外長いのかもしれない。世の移り変わりは、ずっと経ってから初めてわかるものなのだろう。

こんな風にさまざまな事を荷風は回想しているが、
東京の町に降る雪には、日本の中でも他所に見られぬ固有のものがあった。…哀愁と哀憐とが感じられた。(出所)上と同じ
この下りをみて、小生は覚えず以前にみたチェ・スジョン主演の韓流ドラマ「初恋」の中の一編「ソウルの雪」を思い出した。雪の日の思い出は、多く人にあるのだと思うが、それは国籍や時代を問わないもののようで、それ自体が不思議に感じることがある。


2013年10月29日火曜日

足元の雇用状況

総務省統計局から「労働力調査(9月分)」と「家計調査(9月分)」が公表された。そのポイントは

  • 就業者が1年前に比べて51万人増加した。
  • 完全失業者は1年前に比べて17万人減少した。
  • 完全失業率は、男性が4.3%で前月に比べて0.2%低下。女性が3.5%で同じく0.2%低下。
  • 消費は、1年前に比べて実質3.7%増加。

雇用機会がこの1年で50万人分増加したという数字は、リーマン危機直前の2007年以来の良い数字であって、政府にとって何よりプラスになる広報材料であるに違いない。失業者の減少以上に就業者が増えているのは、非労働力から新規就職する人たちが増えているからだ。消費の実質3.7%増加には、相当イレギュラーな成分が含まれているだろうが、これを差し引いても良い数字である。

新聞報道によれば、これ以上の大幅な失業率低下は困難であるという判断で、総需要ではなく職種ごとの需給ミスマッチを解消する(=求められている人材が供給されるように職業訓練を拡大する)ことが重要だと見ている模様。

とはいえ、労働市場が全体として均衡を回復して、失業率の低下に限界が意識されるようになったから、人手不足にある職種から順に賃金が上昇していくものと予想する。ある職種の賃金が上昇に転じれば、賃金上昇が職種間に波及していくはずであるので、現時点は永年の<賃金・物価デフレーション>に転機が訪れる直前の段階なのかもしれない、と。アベノミクスの効果については、専門家もいろいろと議論が喧しいが、小生はそう見ているところだ。

もちろん賃金・物価デフレーションが、賃金・物価インフレーションになったからといって、高齢化する日本経済の問題がそれだけで解決されるわけではなく、財政再建が保証されるわけではない。それには別の実質を伴った政策が必要だ。

★ ★ ★

それにしても、同じ一人の患者の病状診察と治療方針について、専門家がエコノミストのように、これほどまでに甲論乙駁するだろうか?他分野の人たちにはとても信じられないだろう。

確かに医学においても東洋流儀の漢方薬や鍼灸治療があって、西洋起源の現代医学とは別の世界を構成している。それでも、しかし、鍼灸院に行けば、まずはレントゲンやMRIで異常が見つかっていないかどうかを先に確かめるのだ。「こんな考え方は原理的に誤っている」とか、「あんなモデルに基づいて説明するのは根本的に間違いだ」とか、本質的な対立が長期間にわたって持続するのは、つまりはその分野の専門家を納得させる<決め手>にどの理論も欠けているからである。そもそも経済現象には理論では説明できないノイズが、最悪のケースでは半分程度を占めるものだ。経済現象の本質的な部分を<理解>したと豪語したとしても、今後の進行を<予測>するとなると「色々な要因が入ってきますから厳しいんですよね」と。やれ<反証>が見つかったと言ってはみても、その検証方法は統計的には稚拙であると再反論する余地は常に残っているものだ。

そもそもGDPという国民経済の行く末を考察する際に、一定の増加トレンドの周りで定常か(Trend Stationary)か非定常か(Difference Stationary)、そもそもGDP水準は確定的なドリフトもない非定常プロセスなのか、いつからいつまでのGDPデータに基づいて判断するかで結論は変わってくる。生産性も同様、技術進歩のスピードもそうである。小生は<群盲、象をなでる>情景をよく連想するのだ。

むしろ論争と対立から理解と協調へと、国家戦略の方向軸を変えることによる<心理的効果>の方が、社会科学的知見に基づいた個別の実証的・臨床的な政策よりは大きなパワーがあるのかもしれない。そんな風に思案している今日この頃である。もちろん間違った経済観、世界観の下に理解と協調を演じてみても、20年、30年という長期的なスパンの中では、いずれ失敗することは確実である。それでもなお不確実な状況で、戦略的議論を行う仕組みを作り、その仕組みを機能させていくことの効果は、「社会科学の進歩」を超えるパワーを持つのかもしれない。こんな風にみれば、経済学の競合分野は法学でも政治学でも経営学でもなく、社会思想ではないか。ま、これは本日の思いつきの覚え書ということで。

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諸般の事情があって、このブログは当面の間、限定公開にすることにした。

いまは知人にも見てほしいので一般公開しているが、元来は毎日の個人的な覚え書きだ。誰が読んでも「思い込み」を書いているわけではないと知ってほしいので、極力ロジカルに書くように努力しているのだが、それでも先日のように異論をもつばかりではなく、小生の文章が公開されていることが許せないと考える人も出てこよう。

外国のことならよいだろうが、日本国内の具体的ケースを素材にしながら、すべての人に受け入れてもらえるような書き方は不可能である。特にTPPや消費税率引き上げ、年金減額など、これらの政策ゲームはゼロサムゲームの側面をもつ。何を書いても、一方には味方となり、他方には敵となる。敵は気に入らない議論を、それだけではなく書いた人間を攻撃するだろう。生活がかかっているからだ。

小生一人なら丁々発止戦うのもいいが、トラブルが拡大して万が一愚息の仕事のマイナスにでもなってしまえば、議論が議論でなくなり、相互の生活基盤をかけた紛争になる。やりたいことはそんなことではない。現時点では、状況が余りにVulnerableである。

なので、今回投稿を最後として、次回投稿を機にしばらくの間はグループ限りの限定公開へ移ることに決めた。その内、投稿数が1000回の大台に乗り、小生にも一つの区切りが来る。その頃には周囲も落ち着いてくるので安心して一般公開しながら思ったことをそのまま率直に書き続けて行きたいと思っている。

2013年10月27日日曜日

日曜日の話し(10/27)

一昨年の初冬、小生とはわずか七歳違いの叔父が急逝したという電話があって吃驚した。確か週の半ばであり、通夜には出られず、その後の進め方を世間の相場で予想して、同じ週末に葬儀・告別式があるのであろうと断定して飛行機で上京したものである。ところが、石神井にある叔父宅を訪れると叔母が出てきて、まだなのだという。斎場の順番を待っていて当分かかるのだという。棺も自宅にはもうないのだという。そういえば、最近の首都圏では葬儀を行うにも順番待ちをしているのだと何かの記事で読んだことがあるのを思い出した。それで僅かな香典と幼少時に叔父と二人で撮った古写真を預け、また彼岸頃にうかがうからと言い残して、北海道に戻ったのだ。

落胆しながら、芝の増上寺に立ち寄って、辺りを散策してから帰るかと思いついて境内に入ると、どういう拍子か、滅多に開いていない境内裏の徳川家霊廟が開放されていた。「まあ、これでも見て帰れや」と叔父が言っているのかと不思議な感じがしたが、永井荷風の随筆『霊廟』に書いてあったある下りを思い出した。もちろん文章を暗記していたはずはなく、帰宅してから確認したのは以下の箇所だった。

ポンペイの古都は火山の灰の下にもなお昔のままなる姿を保存していた実例がある。仏蘭西の地層から切り出した石材のヴェルサイユは火事と暴風と白蟻との災禍を恐るる必要なく、時間の無限中に今ある如く不朽に残されるであろう。けれども我が木造の霊廟は已にこの間も隣接する増上寺の焔に脅かされた。凡ての物を滅して行く恐ろしい「時間」の力に思い及ぶ時、この哀れなる朱と金箔と漆の宮殿は、その命の今日か明日かと危ぶまれる美しい姫君のやつれきった面影にも等しいではないか。
 (出所)「永井荷風はこれだけ読め!」(Kindle版)所載、『霊廟』から引用

荷風は「まず順次に一番端れなる七代将軍の霊廟から、中央にある六代将軍、最後に増上寺を隔てて東照宮に隣りする二代将軍の霊廟」を参拝している。これらの霊廟群は火災からは免れたものの、太平洋戦争時の空襲ですべて灰燼に帰したので、まさに荷風が予感したとおり、全ての物を滅していく恐ろしい「時間」の流れの下に沈みゆく運命をたどったわけである。


有章院(七代将軍)霊廟

現在は、上の写真に見るような、荷風が目にしていた建築物はもはやない。一部の燃え残った門が、東京プリンスホテルの敷地の一隅に残されているだけである。それでも墓所としては、増上寺の境内裏に集められて祀られている。叔父が亡くなって、葬儀に出席しようと上京して、それが空振りに終わったおかげでそこに参拝することが出来た次第なのだ。

