2015年5月24日日曜日

「伝統」とは常に守るべきものではない

和歌山県太地町で行われているイルカ追い込み漁が残酷であるという理由で、日本動物園水族館協会が世界動物園水族館協会(WAZA)から資格停止を告げられ、「追放」の崖っぷちにたって脱退か残存のどちらかを選ぶべく、投票で決をとったところ、やはり数の多い動物園サイドの意向が通り、結果として日本国内の水族館は太地町で捕獲された野性のイルカを今後は購入できない見通しになった。

これはニュースだ。これは日本の伝統的漁法を否定する乱暴な措置だ、と。そんな訳で結構な論議になっている。

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イルカのショーは小生も数限りなく家族で観たので、なくてもいいだろうと決めつける資格はないのだろう。

でもまあ、率直にいえば、オルカ(=シャチ)のショーをみてしまえば、イルカはなあ・・・野性イルカを捕獲してまでもショーをすることはないだろう。そんな感覚だけどねえ。これが率直なところ。

そのオルカにしたところで、どうやって捕獲したものか、おそらく国内繁殖した個体ではないのだと思うが、詳しいことは知らないので書くことはない。

エンターテインメントの素材として、野生動物を捕獲して何かをさせる。もうそんな時代ではないでしょうとは思う。イルカだけではなく、象やゴリラ、ペンギンなど、今日では映像もあれば、インターネットで誰でも写真付きで調べることが出来る。

故に、イルカショーのために野性イルカを捕獲する必要はない。そんな感想だ。

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それより引っ掛かりを覚えるのは、伝統的漁法だからこれからも守っていく。これは善い事、というか正しい方針なのだろうか?こんな問いかけもあるだろう。

「伝統」の中には「悪習」もあった。これが歴史だ。廃止された伝統は日本文化の中にも(もちろん)多い。ま、切腹などという作法は武士道の華ではあろうが、今日という時代にそれを守るべきだと支持する人はまずいないと思う。鎌倉武士は犬追物をスポーツとしてたしなみ、武技を鍛えたそうだが、いまやれば動物虐待になる。悪習というわけではないが、お中元やお歳暮、年賀状など、守るべき伝統だろうか。日本伝統の和服や和歌、能を日常的にたしなむ人がいまどの位いるだろう。能などは小生の父の世代までは確かに伝統的な男のたしなみであったようだが・・・。小生は鼓も打たないし、舞も知らない。

悪習であるか、伝統であるか、確かに時代の変化の中で是非は変わり、その意味ではいい加減な判断だが、「進歩」とはそういうものである。

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