2013年12月18日水曜日

人生を生きる自己流警句-天才・秀才・凡才・愚才

ずっと好きな言葉がある。
天才は成すべきことを為し
秀才は成しうることを為す
この言葉の出典は、たしかアイザック・アシモフ『銀河帝国興亡史』及びロボット・シリーズへのオマージュとしてグレゴリー・ベンフォードが著した『ファウンデーションの危機』(新・銀河帝国興亡史1)ではなかったか…そう思って、本を取り出しパラパラとめくると、単行本の8ページにあった。

オリヴォーはゆっくりと首を振った。「そんなはずはない。彼はきわめて特殊な人間だよ―努力を惜しまないんだ。かつて本人から聞かされた言葉に”天才は成すべきことを為し、秀才は成しうることを為す”というのがあったが―彼は自分のことを一介の秀才にすぎないと決めつけている」。
ずっと読んでいくと、「忘れないでくれドース。これまでにも言ってきたことだが、現在は”荊(いばら)の時代”だ。史上最大の危機なんだ」。プロローグはこんな風に進んでいく。

今では上下2巻の文庫本になっているようだ。



上の言葉を最近になって自己流で拡張して愛用しているのだ。天才と秀才だけでは使い道が限られるものだから。
凡才は成しうることを為そうとするも、為す方法を迷い 
愚才は成しうることを為すを怠り、成す能わざることを為さんと欲する
どうやら安倍晋三という政治家は成しうることを為してきた。しかし、成すべきことを為そうとしているのだろうか。ご本人は成すべきだと確信しているようだが、それは成す能わざることであるかもしれない。

どうも遠くから見受けられるところ、秀才総理として無難におさまる意思はないようであり、天才か愚才かのギャンブル路線をひた走るおつもりらしい。

この伝でいくと民主党の鳩山政権、菅政権は、愚才内閣であったのではなかろうか。もちろん評価は後世の歴史家にゆだねることである。

小生は……というと、成しうることを為してきたつもりであったが、遠く過ぎ去ってみると「あれは、ああすればよかった」とか、「あの時は、あんな風に決めるべきではなかった」とか、そんな事ばかりだ。ということは、小生もまた「成しうることを為そうとするも、為す方法を迷う」、まあ一介の凡才であったわけだ、な。


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