小生がまだ四国・松山市近郊の漁村で暮らしていた時分、休みになると松山にある父の実家に遊びに行き、まだ中学生か高校生であったその叔父は、やれ蝉取りだとか、トンボとりだとかに小生を連れ出したものだ。小生が鳥もちで蝉をとるのを覚えたのは、その叔父のお蔭である。小生が父の転勤で伊豆・三島で暮らしていた頃、半月もあけずにわが家を訪れては、小生や弟妹たちの遊び相手になってくれたが、その頃叔父は立教大学の学生であり、東京から三島までは近くはなかったはずだ。それでもあれほど足しげく来てくれたのは、叔父が父の末弟であり父とは19歳も違っていて、叔父にしてみれば兄である父よりは、小生達とのほうがずっと会話しやすかったせいかもしれない。亡くなった時の叔父の遺影は、しかし、若いころの風貌とは様変わりで、むしろ小生が記憶している祖父の顔貌を思い出させるものだった。永年の無沙汰をその時ほど感じたことはない。

2013年10月26日土曜日

断想–思いついた事

「国立大学の授業料は、原理からいえば、無料でいいのですよ」と会議で発言していた先輩は既に引退してしまい、そんな意見をいう人はもういなくなった。聞いたその時は「それは経済の規律に反するだろう、受益者負担が本筋だ」と思ったのだが、その後だんだんと考え方が変わってきた。

最近、感じることの第一はトップマネジメント層の<デリカシーの欠如>というか、<鈍感>、<勘の悪さ>だ。現総理にもずっと以前から感じているし、それは結局、カネで苦労したことがない、親が病気になったり、いなくなったり、家庭の都合で何か大事なことを諦める辛さを味わったことがない、生きるための涙を流した経験がない、そんな風に順調に成人できた人が、余りにも多く日本の組織の上層部を占めるようになったためではないのか。そう感じることが増えた。つまり、世代交替を繰り返すたびに指導層は中流上層部(Upper-Middle)以上に限定されるようになってきてしまっているのじゃあないか。「法律専門家って、お金がないとなれないよねえ…こんなんじゃ、お金をもっている顧客の気持ちしか理解できなくなるのじゃないかねえ」、カミさんとそんなぼやきを言うことが増えたせいばかりではないと思うのだ。

小生と同年輩で亡くなった義兄は医師であったが、国立大学医学部の授業料は年間5万円も ― 当時の貨幣価値を考えても十分安い金額だ ― かからず、世帯主を亡くした家庭であっても下宿をして十分卒業可能な進路だった。現在は、国立大学といっても授業料だけで年間50万円強である。それでも私立大学に比べて不当に安いと批判されているが、この不平等よりも、国公立大学の授業料引上げがもたらした結果を重視するべきだと感じるようになった。

国公立学校プラス返済義務のない奨学金で一流の高等教育を受ける機会を一定数かつ十分な数、別枠で提供しておくのがよいと今では感じている。税で支えて他人の(将来性ある)子を育てるわけだが、支えてもらった子は国に感謝の気持ちをもち、その果実は皆に帰ってくると思うのだ、な。その人の出世を税金で助けるなどと狭量な気持ちをもつべきではないと思う。昔も今も人材は等しくこの世に生まれているはずだ。そして生まれる家は貧富を問わないのだ。社会が育てれば大きな花を咲かせる人材を、万が一、社会の底辺に沈むに任せるなら、これほどの人材の浪費はない。

× × ×

以前の投稿にクレームがつき管理者であるGoogleの裁量で削除されたことがワダカマリになっているわけじゃあないが、不特定多数が閲覧可能な文章でどこまで書けるかである。

もちろんマスメディア、出版業界は、ビジネスであるので「表現の自由」、いや「報道の自由」があると言っても、弱者である個人に配慮するというモラルは持つべきで、言っていいことに一定の範囲はあると思う。

しかし、個人として意見を表明している文章を閲覧できないようにする権利が、社会の側にあるのかというと、決して自明な問題じゃないと思うのだ。ブログで公開してはいけないというなら、印刷物を広く配布するのもダメだという理屈になる。演説をするのもダメだという論理になるだろう。他人を根拠なく誹謗中傷するのはなるほど違法だ。しかし、社会で起きた事柄を話題にして正邪善悪を語るとき、「自分は攻撃されている」と感じる人は当然いるであろう。不愉快な感情を与えるだろう。「だから、そんな話題をとりあげるべきではない」という結論にはしないというのが「表現の自由」ということではないだろうか。個々人の感情を超えて、社会として議論の自由は保障しておく。この理念が先にあると思うのだが、どうだろうか。

× × ×

昨日の投稿とは別に、景気の一服感があると政府は認識しているようだ。10月24日に公表された政府の「月例経済報告」では次のように表現を変更している。


輸出が足踏みしているが、企業経営者の心理面は大いに好転しているという状況だ。心理面が好転すれば積極的な経営戦略をとるようになろう。しかし、それが国内投資になるかどうかは不確定である。日本をビジネスの場にしようという企業は、国内勢だけではなく広く海外から招待するのがベストである。もう20年くらい、こんな話しをずっと続けている。もうやってもいいのじゃないか。


2013年10月25日金曜日

足下の景気を確認ー先行指数

昨年はもう少し立った頃から突然に株価が上昇し始めた。まず自民党の総裁選で安倍氏が勝ち、次に消費税率引き上げと引き換えに当時の野田首相が約束したとおりに解散しようと言い出し、年内に総選挙があることになり、予想もしなかったアベノミクスが実行に移される。そんな期待先行のミニバブルが日本で発生したかと思ったのだが、世界的にも株価が上昇していた。これも米中をはじめ主要国(=大国)で選挙が終わり、なにか新しいことが実行されるかもしれないという、そんな期待で騰がっているのだろうと本ブログに投稿した記憶がある。

最近は…どうも株価があがりそうで上がらないのだ、な。期待で上がってきた分、実体面の裏付けがないとなれば、株価が下がるペースもはやかろう。どうも心配である。それで、まずはOECDのCLI(=先行指数、Composite Leading Indicator)をみてみた。


Source: OECD DataLab - StatExtracts

上の図を見ると、日本、US、ユーロエリア、G7、Chinaなど、回復ペースに違いはあるものの全体的に経済活動は上向きであり、明らかに景気後退に陥っているのはブラジルと韓国のみである。グラフが見づらくなるので多数の国を省略しているが、足下の経済動向に心配するべき停滞はうかがわれない。

本日の道新に『コメ減反、見直し着手—所得補償減額を検討』と見出しが出ている。3面の解説には「農政、転換の可能性」が指摘されている。減反政策とは、コメの販売価格を高めに維持するための数量戦略である。この戦略は、日本の国内市場を国内農家が独占していることによって成立する。どうやらTPP発効後に備えて政府は下準備をはじめたようでもある。先日も日本の家庭の平均収入はドル換算で韓国の2倍に達しているにもかかわらず、毎日の食費に割かざるをえない比率、つまりエンゲル係数は逆に韓国の方が低く、日本の家庭は収入の割にゆとりがないという点を書いた。本筋に沿って議論が進んでいるように思う。経済は段々と良くなって行くとみる。

それにしても、保有しているアメリカ株と日本株。いつの間にかアメリカ株の時価評価額が日本株を逆転してしまい、半分以上はアメリカ株でもつようになった。とにかくアメリカ企業は成長しつつあり、日本企業は現状維持。この勢いの差が株価にも現れる。日本の制度が悪いのか、日本企業の活力が乏しいのか、何が問題なのか指摘するのも難しいが、これではまずい。

2013年10月22日火曜日

学力テスト結果公開の是非?

静岡県知事が学力テスト結果を学校別に公表するべきだと発言して以来、結果公開の是非について論争が行われている。その中で、文科省は学校別成績を公表できる方向で実施要領を修正する検討に入ったということだ。えらく手回しがいいねえ……、小生はこんな風に背景を読む癖が身についてしまっているのだが、的外れかもしれない。

学力テストの成績公表については、たとえば産経新聞は次のように(基本的には)賛成論を展開しているので、個人的に関心をもっていた。
小中学校で実施される全国学力テストの結果を教育現場にどう生かしていくべきか。
 学力テストの一部科目で今回、47都道府県中最下位だった静岡県の川勝平太知事が、全国平均を下回った学校については校長名を公表すると述べたこととも絡み、議論を呼んでいる。
 学力テストの原点は、教育現場のレベルを高め、児童生徒の学力向上に役立てることにある。川勝氏の方式で学力伸長がはかれるかどうかは疑問だが、結果は、自分たちの学習到達度を知る上でも、基本的に公表するのが筋だろう。文部科学省は、その方向であらためて検討を進めるべきだ。(出所)MSN産経ニュース、2013年9月30日
細かいことをいえば、<結果の公表>を行うのか<情報の公開>を行うのか、ここを明らかにしておく必要があるが、これはまた別の論点だろう。

静岡県知事は、全国平均を下回った学校については校長名を公表するという方針でもあったようだ。それはともかく、「自分たちの学習到達度」を知りたいのは、色々な立場の人がもっている願いであろうというのが賛成論の骨子だ。

小生も、職業柄、テストやレポートを評価しては成績をつけている。つけた成績は、最終結果だけでなく、できるだけ細部まで学生たちに分かるように努力している。学生たちの多くは、自分の評点をはやく知りたいようだ。悪ければ、悪い理由を分析し、良ければ自分の勉強方法に自信を感じるだろう。それは学習上、良いことだと思う。

