2014年10月17日金曜日

靖国神社ー春・秋・盆の風物詩になった政争

春・秋の例大祭、盆の季節の終戦記念日と、その頃になると必ず政治家の靖国神社参拝が世間の井戸端会議の話題となり、それに対して中国の非難、韓国の避難、時にはロシアの非難、アメリカの遺憾の意表明が相次ぎ、日本国内のメディアはメディアで支持派、絶対反対派の二つに分かれて主張をぶつけあう。そんな騒ぎがもう何年もずっと繰り返されている。

バカだと言えば不謹慎だが、論争するならするで何かの結論はもう出すべき頃である。

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今度も高市総務相が秋の例大祭には靖国参拝をすると表明し、これに対して中国の批判がまたまた報道されたりしている。そういえば日本国内の政治評論家・田原総一郎氏が高市氏の靖国参拝をTV番組中であれこれ批判したというので大荒れになったということも耳にした。

この話題について小生の個人的立場は本ブログにはすでに投稿している。石橋湛山元首相の撤廃論など、なるほど戦争直後の時点においてはそれが自然な提案であったのだろうと、非常に共感しているのだ。とはいえ、人によってこれほど主張がわかれる話題はない。

自然にまかせていても論争の収束点には行き着かない可能性が高い。

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誰もが、渋々ながらも認めざるを得ない結論とは、結局は、<論理的な結論>だろう。理屈に合わない主張を根気よく一つずつつぶしていくしかないのが靖国問題と戦犯問題である。

不思議なことは、靖国問題やA級戦犯など微妙な問題について世論調査が行われたことをほとんど聞かないことである。

どちらに転んでも結果が出れば出ればで、大きな論争を引き起こすきっかけになる。マスコミ各社はそう思っているのかもしれない……、怖いのか。ここまで文章を書いてきて、ふと気になりGoogleで検索してみたのだな。そうしたら、やっぱりありました。毎日新聞の世論調査で『A級戦犯分祀に賛成か反対か』を質問している。この結果を引用しているブログがあったのだ。あらゆるブログ全体に検索の網をかけるというのは凄いことである。

調査は平成18年に実施されたから相当以前である。分祀に賛成は63%、分祀に反対が23%で、概ね3分の2の人はA級戦犯分祀に賛成していた。

もちろん元データをチェックしたわけではないので、一つの素材として見ておくべきだ。とはいうものの、こんな結果だろうなと感じる結果である。

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高市総務相は「国策に殉じて亡くなられた方をどのように慰霊するかは国内の問題で、 本来は外交問題となるべき性質のものではない」と、16日の衆議院総務委員会でもそう答弁したと報道されている。

靖国神社に祀られている英霊は実に多様である。また、祀られていない戦没者、というか戦争犠牲者も実に多数である。その中で一つ確実なことは、戦後裁かれたいわゆる「A級戦犯」は「国策に殉じて亡くなられた方」ではない。国策を決定した人々、国策決定に強い影響力を及ぼした人々であり、つまり日中戦争から太平洋戦争に至る当時の日本の指導層である。告発の公平・不公平という問題はさておき、この点だけは確かである。

自らの人生が、軍事裁判における有罪で終わった以上、その国策は失敗したのである。失敗した国策の下で、300万に達する日本人が「国策に殉じて」亡くなった。これも事実だ。故に、指導者はその責任をまずは日本国民に対してとらなければなるまい。これがロジックではないか。

まして、その当時、国家元首であった天皇や陸軍大臣、参謀総長の意向にも反して(時には明白に無視して)、満蒙・支那・朝鮮など周辺地域で攻撃的軍事作戦を推し進めていったことは資料から明らかにされている。

日本が主体的に「軍事裁判」を戦後に行っていても、1920年代後半以降、軍規に違反して部隊を動かし、未承認の作戦を次々に展開したことの責任が追求されていたことは間違いなく、結局は実際の歴史と大同小異の — いやはるかに秋霜烈日の視点に立ってー「戦犯」が裁かれていたことであろう。そう想像できるし、またそう考えるしか選択の余地はない。戦勝国によって一方的に裁かれたという被害者意識は欺瞞である。原因が国策の誤りにある以上、最終結果は同じである。小生はこんな風に思っている。

それ故、現在の総務相がとっている立場は、日本の外から見ても内から見ても、非常におかしい。大きな欺瞞を隠蔽している。真の殉難者に対して失礼であると。そう見ているのだ、な。

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