2014年7月4日金曜日

覚え書―「歴史」というカビ臭く不毛な戦略

小生の亡くなった祖母にもその気があったが、叱責する時にその時の行為を責めるのではなく、叱っている内に『先月にはこんなことがあった』、『その時にはこんな約束をしていたでしょ』、『去年にはあんなことがあったでしょ』と、どんどん話が過去に遡ってしまうのだ。

『過去のことは取り消しようがない』というと、歴史問題を真剣に問題提起している側からみると無責任の極みなのだろう。しかし、小生、「歴史!歴史!!」と連呼する人をみると、どうしても現在から過去へと時間を遡って、打ち消しようがない不正の歴史を攻めるネガティブ・キャンペーンの不毛性に思いを致さずにはおれない。

中国の国家主席が韓国のソウル大学で講演したそうだ。日経にはこんな風に紹介されている。
【ソウル=島田学】韓国を訪問している中国の習近平国家主席は4日午前、ソウル大学での講演で歴史問題に触れ、日本を批判した。習氏は「中韓両国には悲惨な抗日戦争を通じて緊密な関係が生まれた」と述べた。豊臣秀吉の朝鮮出兵や抗日戦争などを挙げて両国が共に日本と戦った歴史を強調した。(出所)日本経済新聞、2014年7月4日
どうせ遡るなら鎌倉時代の元寇まで遡るべきであるし、更に遡って騎馬民族の日本侵攻にまで遡ればよいのではないかと悪態をつきたくなるのは小生だけではあるまい。

ちょうど最近100年間の地球平均気温の上昇トレンドをみて、現代文明による二酸化炭素の排出が「原因」となって「地球温暖化」が進んでいると結論づけるようなものだ。じゃあ、中生代の恐竜時代には自動車も走っていなかったが、なぜいまよりも気温が高かったのか?なぜその後に気温は急低下したのか?

ごく短期間のデータや歴史的事実を切り取って、自分のビジネスに有利な結論を出したり、自己を正当化する行為は、俗に「我田引水」と呼ばれている。

× × ×

もともと歴史戦略は、他国を非、自国を是と定義する攻撃的なタフ・コミットメントであり、正統性を主張して覇権を得るのが目的である。是とする側は非とされる側から収奪を行っても正義に適うことになる。歴史を論じているようで、歴史の話しではないのだ。現代社会では、このような場合、ロジカルな交渉を行って合意点を探る。協調解を得ようとするわけだ。その意味では、歴史戦略は、啓蒙思想以来の近現代の発展とは異質の香りがするわけで、非寛容な原理主義が隠れて息をころしている。

そう考えると、歴史戦略を展開する精神は、まあ「ロマン主義」と言ってもよいが、小生は「反・知性主義」だと言っておく。過去は変えがたい、であるが故に歴史の真理は千年・万年たっても変わらないのだという論法ほど、人間理性の働きを阻害するものはないだろう。

では相手が歴史戦略を採って、自国を攻撃する場合、自国がとるべき最適反応は何か。目には目をか?押さば引けか?この問いかけに答えるためには、まず関係者全体のパレート最適な状態を認識しておくことが大事だ。最善の状態とは、最大多数の最大幸福であることに疑いの余地はないからだ。そのパレート最適はナッシュ均衡と異なる場合が多い。だとすれば、相手の行動に対する最適反応戦略をとることで問題は解決しない。自国の行動方針をコミットして、相手国が自国をみる見方に影響を与える。そして相手国の行動を変える。最終的には全参加者にとって最善の状態を目指していくことが基本戦略となる。

結局、本当に生産的な議論は、やはり「信念」や「思い込み」を排した科学的な議論である。他者がどのような姿勢をとろうと、真に優位性のあるアプローチを厳守すれば、最終的には優れた方法を採用した側が<適者>となるものだ。人間社会の歴史も、所詮は自然史の一部であって、正義や不正という倫理的価値ではなく、方法の優劣を競うことで決まるものである。

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