しかし、学力試験の結果公表論争は、上のような内容の議論ではない。受験生個人に評点、校内順位、全体順位などを伝えるのではなく、学校別に成績を公表するというものだ。このような手法が、どんなメカニズムで生徒の学力向上に結び付くのか、決して自明ではないだろう。

また、公表するのは筆記試験の得点だけであって、子ども達が成長する過程で身につけるべき性質、参加することが望ましい活動など、筆記試験の得点以外の色々な次元については、なにも評価せず、フォローもしないのですかという疑問も出てくるだろう。

上の記事を読んで思い出した本がある。ずっと昔に読んだ本だが、著者は田辺英蔵という人だ。タイトルは残念ながら思い出せないが、確か『リーダーシップ・・・』のような語句があったかと思う。田辺氏は、ホテル経営者でありながら、日本では高名なヨットマンであり、同時にスキューバ・ダイビングの草分けである。氏が、月刊雑誌『KAZI-舵』に連載していた「キャビン夜話」は、小生も若いころ多少ヨットに乗っていたこともあるので、毎月楽しみにしていた。単行本も買い揃えた。そんな田辺氏の文章なのだが
一般にレストランの客の入りは、経営者たるオーナーの責任であり、シェフの責任でも、ホールの責任でもない。
こんな風だったと記憶している。これを敷衍して、一般に戦争の勝敗の責任は、国の指導者の責任であり、戦場で戦った隊長や兵士の責任ではない。こんな風に応用することもできよう。もちろん、<一般に>である。

学区制が設けられている都道府県、市町村において、その学校の学力テスト平均点がいかなる順になるか。その順位を上げるのが、それ自体としてはいいに決まっているが、そのために学校の校長や教員が努力できることは極めて限定的である。というか、現場のスタッフで何とかなる余地は、小生は、ほとんどないのではないかと思案するのだ、な。仮に、学区制が廃止されて、家庭は子供を通学させたい学校に入れることができる、そうなったとしても現在の教育システムの中で、校長先生が単独で出来ることはほとんどない。小生の毎日の感想はこんなところだ。

寧ろ知事がそう考えるなら、静岡県が全体として、学力向上戦略を練りあげて、いくつかのモデル地区を定めて、新たな教育プログラムを導入するやり方が、もっと効果的だと思う。もちろん、その試みと目標を県民が了解している必要があるし、学校現場の運営責任者は、その戦略の意図を正しく理解したうえで、具体的なプランを実行する有能な校長でなければなるまい。

× × ×

今年2月の投稿が法的あるいはその他の基準に抵触してブログから削除されたとの通知がGoogleから届いた。タイトルもまるごと削除されたので、何を書いたのか覚えていないが、Googleが案内する手順によって調べてみると、そのうち詳細が確認できるようでもある。

これまた上の話題に似た事柄であって、誤りがあるなら、どこがどんな意味で誤りであったのか知りたいと感じるのが自然であり、「ならぬことはならぬのです」と服従を強いるのはアンフェアだろう。社会的マナーは、全うなブログ投稿者であれば自然に守ろうとするはずであるし、そうであれば何も社会的な問題はないというのが小生の立場だ。時に覚えずマナーに違反した際には書き手は謝罪をするべきなのである。もちろん小生もそうであり『本当に失礼なことを申し上げました』と言わなければならない。しかし、小生がしらずhurtfulないしillegalな記述をしていたとしても、それを謝罪ないし弁明する機会は(あまりに匿名のスパムコメントが多すぎるので今はGoogleアカウントもしくはOpenIDコメントに限定しているが)コメント欄で設けていたはずである。今回のことが仮に「このような見解を不特定多数が閲覧可能な形で述べるべきではない」と、匿名の権力がまるで憲兵のように活動していることの現れであるなら、覚え書きのようにブログを書いていこうという最初の目的とは相いれない。

縁があって、ずっとGoogleで書いてきたが、この世界が自分に適した世界であるのかどうか、時間がたてばやがて分かっても来ようと思うのだ、な。

2013年10月20日日曜日

日曜日の話し(10/20)

朝方夢をみる。貿易財市場の需要と供給の議論を誰かとしていて、需要曲線の方にはキンクがあり、ある価格以下で垂直になっている。円高になると輸入財は割安になるが、円高の度が過ぎると輸出産業への打撃が表面化してGDPが低下するので、輸入財への需要は増えない。それで世界のGDPは…、何だかそんな理屈を一生懸命にこね回しているのだ。大変、疲れる夢である…休息にならない。そう言えば、日中に解けなかった数学の問題を、小生、夢の中で解いたことがある。そのときは、いいタイミングで目覚め、まだ解き方を覚えていたので実際に紙のうえに書いてみた。そうしたら本当に解けていたのだ。「オレは天才かもしれないなあ」と思ったが、一度だけであった、そんなことは。

夢の中に母が登場するのは、母が亡くなる前からそうで、それはいいのだが、しかし何かを母と話していた夢は覚えていないのだ。父が仕事に行き詰まり体調をこわし、家にいる時間が増えてきた頃、ある朝小生の夢にでてきた母は窓辺のカーテンの端にいて、じっと立ち尽くして外を見ていた。夢をみている小生自身は、その夢の中にはいない様子で、ただじっと何をするでもなく寂しそうに佇んでいる母の姿を夢に見ているだけだった。このことをずっと覚えていたのだが、はるか後年になって家に帰ると、窓辺から外を見ていたらしい母が「おかえり」と言ったあと、また外の方に顔を向けてそのまま立ち尽くしていた。父が亡くなってあまり日数がたっていなかった頃のことである。今から30年も昔のことになってしまったが、その情景はこれからも忘れられそうもない。

絵画をみれば人物がそこにいる。肖像画もあるし、風景画であっても点景として人がそこにいるものだ。しかし、ほとんど多くの場合、人は画家の方を向いているものである。モネの風景画に出てくる人物はまさに点景としてであって、人とモネの間に交わされる思いがテーマになっていることはない。それでも人は画家をみている。マネもそうであるし、セザンヌもそうだ。人を描くとき、画家はその人の顔をみて、目や口を描いている。小生が夢に見たような「背を向けた人」を描き、何かを表現している作品はあまりないのだな。

エドガー・ドガは、絵の中にいる人と目を合わせていない、後ろ向きの人間の佇まいを描き、そのことで美しさとそこはかとない孤独を表現している芸術家だと気がついた。


Degas, Two Dancers In The Studio I

確かに主たるバレリーナは背を見せていないが、画家ドガを見ているわけではなく、こんな描き方でドガは二人の少女を描いていることになるのかというと、描いているのは人間ではないとあの世にいるドガが答えてきそうだ。寧ろこの絵を見る人がいだく思いは、背をむけた右側の少女の表情、心の中の感情へと向かうだろう。画家ドガは、一歩下がって、描く人に徹している。その分だけ、画家のいる世界と画中の人物がいる世界は、遠くにある。


Degas, Racehorses at Longchamps
Source: 上と同じ

この作品は、多くの人物がいるものの人物画(Portrait)ではなく、風景画(Landscape)にカテゴライズされているのだが、確かに誰もが人物画ではないと納得するだろう。それにも関わらず、やはりこの作品は人物がおらずして成り立たないわけで、描かれているのは背をむけて馬を歩ませて去る騎手達の姿である。

共通しているのは、バレリーナや騎手とドガが目を合わせているわけではなく、というかそもそも絵の中の人物にはドガという画家の存在が見えていないという点である。その意味で、絵の中の人物と画家は別の世界にいる。孤独と寂しさの香りがするのは、夢をみる人と、夢でみられる人が別の世界にいるのと同じ論理、同じ関係に支配されているからだ。そこに人がいて、親しさや愛しさを感じるのだが、それでも話しかけようもない自分は、この世界に一人でいる、そんな淋しい孤独をドガは描いている。



2013年10月19日土曜日

靖国参拝 ー これって「心の自由」のことなのか

またまた靖国神社が世を騒がせ、日本ばかりではなく、中国、韓国から抗議を招いている。真榊を奉納した安倍総理も「迂回参拝」だなどと批判されているようだ。アメリカも靖国については無関心というわけにはいかない様子である。

ところが・・・・・


新藤義孝総務相は18日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。17日からの秋季例大祭に合わせたもので、参拝後、記者団に「個人の立場で私的参拝を行った。(玉串料は)私費で納めた」と説明。「個人の心の自由の問題だ。(参拝が)外交上の問題になるとは全く考えていない」と強調した。…… 一方、超党派の「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)のメンバーも18日午前、集団で参拝した。尾辻氏や高市早苗自民党政調会長、加藤勝信官房副長官らが参加。同会によると、自民、民主、日本維新の会、みんな、生活の各党などから計157人が参拝した。 (出所)時事ドットコム、2013年10月18日
総務相は「個人の心の自由の問題」、百数十名の国会議員が集団参拝したが、こちらは「みんなで参拝する」というのが狙いのようだ。「みんなで」とは言うものの、何かをきけば「個人の心の問題でしょ」と答えるのは目に見えている。

