2014年8月11日月曜日

「多難の年」はあるものらしい

多事多端。いろいろ大変な事件が続発する状態を指す。一年を通してそんな情況が続くこともある。

何気に夏の甲子園関係の記事を読んでいると、「中京明石延長25回」を報じた朝日新聞記事が参考欄にあった。それを読んでいると―この辺のサービスが近年非常に進化したー『PL、震撼させた記録破りの猛打』がバックナンバー一覧の推奨記事に出てきた。「ああ、桑田・清原の頃だな」というので、これも読んでみた。1985年、昭和60年のことである。東海大山形を相手に29対7。一試合最多安打32本のほかにも記録づくめの結果ということだ。

何となくこの試合のことは覚えていた。そうかあ、これも1985年のことだったのか…、ちなみに小生の上の愚息が生まれたのも同じ1985年である—何ということもないが。
試合の2日前には日航機が御巣鷹山に墜落するという大事件が発生している。その当時、小生は某官庁の広報担当部局で仕事をしていた。記者クラブが隣にあったので騒然としていたことは体感感覚とともに蘇る心地がする。日航機墜落の前、6月には現物まがい商法で世を騒がせた豊田商事の永野会長が自宅に押し入った男性により惨殺されている。これも突然の報道で吃驚した。

実は調べてみると、この他にも
2月。田中角栄元首相が脳梗塞で倒れ入院した。田中時代は終焉を迎えた。
3月。ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任した。ペレストロイカ時代の始まり。
4月。電電公社がNTT、専売公社がJTに。民営化の象徴。
5月。男女雇用機会均等法が成立。労働市場構造改革の第一歩。
6月。インド航空機墜落。329人死亡。
7月。毒入りワイン騒動始まる。
8月。米国・デルタ航空機墜落。135人志望。
9月。女優・夏目雅子が白血病で死去。

まあ毎月何かの大事件が勃発した。もちろんソ連の共産党書記長交代は、今にして思えば「あれが分かれ目だったねえ」という、事後的な判定だ。

そして同じ年の9月、プラザ合意があり、その後は猛烈な円高が進んだ。これによるマイナスを打ち消そうと日銀は空前の金融緩和に舵を切る。そしてバブルが発生するに至ったのだった。

その後、11月にはエジプト航空ハイジャック事件で60名が死亡。12月にはアロー航空機がカナダで離陸に失敗し墜落炎上。256人全員死亡。

1985年という年は、文字通りの多事多端な一年だった。航空事故がやけに頻発しているが、一過性の事故だけではなく、長い目で見て事後的に大きな影響をもった事も起きている—ゴルバチョフ書記長、プラザ合意など。

2008年のリーマン危機。2011年の日本の大震災、福島原発事故。このところ世界は騒然としているが、2014年もシリア、ウクライナ、マレーシア航空370便行方不明事件、マレーシア航空機17便撃墜事件、アルジェリア航空機墜落事件。そしてパレスチナ、イラク紛争と。多事多端である。そしてやけに航空機事故が多い。

長い目で見て、この先の世界を大きく左右することになるような変化はどこかで進みつつあるだろうか。ひょっとすると、日本の集団的自衛権容認の閣議決定がそれだった、そんな風にならないことを祈る。


0 件のコメント: