2014年8月15日金曜日

覚え書ー盆の帰省と会話

東京で仕事をしている愚息が夏休みというので北海道に帰省してきた。帰ったその日に赤ワイン "Chambertin"を、翌日(=昨日)は日中に白ワイン"Mont-Rache"をあけ、晩は町中に食べに出て寿司をとりながら熱燗を7合ほど飲んだ。コースを平らげたあと、ウニ丼、ホッキ貝の塩焼き、活タコの酢の物、それから何だっけなあ…あっ天麩羅か。で、今日は旭川に出張っていって研修中に親しくなった友人と飲み明かすそうである。

愚息は、仕事を始めてからも携帯は小生の支払い口座に属していたのだが、もう自分の名義を起こして支払いも自らするようにせよと申し伝えていたので、昨日は寿司屋に行くまではソフトバンクに行っていたのだ。『携帯を1台、新しく名義を別にして、支払い口座も独立させたいのです。その後も親子通話は無料で出来るようにしておきたいのです』、『それと機種変更をして5sに変えたいのですが…』、たまにしか来ないので懸案をいっぺんに済ませようとするのは仕方がない。『名義変更と機種変更は同時には出来ないのですよ』、『そうなんですか』。仕方ネエなあ、それで今日もまたソフトバンクに寄って、機種変更をして、昼食もそこそこ慌ただしく駅に急いで、旭川へと出発していった。

一人帰省するだけで振り回されるのだから、子供をつれて一家総出で帰省されたら身がもたない。『その時は、あれだね。その期間はおれたちもセカンドハウスにいって留守をしているんだ…』、『その期間は外国旅行が入っていてなあ…』と、そんな風にいう必要も一度や二度ではあるまい。とはいえ、めったに会えないのに、数少ない機会をなおさら少なくする方がいいのか。まったく家族関係をどうするかというのは、自分たちの生活とのバランスをどうとるかでもあって、結構難しい課題である。

☆ ☆ ☆

こんな話しをした。

小生: 仕事をしてると、どうしても辛いときはやってくる。思うようにいかない。辞めたい。そんなとき、苦労を乗り越えるのに何が支えてくれると思う。

愚息: う〜ん、その仕事が終わった後のことを考えるかなあ…、どんなことをしようとか。

小生: 「想像の翼」(朝ドラから借用させてもらった)をひろげて楽しいことを考えるんだな。それからどうする?

愚息: 相談するかな、それで愚痴ったりすると思う。

小生: 誰にいうか、誰に聞いてもらうかというのが鍵になるねえ。

カミさん: それで何なの、乗り越えるのは?

小生: いつ、誰にきいたかなあ?少し上の先輩だったか、うんと上の偉い人だったか、忘れてしまったけど、まず第一は少し笑えるんだけどね、「まず愛だ」といってたね。友愛、師弟愛、同志愛、夫婦愛、家族愛、いろいろあるけどね。愛したり、愛されたり、それがいるというんだったね。

カミさん: 一人じゃない。誰かにきいてもらうというのはそれだね。

小生: うん。ただね、その聞いてもらう人が誰一人いなくなる時もあるというんだね。家族も崩壊する。友人は去っていく。そんな時も「神様だけは自分のことを見てくれている」そう思える人は実に強いと言ってたよ。「神だけは自分を見放すはずがない、自分はいつも神と同じ道を歩いてきた、もし神が自分を見放すのだったら、それは神がそうすると決めたんだから、自分はそれでいい」。まさにインシャラー、神の思し召すままに。そんな信仰がある人は、どんな苦難にも、拷問にも耐える。実に強い人間であるそうだ。そう思わないかい?

愚息: イスラムの聖戦もそうだね。

小生: まさにそう。それから三番目は「志だ」ということだったかな。志っていっても単にやりたいこととか、目的とかそんなのじゃないよ。やり遂げられるか、やり遂げられないか、それは分からないが、自分はそのために人生をかけて努力していく、いまやることは志を実現させるため必要なことなんだ、そう思える理念のようなものだな。坂本龍馬は、前途半ばで死ぬにしても前のめりに死にたいと。そう言っていたそうだ。吉田松陰は若くして処刑されたのだけど、「身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」という辞世を残した。自分は果たせなかったことを、弟子達がやり遂げたんだよね。これが志だ。自分が発奮するだけでなく、人も発奮させるわけだ。仕事がきつくて辞めたくなったり、仕事がつらくて心を壊すのも、厳しく言ってしまうと事なかれ主義。つまりは志が低い。そんな気は確かにするんだよねえ……。苛めと見るか、試練と受け取るか、苦労とみるか、難題とみるか。やり遂げようと思っている目的がしっかりとある人は、絶対に挫けない、辛ければますます一層闘志をもやして敵を倒そうとする。そんな話しだったかなあ。

カミさん: あなたのお父さん、敵百万人ありとても、に似てるね。

小生: 己信じて直ければ、敵百万人ありとても我行かん。日蓮の言葉だね。まあ、人間関係でいえば、日蓮は最悪だよ。鎌倉幕府からはいじめられるし、殺されそうになるし、庶民からは嫌がられるし、他の宗派のライバル達からは悪口雑言を投げつけられるし、告げ口はされるし、あれでよく引きこもりとか自暴自棄になったり、反社会的な人間にならなかったと思うよ。まあ、挫けるような人なら歴史には残らなかったけどねえ……

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覚え書きまでに記しておいた。

よく似た文句を思い出した。学び始めの頃に使っていたドイツ語の参考書に乗っていた短文である。

Man muss stark sein, um gut sein zu können.

人が善であるためには強くあらねばならない。強いことが善であることの必要条件だから、善である人はすべて強い人間である。弱い人間は善い人間たりえない。ロジカルにはこうなる。う〜ん、確かにねえ。強い人間がすべて善い人間であるとは言ってない。しかし善い人間はすべて強い。

論理的にはそうなるのだが、そうなるかなあ……、弱い人間は善を守ることができない。モラルを守り抜くことができない。苦難にあえば崩れてしまう。確かにそうかもしれない。それは苦難のせいではなく、その人が弱いからなのだ。強い人は苦難に対して、逆に闘志をもやす。確かにそう言えないこともないかもねえ。上はナポレオンの言葉であったと記憶している。

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