「心の問題」とはいうが、恋愛は自由だといって議事堂内で同僚議員とキスをすれば、その議員は非難されるだろう。この場合は、行動と場所が問題なのであり、人を愛するという心に罪はない。しかし、靖国参拝を「心の問題」と主張する議員は、その行動から外交問題を引き起こしているのに加えて、言っていることに<嘘>が混じっている可能性がある。

心の問題で意味している内容が<信仰>であったとすれば、「自分は国家神道の信者である」と言っているのと同じである。いくら心は自由でも「大東亜共栄圏の精神自体に間違いはなかった」と公に発言すれば、議員辞職するのが当然であるという戦後レジームを知らないはずはあるまい。それこそ変えたいものなのだと考えているなら、最初から「靖国参拝を問題視するその体制をこそ変えたいのですよ」と言えばいいのである。

<信仰>ではないというのなら、スピリットの事柄ではなく、俗世に関すること、言っている人が議員なのだから職業に関すること、要するに<票>であろう。右翼の票が欲しいために靖国参拝に名を連ねて、「心の自由の問題です」と言っておく。もしそうであれば、これは<欺瞞>であり、票が欲しくてやむなく参拝している以上はその議員に心の自由などはない。だから、<嘘>をついていることになるのだ。

靖国を支持する真の国家主義者などいても数名ほどであろう。永田町にサムライがいるとは思えない。ただ参拝して、黙して語らず、思想を伝えようともしない自称、いや現職であるには違いないか… 、国会議員たちは単なる烏合の衆のようにどうしても見えてしまうのだな。情けない……。これでは英霊達も泉下で涙が襟を潤し顎を伝わるであろう。

2013年10月17日木曜日

消費税率、エンゲル係数 ― やるべき議論で放置していること

多少旧聞に属するが、消費税率引き上げに関する記事を一時保存フォルダーにとってあった。以下がそれだ。
産経新聞社とFNNの合同世論調査では、来年4月の消費税率8%への引き上げに対する容認論が強まる中、女性は男性に比べて反対論が強く、男女差がくっきり表れた。特に、子育て世代とされる30、40代の女性は増税に反発する傾向が際立っており、消費税増税が子育て支援の強化につながらなければ反発はさらに大きくなりそうだ。 
調査結果を男女・世代別に分析すると、消費税率引き上げと経済対策を表明した安倍晋三首相の方針に対し、男性の54・0%が「支持する」と答え、「支持しない」の40・8%を大きく上回った。一方、女性は「支持する」(48・2%)と「支持しない」(46・4%)で評価が割れた。20代、30代、40代の女性はいずれの世代も「支持しない」が過半数に達した。
 消費税が増税される来年4月以降に家計の支出を減らすかどうかについて、「減らす」と答えたのは、男性では54・9%、女性は62・3%だった。女性のなかでは、20代の52・5%が「減らさない」と答え、「減らす」(44・3%)を上回ったが、40代は子供の教育費負担などが影響してか、72・6%が「減らす」と回答、世代間ギャップが浮き彫りになった。 
 平成27年10月に消費税率を10%に引き上げることに「反対」というのも、男性は58・0%にとどまり、女性は67・5%を占めた。女性は各世代で3分の2以上が税率10%に反対し、「賛成」は23・6%にとどまった。
(出所)産経新聞、2013年10月8日

収入一定で消費税率が上がれば、当然、増税分だけ出ていくお金は増えるわけだから、貯蓄を減らすか、購入数量を減らして消費金額を一定に維持するか、二つに一つか両方を少しずつ実行するしかない。

ただ、子供世帯の家計が苦しくなれば、孫の教育費や出産や進学、病気などの場合の経済支援、普段の仕送りなどの形で、年金を受給している親世代から子供世代への移転が行われるだろう。だから、今回の消費税率引き上げのかなりの部分は、親世代が節約することによって、負担を引き受けるのではないかと小生は予想している。負担がどこに落ち着くかは分からないが、確実なのは、国の財政収支が少々改善される。この点だけは確実である。

しかし、消費税率をたかが5%から8%に上げるという文字通りのマイナーチェンジにこれだけ騒ぐのは不自然である。厚生年金や国民年金の保険料も「税金」と呼ばれてはいないが税金と変わらないからである。その年金保険だが、年金積立金が少なからぬ額に達している。そしてその積立金は、保険料が引き上げられた後、なおも増え続ける-積立金が増えるというのは支給以上に保険料を徴収しているからだ-この年金財政見通しは厚生労働省のホームページでも解説されている。

シミュレーションによれば、今から30年後の2045年に積立金は最大値に達する。厚生年金で200兆円余り、国民年金で概ね10兆円程に達し、それ以降は徐々に取り崩しが進み、100年後には1年分の給付費を準備金として用意する状態になる。100年後に1年分の支払準備金を用意する状態になるのであれば、なぜもっと早い段階でそうしてはいけないのか。こんな疑問を持つ人も多かろう。そもそも最近の社会保険料率引き上げを、どの程度、国民は議論したのだろうか。積立金を増やすためには保険料アップが必要なのだという説明を国民は本当に了解したのだろうか。消費税を10%まで引き上げるのであれば、年金保険料率も見直すべきではないのか。なぜ誰もこの質問をしないのだろうか。保険料は、最後には自分のところに戻ってくるから上げてもいいのだ、と。若い人たちは本当にそう思っているのだろうか?

× × ×

昨日のビジネス経済学でも、なぜみんな議論しないのだろうという話題があった。それは「エンゲル係数」である。日本のエンゲル係数は他の先進国に比べて、現在、高止まりしている。日本人の暮らしに余裕がないのは、必需的な支出割合が高く、裁量的な支出に回す余地が少ない、特に食費の割合(=エンゲル係数)が比較的高いことが主因になっていることは、以前から指摘されている。もっともエンゲル係数が低いのはアメリカで15%程度だ。それからオランダが18%、ドイツが19%、日本は23%である(出所はここ)。生活水準が上昇するにともなって下がるはずのエンゲル係数であるのに、韓国のほうが22.7%と日本を下回っている。これが昨日の授業では話題になった。

小生: 日本のエンゲル係数をアメリカ並みに下げることができれば、日本の家庭は非常に豊かになります。たとえば年収が500万円の家庭のエンゲル係数が23%から15%に下がるとしましょうか。これは食費が40万円節約できることと同じです(分母は総消費であるべきで、これだと貯蓄を入れてるじゃないかとは言われるだろうが、要修正額は小さい)。毎年のボーナスが40万円増額されるのと同じ効果をもつでしょう。この40万円で、たとえばスポーツジムに入るかもしれません。芸術活動にお金を使うかもしれません。高級オーディオを買うかもしれませんね。翌年は好きな食器をそろえるかもしれません。母親はパートを減らして、子供たちと一緒にいる時間を増やすでしょう。こんな風に日本の家庭のエンゲル係数を低くすることは、政策技術的に可能なんですよ。何をすればいいと思いますか? 
学生: 食料品の価格を安くすれば出来るのではないですか? 
小生: 具体的に、そんなことが可能なんですか? 
学生: TPPを締結して、聖域5品目に切り込めば、可能ではないですか? 
小生: なぜマスメディアはこんな議論をしないのでしょう。以前から真っ先に話をされていたことなんですよ。2012年時点、日本の一人当たり名目GDPはドル換算後で韓国の2倍あるのです。にもかかわらず、日本の家庭は毎日の食費に韓国より高い割合のお金を使ってしまっている。エンゲル係数は生活水準の実感指数ともいわれます。これでは日本人が暮らしにゆとりを感じないのは当たり前です。格差拡大とか、労働市場のゆがみとは別に、暮らしの在り方そのものに余裕がないのですよ。
これまた、議論するべきだが、誰も何も言わない。音なしの構えである、小生にとっては、七不思議の一つなのだ。 最後の段階で出してくる<政府の隠し玉>なのだろうか。



2013年10月15日火曜日

日韓の同盟関係?

最近はー 実は小生が無知だっただけで、ずっと昔からあったのかもしれないが ー「朝鮮日報」や「中央日報」、通信社の「聯合」も日本語版を提供していて、韓国サイドのものの見方を容易に知ることができる。大変有益である。

その中で面白い報道をみつけた。
【ソウル聯合ニュース】韓国の国民の7割以上が、日本を韓国の同盟国ではないと考えているとの世論調査結果が明らかになった。
 韓国国会国防委員会の所属議員が14日、調査会社ユニオンリサーチに依頼した「国防懸案関連の世論調査」の結果を公表した。それによると、「日本は韓国の同盟国か」との質問に、72.2%が「同盟国ではない」と答えた。また、日本の集団的自衛権に対する韓国政府の対応について、75.5%が「日本の軍事力はアジアの平和を壊すため、反対すべき」と答えた。
 年齢別にみると、50代では「同盟国ではない」が77.2%、「集団的自衛権に反対すべき」が80.0%を占めた。一方、20代では「同盟国ではない」が61.8%、「集団的自衛権に反対すべき」が67.0%だった。
 支持政党別では、保守与党セヌリ党の支持者の75.7%、最大与党・民主党の支持者の79.6%が「日本は同盟国ではない」と答えた。
(出所)聯合ニュース、2013年10月15日

