2014年7月20日日曜日

犯罪の巣窟より、犯罪の背景が本当の暗黒である

倉敷市で起きた女児拉致事件が無事解決されて周囲の人たちはホッと安堵しているに違いない。犯人のアウトラインは何となく想像できたが、同じ犯罪でも語るも情けない無恥蒙昧さを感じるのは小生だけではあるまい。

拉致監禁の現行犯で逮捕された犯人は、想像のとおり、「無職」であった。

無職であったから犯罪への誘因を覚えたか?それとも犯罪歴があるので、無職を続けざるを得なかったのか?それは現時点では分からない。これからまた週刊誌が、読者の興味に応えようと熱心に犯人の人間像を描くのだろうが、ほとんどはフィクションとノンフィクションが入り混じった読み物になるだろう。

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日本国憲法には第30条で納税の義務が定められている。しかし、税を納めるには所得がいる。所得を得るには仕事がいる。

何度も投稿したことだが、憲法で納税の義務を定める以上は、所得機会の提供に政府は責任を負っているというべきだろう。したがって、転職など摩擦的要因を除外したうえで完全雇用を実現するため、政府はあらゆる努力を払うことを義務付ける「完全雇用法」が法制化されても、決してそれは「違憲」とはなるまい。集団的自衛権よりは、よほど合憲への論理を含んでいると思う。

完全雇用を議論する際には、必ず完全就業と不可全就業が論点になる。全体の4割を超えてもはや「非正規」ともいえない「非正規労働者」を完全就業とみなすかどうか、議論は錯綜するだろう。いま必要な議論はそんな議論かもしれない。

納税を憲法で義務付けておきながら、たとえば所得税に限っていえば、非納税者が千数百万人もいる―参考資料へのリンクをつけておく。もちろん税には住民税もある。消費税もある。まったく税金を払っていない人は、日本国民の中で本当に極々少数であるに違いない。

しかし、3%の納税者が60%の所得税を納めている状況を「これも良し」と納得するには、それなりの合理的理由がいる。それでもなお国家において全て国民は平等の権利をもつ。本当にそうあるべきだと言い切れるのか。「おかしい」と根本的な疑問を感じる人が今後増えてくるかもしれない。

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だからこそ、雇用問題はしばしば時の政権の死命を制する。社会の不安は、何より雇用の不安からもたらされるのだ。

社会の公正に対する国民の信頼の低下は、『社会の根本的変革もやむを得ない』と考える人を相対的に増加させる。破壊への衝動が倫理的にも正しいと感じられるときに本当に破壊が進むものだ。社会全体では、しかし、今までに成し遂げたことの方が、解決するべき問題点よりはるかに多いはずだ。しかし、変革こそ正義という認識はレジーム・スイッチングの社会的コストを乗り越えるべき試練だと言いくるめてしまうのだな。何も日本がかつて歩んだ大正デモクラシーから軍国主義への急速な変化を、もう一度思い出す必要はないはずだ。

「仕事」は、働く人の尊厳を守るものである。カネをもらえばいいというわけではない。職業訓練と職業紹介にカネを使うことは、リターンの高い社会的投資であろう。国籍を問わず、宗教・民族を問わず、良い仕事が日本ではできるというメッセージこそ、今世紀に日本がとるべき国際戦略の王道だと思うのだがどうだろう。

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