2013年11月12日火曜日

理論は確定的なものと何故思ってしまうのか?

二人で共同担当している授業「ビジネスエコノミクス」は、ちょうど「企業経営のゲーム論」にさしかかっているところだ。ただし、ゲーム論とはいえ3時間1モジュールの授業で2モジュールとりあげるだけだから、本格的にゲーム理論を履修するわけではない。解説するのは、ナッシュ均衡とコミットメント・空の脅し、補完と代替という二つの戦略的関係、競争戦略の分類、それからちチェーンストア・パラドックスと限定合理性。まあ、このくらいを浅くなでる程度である。

明日は、その初回で基本概念を説明する予定だ。もちろん標準型や展開型、ナッシュ均衡とコミットメントの意味も大事だが、「囚人のジレンマ」(→集団合理性と私的合理性)、それから複数均衡の二つの場合、つまり「男女のデートのゲーム」(→戦略的補完性)、「タカハト・ゲーム」(→戦略的代替性)という異なった状況があるということを知っておくことが、メインテーマである。状況には色々あって、落ち着く先も一つじゃないという認識だな。

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ところで囚人のゲームという非協力ゲームでは、協調によるパレート最適が一時的に達成されることがあっても、私的利益を拡大したいという誘因を双方のプレーヤーが持つために、協調は常に不安定である。こういう結論になる。不安定な協調は持続せず、結局は双方にとって望ましくない状況が現実となるというので「囚人のジレンマ」というわけだが、ブログ「ニュースの社会科学的な裏側」には面白い投稿がある。それは、現実に囚人のジレンマで述べているように人は行動するのだろうかという疑問と検証である。
驚くべきことに同時手番ゲームでは、囚人のジレンマを回避する協力行動を、学生の37%、囚人の56%が行った。逐次ゲームでは、学生の63%が協力行動を行い、囚人はほぼ同様の数字だったという。相手の利得にも配慮する囚人は、同様の学生と比較して、相手のが自分を信じていると思う傾向があるようだ。
実際の刑期をかけたらまた異なる結果が出てくる気もするが、理論上の囚人のジレンマにおける行動と、その実験での行動の乖離は興味深いし、プレイヤーの属性の差が与える影響も興味深い。こういうニュースが広がると、ゲーム理論を元にした経済理論を現実に適応することに、不安を抱く人も出てきそうだが。
オリジナルの研究は、Menusch Khadjavi、Andreas Langeというドイツ・ハンブルグ大学に在籍する二人の研究者がJournal of Economic Behavior & Organizationに発表した論文で知ることができる。これに見るように、実際の囚人(行動実験では女囚を使ったそうだが)や普通の学生は、類似した状況で必ずしも「囚人のジレンマ」で想定するように、明らかに協調を崩壊させるような自己利益の追求に踏み切るとは限らない。そうする割合は、囚人では半分強であり、学生はむしろ相手が自分を裏切るとは思わず、故に自分もまた相手を裏切らない。そう考える傾向があるという結論だ。

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すべての理論はそうだし、特に人間行動を扱う科学はそう言えると思うのだが、人は様々な動機によって行動するものだし、その場になって意思を変更することもよくあることである。なぜ自分はそんなことをしたのか、後になって考えると後悔ばかりする。それが人間というものだろう。

相手が自分によせる信頼を-相手が自分を信じているかどうかは分からないものなのだが-信じて、自分も相手を信じるかどうかは、その人にとっての利益次第だ。裏切るほうが利益が大きいなら、裏切るのだと理論が結論付けても、100%そのとおりになるのだとゲーム理論は主張しているわけではない。そもそも、ガリレオの落体の法則が主張するように、あらゆる物が等速度で上から下に落下するなど、そうならないほうが地球上では多いのだ。

囚人のジレンマは、何度も意思決定を変更して「裏切りと報復」や「やり直す機会」が与えられれば、繰り返しゲームとなって克服することができる。ゲーム論では、こんな風に議論を拡大していくのだが、そもそも同時手番ゲームという想定の下でも、人は色々な行動をするかもしれない。その程度のロジックである。そう受け取っておくのが適切だろうと思う。実際に理論が予想する通りに人が行動するとは言えない、まして多数の人間集団が影響しあって、どんな状況に落ち着いていくか、複数の可能性が常にあって確定的な予測などは困難である。当たり前すぎて、語る必要もないが、大事な点かもしれない。

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