 そもそも日韓関係については、1965年に締結されたいわゆる「日韓基本条約」とそれに付随して結ばれている協定や交換公文があるのみであって、日米安全保障条約に該当するような軍事同盟の関係はない。だから、韓国人を対象に「日本は韓国の同盟国か」と質問すれば、正しい知識を有している限り、「同盟国ではない」と回答するのは当たり前のことである。むしろ100%の人が「同盟国ではない」と答えなかったことこそ、おかしなことだ。

日韓が共同利益を求める同盟国の関係にはない以上、日本の軍事力増強は韓国にとってはアグレッシブであり、タフ・コミットメントとなるのも、これまた当然のロジックであって、100%の回答者が日本の軍事力はアジアの脅威になるので反対すると答えなかったことこそ奇妙である。

◆  ◆  ◆

韓国と同盟関係にあるのは、アメリカであって日本ではない。また中国でもない。韓国には、中国との協調に転じるか、日本との協調を強化するか、もしくは両方を追求するか、あるいはまたそれ以外の戦略をとるか、いろいろな選択肢がある。朴新政権は、対中親和策にコミットしているように見えるが、中国にはそうした韓国の政策方針を忌避するべき理由はないだろう。しかし、アメリカもまた韓国に同調、または結託する戦略的な補完関係があるかといえば、それは即断できない。そうなれば、日本もまた同調せざるを得ないだろうが、その場合には日米同盟関係が日本にとってコストに見合うものかどうか、必要かどうかという議論が日本の方に生まれるかもしれない。そうなれば各国が共同利益を最大にするような新たな結託関係を求め始めるだろう。仮にそうなっても、価値観の共有が経済的利害関係以上に国家的意思決定において重要であることは、古代ギリシアのペロポネソス戦争以来の真理である。だとすれば、アメリカの利益がその新しい構造において現在以上に拡大されるとはとうてい予測できず、真の意味でアメリカが共産党支配下にある中国と協調できるとは思えない以上、アメリカは戦後レジームを維持し、大きな変化を回避する誘因をもつ・・・

とまあ、こういう"If ... then ..."式のシナリオ・バンドリングは、やれば確かに面白いのだが、所詮は、「国家」がプレーヤーだから、その点はまったく抽象的なのだ。それでも自国の利益を考えて議論するならまだ意味はある。しかし、韓国の通信社が上に引用したような記事を日本語で(日本人向けに、だろう)提供する……、こうすることは、一体、どのような韓国人に、どのような利益があるのだろう?そこが、小生、さっぱり分からないのだ、な。通信社だから、つまりは事実の報道に徹して、多数の言語で「こういう結果になりました」と情報を提供しているだけなのだろうか。それなら、英語版を出しておけばそれで十分だと思うのだ。あるいは狙いは全く別で広告収入拡大策なのか。

どうも聯合通信社の意図が分からぬ。

2013年10月13日日曜日

日曜日の話し(10/13)

日曜日の話しとしては血なまぐさいが、三鷹市のストーカー殺人事件の被害者は加害者と交際関係にあり、その後は印象が悪化したのか、加害者が何度携帯電話をかけても拒否されるようになったことから、恨みを募らせた。そんな風に報道されている。具体的にどんな経緯があったのか、第三者には窺い知るべくもないが、大体の大筋をきけば何となくアウトラインが浮かんでくるようでもある。

どう言えばいいのか分からないのだが、最近の若い人は対人的なコミュニケーションが下手というか、どこか幼稚で、しかも心が傷つきやすいという傾向があると小生はみている。大学でも学生の気質は20年前と今とでは相当違うことは、日頃、若い人と接している人なら共通して分かることだと思う。

何があったか知らないが、何度電話をかけてもつながらない、そんなことは昔だってよくある愛のもつれ、友情のもつれ、単なる口喧嘩であっても電話口に出ようとせず家族に断ってもらうなどは日常茶飯事であった。だから加害者がそれで恨みを募らせたのだとすれば、あまりにナイーブでひ弱だと思うのだが、被害者も同世代なのだから、相手を傷つけてしまっているかもしれない位のことは分からなかったのか……、分からなかったのだろうねえ、そこが今の若い人の、よく言えば善意があって暢気で自己肯定的である、悪く言えば偽善的で鈍感で危機管理意識に乏しい傾向であるような気もしてくるのだ。


Klimt, Mada Primavesi, 1912

古代ローマの政治家シーザーは、若い頃は無名であったが、無名時代から既に交際する女性は数知れず、別れた女も数知れなかったそうだ。塩野七生『ローマ人の物語』の第5巻は「ユリウス・カエサル」で一冊丸ごとを使ってシーザーという男の生き様を描いている。ともかくシーザーは歴史上の有名人物だから話しの筋は多くの人が大体知っている。著者である塩野女史からみて驚嘆に値するのは、あれほど多くの女性とつきあいながら、一人の女性ともトラブルに至らず、死後もずっと感謝の気持ちで追憶されていたらしいという事実だ、そう書いている。こちらから別れても恨まれることがなかったというのは、確かに人との交際がよほど巧みであり、またコミュニケーションの達人、相手をホロリとさせる達人であったのだろう。

上の作品を描いたオーストリアの画家・クリムトもまた数知れぬ女性と浮き名を流したので有名だ。女性とつきあってはその姿を芸術作品に昇華させ、その作品が今に至るまで遺っているという次第だ。時には愛のもつれも行き違いもあった当人達なのに、今では一方が他方を描いた絵画だけがあって、後の世の人がリアルな恋愛の場を知ることなくみているわけだ。これって何なのでしょうね、と。

現代のほとんどのストーカー殺人事件の悲しい点は、その経緯に何のドラマもなく、伝わらず、語られず、そして世間を感動させることなく、忘却の波間に沈むにまかされ、美も真理もモラルにも、そういった後世の人が関心をもつ何らのことも生み出さずに、ただ生命がホタルのように時間がきたから消え失せて行ったという、そこにある。文字通りの不条理と言えるだろう。





2013年10月11日金曜日

覚え書 ― ストーカー犯罪を権力で抑止してもザルである

今度は三鷹市のストーカー殺人事件である。この種の犯罪は、近年、繰り返されているので警察側も(当事者には不十分に感じられるだろうが)呑気に構えていたとは思われないのである。

権力がプライバシーに土足で踏み込むわけにはいかず、警察側の自己規制にも合理性はあるわけで、以下のような警察側の対応も小生には仕方がないと思われるのだな。
個人の恋愛感情に起因するという性質上、「相談時に切迫の度合いが不明確で、どのような対応が適切なのか判断するのが難しいケースが少なくない」(捜査幹部)。(出所)日本経済新聞、10月11日
 現在、警視庁所属の警察官は約4万人である。一方、都内の人口は概ね1千3百万人。警察官1名が325人の住人の安全を確保するという計算になるが、どう考えても<いざという時のセキュリティ確保>を約束するには警察官の人数が最初から足りないと思うのだ。これを例えば安全向上を目的に警察官定員を2倍にしても、まあ現在より多少マシにはなるだろうが、小生には問題が解消される、つまりストーカー殺人のようなどこで発生するか分からない凶行を警察官の努力で未然に防止できるとは、到底思えないのだな。大体、警察の拡大には国や自治体の予算拡大が必要であり、政府にも都道府県にもカネは余っていない以上、増税が必要だ。何をしてもいいが、フリーなものは、世の中には一つもないのだ。

警察官はいわば税金で雇用する用心棒である。端的に言えば、カネで安全を買うのが、民主主義社会の警察という存在だ。払っているカネでは、十分満足の出来る治安が確保できないなら、支払う金を増やすか、やり方を変えるしかない。これがロジックだ。カネで安全を買わないのだとすれば、カネではなく住人が自ら安全を造り出す。これも理屈だろう。

安全を造り出すには、地域共同の見回り行為も選択肢に入るだろうし、地元住民による「不審尋問」も許容されなければなるまい。平成版「おかっぴき」を任命することになるかもしれない。いわば警察の嘱託、契約スタッフになるか。OB人材の活用にもなる。富裕な地域なら、一律の警察サービスでは不十分だろうから、エリア全体を安全ウォールで囲んで防犯カメラを設置するかもしれない。富裕でなくとも道路に「非常線」ならぬ「警戒線」を設ける地域が生まれるかもしれない。もちろんカネはいる。そのエリアに入るには幾つかの人定質問を受ける。もちろん警察官も例外ではない。その意味で、こうした措置は警察の権限制約になるので、政府が最初にこれを容認しないといけない。そのゲートには地域住民が自ら当番であたり、必要なら武装し、あるいは拠出した資金でセコムやアルソックの警備員が雇用される。そうして、常に入出門チェックをする。ここまでやれば地域の暮らしの安全は十分な程高まるだろうと予想される。おそらく、住民の安全確保は、警察業務の中でも労働消費的で高コストの仕事であろう。そもそも非効率な公務員に委ねるのはおかしいのだ。

実際、民間警備会社は今後の経営戦略として地域社会の安全サービスを挙げているという。そりゃあ、こういうご時世、ビジネスチャンスである。

このように世の中がいくら危険になったからと言って、直ちに正当防衛をもっと広く認めよとか、銃刀規制を緩和せよという議論にはならない。とはいえ、個人の正当防衛を広汎に認めるのでなければ、警備ビジネスの拡大を促進するくらいのことは政策としてサポートしなくてはなるまい。あるいはまた町内住民の<集団自衛権>を認める必要もあろう。この権利の行使に当たっては、警察の助言指導もありうるかもしれないが、<お上頼み>では所詮は絵に描いた餅になろう。やはり自発的な活動が望まれる。いずれにせよ、これまた<規制緩和>の一分野といえる。

もちろん日本社会の経済的効率性が、上のような暮らしの安全向上策のために、どの程度阻害されるか、それは別の問題だ。ただ社会の問題は、工夫をすれば解決できるものだ。そもそも最初から対応能力には限界のある警察にゲキをとばしたり、ただ批判したりするだけでは、全く能のない話しである。

2013年10月10日木曜日

「評価」という仕事の評価は誰がするのか?

