2014年9月13日土曜日

人を恋ふる歌: すぐには分からなかったこと

『人を恋ふる歌』は、父の世代にとっては永遠のヒットソングであり、小生が若かった頃でもいわゆる応援指導部系というか、「右」寄りの人と言うか、酒の酔いが回ってくると歌いだす者が結構多かった。
〽 妻(つま)をめどらば才たけてエ、顔(みめ)うるはしくなさけあるウ
〽 友をえらばば書を読みてエ、 六分(りくぶ)の俠氣イ、四分のオ熱ウ
声が聞こえるようである。小生がピンと来なかったのは三番である。
ああわれダンテの奇才なくウ、バイロン、ハイネの熱なきもオ
石をいだきて野にうたふ、芭蕉のさびをよろこばずウ
ダンテは古典『神曲』の作家、バイロン、ハイネは言うに及ばす。芭蕉とは日本の俳人・芭蕉である。その芭蕉が「石をいだきて野にうたふ」、それが蕉風俳句の神髄であるサビということになるのかねえと。石を抱いて名句を作った情景があったかなあ…思い出せぬ。そんなわけでピンと来なかったのだ。

ちなみに『人を恋ふる歌』の原詩は与謝野鉄幹が作ったそうだ。

これが今日、何で思い出したのか分からないが、起きる前に何やら分かった気がしたのだ。

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オマール・ハイヤームの『ルバイヤート』に次の句がある。若い頃から一番好きな所だ。
 地の表にある一塊の土だっても、かつては輝く日のおも、星のひたいであったろう。そでの上のほこりを払うにも静かにしよう、それとても花の乙女おとめの変え姿よ。
(出所)青空文庫『ルバイヤート』

胸に抱く石もいまはもう亡くなった我が何代か前の先祖が慕った思い人のいまの姿であるのかもしれないと、そう思えば不覚にも一筋の涙が頬を伝う。こういうことは大いにあり得る。

芭蕉が書いた『奥の細道』には、奥州平泉を訪れたときのことが書かれている。
夏草や つわものどもが 夢のあと
生い茂る夏草もかつては命のやり取りをした鎌倉武士であったのだろう。猛々しきもののふも今は夏草に姿を変えて、吹きすぎる風に静かに身をまかせている。これが芭蕉のワビ・サビの境地である。

過ぎ行く「時間」に人間存在の儚さとあわれをみるのが芭蕉の主題であったわけで、この感覚はハイヤームにも通じる普遍的な思いでもあった。そう気がついたわけ。

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であるので、石くれを胸に抱き、ハラハラと涙をこぼすのは高い芸術的感性ということになるのだが、「あなた、抱いているのは単なる石だよ」と、そんな客観的指摘も当然なければならない。石を抱いて今はいない人を思うより、いま生きている人こそ恋しい。まあ生命讃歌である。

心の中の想念より、現に生きている人間の命こそ、何より尊いものでしょう。そんな立場である、な。

さすがに反戦歌人・与謝野晶子の夫である。そんな思いに、今日の朝、至ったわけだ。

それ故、軍国主義の時代に父の世代が愛唱したのはやや矛盾していた。そうとも思われるのだ。

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一ヶ月続いた某企業の人材研修セミナーも昨日やっと終わり、みんな東京へ帰っていった。中にはどうなるかと心配になったユニットもあったが、結果的にはハイレベルの事業計画をプレゼンできていた。最終発表では経営陣も参加してもらったが、ヤレヤレという安堵を感じている。なもので、今日は一日中、眠かった。昨日、一昨日の北海道は異常な雷雨と豪雨に見舞われたが、今日は一転秋日和になった。ストーブが古くなったので、買い替えようと思っている。昼過ぎ、近くのホームセンターを見てきた。

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