2015年6月28日日曜日

トップが大事だという意味

企業ではやはりトップの果たすべき役割が大きい。

実際に仕事をしているのは、主に40代から50代前半の脂の乗り切った中堅であるに違いないが、理念と目標を与え、士気を高めるのはトップだけが出来ることである。

課長、部長あたりが旗を振っても、反感を買うだけであろう。専務や常務が一人張り切っても、警戒されたり、疎外されることが多いのが、人間のつくる組織の常である。この辺の感覚はロジックではなく、実際に中に入ってみなければ分からないものだ。

国の政治、自治体の行政でもほとんど同じだ。嫌な上司のいうことでも心酔しているトップの信頼が厚ければこそ、従う意欲もわいてくるというものだ。

2012年9月に安倍現首相が自民党総裁に就任して以来、おそらく政治のトップになるであろうことは分かっていたが、当時から予想していたことがある。

ご本人はともかく、その取り巻きがねえ…、あまりにも一般常識の感覚とずれている人が多い

そんな印象があったのだな。

ご本人に、よほど鋭敏な感覚と指導力があれば、だんだんと精選された人材と新陳代謝させていくことが可能だったろうが、もともと目標とする方向が中道からは相当右に偏っている。どれほど真摯で、誠実に国のかじ取りをしようと願っているとしても、結局は自分の願望を通したいと思っているだけの低品質な集団に取り込まれてしまうだろう、と。そんな予想をし、本ブログに投稿もした。

権力は力を与えるが、利己的な人間をも引き寄せてしまう。往々にしてそれが敗因となる。

例としては不適切だが、東條英機元首相ご本人は職務に忠実な役人に過ぎなかった。昭和天皇の信任もあったと聞く。その東條が大東亜戦争全体の責任を負うことになったのは、自分自身がそれを推進したというより、取り巻きが悪かった。故に、政権全体として実力不足であった。

一口に言えば、劣悪な人間が集まり、優秀な人材が逃げる。そんなメカニズムがあった。そうとしか解釈できないのではないか。それはやはりトップの「不徳」という言葉で総括される。

どうもまたそんな雲行きになってきたねえ…。

自民党の大勝がかえって仇になってきた。

選りすぐりの新しい人材を抜擢して、リフレッシュしない限り、現政権は腐った水のようになり、支持率の低下傾向を止めることが出来ない可能性がでてきた。

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