いつの間にか秋である。昨年の10月中旬、小生の勤務先の風景は下の写真のようであった。今年は夏が暑かったせいか、少し遅れているようだ。



キャンパスの紅葉が始まると大学評価の季節がやってくる。明日、明後日と、学外から評価担当者が訪れ、実地調査を行う。今年度の授業計画責任者としては会議に同席しないといけない。昨日は、将来予測の授業、本日は朝から某社の出前授業をやったのに又かよ、と。ヤレヤレ、まいるねえ、一体こんな評価って、誰が、いつ、何のために読むの?評価結果を参考にして、学生が志望校を選んでいるの?役に立っているの?いやはや、一人ボヤキがいくらでも出ますわ。

実は、小生、現在の勤務先で第1回の授業評価アンケートが実施される道筋を作ったものと、ひそかに己惚れているのである。確かにまあ、その件を審議した委員会の委員長ではなかったが、質問構成、実施方式などで鍵となる構想を提案し、実施後は最初のデータ分析報告を行った。そのデータ分析は<R>でやったのだが、ソフトウェア選択眼を具備したものとこれまた独りで自己満足しているのだ、な。今からもう15年も前のことになった。

「なってしまった」と感に堪えたように書いたが、別に「あれから40年」というほどの時間ではない。せいぜい「学校出てから十余年」くらいの時間である。それでも、その間に何と<評価>という仕事が周囲で自己増殖したことか。

今では、半年に1度、年に2度、授業ごとに2種類の授業評価アンケートを学生に回答させ、担当教員は授業ごとに別の自己評価アンケートに答えている。評価結果を文書化して授業は初めて終わるのだ。もちろん<成績評価>という評価も片手間にやる、いやむしろこれが本筋だ。一体これほどの量の<評価>という行為を行わないと、学校の、というか日本人の仕事の質は上がらないものなのだろうか?

それにしては、こんな評価など一切なかった時代、日本の経済学界は黄金時代にあって、大学、官界、在野の経済専門家たちは喧々諤々、その時々の政策について華麗な論争を繰り広げていたと記憶している。小生が学生であったころには、渡部経彦や内田忠夫、建元正弘といった専門家が毎週どこかで所論を述べ、さらに小生がいた大学にも辻村江太郎や加藤寛、それから尾崎巌、小尾恵一郎といった経済分析の達人がいて、授業では世間の論争の内幕を面白くとりあげたりしていたものだ。今がダメだとは言わないが、評価をしている割には向上意欲というか、熱気が薄まっているように思う。まあ、「授業熱心」という点では、現在のほうが上かもしれない-何しろ評価されるのだから当然かもしれない。なのに・・・、という話だ。

ちょうど病院の世界であれば、医師の仕事を評価する<医療評価専門家>がいてくれたほうが、何となく日本の医療水準が上がるような気はするものだ。しかし、資源配分の秘訣はすでにスタンダードな理論が確立していることを忘れるべきではない。資源配分は、自由な選択機会を保証し、分権的に決定するときに最も無駄がなくなる。すなわち、マーケット・メカニズムであり、仮に組織的プロセスを採るにせよ、中央集権的な<一枚岩組織>より、競争メカニズムを活用した<分権的組織>のほうが、変化する環境への適応能力があるものだ。そもそも優れた経営者、有能な社員は、高く評価するより、報酬を上げる方が士気につながる。「評価するならカネをくれ」というのは永遠の心理だ ― 研究支援においてはもう現実であろう。評価とカネは表裏一体である、今のところは。もちろん評価と報酬がパラレルに本当に連動するなら水面下のロビイング、評価担当者の接待、etc.が横行するのは五輪開催地の決定プロセスと同様である。ということは、冷静にして静謐な評価が大学については実施されているということ自体、評価とその後の報酬・処遇が関連していない、評価だけのこと、そういうことかもしれない。

振り返れば、「評価、評価」と騒がしくなったのは、政府にカネがなくなってからである。やがて予算の大半は社会保障に支出され、政府の貧困はその度合いが高まる―本当は、社会保障はどんな形にせよ所得再分配によって達成するしかなく、社会保障を充実させて政府が資金繰りに困るという事態はあってはならない。とはいえ、こんなロジックなど通らないのが世間の感情というものだ。「まあ、この話しはええわ」、小生の郷里ならそんな反応が出てきそうだ。ともかく、そのうち高い評価をあげた組織には、カネではなく大臣名の賞状が届くようになるかもしれない。やがて総理大臣名の感謝状になるかもしれない。いや勲章が贈られるかもしれぬ。これが名誉と感じられ、士気を維持できれば実に安価な組織マネージメントではないか。そんな国の楽屋裏を国民は冷静に観察し、評価するべきではなかろうか。本当の評価はこちらである。


2013年10月8日火曜日

覚え書 ― ビッグデータ時代は本物か?

某会社でビジネススクール出前版を提供しているのだが、今月から小生が担当する「統計」が全4回の予定で始まった。1回は90分なので4回とはいえ、話せるテーマはごくごく限られたものだ。昨年は3回で、平均・標準偏差に始まって、回帰分析まで、というか被説明変数が質的変量である場合のロジット分析までをとりあげた。理解度的には消化不良となるのは当然である。この3回が4回に増えても、更に5回、6回に増えても、事情はあまり変わらないであろう。ならばと、今回はベストセラー『統計学が最強の学問である』(西内啓)を一緒に読むというスタイルで、前半2回は「統計というものの見方の特徴」を聴いてもらい、それから後半2回に統計入門の話しをすることにした。

★ ★ ★



上の本を著した西内氏の力点がどこに置かれているか、ビッグデータ時代をどう見ているかなど、それはそれで大変面白い見解が述べられていて、色々な指摘は大変ロジカルである。

<統計ユーザー>として(=統計学者としてではなく)一番大事なことは何だろうか?それは、集まったデータから<最速・最善>のソリューションを引き出す技術を提供することにある。西内氏の意見の中で、これぞベストという点を一つ上げるとすれば、まさにこの点だ。その具体例として、19世紀のロンドンにおいて4度に及ぶコレラ大流行の惨状に立ち向かったジョン・スノウの提案を挙げている。ロンドン市民が利用している水道会社はA社とB社の二つがあったのだが、スノウの提案は
水道会社A社の水を使うのは止めよう、以上。
という簡単なものだった。スノウが生きた当時、コレラがコレラ菌による伝染病であることは、未知であった。また「止めよう」と指弾された水道会社A社がコレラ流行の<真の原因>ではないことも明らかだった。だから、スノウの提案は実に<非科学的>である。しかしながら、他に方法もないからスノウの提案を採用してみたところ、コレラ感染者は減少していったのである。現在では、スノウの提案がなぜ有効であったのか、その理由も解明されている。

<できないことの説明>は、専門家なら誰でもできる。「このデータから真の原因がわかるはずがない」、「測定方法を明らかにするべきだ」、「サンプルはどうとったか」、「データが正確であることの根拠は」等々、あらゆる点について問題点を指摘することは常に可能である。データ・クリーニングは確かに統計分析の第一歩である。可能なら、データを慎重に吟味するべきだ。しかし、こう言っておけば専門家としてリスクを負担せずともすむ、そんなホンネが隠された不毛な逃げ口上がいかに頻繁に口にされていることか……
いろいろ不明な個所があるので、このデータから信頼性のある結論は得られません

こんな風に言い出せば、日本の実質GDPにだって、大きな問題は多々あるのだ。

「真理」を求める統計学者ならこんな風なことを言ってもまだ許されるが、統計ユーザーがこんなことを言えば、これだけで失格である。統計ユーザーの仕事は答えを出すことである。データを前に逃亡を図ってはいけない。とにかく分析する。何か使える情報がこのデータに含まれていないか。含まれていれば『なんでこのデータが役に立つんだ』と。後でもいいのである。

そんな心構えが統計ユーザーには最も大切なのだ、な。ま、こんな意味合いで、上のベストセラーは、実に全うである ― 敢えていえば、標準誤差の数値など細かい点でミスプリが残っているが。

