2015年3月17日火曜日

正義の感覚と歴史不感症はシンクロしがちである

地元紙・道新は、小生にとっては格好の話題を提供してくれることが多い—そういえば、ずっと昔にまだ小役人をやっている頃、朝日新聞の記事を毎日罵倒することを趣味にしていた御仁がいたものだ。

本日の地元紙・道新のトップ記事は『障害年金−公務員優遇』である。とはいうものの、それほど大仰な内容ではなく、要するに初診日が自己申告で済むか、証明が必要かという手続き面での「官民格差」であり、公務員が不当に優遇されている、と。こんな状況が半世紀も続いているという記事である。

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確かに年金、その他全般において、官民格差が存在することは事実だ。

『それは怪しからん』と憤るのも大事なことであるが、その前に『なぜそうなっているか?』という経緯を知識として知っておくのは、解決するべき問題をチャンと解決する道筋をつけるのに大変大事なことである。

その制度の歴史は、その制度がいかに深く根を張っているか、それとも案外容易に改正することが可能なのか、この辺りの見極めには不可欠の知識だ。

大体、官僚の年金と民間ビジネス界の年金、その他福祉制度を統一的に運営するなど、問題意識として全然なかったことである。

そもそも公務員の年金は、恩給を源としているが、その初めは軍人恩給であり、西南戦争に先立つ明治8年(1875年)に発足している。その後、文官恩給令が明治16年(1883年)に定められた。官僚組織全体の恩給制度を統一することですら、それが出来たのは大正12年(1923年)になってのことだ。これだけで48年かかっている。

これに対して、民間ビジネス界に実施される労働者年金保険と厚生年金保険制度が導入されたのはそれぞれ昭和17年(1932年)、昭和19年(1944年)である。既に戦時であり、導入の目的は出征する軍人に後顧の憂いをなくさせるためというより(軍人や遺族には恩給が支給されたから)、単純に保険料を集めるという「戦費調達」にあったとしか考えられない。戦後になって、厚生年金の節目は国民年金の開始(昭和36年)、基礎年金制度の開始(昭和61年以降)に見ることができるが、その後も小改正を重ねつつ今日の状況に至っている。

そもそも年金制度は、社会保障政策として統一的に導入され、実施されてきた制度ではない。導入した目的も社会保障などとは遠い所にあったことを忘れてはならない。社会保障政策の柱としてこれからも実施していこうと議論しているのは後付けの議論であり、事後的な意味付けなのである。問題が至る所に存在するのは当たり前である。故に、問題があれば、どうすれば解決できるか。それを考えればよい。それだけのことだ。

そして、既に本年10月には公務員の共済年金と厚生年金は完全に一元化されることが決まっている。

旧制度が適用されている場合は、確かに「不公平」な外観を呈するが、早晩その世代は世を去っていく。

問題は自ずから解決されていくことは確定している。

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批判精神は社会の進歩のために不可欠だが、歴史的な経緯を見ることなく、現時点の状況だけを見て、「どうあるべきか」と徹底的に突き詰めて考えていくと、結局は歴史不感症になっていくものだ。

話題は変わるが、北海道内の小学校では運動会で入場門も退場門もつくらず、出場する生徒達も整列行進などはしない。しかし、四国松山に在住している親戚によれば、内地の小学校では今なお歩調をそろえて整列行進をやっているという。

これって軍事パレードみたいだね、と。いつも「統一」したがるんだよね、と。そんなの止めるべきだよね、と。

こう言って、内地の運動会の非を訴える。例外的なケースもあるので、一概にいえないが、いまこの町で暮らしている者の感覚では、そんな感想もあるのだな。

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別々の経緯からスタートした制度では、その制度が適用されている人たちの立場に立てば、当たり前の現実が存在しているものだ。

その当たり前の現実は、広い観点に立てば、間違っているということになるのだが、そもそもそんな始まりではなかったのだ。そんな歴史があり、こんな現実がある。故に、制度的統一には多くの人的・時間的コストを投入した。

年金制度について官民格差という問題は既に解決している。そう見るべきではないだろうか。



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