2015年5月14日木曜日

雑感: ポスト「資本主義+株式会社」がそろそろ見えてくるのかも

前の投稿を読み返しながら、補足したくなったこと。

資本主義とか、株式会社とか、自由とか、私有財産権とか・・・そんなことよりも社会を構成する個々人のベースにおいて、幸福の提供を約束しえない社会状態は持続不能であろう。持続不能な社会は、長く見ても数十年か百年程度のうちには革命で消え去るものである。

その「幸福」だが、結局は「生きがい」という感情に行きつくのではないかねえ・・・そんな風に思うのだな。

先祖代々の土地を守る、田畑を守る、それでもいいし、暖簾を守る。それが何より大事だと思うなら、自分をころして生きるとしても、生まれて来た甲斐はあるだろう。

夢を実現する。これもいい。親の夢でもいいし、自分の夢でもいい。

何を生きがいにすることが大多数の個人にとって当てはまっているかは、その時代ごとのデモグラフィック(人口構造的)な条件、生産技術上の条件など、置かれた環境から相当程度は決まってくるものだ。

明治維新以来の人口増加を解決するためには、国外に活動の場を日本は求めざるを得なかったわけであり、具体的には移民政策や植民地獲得が国家的な<是>となり、政策を形成していったわけである。日本の近代史を人口構造という面からかなりの部分は説明できる。そう考えることも大変多いのだ。

人口構造が社会の在り方や国の運命を決めたという点は、18世紀の清朝・乾隆帝の黄金時代に豊かな社会を実現し、それが人口爆発を招いたことで19世紀の停滞へつながっていった中国と正に歴史的位相においては重なっているわけだ。一方は生活水準が低下して閉塞感が漂い、他方は国外へと爆発した。

いずれにせよ、今後の日本は、超・高齢化から人口減少社会へ移行する。国内市場は縮小する。そこで<是>とされることは、これまで<是>とされてきたことと全く違ったものになる可能性が高い。

生きがいや幸福の形が違ったものに変わっていくのであれば、それを摩擦なく、スムーズに変えていけるようにルールや制度を変えていく。できれば誘導していく。いま大事なことはそんなことであろう。

株式会社は資本主義を支える柱の一つである。その株式会社は、広く投資家から資金を調達して事業を行うのだが、その根底には富裕層の金銭欲が原動力として働いている。利益拡大には市場の拡大、競合企業を打倒して顧客を奪うことが必要である。

そんな組織行動原理がこれからも<是>とされていくであろうという根拠はなくなってきた・・・そう思うことが増えてきた。

強欲を原理としない組織行動は、国家が運営する組織か、そうでなければ利益拡大を否定した協同組合しか思いつかない。

若ければライフワークにしても面白かったろうなあ・・・海流の流れる方向を変えるなど誰にもできないし、時代の進展はただ視るよりほかに仕方がないのだけどね。

結論: 日本の多くの株式会社は社員に対して幸福な人生を提供できなくなりつつある。トレンドとしてそうだと思う。「顧客志向」の理念はせいぜいが闇夜を照らす懐中電灯くらいの役回りにとどまるのかもしれない。

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