2015年6月13日土曜日

でありたい vs である

NHKの大河ドラマはその昔は普通の人は観るというポジションにあったと記憶している。その中でも『伊達政宗』に出てくる台詞は流行語にもなったものだ。それが『▲▲はかくありたい』という本日の標題にもつかった言い回しだ。

実は、数日前に興味をひく記事をみつけたのだ。タイトルは「世界最強だった大和」。漢字の大和であって、宇宙戦艦ヤマトではない。
 16年8月。真夏の日差しが照りつける日に、完成した大和に初めて乗艦した。同期は1人もおらず、心細さもあったが、当時世界最大最強にして「不沈艦」とさえ言われた戦艦に乗り組んだことは誇らしかった。
 17年6月に初の実戦となったミッドウェー海戦に赴いた。約40隻の軍艦で形成された陣形の中心は大和。戦場の最前線から距離もあったため、危険にさらされることはなかった。
 だが、敵に傍受される恐れのある無線は使用できず、無数のモールス信号と手旗信号を送受信しなければならなかった。万に一つのミスも許されず、艦内は絶えず緊迫した雰囲気に包まれていた。「乗艦する兵も世界最強でなければならない」。瞬きすらできなかった。
(出所)産経WEST、2015年6月10日

戦艦大和が世界最強であったというのは事実において間違いだった。 実際、大和は撃沈され、いまも鹿児島県坊ノ岬沖約200Kmの海底にある。

戦場の様子は吉田満『戦艦大和ノ最期』でも淡々と叙述されている。

世界最強であるというのは戦艦が互いに名乗り出て1対1で砲撃を開始すれば、射程が長い大和の方が絶対に勝つという理屈にたっての話しだが、そんなことは分かっているので相手の戦艦は出ては来ない。大和はレイテ沖海戦にも参加しており、沖縄特攻が初陣というわけでもなかった。実際の戦闘でどうであったか、既に決着はついているのである。

欺瞞である。世界最強ではない戦艦を世界最強であると考えたモノの見方(=大鑑巨砲主義・正統派・公式の見方と呼ばれる諸々)がまずい。その見方が敗戦を経ても、なお反省されることなく、そのまま持ち続けられている……。もしそれが本当なら、同じ失敗をまた繰り返すだけである。

「かくありたい」が、現状への不満をもたらし、一層の努力につながっていくのではなく、そのまま「である」と信じる動機になってしまうのは幼稚化現象である。良いことではない。

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