★ ★ ★

そんな西内氏であるが、ビッグデータ時代に向ける眼差しに熱いものは感じられない。それはトラディショナルな統計学で問題を十分解決できると(正確に)考えているからだ。

それでもなお出前授業で、小生は、こんな話をしているのだ。
100万件のPOSデータを丸ごと分析するより、1万件をサンプルにとって、1万件を分析する方がよほど簡単です。簡単だから速く計算できるし、計算がすぐ済むので、答えもすぐに出てきます。そして、サンプルから出てくる結果は、全数調査とほとんど変わらない。そう証明されているのですからね。であれば、『ビッグデータ時代の到来』といっても、それは統計学の進歩ではなくて、コンピューター・メーカーやソフトウェア企業の営業戦略なのだ、そうみるほうが適切でしょうかね。著者の見方はこれに近いかもしれません。 
ただね……、データ分析の生命は、「時間を食わずに正確に」なんです。「サンプリングせよ」というのは、間違っていません。正しい意見です。しかし、サンプルをとること自体が面倒くさいですよね、と。ビッグデータのままで効率よく保管しておいて、ビッグデータのまま分析する。それでもって計算も比較的簡単なやり方で、簡単に正確な答えを出すやり方が見つかってきた。だとしたら、どうです?これはこれで新しいデータ・サイエンスが創造されつつあるのかもしれない。そういう見方も出てくるのですよね。私はそう見ているのです。
まあ、1990年代から2008年までは<金融工学>の時代でした。IBMとか、SASとか、メジャーな大手企業ばかりではなく、アメリカという国全体が金融工学でメシを食ってきました。それが「リーマン危機」で崩壊して、いまさらまた金融工学ルネサンスとは言い出せない。だから、今度は<ビッグデータ>。ビッグデータを支える三本の柱は、高速・大容量なコンピューターとデータベース技術、インターネット、そして統計学です。この三つともアメリカが最先端であって、アメリカの知的財産です。確かに、「ビッグデータ=ニューサイエンスの創造」ではありますが、アメリカの新・国家戦略でもある。そんな気がしてならない。こういうと、西内氏の見方に近くなりますかね。
ビッグデータを支える七つ道具に統計ソフト<R>が含まれている。これまでビジネススクールでやっている基本段階の統計授業では、エクセルに付属している「分析ツール」を標準にしていた。そろそろ<R>を標準にして授業を進めるほうが歓迎される状況になってきたのかもしれない。



2013年10月6日日曜日

日曜日の話し(10/6)

昨日は卒年次生が作成するワークショップ第1回のコメンテーターを務めてきた。朝10時半から昼までは準備作業、午後1時からグループ単位で順番にプレゼン、質疑応答を繰り返す。一人当たりで概ね小一時間はかかる。終わると夕方である。学生相互でダメ出しをしたり、評価できる箇所を指摘したりするのだが、最後に教員サイドの意見を求められてくるので、やはりよく聴いて適切な意見を用意しておかないと沽券にかかわるのである。一方的に話をするレクチャーのほうが、かえって楽かもしれない。一人対一人で対話をする<ソクラテス式教育法>であれば、どうということはないのだが、いま大学で進めている双方向授業は、一人対多人数のダイアレクトであり、こんな対話はソクラテスといえども滅多にやっていない。将棋の名人が多人数を相手に対局するようなもので、非常な知力を必要とするのだな。プラトンが残した幾つかの対話篇を読んでも、登場人物は多いものの、ソクラテスが相手にするのは常に一人ずつである。他の人物は二人のやりとりを聞いているだけだ。だから対話を重視する双方向型の授業を多人数を相手に繰り広げると、本来、時間がかかるのだ。

ということで、この一週間は本当に疲れた。ウォーミングアップもなく、いきなり試合が始まった感じだ。

× × ×

母方の祖父の名はT次郎という。名の通り、旧松山藩に出入りをしていた呉服屋の次男坊であった。但し、店は明治維新で後ろ盾をなくし、明治中ごろにはつぶれてしまい、祖父の父が-当時としては破天荒なことだと思うが-独りでアメリカ西海岸に出稼ぎにわたって、日本に帰ってから再興してくれたお蔭で上の学校まで進学することができたということだ。一生判事を務めた人であり、昭和初めに任官し、敗戦と憲法改正を経て、高度成長がはじまった昭和30年代半ばまで司法官としての仕事に携わり、退職してからは郷里である松山市の南町2丁目2番地25号にさして大きくはない隠宅をもうけて、亡くなるまで祖母と二人でそこに暮らした。退職後には一応「▲▲法律事務所」と墨書した看板を玄関に掲げていたが、顧客と相談している祖父の姿は滅多に見たことがない。また愛媛大学法学部の非常勤講師をしたとも耳にしたが、大学の講義や学生の気質について話をきいたことは一度もない。

その祖父の家を、小生は数えきれないほど訪れては話をしたが、結局、一度も聞けなかったことは数多くある。中でも残念なのは、敗戦と日本国憲法への改憲のあと、どんな思いで法廷に臨んでいたのかである。仕事盛りの中年であったと思うし、昭和26年には小生の父と母が結婚している。家庭の父親として、世の中の激変をどんなふうに語り、そのころ思春期だったはずの私の母や叔父たちはどんな思いで父親の話しを聴いていたのだろうか。そして、祖父の勤務する裁判所はその当時、どんな雰囲気で新しい憲法や、新しい民法を受け入れて、判決を出していたのだろうか。こんな質問を口にしたいと思っていたが、とうとう一度も聞くことはなかった。

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戦時においては、ほとんどの芸術家、たとえば画家は戦争絵画を描いていたようである。中でもパリを愛し、最後はエトランゼとして死んだレオナール・フジタ(=藤田嗣治)の戦争絵画は有名である。どうした拍子か、日本が太平洋戦争を開戦した年、藤田は日本に帰ってきていた。


藤田嗣治、「12月8日の真珠湾」、昭和17年

藤田は、太平洋戦争中に相当の数の戦争画を驚くほどのスピードで制作したという。こうした作品は、藤田芸術という範囲の中でとりあげられることが少ないようだが、まぎれもなく藤田嗣治という芸術家が制作した作品の相当部分を構成するのである。


藤田嗣治、「サイパン島同胞臣節を全うす」の一部分、昭和20年(?)
(出所)上と同じ

上の二作品の引用元であるブログでは
暗い中、赤ん坊に乳を飲ませる母親、自分の足で銃を引く日本兵、崖より投身する女性たちの姿が描かれている。 (中略) 藤田は想像力だけで、これだけリアルな場面を描けたのだろうか?
と質問を投げかけている?

この作品にも「扇動した人たちとその誤りの結果を担う人たちとが違う」という日本社会の持病のような痼疾がうかがわれる。古代ギリシアにおいて、ただ政敵を倒さんがためにアテネ市民をペロポネソス戦争継続へと扇動したクレオンは、最後は身をもって軍隊を指揮し、戦死という形で自身を清算したから、罪は罪として大変立派である。日本においては、国民を扇動する政治家が言行を一致させることは極めて稀であり、最後は国民だけが盾となって命を失うのである。

リアリズムは、何の主観をも交えずありのままに目に見える情景を描くことで、まさにそうすることによって、自分自身の全ての想念を伝える技法である。しかし、上のブログの筆者も問うているように、サイパン島が玉砕するその時に、藤田嗣治は現場にいたわけではない。だから、上の作品は画伯・藤田嗣治の心を表現した作品であるとみるべきだろう。

「戦争画」というカテゴリーに分類されるが、それをみる現時点の私たちには寧ろ<戦争=愚行>という自然な認識が伝わってくるのを否めない。藤田ばかりではなく、当時の芸術家の心の中の本音がどうであったかはともかく、戦争画がそれを見る人を<国粋主義者>に変えることなどできそうにもないと思われる。できると思うのは皮相的だ。軍人に求められるがままに、戦争画を大量に制作したからといって、軍国主義に迎合し戦争を賛美する活動に従事したとは言えない。その証拠はいま戦争画をみる私たちの心の中にある。




2013年10月3日木曜日

石橋湛山の靖国神社撤廃論

小泉元首相が脱原発を唱え始めて菅直人元首相と意気投合するなんてことが起こるのだから、世の中は変わるものだ。

昨日、勤務先のビジネススクールで後期が始まった。毎年度後半は、ビジネス経済学と将来予測を担当している。予測は構造時系列までは余裕がないのでいけず、ボックス・ジェンキンズまで。複数時系列は、定常化した後のVARで終わりだ。となると、共和分がそっくり抜けてしまうのだが、まあ2単位科目でそこまでは無理というものでござんす。それにしても時系列分析など、ずっと以前は「高級な株価チャート分析」と言われていたものだ。世間は変わるのだ。昨日もこんなやりとりをした。
学生: 景気が変化すると心理も変わりますよね。
小生: そうです。そのためにマクロの議論をするわけです。景気の局面を<レジーム>と言っているんですが、たとえば株価でもゴールデンクロスなんて言葉があるでしょう。25日平均線が75日平均線の下から上にクロスする。これは今後上昇を続ける兆しであるとかね。まったく非科学的なジンクスにすぎませんと、前には歯牙にもかけなかったんですが、これは心理が変わるということなんですよ。これからは弱気から強気になるぞと、それだけで株価の変動パターンは変わるわけなんですね。世の中は変わる、一律には当てはまらないということです。
世の中が変わるというと、伊勢神宮で式年遷宮があり安倍首相も参列した。政治と宗教の分離に反するという問題指摘もあるが、そんなことを言い出せば、米国の大統領は教会に行ってはいけないことになるし、そもそもドイツの与党は「キリスト教民主・社会同盟」だ。大体、在職中に亡くなった大平首相だが、何かの宗教行事の下で葬送を行っているのではないか。細かいことを言えば、不信任案が可決され解散となったので前議員であり、従って憲法上の現職首相ではありえないという理屈になるが、内閣の職務は次の首班指名があるまでそのままに継続されている。でないと行政権が不在となり政府機関を閉鎖するべきだという議論になる。こんな風に重箱の隅をつつくのは、おそらくクイズやペーパーテストなどの虚業が一番得意な輩であろう。

