2014年4月18日金曜日

覚え書-自白と証拠

10年近い年月を経て解決に至りそうになっている女児失踪事件が、今朝のワイドショーでとりあげられていた。

別件で逮捕された容疑者が、上の事件にも関与していると話し始めたというのだ。

カミさんとの会話録:

小生: 古い事件だねえ。だけど、もう物的証拠は出てこないのじゃないかなあ。で、あれだね…、状況証拠があれば、本人が否認していても死刑判決を出せるわけだからさ(毒入りカレー事件)、ということは自白があっても物的証拠がなければ無罪を出さざるを得ない。そういう理屈だろ?
カミさん: それは違うんじゃない?そうはならないよ。
小生: そうなるよ、それが理屈ってものだよ。
そうはならないよと言ったカミさんの感覚の方が現実的なのは分かっている。しかし、論理はやはり小生の方に味方していると思う。

証拠の存在が本人の認否に優越するのなら、証拠の不存在は本人の認否にやはり優越すると結論しなければならないだろう。だから、証拠がなければ自白があっても無罪としなければならない。

「証拠」とは、統計学者のいう「データ」である。データは、ないより在るほうが良いに決まっている。しかし、データにはねつ造されたデータ、いわゆる「データ・クッキング」もありうる。ねつ造されたデータなら無いほうが良い。だから、データがあるということ自体は、プラスでもマイナスでもないのである。

そして、データが無いという状態は、なにも分からない。むしろこちらの方がシンプルに結論を出せる。そう考えるべきだろう。

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