ともかく世の中、変わるものなのだが、変える人が現れない限り決して変わらない。そんな面があるのもまた事実だ。

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リンク集は、以前は面白いので定期的に作ったりしたが、その後はふっつりとやめた。ところが、これはリンク集になるのじゃないかと思ったのが、戦後日本における靖国神社の扱い、というか「敗戦国が負うべき戦争責任」というものについてである。

まず石橋湛山元首相がまだ経済誌編集部にいたころに公表した「靖国神社撤廃」の提案。

少々長文だが、ネットからなくなるといけないので、念のためここにも引用しておく。
 甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも,或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神杜を廃止し奉れと云うそれである。
 靖国神社は,言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし,其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程,我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り,靖国神杜の祭典も,果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や,疑わざるを得ざるに至った。
 殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し,其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には,未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには,二年或は三年は日子を要し,年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが,果してそれは可能であろうか。
 啻に有形的のみでなく,亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が,何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け,祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら,卸て戦没者に屈辱を与え,国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
 又右〔上〕の如き国際的考慮は別にしても,靖国神杜は存続すべきものなりや否や。前述の如く,靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて,殊に其の大多数は日清,日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今,其の大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として,国家を殆ど亡国の危機に導き,日清,日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。
 遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても,之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば,今後此の神社が存続する場合,後代の我が国民は如何なる感想を抱いて,其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば,之れは我が国家の将来の為めに計りて,断じて歓迎すべき事でない。
 言うまでもなく我が国民は,今回の戦争が何うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し,其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは,恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず,更生日本を建設することはむずかしい。
 我々は茲で全く心を新にし,真に無武装の平和日本を実現すると共に,引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それには此の際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切のものと錐も,之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し,或は戦没者自身の立場に於て考えても,斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
 以上に関連して,茲に一言付加して置きたいのは,既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず,或は祭り得ない場合に於て,生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く,此の戦争は国民全体の責任である。
 併し亦世に既に論議の存する如く,国民等しく罪ありとするも,其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくも満州事変以来事官民の指導的責任の住地に居った者は,其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が,依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は,仮令連合国の干渉なきも,許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではない。
(出所)ブログ「社会科学者の時評」、2010年10月9日から転載

石橋湛山は、戦前においては<小日本主義>を主張し、世間の<大日本主義>と対立した。そのことは知っていたが、戦後早々の昭和20年10月という時点で、早くも靖国神社の存続について本質的な疑問を呈していたことは、卓見というべきでないか。小生も聞いたことがあったような記憶はあるのだが、実際の論述をみるのは今回がはじめてだ。

★ ★ ★

本ブログでも靖国神社は何度か登場しているが、小生の見るところも、上の引用と概ね同じである。但し、上記ブログを全体としてみると、昭和天皇の、というか「皇室」という存在が担うべき戦争責任を厳しく認識し、それを指摘している。厳しすぎるのではないかと心情的に感じる面もあるのだが、純ロジック的には正しいことを言っていると認めざるを得ない。

石橋湛山の靖国神社論については、ちくま新書「靖国問題」(高橋哲也)を論じたブログ
http://nzisida.lolipop.jp/05_06_04.htm
も一読の価値がある。

ドイツは、戦後アデナウアー政権の下で、公職追放となっていた元ナチ政権の関係者の大半を復職させた。またドイツ軍の名誉回復宣言を行っており、それが今日に至るドイツ国防政策の土台となっている。

それでも、戦争責任のとり方という面で、周辺欧州諸国と世界がドイツを見る目線は、日本が近隣諸国から受ける視線とは全く違うものがある。そんな違いをもたらす幾つかの要素として、<靖国神社>、<国家神道>、<天皇>という明治から昭和20年に至る戦前日本を支えた三つの太い柱が潜在していることは、まず否定できないとみているのだ。そして、大半の日本人にとって、上のファクターを<いまさら>批判されることは耐えがたいという感情がわきおこるのも、事実であろう。だから問題の解決は非常に難しい。それこそ西郷隆盛クラスの超カリスマ的リーダーが日本の側に出現しない限り、問題を突破できないのではないだろうか。



2013年10月1日火曜日

SONYのUltrabookが到着: 第一印象

注文していたSONYのUltrabookが本日届き、早速、使い始めた。Ultrabookというのは、液晶画面を伏せればタブレットに、スライド方式で立てればノートPCになるというもので、各社メーカーが既に販売しているが、どれも大体同じである。

小生、ノートPCはバッテリーの駆動時間が長いという唯一つの理由からパナソニックのLet's Noteを使っている。毎年度後期には卒年次の学生がワークショップを行い、それを審査員として聴きながら、評価項目ごとに得点を入力しなければならないし、コメントも記載する必要がある。それが朝から夕刻まであるので、終わったらクタクタになるのだが、自分がクタクタになる前に、PCのバッテリーが持たない事態には耐えられないのだな。それで小生のノートPCは、バッテリー持続時間が10時間を超えることが条件となる。パナは購入時点では上の条件を満たしたほとんど唯一の製品だった。

情けないことに仕事部屋に配置しているデスクトップはどれもこれも死に体になっている。一台は、linuxに移行するつもりで作業を中途でストップしているので、OSすら入っていない。もうハードディスクが動かないかもなあ…、そんな心配もある今日この頃である。



とにかくスペースからいって、大きな機械はおけない。それでWindows8で動いている機械で面白そうなのを探したところ、Ultrabookに目をつけたわけ。中でも"SONY Duo 13"はバッテリーが18時間もつので、これは十分だ。それにデジタイザー・スタイラスが付いている。

第一印象だけをメモしておきたい。
  1. スタート画面はWindows7のままがよい。
  2. SONYにしては動作が高速でストレスを感じない。
  3. タッチパネルの精度、感応性は、予想した通りで<悪い>。これはSONYが製造しているAndroid Tabletteよりは改善されているが、反応しない時がままある。
  4. デジタイザー・スタイラスは反応がよい。小さなボタンを押すときはペンに限る。
  5. デジタイザー・スタイラスで手書きができる"Note Anytime"は、ペン先をフォローする描線の精度、スピード、書き味などすべてを含めて、まさに出色の出来!これを使うとiPadで動く"Penultimate"が粗雑に感じられてしまうのが不思議だ。これから数学的な計算をするときは、こっちを計算用紙にするつもりだ。
  6. タッチパネルの大きさはよいとして、タッチパッドのサイズがタテ2.5cm、ヨコ8㎝。「パネルでやってください」ということか。狭すぎる。そのパネルも決してキビキビした優秀なパネルとはいえないが。
  7. Officeは― 昔とは違って、もう使いたくもないのだが、仕事上使わないわけにはいかない― ネット・ダウンロードが標準になった。まずMicrosoft Accountを作っておいてから、インストールするのだが、何しろ小生の勤務先は山の上にあって電波状況が悪い。何度も繋ぎなおして、やっとインストールが完了した。「…あと少しでオフィスを使えるようになります」とメッセージが表示されてから、優に1時間以上は待たされたのには、苦笑するしかなかった。
  8. 小生、タブレットとしてはiPadを愛用しているが、操作体系、ハードとソフトのバランスなどの完成度はiPadに分がある。つまりUltrabookは、PCとしても使えるというのが強みだが、その分ごたごたしている。NHKの大河ドラマの最近の八重ではないが「ヌエのようなタブレット」と言われるかもしれない。
  9. 以上の点を考慮したうえで、製品として全体評価すれば、出来栄えは84点。十分優れている。"Note Anytime"があるのでもう少しで<秀>、捨て難い。とはいえ「3点足らないなあ…。もうちょっとあればなあ」、そう思わせる所もある。
  10. ディスク容量が100Gbほどというのは、仕事用PCとしては小さすぎる。やはりタブレット仕様であるということなのだろう。Officeを入れた段階で残り70Gbしかない。

このUltrabookを宅に持ち帰って<宅用マシン>とし、これまで宅で使っていたパナを仕事部屋に置くことにした。このブログを書いたり、Dropboxに保存しているワードやエクセル文書に手を入れたりするくらいなら何の不自由もない。

しかし、Office標準のSkyDriveはいらないなあ……。みんな使っているのだろうか?SkyDriveに保存すると容量を節約できることは確かだから、この種のタブレットには不可欠かもしれない。しかし、DropBoxで十分ではないかねえと感じた次第。クラウドはAmazonも使える状態になっているのだが、使っていない。DropBoxにGoogle Drive、無料で50Gb使えるというので保存用にYahoo! Boxを使っているが、これ以上の使い分けはかえって面倒。いらないなあ、という感じだ。

こんな第一印象である。